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2004年1月2日
No.197

謹賀新年

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。多難な一年を終えて新しい年を無事に迎えらたことを、まずはお喜び申し上げます。今年一年のご多幸をお祈り申し上げます。

といっても、私の場合、実は昨年の末からひどい風邪にかかり、ようやくPCに触ることができるようになったばかり。ですから、新年の所感など、とても書ける状況ではありません。

さらに驚いたことは、昨年末に書いてWebマスターに送っておいた永田町徒然草No.196が掲載されていないことでした。理由は極めて簡単です。私がWebマスターに送ったメールにその添付を忘れたからです。

Webマスターからは何度も原稿を添付再送するようメールが入っていたのですが、この間、私がPCに触れなかったのですから、そのメールを見なかったのは当然のことです。何日もPCに触らないことなど滅多にないのですが、一週間もPCに触らなかったのですから、私の風邪がいかにひどいものだったか、ご想像下さい。

前号に若干手を加えれば、それを新年の所感にすることもできない訳ではありませんが、いまは、まだ頭がクリアーではありませんし、まだ気力が充実していません。新年には新年にふさわしい言葉がありますので、そう遠くない内に書くことにして、No.196をこの号の付録として添付することにします。

何とも締まらない年の始まりですが、事実だから仕方ありません。しかし、私の場合は単なる風邪のためですが、わが国の政治は多くの根本問題をそのままにして新年を迎えたようであります。そのことは、No.196をお読み下さればお分りになるでしょう。風邪のためにすっきりとした新年を迎えるのがちょっと遅れたのとは、本質的に異なることです。

従って、今年一年の政治は、あまりすっきりとした展開をしないような気がします。わが国の政治家に一番欠けているいる資質は、決断だいう気がしてなりません。それは世渡りの知恵としては得なことなのでありますが、政治にはなりません。私の場合、決断をし過ぎるために問題を起こすのですが、それは生きざまの違いですから、仕方ありません。

いずれにしても、今年も歯に衣を着せない言葉を発していくつもりです。どうか今年一年もよろしくお願いいたします。皆さまのご多幸を改めてお祈り申し上げ、新年のご挨拶といたします。

00:40   東京の寓居にて

白川勝彦

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2003年12月27日
No.196

自衛隊イラク派遣の責任者は?

  1. 押し迫ってきた。今日から年末年始の休暇に入った人もいれば、今年いっぱい仕事の人もいよう。私の場合は後者である。選挙の後始末がまだ残っているからである。だいたいの目途はついたが、最後の一里の所でなかなか難儀をしている。再カンパのお願いで多くの方々からご協力をいただいたこと、心から感謝申し上げます。

    私がお金のことを率直にこのサイトで書いたのは、政治にはこのようにお金がかかり、政治家はこういうことを現実に処理しながら自らの政治活動をしなければならないことを理解してもらいたかったからである。特に、インターネットで政治をバーチャルに考える人には、こういうことを軽視したり、侮蔑する傾向があるからでもある。政治は、残念ながらバーチャルなものではない。だからといって、不純なものでもなければ、理想を忘れたものでもない。

  2. いよいよ航空自衛隊の先遣隊が、自衛隊のイラクへの派遣のために出動した。来年のそう遠くない時期に自衛隊本隊が派遣されることになろう。これをどう捉えるべきかは、前号でのべた。日本の防衛政策の質的変化である。戦後の政治の大きなテーマのひとつは、常に外交防衛政策であった。この問題を論じる際、憲法9条をどう捉えるかが日本の外交防衛政策の特徴であった。

    わが国の外交防衛政策は、憲法9条によって他国と決定的に違ったものであった。いずれの論者も憲法9条の存在を無視して外交防衛政策を論じてきたものはいない。しかし、今回の自衛隊のイラク派遣をめぐって、憲法9条をどう捉えるかが果たして本当に論じられてきたであろうか。もちろん、一部の野党はそのことを指摘はしてきたが、ほとんど無視されてきた。

  3. この問題について、政治評論家はどのように発言してきたのであろうか。イラク問題をテレビや新聞はかなり報道してきたが、その際外交専門家や防衛専門家の意見はそれなりに紹介されてきたが、憲法学者や政治評論家はほとんど登場してこなかった。というより、登場させてもらえなかったのかもしれない。マスコミの憲法感覚はもはやこのようなものに過ぎない。少なくとも、かつてのマスコミは、憲法問題にもっと熱心であった。

    それにしても、政治評論家は、それぞれ発言の機会をもっているのであるから、この問題について自らの考えを述べるべきだったと思う。そうでなければ、政治評論を職業としている者として自らの責任を放棄したことになろう。憲法問題を論ずることができない政治評論はありえない。なぜならば、わが国の政治は憲法に基づいて行なわれならないのであるから。

  4. それにしても、今回の自衛隊のイラク派遣は、公明党が反対をすれば政治的にはできないのである。公明党にとっては酷かもしれないが、“イラクに自衛隊を派遣したのは公明党”ということになる。「平和と福祉の党」を一枚看板としてきた公明党の本質が満天下に明らかになる秋(とき)でもある。結論はほとんど見えてはいるが、最後の最後まで、どのような結論を出すのか注目していた方がいい。

    公明党の政権参加の是非を広く訴えたいというのが、このサイトを開設したキッカケであった。公明党が政権に参加して4年が経った。そして、いまその政治的評価を下すべき、ひとつの重大な時期が訪れたといってもいいのだろう。公明党の政権参加は、「平和と福祉の党」を一枚看板としてきた公明党にとっても決して好ましい結果ではなかったようである。

  5. 政権交代では、どのような政権を倒して、どのような政権をつくるかということが鍵である。いまわが国を実際に支配しているのは、まぎれもなく自公連立政権である。イラクへの自衛隊派遣を行なうのも自公連立政権なのである。公明党がノーといえば、イラクへの自衛隊派遣は政治的には不可能である。だから、政治的にいえばイラクに自衛隊を派遣したのは公明党なのである。

    政権交代を唱える側に、この公明党の存在をどう捉えるかが問われてくる。この点に関して、政権交代を訴える側の認識は甘いようである。公明党の自民党候補に対する選挙協力がなければ、先の総選挙で政権交代は実現できていたであろう。現在の政権は、公明党抜きではありえないのである。公明党に対して甘い幻想を抱いていては、いつまで経っても政権交代などできないであろう。

    こうした根本問題を残して、今年も暮れようとしている。私の難儀もこのことに深く関係しているようである。しかし、いいだろう。正邪曲直は必ず明らかになろう。いくらこちらが真剣になっても、時期が来なければどうにもならないこともある。

    これが今年最後の永田町徒然草となる。今年一年、といっても9月までは休止していましたが、その間を含めて多くの方々のご愛読を感謝申し上げます。来年はこのサイトは忙しくなりそうである。乞うご期待。

それでは、好いお年をお迎え下さい。

06:30   長岡市内のアパートにて

白川勝彦

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2003年12月20日
No.195

フセイン大統領拘束とイラクへの自衛隊派遣

  1. 今週は、フセイン大統領の拘束という電撃的ニュースでまたイラク問題が最大のテーマとなった。それにしても、髭だらけになったフセイン大領領の映像は、いろいろな意味で多くの人たちにショックを与えたであろう。私は、フセイン大統領の命令で命を失った人たちの関係者がこれをどう受けとめたかに思いをいたした。

    独裁者は、自らの命令を遂行するために部下に命を懸けてでもこれを行なえと命ずるものである。そして、多くの人々が不条理の命令を行なうために命を投捨て、またその何百倍・何千倍もの人たちの命を奪うのを常とする。フセイン独裁の下のイラクでも同じことが行なわれてきた。人の命をこのように軽ずる独裁者が、自らの命にはぶざまにも執着する。独裁者とは、所詮こんなものである。その典型的な例だと私は思った。だから、私は独裁を憎む。

  2. イラク戦争やイラクへの自衛隊派遣で窮地に立たせられたかに見えたブッシュ大統領やブレア首相やわが小泉首相は、フセイン大統領の拘束によって満面の笑みを浮かべた。また、アメリカやイギリスは知らないが、少なくともわが国の場合、イラクへの自衛隊派遣の世論も好転するであろう。わが国の世論は、いつも極端から極端に変るという習癖がある。

    しかし、フセイン大統領の拘束によって、イラク戦争や自衛隊派遣の問題の本質に何か変ったことでもあるのだろうか。何もない。国連の調査団が大量破壊兵器の有無を精力的に調査中に一方的に武力攻撃をすることに問題はなかったのかということが、問題の本質である。また、イラクへの武力攻撃を行い、現にイラクを軍事占領しているアメリカ・イギリス軍に協力するために自衛隊を派遣することに問題はないかということが、問題の本質である。

  3. 人道的支援や復興支援に問題があるはずがないという人もいるかも知れない。しかし、戦争はいつも国を破壊し、その結果、人道的支援や復興支援を必要とする事態を招来するものである。だから、戦争は絶対的に悪なのである。少なくともわが日本国憲法は、このような信念に立っている。

    だから、いくら悲惨な事態があったとしても、その悲惨な事態がどのような行為によってもたらされたのかを考えずに自衛隊を派遣することを考えてはならないと私は思う。現にこれまでもいろいろな戦争があり、その結果、悲惨な事態が当事者国にはあったが、自衛隊を派遣して人道・復興支援をするがテーマとなったことがかつてあっただろうか。PKO法に基づいて自衛隊を派遣したケースは、いずれも戦争(国と国との武力攻撃)ではなく内乱によるものであった。

    イラクの現状は、イラク戦争に勝ったアメリカとイギリスが軍事占領をしている状態なのである。確かにアメリカ・イギリス軍とイラク軍の戦闘行為はなくなっているが、これはイラク戦争を行なったアメリカとイギリスの所期の目的を達成したからに過ぎない。フセイン政権になるのか、それとも別の政権になるのかはいまのところハッキリしないが、イラク国民を代表する政権との間に、何らかの講和が成立してはじめてイラク戦争は終ったことになる。少なくともそれまでは、まだイラク戦争は終ったとはいえないのだと私は思う。

  4. このように戦争が正式に終っていないイラクに自衛隊を派遣することの是非が、問題の本質である。現在のイラクの実質的統治者は、戦争に勝ったアメリカとイギリスである。アメリカやイギリスが戦争の結果として手にした統治である。そのアメリカとイギリスは、イラクの統治者として治安の維持と復興を迫られている。これは、国の統治者が負わされる最低限度の責務である。

    戦勝国が戦争によって手にした統治行為に協力することは、戦争に協力することはならないのか。これはやはり戦争に協力することになると思う。日本国憲法の理想は、わが国は決して自ら戦争をしないこと、そしていかなる戦争行為にも加担しないことにあると私は思う。そういう意味では、いわゆる後方支援も問題がある。しかし、こんどの場合は、戦争の最終段階としての軍事占領に対する協力である。これが憲法上、問題にならない訳がない。

    イラクへの自衛隊派遣の問題点として次のようなことがいわれ、これに対し河島光平記者が逐一反論している(12月19日読売新聞2面)。

    • イラクが7月のイラク復興支援特別措置法成立時に想定しいなかった危険な状態にある。
    • 自衛隊が現地でテロ攻撃にあい、応戦すれば、憲法9条で禁止されている海外での武力攻撃につながりかねない。
    • イラクへの自衛隊派遣は対米追随だ。

    これが当事者の主張を正しく要約しているかどうかは別として、イラクへの自衛隊派遣の問題の本質ではないと私は思っている。以上のべたことがイラクへの自衛隊派遣を考える際の何かの参考になれば幸いである。

00:50   長岡市内のアパートにて

白川勝彦

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2003年12月12日
No.194

徒然かつ真剣に考えたこと

  1. この前の総選挙が済んで1ヵ月が経ちました。この期間は、私にとって選挙中と同じほど忙しい、また大変な日々の連続でした。世間の人は選挙期間中しか政治家を注目してくれませんが、政治家にとっては事前の活動そして選挙後の後始末の方が、はるかに多くの精力と苦労を要するのです。

    私の場合、事前の活動期間も時間がなかっただけに大変でしたが、あのような結果を受けての後始末は人一倍たいへんなものがあります。でも、このサイトで述べてきたように、この戦いを行なうことについて不動の信念がありますので、幸いにもどのような難問や課題も覚悟を決めて対処してきましたし、また現に一つひとつ片付けております。

    「断じて行なえば火もまた涼し」という言葉がありますが、まさにそういう心境で毎日を過ごしております。挫けたり落ち込んだりしていませんので、どうぞご安心下さい。

  2. 選挙後の後始末もありがたいことに多くの方々の温かいご理解とご協力をいただいて順調に進んでいます。いちばん大切で私が最も苦手とする選挙費用の清算も多くの方々の本当に有難いご高配をいただいて、75パーセント位は済んでおります。数日単位で報告しておりますように、サイトを通じてのお願いに多くの皆さまからご協力をいただいていることも非常に助かっております。心から御礼を申し上げます。

    ただひとつだけ困ったことがあります。最近はATMでの振込みがほとんどです。その場合、私にはご協力をいただいた方のお名前は判るのですが、住所・電話番号などは判りませんし、また個人のプライバシーを守るということで銀行は教えてくれないのです。ですから、私がご存知の方以外には、御礼を申し上げることもできないのです。また寄附金控除の書類を来年の3月にお送りすることもできません。

    サイトをご覧になって献金して下さる方々は、そのようなものは必要ないし、またあえて礼など要らないという方が多いと拝察するのですが、それでは私の義理がたちません。ですから、献金して下さった方々は私宛にぜひメールをいただきのです。特に5万円を超える寄付をして下さった方は、住所と共にご職業を入れていただきたいのです。何故かというと、政治資金の収支報告書を提出する際に、それを記載しなければならないからです。もちろん会社役員・自営・会社員などといった簡単なもので構いませんから、よろしくお願いいたします。これまでにご寄付をいただいた方も、恐縮ですがぜひメールを下さい。お待ちしています。

  3. “百里の道を行く者は九十里を半ばとす”といいます。ですから、これからの25パーセントがたいへんなことは重々承知はしております。でも私としてはこれからのこともそろそろ考えていかなければならないと思い、2日間だけ山に篭ってきました。山篭りのとき、私は、新聞もテレビも一切みません。何事も極端なほど徹底するのは私の短所であるかもしれませんが、この癖はやみそうにありません。

    久々の思索の2日間でした。すべてを虚しゅうして、これまでのこと、いま置かれている現状、そしてこれからのことに想いをめぐらしました。私は無理をして結論を出そうとせず、いまの私にとって何がいちばん大切なのかを見極めたいと考えました。そうすると自然にこれまでのことをふり返ることが多くなりました。過去があって現在があり、そして私の未来はその延長線上にしかないからでしょう。

    30年近くに及ぶ私の政治生活は、いつもその時々の政治テーマについてかなり徹底したものでした。顧みてかなり真剣に生きてきたなーというのが率直な感想でした。有森祐子さんじゃありませんが、自分で自分を誉めてやりたいという気さえしました。そして、あの困難な私の戦いを中心になって支えて下さった方々をできる限り1人ずつ思い出してみました。実に多くの方々が私を支えて下さったことに改めて感謝の念を新たにしました。懐かしい、楽しいことでした。

  4. でも、残念ながらそのほとんどの方々が、今回の私の戦いの中心にはいませんでした。何故なのかを、私は真剣に考えなければならないと思いました。その責任の大半は、私にあると考えます。しかし、私としてはどうにもならないこともあります。それは、私がいま追求している政治テーマが、これまでのそれと大きく変ったということです。私としては、これまでの私の考えを発展させれば、政権交代ということに帰結すると思っているのですが、多くの方々には飛躍があり過ぎるのでしょう。

    ふり返ってみれば、このようなことはこれまでも何度もありました。しかし、私はいずれは理解してもらえると考えて突っ走ってきました。そして、だいたいそのようになってきました。今回のことも、いずれはそうなると信じています。またそうしなければならないと思っています。現に民主党が比例区で第一党になったことは、これまでの同志の皆さんにとっては驚きであると同時に、今回の私の行動を理解する大きなきっかけとなっています。

    さわさりながら、いつもギリギリの戦いをしている私を支えて下さる方がいなければ現実の戦いはできません。多くの思いがありながらも、この乖離を越えて変らぬご支援をして下さったこれまでの同志の方々への感謝の念を禁じ得ません。まさかの時の友こそ真の友といいますが、この方々を私の心の支えとして、これから生きていかなければならいと肝に銘じております。

    また、今回の戦いを通じて、多くの新しい方々と出会い、また大きなご支援をいただきました。誰がみても無謀かつ唐突な挑戦に深いご理解と大きなご支援いただいた方々こそ、いまの私を現実に支えていて下さる方々です。私の生涯を通じてこのご支援に応えていく覚悟です。性急な行動で乖離をつくることがないように、これからは、私が考えていることをいつも率直に述べていくことを心がけます。

  5. 総選挙後、自公連立政権は待っていましたとばかりにイラクへの自衛隊派遣を決定し、また、年金をはじめとして国民の負担増を次々と強行しています。小泉首相に対する幻想は、日に日に幻滅に変っています。当然のことです。最近やけに張り切っている森良朗前首相ですが、森内閣の末期を思い出して下さい。自民党の発想や手法は、もう限界にきているのです。そこで、自民党をぶっ壊すという人を自民党の総裁にせざるを得なかったのです。大矛盾です。

    来年夏の参議院選挙までに、小泉内閣の限界・自公政権の本質は一層明らかになってくるでしょう。来年の最大の政治テーマは参議院選挙ですが、状況は、政権交代を求める陣営に有利に展開していくでしょう。この選挙で民主党が圧勝すれば、政権交代は現実のものとなるでしょう。しかし、善戦程度の勝ちでは、せっかく総選挙で比例第一党となった輝かしい戦績も帳消しとなり、国民の民主党に対する期待もしぼんでしまうことが、大いに予想できます。

    民主党を中心とする野党にとっては、これからの半年がまさに正念場なのです。いまからしっかりとした戦略をもって、緻密で情熱的な参議院選挙に向けての活動をしなければなりません。私も、そのために全力を尽くしたいと思っています。それでは、この師走、お互いさましっかりと働いて好い正月を迎えましょう。

00:30   久々の東京の寓居にて

白川勝彦

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2003年12月02日
No.193

師走、あれこれ。

  1. 今年も師走となりましたね。お互いさま、今年中に何とかしなければならないことが、結構あるのではないでしょうか。この師走の1ヵ月間、「一生懸命に頑張って、すがすがしい気持で新年を迎えたいものだ」と思う人が結構おられるものですから、忙しいのは相乗効果でしょうか。これは、日本人がかなり真面目であるという証拠かもしれません。

    私の場合、まず、今度の選挙の後始末をしなければなりません。実は一昨日、長岡市の今回の選挙事務所の引越しをしました。2ヶ月前に十日町市から持ってきた選挙事務所用の器材は、また十日町市の倉庫に逆戻りです。かつて議員会館や「新党・自由と希望」の本部事務所にあった器材などの多くは、これで3回目の引越しです。もの言わぬ器材ですが、もういい加減にしてくれといっていることでしょう。

    全部で10人の同志の方にお手伝いをいただいての引越しでした。いうならば落城ですから、気のおけない同志の方にお願いをしたのですが、私の気持ちを察してか、皆さん快くよく協力して下さいました。10トン車1台と4トン車2台での引越しで、かなりの物があるのです。折り悪く、昨日は長岡市と十日町市とも1日中かなりの雨でした。雨の中での作業で、皆、ずぶ濡れになりました。誰もいいませんでしたが、これを涙雨というんでしょうね。私も、皆さんと一緒に作業をしながら、このことをシッカリと肝に銘じました。こういうことを含めて、すべてが貴重な戦いなのです。夜8時半ころすべての作業が終了し、残念会を兼ねての慰労会を盛大に行ないました。

  2. 実は、こういうところも日々のアルバムに載っけたいのですが、せっかく買った高性能なデジカメが激戦の中で事故にあってしまい、使うことができなくなりました。そんな訳で、非常に残念ですが、いまのところ日々のアルバムは更新できません。お許し下さい。でも前に使っていたデジカメはありますから、これを使えるようにすれば何とかなると思います。ちょっと時間はかかりますが、そのうちに日々のアルバムも更新できるようになるでしょう。

    なお、引越し後の私の事務所は、当分の間、長岡市の私のアパートに置くことにします。3LDKのアパートですから、事務所としても十分使えるスペースがありますので、そうすることにしました。そうすれば無駄な費用はかかりませんし、体裁にこだわる必要はないと思っております。事務員も、ちゃんと確保しました。O君といいまして、私の昭和50年の最初の選挙から手伝ってくれた本当に古い同志です。もちろん、ボランティアでのお手伝いですので、O君の仕事の関係で午前中だけです。ですから、用のある方は、午前中にお願いします。 

    次に私がしなければならないのは、今月中に選挙費用の清算をすることです。恥を忍んで「再・カンパのお願い」を掲載しましたところ、さっそくにも多くの方々からご協力をいただいて、感激やら恐縮をしております。心から御礼申し上げます。私も、私の担当分を何としても集めなければならないと、精力的に飛び回っているところです。お金の心配などせずに政治のロマンを追求できればいいのですが、残念ながらそうはいきません。当選4回目位からお金のことは秘書に任せていたものですから、正直にいって、勝手が分らなくなってしまいました。ここが辛いところです。私はお金のことはあまり得意ではないのですが、仕方ありません。これも改めての勉強です。また、貴重な体験だと思っています。

  3. 雑事に追われてなかなか手に着かないのが、論文の執筆です。私がいまいちばん書きたいのが、なぜいま政権交代なのかという思想的・理論的・政治的裏付けなのです。こうした面のしっかりとしたものがなければ、政権交代は実現もしませんし、その道程は誤りや紆余曲折を余儀なくされます。結論は決まっています。政権交代は、天命ということです。ですから、ホームページのキャッチスレ―ズを「政権交代は、天命である。」と変えたのです。数日後から、この論文の執筆にとりかかりたいと思っていますから、ご期待下さい。

    もう一つ書きたいのが、前にも書きましたが「300小選挙区列伝」です。今回の選挙結果をみて、「ああ、彼もようやく当選したか」という選挙区がいっぱいあります。300の選挙区における一人ひとりの戦いの積み重ねによって歴史は作られるのです。苦しい戦いがあったはずです。またいろいろなドラマがあったはずです。私は数少ないその目撃者なのですから、どうしても書いておきたいのです。これは、東京に出て、資料を集めさえすれば書けるのですが、東京に行くことがなかなかできません。12月中旬になれば上京できますので、資料をすべて集めるつもりです。それさえあれば、後はどこにいても書けます。これも、乞うご期待です。

    さらに、このサイトでやりたいのが、BBSの復活です。私も毎日更新している訳にもいかないものですから、BBSでサイトを皆さんに毎日更新してもらい、政権交代を日々考えるサイトにできればと考えてWebマスターと相談したのですが、彼の考え方はちょっと違うんです。率直にいって否定的なのです。インターネットの普及・向上に使命感を持っている私の尊敬するWebマスターがなぜそのように考えるのか、10日ばかりずっと考えてきました。そして、改めていろいろのBBSを見てみました。どのBBSにも共通なのが、他人を不愉快にすることだけを目的にした書込みがあるということですね。

    そういえば、私のかつてのBBSにもそういうものがいっぱいありました。いや、そういう人たちとの戦いだったような気がします。議論を深めるというより、議論が横道にそれるのを防ぐために大半の精力を使わなければなりませんでした。私のかつてのBBSでは、それはそれとして意味があったような気がしますし、一定の目的を達することもできたと思っております。しかし、ああいうことをもう一回しなければならないのかと思うと、確かに消耗感は禁じ得ません。その分、別のところに精力を使った方がいいような気もします。ネチズンの質の向上ということでしょうか。この問題は、もう少し時間をかけて考えます。

  4. それにしても、イラクの大使館員に対するテロ・情報衛星の打ち上げ失敗・足利銀行の事実上の倒産などと、小泉首相には頭の痛い問題が集中して起きました。これまで小泉首相はハッキリいってツイていたと私は思っています。ツキも実力のうちといいますから、これまでやってこれたのだと思いますが、ツキだけに頼っていたのでは政権は維持できません。政権を持続的に安定するためには、政局をしっかりと引っ張っていくだけの哲学や理念がなければなりません。小泉首相には、それが無いのです。いや、私にいわせれば、間違った哲学や理念に基づいて政権を運営しているのです。だから、いろいろな問題がこれから次々と出てくると、私は思っています。

    イラクへの自衛隊の派遣は、そのことが最も問われることになるでしょう。小泉首相の国際政治に対する考えが正しいのか、それともこれに反対する人びとの国際政治に対する考えが正しいのか。この際、誰がどのようにいうか、しっかりと耳を欹(そばだ)てて聴く必要があります。現在のアメリカの武力を中心とする国際関係でいいのか、21世紀の国際秩序をどうやって作っていくのかという問題なのです。世界の大国の一つであるわが国は、こういう問題について明確の考えをきちんとを持っていなければなりません。場合によっては、もう一回総選挙で国民の考えを問うことだっていいと私は思います。一般にいわれているように、自衛隊員に犠牲がでるかどうかという問題だけではないのです。私の考えは、すでに「自由という名の帝国主義」で述べておきました。

    いずれにしても、お互いさま、何かと課題の多い師走となりそうです。でも、毎日毎日、やることがあるということはいいことじゃないですか。この1年半近く沈黙を守ってきた私としては、やらなければならないことがあるということは、苦痛というより張合いです。人生は、理想を追うドラマではなく、山積する問題との格闘なのかもしれません。あまり格好のよいものではなく、他人が見たら不器用な悪戦苦闘の連続なのでしょう。でも、本人にとっては極めて真面目な戦いなのであり、理想を求める道程におけるドラマの一つとして、やっていることなのです。そう思うと、私の不器用な悪戦苦闘を含めて、人々の日々の営みがいとおしく思えるじゃないですか。そんなことを思う師走の今日この頃です。ご同輩のご健闘、心からお祈りします。

00:40   長岡市のアパートにて

白川勝彦

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2003年11月27日
No.192

私は本当に元気です!

  1. 選挙後、私は自分でも信じられないくらい元気なんです。別に見栄でも、強がりでもありません。3年ちょっとの間に3回も連続して選挙に落選したら、普通の人はもう打ちのめされて、こうはできないのじゃないかと思うのです。自分でも不思議です 。考えてみると、それぞれの選挙は日本の政治にとって、どうしても避けることのできない戦いだったのだと思います。

    平成12年の衆議院総選挙は、秘書の不祥事などもあり、最初は世論調査上もほとんど勝ち目のない戦いでした。でも、自公連立の是非を賭けての戦いでしたから、やめる訳にもいきませんでしたし、戦うほどに使命感が出てきて、思い切り自分を集中して戦いました 。全国の多くの方々が、私を熱心に応援して下さいました。結果は、11万4000票あまり。惜敗率98パーセントでした。野中幹事長が変な比例名簿を作っていなかったら、私は文句無く復活比例で当選していました。公明党と党本部の双方を相手にした全国注視の、もの凄い戦いでした。

    私は、この選挙の結果が出たとき、直ちに「よし、来年の参議院選挙に比例区で戦おう」と決意しました。あまり挫折感はありませんでした。自公連立の是非を新潟6区だけで問うのは、私の本意でもないし、新潟6区だけで決着の着く問題でもないからです。本来ならば、秋には態勢を作って戦いを始める予定だったのですが、3〜4日の差で加藤の乱が起きました 。私は加藤の乱の成功を祈ったのですが、結果はご案内の通りでした。加藤の乱について、私がどのように感じ、また考えたかについては“時系列でみる加藤騒動の高揚と顛末”をご覧下さい。

  2. 加藤の乱の挫折は、私にとって、自分が選挙に落ちた時よりも大きいものでした。私はしばらく立ち上がることもできませんでした。しかし、重い心を奮い立たせて参議院選挙に出馬声明をしたのは、平成13年の2月でした。政治家は、一旦決断すると元気になるものです。半年間、懸命に戦いました 。また、政教分離という一点に焦点を絞っての戦いでしたから、あまり細かいことを気にせずに戦うことができました。かなり思うように戦陣を組むことができましたが、マスコミは、ほとんど私たちの戦いを取り上げてくれませんでした。これは、大きな誤算でした。

    新党・自由と希望─リベラル市民─」発表記者会見時の写真もうひとつは、非拘束名簿式となって比例区立候補者の名前が書けることになったのですが、3分の2の有権者は党名を書きました 。とても小党で戦える選挙戦ではありませんでした。結果は、47万余の方々からご支持をいただきましたが、議席獲得に必要な得票の半分にも達しませんでした。政教分離の必要性を支持する方々は多いのですが、そのことをマスコミを通じて訴えることができないのですから、勝負になりませんでした。各テレビ局が行なった選挙報道に「新党・自由と希望」は一回も出してもらうことができなかったのです。

    この選挙の挫折は、正直いって大きなものがありました。また、私は個人的にも政治的にもすべてのものを賭けて戦いましたから、すぐに立ち上がる訳にはいきませんでした。私は、しばらく政治的な沈黙を余儀なくされました。政教分離ということに国民があまり関心を払って下さらなかったということも、率直にいって失望もありました。政治家は、国民の支持がなければ生きることができないのです。インターネットと政治という問題も、考えざるを得ませんでした 。1年半も私がサイトの更新をしなかったのは、そのような理由からです。

  3. この沈黙の間も、政治を考えるのをやめたわけではありません。また、政治について考えることをやめることなど、私にはできません。この間に考えたことは、財界展望社の白川勝彦の政治談義「日本を斬る」に書きました 。いま考えると、1ヶ月に1回でも自分の考えをこうして書くということは、非常に意味のあることだったと思います。そうこうしているうちに、私の考えは固まってきました 。政権交代ということです。そして、それは多くの人々が思っているほど難しいことではないのだということを、私の経験に基づいて訴えることでした。

    即ち、野党の統一ということです。私には自社さ連立の経験があります。その経験からいって、民主党と自由党と社民党が一つの政党になれないはずはないと思っています。自公連立という国民にとって最大の悪の政権を倒すためには、国民の利益を守ろうという政党は、己を空しゅうする勇気を持たなければならないのだと思います。社民党にもいろいろ言い分はあると思いますが、今回大きく社民党が退潮したのは、国民から見ても同じような思いがあったからだと考えます。社民党の基本的な主張は、野党統一の中で十分配慮されたはずです。

    私の今回の新潟5区からの出馬は、こうした考えと流れの中で、避けることのできない戦いでした。少なくとも新潟県では、民主党と自由党と社民党の三党の連携は、これまでも非常にうまく行なわれてきていました。ですから、全国にさきがけて、三党の統一候補として新潟5区に、どうしても誰かが立候補しなければならなかったのです。現在の小選挙区比例代表並立制というのは、都道府県単位の団体戦なのです。 6つの選挙区のうち一つでも空白区を作ったのでは、穴のあいた凧と同じになって、上がらないのです。

  4. 私にとって新潟5区から立候補したことは、政治家としてしなければならなかったことですし、新潟5区はもちろん、新潟県の政権交代の旗を掲げて戦っている人々にとっては、極めて歓迎されることでした。少なくとも新潟県においては、政権交代に大きな弾みがついたことだけは、間違いありません。当然のこととして、新潟県においては新・民主党と社民党の推薦・支持は、すぐにいただきました。また、新潟5区においても、戦う態勢は順調に構築されました。

    しかし、私たちが当然のこととして最初から考えていた民主党の公認が、最後まで来ませんでした。政権交代を訴えている政党が、民主党の党員が地元の野党統一候補として立候補しているのに、これを公認しないなどということは考えられないことなのです 。もし、同じ立場の候補者が二人いると民主党本部が考えているのなら、調整をすればいいだけの話なのです 。もちろん、私はその調整に真摯に対応するつもりでした。しかし、そのどちらもありませんでした。「二階にあげて、ハシゴをはずす」という言葉がありますが、私にいわせれば「人を三階にあげておいて、突き落とす」という仕打ちとしか受け止められませんでした。

    そんな困難な状況の中でも、私たちは敢然と戦いました。そして、公明党の推薦を受けた自民党候補を退け、総理大臣指名選挙では菅直人と書く代表を新潟5区から出したのですから、政治的には完全に勝利したのです。私たちの戦いがなければ、こういう結果は決してなかったでしょう。また、新潟県では、比例区の民主党票は483,511票で、自民党の457,974票を大きく上回りました。新潟5区でも、民主党票は70,849票で、自民党票の72,082票と伯仲しました。民主党公認候補を立てていれば、必ず逆転していたでしょう。自民党王国の新潟県でこのような結果が出たということは、明らかに革命的な出来事なのです。私は多いに満足しています。私の政治的直感は、決して、私一人の妄想ではないことが実証されたのです。

    写真:選挙戦最終日の夜、支援部隊全員が手を振る中で、この選挙戦最後の演説をする白川

    だから、私は元気なのです。このような結果が出たのに元気でいなければ、あの困難な戦いを支えて下さった皆さんに申し訳ないと思っています 。しかし、政権交代を真に実現するためには、課題は数多くあります。そのために、私ができること、私がしなければならないことが山ほどあります。このサイトを通じて、私がいま考えていることを発信することも、その大きな仕事の一つだと考えております。ですから、政権交代のために全てを捧げている私のこのサイトを、できるだけ多くの方々にご覧いただけますよう、ご尽力いただければ幸いです。必ず、何か参考になることがあるはずです。

12:10   長岡市の事務所にて

白川勝彦

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2003年11月21日
No.191

日々、政治は動いている。

  1. 今週もお仕事、ご苦労さまでした。私もあいさつ回りや選挙の後始末のなどで忙しい1週間でした。ところで、また株価が下落していますね。日本経済は、当分の間まだまだデフレ不況から脱却できないでしょう。自公連立政権は、絶対安定過半数を占めたといってよろこんでいますが、経済関係者はこれでは日本は少しも変らない、日本経済も基本的に変らないとみているのでしょう。それが、株価下落の基本的な理由だと思います。

    小泉改革はもう底が割れました。小泉首相も「改革!改革!」と叫んでいさえすれば国民が支持してくれるという幻想に気が付いてもよさそうなものですが、仮に気がついても具体的な改革を進めることは小泉氏にはできないでしょう。なぜならば、小泉首相は政策の中味を官僚に全部依存しているからです。そして、官僚がもっとも苦手なのが、チェンジ=抜本的な改革だからです。

  2. 今週も政治的にはいろいろなことがありました。日曜日には、社会民主党の新しい党首に福島瑞穂参議院議員が選ばれました。社会民主党にとっては、厳しい政治的環境での新しい出発ですが、福島党首のご健闘をお祈り申し上げます。そして、土井前党首の長年のご活躍に心から敬意を表し、心からのねぎらいを申し上げます。土井たか子さんは、日本の政治史に一時代を画した政治家でありました。また女性の政治進出のさきがけを果した功績は、どんなに強調しても足りないでしょう。

    土井前党首には、個人的にもいろいろな思い出があります。当時、衆議院議長をしていた土井さんでしたが、自社さ政権を作る時、私は何度も相談に伺いました。そしてリベラルな考えができる多くの社会党議員を紹介いただきました。また、土井議長が自社さ政権を作ることに対して好意的であったことは、これを進める上で大きな精神的な支えでした。

  3. これは、平成8年の初めての小選挙制の下で行なわれる総選挙の時の話です。私は自民党の総務局長として、

    「イギリスでは、議長の選挙区には野党も対立候補を立てないというそうです。自民党としては、議長をご推薦いたしたいと考えています。自民党を代表してお話にまいりました」

    と申し上げました。それに対し、土井議長は、

    「白川さん。たいへんありがたいお話ですが、自民党本部が仮に私を推薦しても、私の選挙区の自民党支持者の皆さんの多くは土井を支持しないでしょう。自民党は遠慮なく候補者を立てて下さい。ご配慮は感謝します」

    と答えられました。そういわれても、選挙に絶対強い土井議長の選挙区(兵庫7区)から立候補しようという自民党関係者は最後まで現われませんでした。300の小選挙区の全てに公認候補か推薦候補を立てるというのは私の不動の方針でしたから、仕方なく最後の手段として党職員に立候補してもらいました。結果は、次のとおりでした。

    平成8年総選挙の兵庫7区の投票結果
    土井たか子(社民党公認)
    102,684
    今西永児 (新進党公認)
    71,288
    肥塚博志 (自民党公認)
    25,437
    石義見恵子(共産党公認)
    21,002

    私は脱帽しました。こういう選挙協力もあるんだなあと思いました。土井前党首のご健康と益々のご活躍を心からお祈り申し上げます。

  4. 水曜日(19日)の総理大臣指名選挙で、田中真紀子さんが菅直人と書きました。さらに民主党・無所属クラブという統一会派に所属することになりました。おおいに結構なことだと思います。これまでに何度もいっているとおり私は大歓迎です。

    総理大臣指名選挙は、小泉純一郎281票に対して、菅直人186票でした。

    281 − 186 = 95

    政権交代のためには、この95票の差を埋めなければならないのです。あと50議席です。今回の総選挙における民主党の小選挙区の当選者は、105名でした。復活当選した候補者が72名いる訳ですから、次の総選挙ではこの選挙区では小選挙区での当選が十分期待できます。民主党の小選挙区における当選者が170名になったら、政権交代は必ずできます。

    でも、自公連立側も安穏としていないでしょう。権力を維持するため、すさまじい執念を自公連立側は持っています。決して侮ってはいけません。ですから、300の小選挙区の全てに自公連立側の候補者に果敢に挑戦する優れた候補者を擁立しなければ政権交代はできません。空白区は絶対に作ってはなりません。比例第一党になった民主党には、これからは優れた候補者が必ず集まるはずです。反自公・政権交代側の前途は洋々たるものがあります。ですから、私は元気なのです。

    私は、「再・カンパのお願い」をすることにしました。今回の戦いの後始末を早くキチンとつけて、新しい戦いを思い切って始めたいからです。事情をご賢察いただき、できる範囲で結構ですからお力添えいただければ、これにすぐる喜びはございません。

10:30   久々の東京の寓居にて

白川勝彦

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2003年11月14日
No.190

戦い済んで、日は昇る。 (その2)

拝啓 今回の戦いの結果が出ました。残念ながら、私の当選はありませんでしたが、新潟5区から公明党の推薦を受けた自民党候補はいなくなりました。田中真紀子さんも総理大臣指名選挙では、菅直人と書くようです。これも私が反自公・政権交代の旗を高く掲げて、新潟県の民主党・社民党・旧自由党の方々、平和を愛する団体・市民のボランティアの皆さんと必死に戦い抜いたからです。私の政治的目的は完全に達することができました。政治的には、完全に勝利しました。

新潟県においては、自民党は2議席という惨敗でした。自民党王国のわが県で民主党が比例トップになりました。これも革命的出来事です。この革命的出来事に新潟県の政治家として、ひとつの大きな役割を果たしたことに私は満足しています。もし、民主党本部が私を公認していたならば、私は最悪でも比例で復活当選していたでしょう。そうしたならば、民主党票ももっと伸びていたはずですし、私を必死に応援して下さった皆さんのご期待に応えることができたと思うと残念です。私の詰めの甘さのためです。でも、私は裏切るよりも、裏切られる方がまだマシだと思っています。私には悔悟の念はありません。

ご貴台からは今回の戦いに深いご理解を賜わり、大きなご支援をいただきましたこと、遅くなってしまいましたが心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

今回の戦いを通じて、私は政治的に完全に立ち直りました。ご安心ください。これからは、以前のように元気に活動をいたします。新潟5区における活動が中心になりますが、視点は常に新潟全県・全国ベースです。Webサイトを通じてマメに情報を発信します。今後とも私同様にWebサイトも可愛がって下さい。

本当に温かいご理解とご支援ありがとうございました。深く御礼申し上げます。

不一      

陣中にて    白川勝彦

  1. 上記メールは、私がEメール・アドレスを知っている方々に11月12日付で出した御礼のメールです。これが、現在の私の率直な気持です。永田町徒然草No.189とそんなに違うとは思いませんが、微妙に違うところもあると思います。それは、時点の違いもありますが、私を支援をして下さっている方々や好意を持っていてくださる方々へのメールだからです。

    当分の間、私はメルマガを発刊するつもりはありません。いろいろと送られてくるスパムに私もまいっています。同じような印象をもたれるメルマガは出したくないからです。

    ですから、Eメール・アドレスの分っている特別の方々には、このサイトで発するメッセージとは若干違うメッセージ(サイトと全く違うとは思いません。このサイトは、本音をモットーとしておりますから)をその時々に出させていただくつもりですから、ご希望の方は、私に一度メールを下さい。私の台帳に登録させていただきます。また、インターネット支部に登録をしていただければ、当然ではありますが登録させていただきます。


  1. 前号で、新潟5区の比例票を見ないと私の小選挙区における結果について詳しいコメントができないと書きました。その結果が手に入りました。

    自民党
    72,082票
    民主党
    70,849票
    公明党
    16,975票
    社民党
    16,582票
    共産党
    12,904票
    合計
    189,392票

    どうです。すごいでしょう。民主党公認候補がいなくても民主党の比例票がこれだけでているのですから、公認候補がいれば民主党票はさらに1万票近く増えていたでしょう。新潟5区においても政権交代という嵐が吹いていたのです。45日間ではありましたが、朝から晩まで「今こそ、政権交代」と高い旗を掲げ、声を大にして訴え続けた私の政治活動は、この嵐を呼び起こす大きな原動力になったことだけは間違いありません。


  1. もし、民主党本部が私を公認していたならば、私の得票は大雑把にいって次のようになっていたでしょう。

    * [70,849票(現実にでた民主党票)+10,000票(公認による民主上乗せ票)]×65%=52,551票・・・(a)

    * 16,582票(現実にでた社民党票)×70%=11,607票・・・・・・・・・・・・・・・・・(b)

    * 合計   (a)+(b)・・・・・・・・・・・・64,158票

    ずばり当選ということです。最悪でも、比例で復活当選はしていたでしょう。信越北陸では、民主党の重複立候補者は惜敗率67.37%で当選ですから。


  1. このような政治的風向きを独特の動物的臭覚で嗅ぎとった田中真紀子さんは、私と同じような立場や主張をせざるを得なくなったのです。そして、田中さんの「比例は民主党に入れました」「政権交代は必要です」などといった発言やパフォーマンスは、テレビや新聞で大きく報道されるのですから、たまったものではありません。出口調査などの結果によれば民主党票の55%以上を獲得したとのことです。

    このような意向の有権者の投票によって当選した田中さんですから、総理大臣指名選挙では、菅直人と書かざるを得なくなったのです。私はおおいに結構なことだと思っています。私は公明党の推薦を受けた自民党候補を新潟5区の代表としないこと、菅直人と書く候補者を当選させるために新潟5区から出馬したのです。結果は、私の目的どおりになったのですから、政治的には完全に勝利したことになります。私の胸にバッチが着くかどうかなど、小さな問題に過ぎません。


  1. しかし、もし田中さんが最初からこのような立場と主張なのであれば、どうしてこのことを明確にしなかったのか残念です。本サイトの「選挙」欄の「民主党公認問題(その1〜5)」で述べたように、反自公・政権交代の旗を掲げて戦う者が新潟5区に1人は絶対に必要ですが、2人は必要ないのです。

    田中さんが最初から反自公・政権交代の立場にたっていたのならば、私は出馬もしませんでしたし、いつの段階でも立候補を辞退しました。しかし、公示日の段階では、このことは明確ではありませんでした。正式に立候補した以上、立候補の辞退は法律上できないのです。

    ですから、反自公・政権交代という有権者は、新潟5区では分裂選挙を余儀なくされたのです。このことが残念であり、新潟5区の有権者の皆さんに対して本当に申し訳なく、慙愧(ざんき)の念でいっぱいです。このことの半分の責任は、私にもあるでしょう。しかし、半分以上の責任が民主党本部にあると私は思っています。詳しくは、「民主党公認問題」をご覧下さい。


  1. いずれにしても、新潟5区における「真正な反自公・政権交代という陣営」は、白川勝彦を擁して戦った私たちの陣営以外にありません。私たちがここで結束を固め、拡大をしていかなければ政権交代を実現することはできません。このことを私たちの陣営すべての人々が確信しています。私は、その先頭に立って今後とも戦っていきます。

    また、大きく躍進した民主党ではありますが、政権交代という目標・視点からみれば、まったくの道半ばです。思想的・政治的・組織的な問題が数多くあります。これらをすべて克服した時、政権交代ははじめて実現できるでしょう。こうした問題に少しでも私の役割を果たせるように、これまで以上にこの白川サイトを武器にして私の考えを発信していく覚悟です。ご照覧下さい。

    本号をもって、今回の戦いの報告と御礼はひとまず終らせていただきます。本当にありがとうございました。

    これからは、いつもの永田町徒然草に戻らせていただきます。書きたいこと、書かなければならないことが山ほどあります。一緒に考えていきましょう。一緒になって、政権交代のために汗を流しましょう。

12:40   久々の東京の寓居にて

白川勝彦

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2003年11月10日
No.189

戦い済んで、日は昇る。 (その1)

  1. 12日ぶりの更新です。総選挙は終わりました。私の47日間の戦いも終わりました。今回の戦いを総括するためにどうしても必要な新潟5区の比例票がまだ手に入らないので、詳しいコメントは別の機会に述べます。小選挙区の結果は以下のとおりでした。

    田中真紀子
    98,112
    星野行男
    61,937
    白川勝彦
    30,086
    斉藤 実
    9,506
  2. 多くの皆さんから温かいご支援をいただきましたが、私の小選挙区における当選は残念ながら果たすことはできませんでした。私の不徳のいたすところであり、深くお詫び申し上げます。厳しい選挙戦にご支援をいただいた皆さんに心から御礼を申し上げます。

    しかし、私は新潟5区から反自公保・政権交代という立場にたつ候補者がいないという状況の中で、出馬を決断しました。結果は、自民党王国といわれる新潟5区で公明党の推薦を受けた自民党候補は3分の1程度の得票しかえられず落選しました。私の出馬した所期の目的は、果たすことができました。ですから、戦いには勝ったのです。私の戦いは決して無駄ではありませんでした。

  3. 私の得票が非常に厳しいものであったことは事実ですが、私と非常に似たような立場に見える田中真紀子さんが立候補したからです。当選した田中さんが総理大臣指名選挙で、小泉純一郎と書くのか、菅直人と書くのか、それ以外の名前を書くのか、いま時点では明確ではありません。ですから、田中氏の総理大臣指名選挙における投票を、重大な関心をもって見守りたいと思っています。

    私は新潟県の民主党・社会民主党・旧自由党の皆さんの推薦・支持を得、一緒にこの選挙を戦いました。また、平和を愛する諸団体・市民ボランティアの皆さんからも力強い応援もいただきました。日々、感激・感謝する毎日でした。こうした皆さんと築き上げてきた政治的結束は、新潟5区における反自公保・政権交代という政治勢力の中核です。この政治勢力の結集・拡大のために今後とも意気軒昂に戦っていく決意です。

  4. わが国においては、自公保体制を倒し、政権交代を実現することは、ひとつの革命です。今回の総選挙において、残念ながらこの革命を実現することはできませんでした。いまだ道半ばです。

    しかし、比例区で民主党が第一党となったことは、この革命がそう遠くないうちに実現できるということです。このことに自信と希望をもって、少々のことに挫けることなく私たちは進んで行かなければなりません。今後ともその先頭に立って私は戦っていきます。

最後に、今回の私の戦いに多くの皆さんから物心両面の大きなお力添えを賜わりました。改めて心から御礼申し上げます。

06:40   長岡市内のアパートにて

白川勝彦

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2003年10月28日
No.188

これが最後の「今月今宵」

  1. 明日の公示日を前に、私としてどうしてもやっておかなければならないことがあります。私にとりましては、11回目の国政の選挙です。ですからそれは夜10時ころには終りました。それから、Webサイトの更新の作業にスタッフとともに入りました。そして、それらをすべて終えて、いまアパートに帰り、風呂に入りこの徒然草を書いています。これが本当の最後の仕事です。

    前から私のサイトをご覧いただいた皆さんは、すでにご存知のとおり、今日28日午前8時30分からこのサイトの更新ができなくなります。公職選挙法の規制があるからです。候補者のサイトの更新が本当に公職選挙法に違反するのかというと疑問があるのです。このことについては、2年前の参議院選挙の時、総務省と激しくやりあいました。このことについては、「総務省との喧嘩の顛末」をご覧下さい。

  2. この日までにどうしても掲載したいことがいっぱいあったのですが、民主党公認問題の記述で時間と労力をとられてしまいました。でも、このことは広く知ってもらう必要があると思いましたので、ていねいに書きました。このような具体的な問題を通じて政治を見、考えることが必要だと思います。こういうことを抜きに政治を語り、実践することはできないのです。

    このことにつきましては、「民主党公認問題」に詳しく書きましたので、ここでは書きません。政権交代=菅総理大臣誕生のために、新潟5区の旧民主党・旧自由党・社会民主党の皆さんと心を一つにして今日から命を賭けて戦います。恨み、つらみなど一切もっていません。ただ私たちの陣営には、多くのものが欠けているということを痛感します

  3. 政権交代は、やはり、ひとつの革命だと思います。日本の革命も、世界のそれも多くの血を流し、命を奪ってきました。しかし、いまは平和裡にこれを行なうことができるのです。でも、革命ですから、いろんなものが不足し、欠けているいるのです。ですから、あまり贅沢をいってはならないのです。すべてを呑みこんで前に行くしか仕方ないのです。

    でも時の利があります。人の和もあります。もう少しで、政権交代ができるのです。300の小選挙区で、必死に戦わなければならないのです。そうすれば必ず自公保体制を覆すことができるのです。だから新潟5区をこの戦いの空白区には絶対にしてはならないのです。

  4. それにしても天はどうしてつらい試練を私に与えるのだろうかと思う時があります。政権交代という回天の大事業を行なう政治家になるためと肝に銘じて欣然とこれを受けとめています。心配しないで下さい。

    民主党本部の公認をえても、地元の支援が得られなければどうにもなりません。それは十分過ぎるほどあるのです。今回のことがむしろ陣営に火をつけました。歯を食いしばって戦い抜き、菅総理誕生の議席を獲得します。皆さんの大きなお力添えをお願いします。

どんなことがあっても、私は驚きません。腹は立てても、頭に血がのぼらないようにします。でも、いろいろな力がほしいことは事実です。

どうか皆さんの大きなご理解とお力添えを心からお願いして、11月9日の投票日まで失礼します。

実があるなら、今月今宵。一夜明ければ皆が来る

03:05   長岡市内のアパートにて

白川勝彦

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