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2006年11月20日
No.255

沖縄県知事選・高橋尚子・魁皇など

  1. 昨日投開票された沖縄県知事選で、野党全党が推薦・支持した糸数慶子候補(前参議院議員)が、自公が推薦した中井真弘多候補に敗れた。このサイトを訪れる多くの読者は、きっと糸数候補の勝利を願っていた人が多いと思う。私もその一人だった。

    沖縄県は、伝統的に野党の強いところであった。自民党はかつて沖縄では選挙に弱く、私が国会議員になりたての頃、県議選や小さな市の市長選などによく応援に行かせられた。結果はいつも自民党に厳しいことが多かった。平成8年の小選挙区における最初の総選挙では、3つある小選挙区で1つも勝つことができなかった。全敗であった。

    8年前に稲嶺知事を自公で誕生させた。今回の知事選は稲嶺知事の後継者を誰にするかというものだった。民主党・共産党・社民党・社会大衆党など全野党がひとつになって糸数候補を推薦した。候補者は、現職の参議院議員であった。なかなか好感がもてる女性である。年齢も相手候補が67歳であるのに対し、59歳とそれなりに若い。私が自民党の総務局長や団体総局長など選挙の第一線でやっていた頃ならば、まず自民党が推す候補者に勝ち目のない典型的なパターンであった。

    だが、糸数候補は敗れてしまった。私はこの選挙にまったく関わっていないのでその原因などは分からない。また論評する立場にもない。10年前ならばまず勝ち目のないこの選挙に、なぜ野党統一候補が敗れてしまったのか、このことを私たちは深く考えてみなければならないと思う。わが国の政治構造や基盤に、この10年の間に重大な変化があったのだ。そのことをきちんと認識しなければ、来年行われる参議院選挙で自民党・公明党を過半数以下にすることはできないような気がする。私の考えは、これから折に触れて述べたいと思っている。

  2. 私は実況で観ていなかったのだが、高橋尚子が東京国際マラソンで3位になった。優勝できなかった。昨年の復活優勝の瞬間を私は国立競技場で見ただけに、ちょっと残念な気がする。だが、わが国のマラソン選手は高橋尚子ひとりではない。優勝した土佐礼子選手も長い間懸命にやってきたのだ。その努力が報いられたのだ。ここは土佐選手に素直におめでとうというべきであろう。

    大相撲九州場所で、魁皇が元気である。中日、全勝でカド番を脱出した。勝ち方もなかなかいい。私は魁皇のファンというほどではないが、魁皇は好きな力士のひとりである。ここ数場所の魁皇は見るに忍びないほど厳しい状態であった。それだけに強い魁皇の相撲をみていると嬉しくなる。最後までこの調子で頑張ってほしい。

    ゴルフのダンロップフェニックス・トーナメントでは、タイガー・ウッドがプレーオフでアイルランドのハリントンに敗れた。同大会の3連覇はならなかった。私はタイガーは好きだ。ヨーロッパツアーの賞金王というが、残念ながらハリントンなどは知らなかった。しかし、強ければいいというものでもない。タイガーとしてもプレーオフで敗れたのだから、面目は潰れないだろう。

    この外にもスポーツではいろいろあったようであるが、それほど多くのスポーツに興味をもっている訳ではないので、このくらいにしておく。これらのこともライブでは見ていないのである。というのは、昨日、実は週刊金曜日主催の

    教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪
    ちょっと待った!

    という緊急市民集会なるものにいっていたからである。

  3. この集会は、午前11時から始まって、午後3時30までという長丁場の会であった。数日前ネットサーフィンをしている時、この会のあることを知ったのだ。城山三郎、田中優子、小室等、岸恵子、内橋克人、永六輔、中山千夏氏などが出演するとあった。正直いってこの人たちを知らないわけではないが、どうしても聴きたいというほどでもなかった。私がいちばんみたかったのは、こういう会にどの位どういう人たちが集まるのかということであった。この前紹介したシンポジュウムのようなことであっては困るのだがという気持ちがあった。会場は日比谷公会堂という大きな入れ物だ。

    私は当日参加なの1000円を払って入場した。この前紹介した週刊金曜日「社長」の佐高信氏が司会していろいろな人が話すというそれなりに面白い会であった。政治的なトークショウといってもいいだろう。岸恵子さんが実際に来られたのかどうかは残念ながら分からない。というのは、この時間帯に昼食をとるために、私は会場の外に出ていたからである。いま考えるといちばん聴いておくべきはこの人の話だったような気がする。私にとって岸恵子さんはちょっと年上の永遠のマドンナなのだ。

    問題の客の入りは、8,9割だった。こういう会だから、盛況といってよいと思う。客層は老若男女ほぼ平均していた。ちょっとシルバー世代が多いという感じか。昔のこういう会ならば、若者が圧倒的に多かったはずであるが、これも世相というものだろう。だから私の心配は杞憂に終った。喜ばしいかぎりである。『安倍首相の本性』(週刊金曜日社刊)の著者が「安倍政権はヨーロッパ風にいうならば間違いなく極右政権だ」といったことが印象的であった。これを買おうと思って玄関にでてみたが、既に売り切れていて手に入れることはできなかった。いずれ書店で買おうと思っている。

    会場を出て帰宅しようとしたら、外は冷たい雨がけっこう降っていた。傘を持っていかなかったので、家に着いたときはかなり濡れていた。そのせいか、ちょっと体がザワザワしたので昨晩はNHKの『功名が辻』を見ながら眠ってしまった。従って、どういう内容なのかぜんぜん覚えていない。今週の土曜日にでも暇だったら再放送でみよう。『功名が辻』も最近はちょっと面白くない。

  4. 今回は沖縄県知事選をはじめとして必ずしも愉快でない話にも触れた。それは世の中とはそういうものだということをいいたかったからである。

    山上山在り、山幾層
    波間波在り、道縦横

    大平正芳氏がよく使っていた言葉である。今はどうか知らないが、かつての大蔵大臣室には大平氏の「道縦横」という額が掲げられていた。残念ながら出典は分からない。

    私は特に最後の「波間波在り、道縦横」というこころが好きだ。求められた色紙に「道縦横」とよく書いたものだ。その意味は、私流の解釈だが、次のようなものだと思っている。

    「起っては消え、また起こる波を見ていると、世の中には定まった不変のものなどないように思える。しかし、次々と起こる波間にあっちに行ったりこっちに来たりはするが、ちゃんと道があるではないか。」

    大平氏がいいたかったのは、「少しもとどまることがない波間にもよくみれば道があるではないか。その道は縦横ではあるが。大切なのは、定めがないように見えることにも道があり、大切なことはその道を見つけ、その道を歩む努力をすることだ。たとえその道が一本道でなかったとしても」ということだと思う。そういう目で見ると沖縄県知事選も高橋尚子さんもタイガーも落ち込む必要はないのではないかと思う。心からのエールを送りたい。

  5. 最後に、これまでこの永田町徒然草の更新は1週間に1回、多くて2回であった。忙しかったのでそんなに更新できなかったこともある。もうひとつの理由はシステム・仕組みであった。私はタイピングで原稿を書くのだが、これをWebサイトに掲載するにはWebマスターの手によらなければ一切できなかった。私のWebマスターは、実によくその仕事をやってくれたが、私にも遠慮はあるし、費用のことも考えなければならない。

    しかし、政治的話題はスピードを要することもあるし、その方が訴える力も大きい。幸いにもいまの私にはあり余るほどの時間はある。森田実氏のようにできるならば毎日でも更新したいと思っている。いまはやりのブログを上手く使うと前記の問題を解決できるということである。現在Webマスターとそのことを相談している。Webマスターの方はさっそく対応してくれているのだが、このところ珍しくちょっと忙しくて私の方にそのシステムを勉強している時間がない。だが必ずマスターしてこの新システムでできるだけ更新をマメにやりたいと思っている。乞う、ご期待。

それでは、また。

白川勝彦

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