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2006年11月18日
No.254

教育基本法改正案の衆議院通過に思う

  1. 去る11月15日、小泉内閣から継続審議になっていた教育基本法改正案が、民主党などの野党が欠席した特別委員会で、自民党・公明党などの賛成多数で可決された。翌日の本会議も野党が欠席した状態で、同じく自民党・公明党などの賛成多数で可決され、参議院に送付された。教育基本法の改正がなされるかどうかは、今後の参議院の審議にかかっている。いじめによる自殺の多発・高校の必須科目の未履修・タウンミーティングのやらせ問題など国民の関心が教育に強く寄せられているため、マスコミなどでも教育基本法改正問題は多く取り上げられてきた。

    教育基本法改正に関する論点は、一応、だいたい出ていると思っている。文教政策の専門家でもない私が、各論においてあえて付け加える必要はないと思うし、その能力もないので差し控える。しかし、こうした各論とは別に、もっと大きな政治的論点や政治的背景という大事な視点が抜けているように思う。教育基本法の最大の論点は、実はこちらの方にあるのだと考えるので、こうした論点だけあえて触れることにする。

    一般論として、教育をどうするかということは、国政の基本的課題の一つである。その意味において、教育政策は政治的な課題であり、政治問題でもある。教育の良し悪しによって、国の繁栄も衰退もある。しかし、人を育てるということは、時間がかかるものである。教育の成果は、10年・20年、いや50年・100年先に現れるものである。そうした長い目で教育は論じられなければならない。世界の奇跡といわれたわが国の戦後復興を可能ならしめた要素のひとつとして、明治の初期から始まった国民の義務教育の蓄積があげられた。明治維新後のわが国の近代化が比較的順調に進んだのは、江戸時代にかなり普及していた寺子屋における教育だということも、多くの論者が指摘していたことである。

    江戸時代の教育政策にしろ、明治時代の教育政策も、その基本はその時代の国の基本政策・課題によって決せられる。そういう意味において、教育の基本政策は政治と無関係ではありえない。教育基本法に象徴される、戦後のわが国の教育政策の基本を決したものとは、いったい何であったのか。それは、敗戦=ポツダム宣言の受諾を抜きに語ることはできない。

  2. わが国は、ポツダム宣言の受諾によって、軍国主義を駆逐し、基本的人権の尊重と民主主義政治を定着させることが義務付けられ、またこれを国際的に約束した。わが国を占領した連合国総司令部(GHQ)は、わが国の軍国主義を形成し、かつこれ支えてきたものとして、国家神道と学校教育を特に注目した。そして、その認識は正しいものだったいえる。国家神道を抜きに特攻隊を可能ならしめる軍隊は成立しえなかったであろう。また、教育勅語を主柱とする修身教育によって、極端かつ狂信的な軍国主義に対する批判精神は摘み取られていった。

    1945年(昭和20)12月15日、GHQから「国家神道の政府の保証、支援、保全、監督および弘布の廃止に関するの件」が発せられた。これは、極端な国家主義の精神的支柱を取りのぞき、近代的意味での信教の自由を保障するものであった。靖国問題を論ずるとき、英霊を靖国神社の祭神とするとの教義は、国家神道のもっとも中核的な教義ということを忘れてはならない。アメリカのアーリントン墓地などは、戦死者を埋葬する墓地なのであって、そのことに宗教的な教義などはない。また戦前において軍国主義的傾向が強まる中で、国家神道を認める範囲内でしか信教の自由は認められなかったということを忘れてはならない。国家神道を認めない、またこれに疑問を呈する宗教は弾圧されたのである。

    同年10月22日、「日本教育制度に対する管理政策」が発せられた。この指令は、まず軍国主義的および極端な国家主義的イデオロギーの撒布を禁止し、一切の軍事教育および訓練を停止した。もうひとつは、代議政治・国際平和・基本的人権と合致する思想の教育および慣行の設立は奨励されるというものであった。この方針に沿って、12月31日修身・日本歴史および地理停止に関する指令が出された。翌1946年11月3日には、新しい憲法が公布された。教育基本法は、1947年3月31日公布施行された。前文には次のように書かれている。

    われらは、さきに日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

    われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

    ここに日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

  3. ここに戦後教育の基本を定めた政治的理由が明確に書かれている。これが大事なのである。このような政治的理由から、教育基本法は10条にわたって、きわめて基本的なことを謳っている。できれば全文をこの際読むことをお勧めする(六法全書などなくとも、インターネットでそれこそ簡単に手に入るであろう。くだらないものを見るよりも、こうしたことにこそインターネットは使われるべきだ)。これを読むと、新しい国づくりを決意した当時のわが国の指導者の気迫が伝わってくる。

    こうして戦後の民主主義教育は始まった。それは教育にとどまらず、子弟の家庭や地域のあり方まで変えるものであった。私は9人兄弟の末っ子だ。上の兄姉が学校で教わったことと封建的なものが色濃く残るわが家のありようが違うため、激しくぶつかり合うのを、私は小さい時から見てきた。社会全体も、新しい憲法の制定により大きく変わっていた。社会のあらゆる分野で、新しい価値観とそれまでの価値観が衝突していた。そして、戦後民主主義体制という実態が作られていった。

    憲法改正もそうだが、教育基本法の改正も、古い価値観をよしとする勢力から一貫して主張されてきたことなのである。端的にいって、この人たちは新しい価値観が嫌いなのだ。正確にいえば、新しい価値観を理解できず、ついてこれない人たちなのである。新しい価値観の中核は、自由主義思想である。特に自由主義の政治思想で国を統治し運営するというのは、きわめて難しいことなのだ。基本的には、国民が自由にやることを認めるのだから、いろんなものが衝突し合い、問題があっちこっちで起こるのは当然なのだ。しかし、変な統制・管理をするよりもよい秩序・調和は必ず生れるという信念と辛抱が、この人たちにはないのだ。

    だから、この人たちは、何か問題があると憲法のせいにする。そして、こういう人間を作った戦後教育にその責任を押し付ける。元凶は、戦後教育の根本を定めた教育基本法改正というわけだ。私などは昭和20年生まれ。いうなれば戦後第一期生だ。戦後民主主義教育をもろに受けてきた人間だから、こういう人たちからみれば、危険極まりない存在だったのだろう。自民党には、新しい価値観についてこれない人たちが多かった。しかし、私にいわせれば、私たち戦後教育を受けてきたものを非難する人たちが、そんなに立派といえるのかといいたかった。少なくとも、引け目などまったく無かった。

    教育基本法改正をことさらに主張する政治的グループは、昭和54年私が国会に出てからは、特に福田派に多かった。森元首相は文教族のボスであった。小泉前首相も安倍首相も福田・森派の直系だ。小泉首相が教育基本法の改正案を提出し、安倍首相が最初の仕事としてこれを成立させようというのも、偶然ではない。わが国における右翼反動的な勢力の長年の悲願達成なのだ。政治的にはそういう問題だということを、この際しっかりと認識する必要がある。

  4. 今回の教育基本法改正案の大きな問題点は、愛国心教育の問題だといわれる。私の政治の師匠大平正芳氏は、

    「自由主義の政治は『心』の問題を政治のテーマにしてはならない」

    と口すっぱくいっていた。だから、竹下首相などが「これからは心の時代だ」などと軽々しくいうことに、私は嫌悪感を禁じえなかった。だが、こんなことを深く考える政治家も国民も、意外に少ないのである。

    心の問題は、宗教や教育に委ねるべき問題なのである。政治は、判断が誰にでも一義的にできる制度や予算などで、その意思を明らかにしなければならない。安倍首相がいう「美しい国、日本」も、どのような予算や制度で具体的に何をやって美しい国を作ろうとするのかが示されなければ、これがいいのか悪いのか、判断しようがない。心の問題を政治の場にもろに出すことになりかねない。

    もう一つだけいっておきたいことがある。教育問題をことさらに大きく取上げようという政権には、注意する必要があるということだ。教育には誰もが関心を持っている。また、問題がまったくない教育などというものはありえない。社会に矛盾があるかぎり、それを反映して教育に問題は生じる。至極当然のことである。だから、求心力のなくなった政権というものは、いつも教育問題を取り上げて求心力を取り戻そうとするものなのである。小泉首相も、目新しいテーマがなくなったころ、教育基本法改正案を国会に提出した。誕生したばかりの安倍政権がこれを処理することになった。これを唯々諾々としてやっている安倍首相は、正しい意味における政治的にやりたいことが、意外にも本当は何もないのかもしれない。いやきっとそうなのだ。

    生まれながらにしてすでに年老いている若い首相を、みんなで後生大事にしている ─ これが日本の政治の現実なのではないか。少なくとも、歴代でもっとも若い首相が誕生したというのに、国民の中に高揚感がまったくないのはそのためではないのか。そんな気がしてならない。

それでは、また。

白川勝彦

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