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2004年9月22日
No.207

爽やかな秋晴れの下で…

  1. 前号の最後に「今日は東日本では爽やかな秋晴れだそうです。『爽やかな秋晴れなような社会を創る』…これが、私の政治に対する私の究極の思いです。今日は爽やかな秋空の下、思い切り散歩するつもりです」と書きました。そして、その日、久しぶりに散歩に出かけました。2ヶ月ぶりの散策は本当に気持のいいものでした。以来やみつきになりなり、毎日散歩を欠かしていません。

    自堕落だったこの夏の反省を込めて、1日2時間くらい、距離にして7〜8キロメートルくらい歩いています。さすがに昨日はちょっと脚が痛くなりました。でも歩けない訳ではないので、昨日もでかけました。今日もこの原稿を書き終えたら出かけるつもりです。自堕落な生活をまず体力の面から立ち直さなければならないと思っているからです。

  2. いろいろな散歩コースを試したのですが、ウォーキングもやはり土の上が最高です。私は体重が少しあるので、やはり膝に対する負担を気を付けなければなりません。そんなに面倒くさいことをいわなくとも、歩いていて分ります。アスファルトやセメントの道は、やはり体にキツイのです。

    でも都内にそんなところがあるのかというと……あったのです。明治神宮の参道です。原宿口から代々木口の約1000メートルです。最初は、1往復しただけですが、この3回は2往復しました。でも、 鬱蒼 ( うっそう ) とした杜の中のほとんど直線のこの参道は暑くもなく非常に散歩には快適です。朝早く行くと、私と同じようにここを散策している人がかなりいます。皆さん、「おはようございます」と声をかけて下さいますので、私もできるだけ自分の方から声をかけるようにしています。

    明治神宮は宗教施設ですから服装には気を付けなければならないと思い、ちゃんとした運動着で行くようにしています。

  3. しばらくインターネットから離れていたのですが、この1週間、少しネットサーフィンも始めました。でも政治のWebサイトは、私のWebサイトを含めてあまり面白くないと感じます。でも無いよりはマシという気はします。

    私が以前か観ていたものが「お気に入り」に入っている訳ですが、やはりここは観ます。読み応えのあるものは、森田実氏のWebサイト http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/ です。森田氏の主張は、この数年一貫しております。ちょっと単純過ぎるという人もおられるかもしれませんが、政治的主張というのはそんなにクルクル変わるほうがおかしいのです。私の主張だって単純といえは単純そのものです。問題はその掘り下げ方だと思います。そして森田氏がいつも引用する箴言(しんげん)が参考になります。森田氏のWebサイトのアクセス数も100万を超えましたね。こんな地味なサイトのアクセスが100万を超えるということは、私と同じようにこれを熱心に観ている人が多いのだと思います。

    加藤紘一氏のWebもやはり一応開くのですが、こちらはあまり更新されていませんね。でもこのBBSに結構面白い記述があります。加藤氏にとって結構辛辣なことを書いたものもありますね。

  4. BBSといえは、ぜひ紹介しておきたいものがあります。

    平成海援隊 Discussion BBS 政治議論室 http://www2.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?Hkaientai

    です。

    このBBSは、私のサイトのBBSがなくなったのを受けて、私のBBSの熱心な愛読者だったニライカナイさんが立ち上げたBBSです。開設以来2年弱で36000余のアクセスもあり、質の高い落ち着いた議論をしています。私も気が向いたとき何度か書き込みました。


    Re:イラクに大量破壊兵器は無かった!!

    投稿者---白川勝彦(2004/09/17 03:18:09)

    ご無沙汰しております。この2ヶ月間くらいPCに触らなかったものですから、このBBSも見ておりませんでした。今日、この2ヶ月間の皆さんの書込みをほとんど全部読ませていただきました。本当に高い見識が披瀝されていますね。感心しました。政治行動は理屈だけではできませんが、意味のある政治行動は徹底的に理性に裏付けられなければありえません。だから、問題を深く深く考えることは必要なことです。

    さて、本題のレスにはいりますが、小泉氏は自社さ政権の頃だったと記憶しておりますが、田中秀征氏などと日本の常任理事国入りに反対する議員連盟を作ったことを記憶しています。私はこの問題にこれといった意見がなかったので参加しませんでした。

    小泉氏らが常任理事国入りに反対したのは、日本は憲法で武力行使が禁止されているのだから、必要があれば武力行使の決断をしなければならない常任理事国になることはなることは無責任になるというのがその大きな理由だったと記憶しております。それなりの理屈はあるような気はしましたが、ちょっと単純すぎる気もしました。

    しかし、わが国がいかなる理由にせよ、他国に対して武力行使はしないという憲法を持っていることを自覚していることは十分評価してもいいことだと思っております。しかし、首相になった小泉氏には、このようなデリカシーは全く失ったと思います。アフガン戦争での後方支援、イラク戦争での後方支援、そして占領政策の一環と評価せざるえないのに人道支援と称して、自衛隊を海外に無神経に派遣しました。これらは、武力行使と見ざるをえないと思います。

    ここにきて、小泉首相が常任理事国入りに熱心になってきたのは、彼は自衛隊を海外に出すことに何の躊躇もなくなったからでしょう。ひょっとしたら、常任理事国入りを理由に憲法9条を改正する大きな理由にしたいのかもしれませんね。そもそも憲法9条を改正した小泉氏としては自然な思考かもしれません。

    しかし、この際本当に考えたいのは、国連の名を使おうがどのような高邁な正義を掲げようが、他国に対する武力行使がどのような結果をもたらすかということだと思います。国内においても、武力行使は決して得策ではないというのがロシアの一連のテロ事件のような気がします。

    古い話になりますが、安保騒動で政治的には極めて殺伐とした雰囲気になった日本で、池田勇人首相が「寛容と忍耐」を標榜してこれを終息させたことを私はいま思い出します。このシナリオを考えたのが、大平正芳氏であったことはよく知られていることです。


    いいスレッドを立ててくれました。

    投稿者---白川勝彦(2004/09/19 05:27:35)

    小川さん、いいスレッドを立ててくれました。私はプロ野球のことは詳しくないのです。別に興味がないわけではないのですが、プロ野球の実況の時間帯は、ほとんど観れる生活環境に長い間いなかったので何となく興味が持てませんでした。それに比べると、大相撲は比較的実況を観れたのと、大相撲ダイジェストが30分で観れるので結構興味を持っております。

    そんな私ですが、今回の選手会のストライキ問題には大きな関心を持っていました。そして、球団オーナー側の言い分は何となく納得できる感じが持てませんでした。というより、球団経営者には人徳が感じられませんでした。特にあのナベツネ。それから、近鉄がなぜ急に売却しなければならないのか。近鉄はあと一年間球団経営ができないほど、その鉄道経営が苦しいのでしょうか。確か数年前に近鉄バッファローは優勝しましたね。あの時、経営が苦しいなどという話はあったのでしょうか。それに、近鉄バッファローのファンは、近鉄の利用者・大阪の人が多いのでしょう。だとしたら、地元サービスという観点からも多少の赤字は許されるのではないでしょうか。少なくとも、オリックスよりは赤字を許容する事情はあるような気がします。

    セパ両リーグとも6球団というのは、極めて常識的なことだと思います。まずどうしたらパリーグの6球団を維持できるかを経営者側は考えるべきでしょう。これは、選手会がいうよりも球団側がプロ野球の人気維持のためにも真剣に考えなければならないことじゃないのでしょうか。来年はダメだが、再来年ならば新規加盟もOKなんてのは全然危機感が感じられませんし、経営者としての決断力がないのではないかと気がしてしょうがありません。

    それから話は全然変わるのですが、松井がNYYに入った頃からまず松井がどうした、イチローが打ったとか打たなかったということを日本のプロ野球のニュースより先に報道することは少しおかしいのではないかと強く思っておりました。特に皆さまの(ということは、我々のということです)NHKまで……。

    こんなことをすれば、日本のプロ野球の人気がなることは、当たり前じゃないですか。それに松井やイチローは別格としてもアメリカにいくと何でも大きく報道されるというのでは、日本の選手はやりきれないでしょう。

    少し書きすぎました。この際、日本のプロ野球の問題について勉強したいので皆さんの考えを伺いたく小川さんのスレッドにレスしました。

    ところで、パフォーマンス好きの小泉首相のことですから、「産業再生機構ダイエー」だってこの際ありうるんじゃないのですか。少なくとも参議院選挙の前々日に曽我さん一家の再会をごり押しするよりも嫌らしさはないような気もします。日本のプロ野球の人気の維持だって一つの産業振興という屁理屈もつけられるでしょう(笑)。


    以上は、この1週間に私がこのBBSに書き込んだものです。私のBBSと違ってその筋の方の執拗な書込みがないので、落ち着いて読めます。ぜひ一度ご覧になってみて下さい。

    それでは少し遅れましたが、今日も元気に散歩に行ってまいります。ちょっと足の甲のあたりが痛いのですが、鍛錬の中で直していくつもりです。

06:45   東京の寓居にて

白川勝彦

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2004年9月15日
No.206

爽やかな秋晴れと ( むし ) ( )

  1. この夏は、私にとって最悪の夏でした。猛烈な暑さに加え、少し健康を害したため、この永田町徒然草を更新する元気がでませんでした。誠に申し訳なく思っておりますが、政治的発言というのは、気力と体力がないと、なかなか書けないのです。

    普段の入浴はカラスの行水の私ですが、昨夜は、この夏の悪霊を洗い流したくて、頭から足の先まで念入りに洗いました。風呂あがりには、夕涼みがてら近所を散歩しました。東京の夜の外気は、湯にほてっていたせいでしょうか、既に、十分に心地好いものでした。

    私の今住んでいる所も、それなりの生垣や街路樹があります。でも、ただ見せかけの緑だけの所では、虫は鳴いていません。 ( むし ) ( ) は、ちょっとした広い庭がある所でだけ聞こえます。近所にいくつかのお寺がありますが、そこでは、田舎と同じ位の ( むし ) ( ) を楽しむことができました。虫にとっては、ある程度の緑のボリュームがないところは、棲む所ではないのでしょう。

  2. 少なくとも政治の世界では、日本ではまだインターネットはバーチャルなのではないかという思いが、私の胸中を去来します。アメリカや韓国ではインターネットが選挙戦で大きな武器になったという話を聞きますが、わが国では、寡聞にしてそのような話に接しません。これは、インターネットの普及率の問題ではないと思います。政治家と有権者が、どこかでインターネットの使い方を変に間違ってしまったのではないかという気がしてなりません。

    こんな気持があるものですから、私は以前ほどパソコンに触らなくなっていました。インターネットに対する思い込みが薄れたせいか、接続会社とプロバイダーへの振込みを忘れていたために、必要があってインターネットにつなごうとしたところ、ユーザーアカウントが停止されていました。急いで振込みましたが、2日経ってもまだ接続できません。接続会社に電話してみますと、郵便局から振込んだのでは、1週間くらいしないと振込みが確認できないといいます。コンビニで振込めば、12時間で振込みが確認できるのだそうです。郵政政務次官をしたものとしては「しっかりせよ郵政公社」といいたいところです。

    2ヶ月ぶりに自分のWebサイトを開きますと、アクセスカウンターが110万を超えていました。やはり、ひとつの感慨がありました。

  3. アクセスカウンターが100万を超えたのは、昨年の総選挙の時でした。1年弱で10万のアクセスです。これが多いか少ないかは人によって評価が分かれるところでしょう。しかし、私にとっては、これは重い数字です。110万のアクセスのあるこのWebサイトは、私にとって、決してバーチャルなものではないことを肝に銘じていきたいと思います。どれだけのものを発信できるか自信はありませんが、私のサイトを訪れて下さる方に応えられる何かを発信してゆきたいと思っています。

    冒頭に、「政治的発言は、気力と体力がないと簡単にはできないのだ」と書きました。私はいま、政治家として職を得ているものではありません。政治評論家でもありません。しかし、普通の個人でもありません。率直にいえば、自分の居場所のない人間です。生ある自分が煩(わずら)しくなる時もあります。でも、この矛盾を解決するために生を断つ訳にもいきません。苦悩は付きまといますが。もう少しこういう生活を続けていくしかないと思っています。

  4. 3回目の9・11が過ぎました。そして、昨日アメリカのパウエル国務長官がイラクに大量破壊兵器はないだろうとアメリカ議会で発言しました。この間一貫してイラク攻撃を政治的に批判してきた者として、私の考えは間違っていなかったと自信を持ちました。

    ロシヤのオセチア共和国で起きた学校占拠テロ事件や、毎日のように続くイラク各地で起きるテロ事件は、ブッシュ大統領が始めた「テロとの戦争」が果たしてテロに対する有効な手段かという根本的命題に立ち返らせます。テロに対して、私たちはどのように対処していけばいいのか、この問題を論ずると長くなりますので、また、別の機会に述べたいと思っています。

    今日は東日本では爽やかな秋晴れだそうです。「爽やかな秋晴れなような社会を創る」…これが、私の政治に対する私の究極の思いです。今日は爽やかな秋空の下、思い切り散歩するつもりです。

07:30   東京の寓居にて

白川勝彦

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2004年7月25日
No.205

暑中お見舞い申し上げます!

  1. とにかく連日暑いですね。東京は、もう暑さとの戦いの毎日です。でも、先週の前半、私は所用のため新潟におりましたので、猛暑からはエスケープできました。三条市などを襲った局地的豪雨は、大きな被害をもたらしました。被害に遭われた皆さまに、心からのお見舞いを申し上げます。あの局地的集中豪雨も、やはり梅雨前線の影響でした。その新潟でも梅雨明け宣言が出され、日本全国、まさに夏本番入り。まだまだ夏は始まったばかりで、これから1ヶ月近く、私たちはこの暑さと戦っていかなければなりません。心から、暑中お見舞い申し上げます。

  2. 東京は、私が新潟にいた先週の火・水曜日あたりが一番暑かったらしいのですが、今も連日、毎日暑い日が続いています。これにどのように対処したものだろうと、考えました。やはり、毒は毒をもって制するのが一番と、例によって暑い中、散歩することにしました 。

    帽子をかぶり、ランニングと短パン姿で1時間ほど歩き回ります。汗だくだくになりながらも、そのことに少し快感をおぼえつつ、とにかく歩き回るのです。家に帰ったら、丁寧にシャンプーし、冷水で体をよく冷やします。そうすると、もう暑さはあまり気になりません。

  3. それにしてもこの数日は、先週の猛暑に比べると少し和らいだのか、木陰などを歩いているときは、風も涼しいし、窓から入ってくる風も、少しは涼を感じさせるものがあります。東京のど真ん中でもこうなのですから、地方では、工夫次第で暑さをしのぐ方法はいくらでもあるのでしょう。

    吉田兼好は、「家は夏の暑さを凌げるのが一番」という趣旨のことを徒然草に書いていたと記憶しておりますが、クーラーがある今日でもそうなのですから、クーラーがない時代では尚更のことだったのでしょう。涼しい住まいとは、要はキャパシィティが大きければ、だいたい大丈夫なのでしょうが、都市部ではこのキャパシィティを確保するのが大変なのです。これは、昔も今も同じでしょう。

  4. 昨日は、暑さを避けるため、日光に行ってきました。まず、東照宮を参観しました。着いたのが午後3時頃で、参観者は、あまりいませんでした。数組の団体客にあったのですが、いずれも台湾から来た人たちでした。東照宮は世界遺産に登録されました。なるほど、一つひとつの建物は立派ですが、全体としては、ちょっと小ぶりのような気がしました。中国や韓国にはこのような建物がありますがもう少し規模が大きいように思います。

    それから、中禅寺湖に行きました。名物のいろは坂も今は一方通行になり、私でも快適に運転できました。金曜の夕方だというのに、観光客はあまりいませんでした。食堂やお土産屋さんはガラガラで、ほとんど人がおりませんでした。お話を伺いますと、まったく不景気だそうです。

  5. 姫マスの塩焼きという看板があったので、どうしてもこれを食したくて、食堂のご主人に無理にお願いして、焼いてもらいました。30センチ近くもある、大きな姫マスが出てきました。窓から入ってくる湖畔の風はとても涼しく、趣があって、姫マスの美味しさも格別でした。

    この食堂に入ってから失礼するまで、かれこれ40分近くあったのですが、客は誰ひとり来ませんでした。ヨーロッパなどのリゾート地なら、決してこのようなことはないでしょう。日本の大人は年中仕事にいそしみ、まだ、休みをとってリゾート地に行こうというライフスタイルがないからだと思います。ヨーロッパやアメリカでは、大人が夏休みを自分のものとして取っています。ここにも、大きな違いがありますね。

  6. 帰りは、宇都宮まで有料道路に乗らず、 下道 したみち を通ってきました。かなり昔の、日光街道の杉並木のあるところがありました。既に夕暮れを過ぎておりましたので、真っ暗でよく見えませんでしたが、 鬱蒼 うっそう とした杉並木は、昔の日光街道の雰囲気を十分感じ取ることができました 。いずれ機会をみて、昼間ここを通ってみたいと思います。

    いろいろな政治報道もありますが、暑さのためあまり論評する気になりません。小泉首相は郵政民営化と日朝国交正常化で人気を取り戻したいと考えているようですが、私は、郵政民営化と日朝国交正常化では国民の人気を博することはできないと思います。この二つは、国民の生活に直結した関心事ではないからです。

それでは、熱中症などにならないように頑張りましょう。

00:45   東京の寓居にて

白川勝彦

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2004年7月17日
No.204

参議院選挙の雑感

  1. 1ヵ月近くのご無沙汰です。申し訳ありません。正直いって、この間あまり発言したくなかったのです。しかし、この間に参議院選挙がありました。思えば、3年前は「新党・自由と希望」で私は一生懸命に戦っていました。その時以来の読者も多いのではないかと思いますが、皆さんも、いろいろな感慨をもってこの参議院選挙を見ていたのではないでしょうか。

    今度も自民党・民主党・公明党・共産党・社民党以外の政党は、比例区で議席を得ることはできませんでした。私は中村敦夫氏の「みどりの会議」がどうなるか注目していたのですが、やはりダメでした。当分の間、わが国にはユニークな特色のある政党は現われないのでしょうね。

    選挙戦になってからは、私は新潟で民主党の比例区候補者の渡辺秀央氏の当選のために、集票活動をしておりました。昨年の衆議院選挙の借りを返さなければならなかったからです。幸いにも渡辺氏は当選しましたが、思ったよりも苦しい選挙戦でした。

  2. 「民主党躍進・自民党不振」がマスコミ各社の大まかな総括のようですが、自民党不振は事実としても、民主党躍進といえるかどうかは、ちょっと疑問です。確かに東京都・神奈川県・愛知県で2議席取ったのは躍進だと思いますが、27ある1人区で13勝14敗の結果を民主党の躍進とは、私には思えないのです。

    今回、風は完全に民主党にありました。こういう時は、1人区では総取りできるのです。平成元年の土井社会党の時は、社会党の23勝3敗でした。だから、山は動いたといえたのです。民主党もこれに近い成績を出すことは可能だったと思うのですが、ダメでした。

    マスコミ各社の世論調査の発表されたのが、投票日の1週間前でした。これが民主党には災いだったのではないかと私は思っています。1人区の自民党は、完全にネジを巻いたのだと思います。これに対して、民主党は押せ押せムードで押し切ることができなかったのです。自民党には、候補者を当選させるだけの足腰がまだあったということです。これに対して、民主党には風を生かしきれる足腰がなかったのです。

  3. 300の小選挙区に民主党の旗を掲げ自分の足で立つ衆議院候補者がいること、各県会議員の選挙区に県会議員候補者がいること、各市町村に民主党の責任者がいること、この3つがそろってはじめて、民主党に足腰ができるのです。自民党には、大体この単位に責任者がいます。1人区の場合、この人たちが自分の面子を懸けた戦いをするのです。自民党が民主党に競り勝ったのは、こういう人たちが自らの面子をかけて戦ったからです。

    いま述べた単位に責任者を置くことは大変なことです。しかし、それぞれの地域単位に民主党の顔というべき人を探してこそ民主党には顔ができ、足腰ができるのです。民主党本部や、それぞれの地域にある民主党の支持組織(そのほとんどが連合ですが…これは全国のほとんどの地域にあります)にこういう視点がない限り、民主党は顔を持ち、足腰をもった政党にはなれないでしょう。民主党のためにそれぞれの地域で汗を流そうという人を、金の草鞋を履いてでも探さなければなりません。人を育てるという息の長い視点がないと、このことは実現できません。民主党にそういうマインドがあるか、私の体験からいって、危惧なしとしません。

  4. 参議院選挙の結果を受けた自民党・小泉首相の姿は、自民党の堕落を十分に証明しました。

    まず私が驚いたのは、テレビ各局のインタービューに応じて小泉首相がダラダラと弁明をしたことです。事は重大です。場合によっては、辞意の表明をしなければならない事態。なのに、テレビ局各社の個別のインタビューに応じたのです。「総理としての自覚がない」と、私は思いました。これは、共同記者会見にすべきだったと、私は思います。余りにも軽すぎます。

    次に驚いたのは、あの小泉首相がマスコミの報道がきつ過ぎたと、一種のマスコミ批判をしたことです。歴代の首相は、もっと厳しいマスコミの批判の中で、いつも戦ってきました。それでも、ほとんどマスコミ批判はしませんでした。今回だって、世論調査の結果を投票日の1週間前に発表してくれたこと、投票日の2日前に曽我ひとみさんの家族との再会をセットしたのに、マスコミ各社は十分に報道してくれました。まだまだ、マスコミは十分に小泉よりの報道をしていると私は思います。小泉首相は、マスコミが自分の応援をしてくれなければおかしいとでも勘違いしているのではないでしょうか。

    これまでの自民党のどの政権も、参議院選挙の勝敗ラインは改選議席の過半数としてきました。そして、この目標を達成できないときは、責任をとってきました。今回は、61の改選議席より10議席も少ない51を勝敗ラインに設定し、これをさらに2つも下回る結果なのに、自民党から責任論が一切出ないということです。自民党は、いつからこのようなケジメのない政党になったのでしょうか。そして、このことをマスコミはほとんど追及しません。まだまだマスコミは十分に小泉寄りといっていいでしょう。しかし、このことは自民党の墓穴を、結果として大きなものにすることでしょう。

  5. 最後に、報道によれば中曽根弘文氏が参議院議長になりそうです。ある新聞によれば、中曽根氏は公明党支持者を前に「私は他の新聞は読まないことがあっても『聖教新聞』だけは毎日必ず読んでいる」と演説したといいます。

    中曽根氏は、かなり最後まで私と共に公明党との連立に反対の立場にいたことを記憶しています。かつての同志も、変われば変わるものであります。それにしても「他の新聞は読まなくても『聖教新聞』だけは必ず読む人」を参議院議長にしようというのだから、参議院の良識も落ちたものです。空恐ろしい。

06:10   久々の東京の寓居にて

白川勝彦

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2004年6月14日
No.203

レーガン時代の追想

  1. また、山に篭った。最近あまりにも馬鹿らしいことが多くなったので、こういうことから離れようと、無性に山に篭りたくなる。今回は、2週間にもなってしまった。こんなに長く篭るつもりはまったくなかったが、くだらない、腹立たしい想いをしないことが無性にうれしくて、つい2週間にもなってしまった。2週間も情報から完全に断絶すると、これを世間並みにあわせるのに苦労する。しかし、今回は、あえてアジャストしなければならないような重要なできごとは、なかったような気がする。

    山篭りから帰ったその日、レーガン大統領の国葬があった。私はこれをテレビでみて、レーガン時代を追想する良い機会を持つことができた。それにしても、ゴルバチョフ書記長、サッチャー首相、カーター大統領など、まだまだ元気でいることが、私を何ともいえない気持ちにした。彼らも、あの時代にはそれぞれ光り輝いていた。レーガンを含めて、すべて歴史上の人物である。その人々を、葬儀の場とはいえ、いま現実に目にするとは、なんとも不思議な気分だ。

  2. 私が国会に初当選したのは、1979年の10月。アメリカの大統領はジミ―・カーターだった。私は1981年1月に、国会議員として初めて訪米したが、この当時のアメリカはひどい状態だった。私は、ニューヨークで道路のいたるところに大きな穴ができているのに驚いた。道路の補修費用がないからこうなるのだと聞いた。失業率も高かったし、インフレも相当に深刻であった。

    そんな時に、レーガン大統領が登場した。映画俳優出身ということは、私のレーガン観をあまりいいものにはしなかった。また、あまりにもよくできた演説は、映画俳優のパフォーマンスと見えて仕方がなかった。しかし、レーガン大統領の支持率は、かなり高かったような気がする。ニューヨークの穴を見ても分るように、カーター時代があまりにもひどかったので、嘘でもいい、アメリカ国民は、明るい、確信に満ちたレーガンを信じたかったのだと思う。

  3. この当時の政治のスターは、“鉄の女”イギリスのサッチャー首相だったような気がする。サッチャー首相の新保守主義は、イギリス病を克服しつつあった。レーガン大統領は、アメリカ経済のprivatization(民営化と訳されるが、もともと公的部門の少ないアメリカでは、日本の民営化とは違い、民間の諸活動に対する公的関与の排除という意味合いが強いように思う)に全力をあげる。また、ソ連に対しては強硬姿勢を明らかにする。このような政策をレーガン大統領が推進できたのも、サッチャー首相という政治的パートナーがいたからだと思う。

    こうした配役がそろった時、わが日本に登場したのが、中曽根首相であった。中曽根氏の政治思想が本来どのようなものかは必ずしも明らかではないが、鈴木内閣で行革三昧を決め込んでいた中曽根氏が関わっていた電電公社の民営化と国鉄の分割民営化は、期せずして同じ方向を目指すものとなった。しかし、方向は同じでも、その発想の原点はまったく異なっていた。イギリスやアメリカの民営化は、経済の活性化を目指したものだったが、日本の電電公社や国鉄の民営化は、行政改革の一環に過ぎなかった。従って、電電公社や国鉄の民営化が実行されても、規制緩和や民営化は、多くの分野で手付かずに終ってしまった。

  4. 冷戦を終結させたのがレーガン大統領の業績かどうかについては、私はまだ歴史的な検証が必ずしも十分になされていないのではないかと思う。一つの体制が崩壊することは、外部的要因によるものか、内部的要因によるものか、判断の分かれるところである。

    私はゴルバチョフ時代のソ連を2度ほど訪問しているが、それまでのソ連では考えられない明らかな変化があったのは事実である。ゴルバチョフのペレストロイカは、意外に本気だったのである。東欧諸国の体制離脱を含めて、ソ連邦体制が崩壊しようとする時、武力の行使も十分に予想できたのであるが、それをしなかったのは、ゴルバチョフ書記長の政治的判断だったと思う。

    いずれにせよ、レーガン・ゴルバチョフの時代に、第二次世界大戦後世界を大きく分断してきた冷戦が終結したことだけは確かである。それは世界を明るくした。レーガン大統領が93歳の天寿を全うした、その葬儀の席に、ゴルバチョフ書記長の姿を見て、あの当時の政治のダイナミズムを懐かしく思い出した次第である。

    それに比して現在、国際政治はイラク問題に始終しているが、我々が、この時代を懐かしく追憶できる日が、果たして来るのだろうか。私は、どうしても、そんな日が来るような気がしないのである。

06:30   東京の寓居にて

白川勝彦

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2004年5月28日
No.202

小泉訪朝について

  1. この10日間の最大の政治的出来事は、小泉首相の北朝鮮訪問だったのであろう。しかし、私はこの間のニュースを一切見ていない。というより、見たくなかったのである。私は、5月20日から26日まで山に篭り、読書と散策の日々を過ごしていたからである。この間、テレビも新聞も一切見ていない。というより、見たくなかったのである。今回の小泉訪朝は、最初からそもそも胡散臭かった。にもかかわらず、山篭りの前からマスコミの北朝鮮報道は加熱気味だった。どうせ、また茶番劇が繰り返されるだけのことだろうとの予感がして、こういう出来事は見たくなかった。
  2. 拉致問題の本質は、北朝鮮がテロ行為を平気で行う国家であるということである。大韓航空機爆破事件やラングーンでの韓国要人を狙ってのテロ事件も北朝鮮の工作員が行なった事件であることはすでに証拠によって明らかにされている。そして、こうしたテロ行為の最高指揮者が金正日だといわれている。
    問題は、こういうテロ国家を日本はどうみるか、そしてどういうつきあいをするかということである。このスタンスが一番大切なことである。拉致問題の解決は、まず北朝鮮としては、今後日本に対しても他の国に対しても二度とテロ行為をしないことを内外に約束することである。前回の小泉訪朝の際、金正日は過去のテロ行為を認め、反省をし、二度とこのようなことはしないと約束した。これは、これでよい。
    しかし、北朝鮮が一番しなければならないのは、過去の日本人拉致の実態を率直に認め、その全貌を明らかにすることである。また、日本政府としては、これを求めることである。過去の過ちを北朝鮮が本当に反省しているならば、これに躊躇することはないはずであるし、これすらもできない北朝鮮ならば、『今後、二度とこのような行為はしない』という約束も、信用することはできない。
  3. 私は、これまで北朝鮮問題についてほとんど発言したことがない。むろん、関心がなかったわけではなく、まして関係がなかったからでもない。いや、実は大ありなのである。いま問題になっている拉致被害者は、北朝鮮によって拉致された疑いが極めて濃厚であると国会で初めて答弁した国家公安委員長は、実は私なのである。当時、ほとんど問題にもならなかったが、この答弁をするにはそれなりの勇気と確信が必要だった。以来、この問題は、私の心に残り、拉致問題の推移についてもじっと凝視してきた。
    前回の小泉訪朝の際、金正日が拉致の事実を認めたことは、私の答弁が間違いではなかったことが証明されたと私は安堵した。国交があろうがなかろうが、一国のテロ行為と断罪するには、政治家として、それなりの覚悟が必要だったからである。
    しかし、相手側が拉致を認めた以上、日本国政府としては主権の侵害であるから、その全貌を追及し、被害者の奪還を全面的に要求しなければならない。このことに関しては、条件も妥協も必要ない。私は、金正日が拉致の事実を認めながら、生存者以外についてはあまりにも杜撰(ずさん)な内容の報告を発表したのが不思議であった。全体主義国の通弊のまさに典型ともいうべき言い様であり、これで日本人が納得する筈がないことをまったく知らない言い草であった。この時点で、小泉首相としては、この報告に対して異議を全面的にいうべきだったのである。
  4. 拉致被害者の内、生存者がいれば返してもらうのは当然のことである。北朝鮮としても、生存者がいればこの際返したいのは山々であろう。しかし、返せないところをみると返された5人を除き生存者はいないのかもしれない。だが少なくとも拉致の実態と拉致後の北朝鮮における拉致被害者の生活実態などをあますところなく誠実に報告することは北朝鮮の最低限度の義務であり、日本国政府としては、このことだけは譲ってはならない。
    拉致被害者の家族会の関係者が小泉首相の今回の訪朝を最悪の結果といったのは、この点を捉えてのことだと私は思う。私も同意見である。蓮池さんと地村さんのご子息を返してもらうことなど、わざわざ小泉首相が鳴り物入りで北朝鮮に出かけていって実現することではなかろう。それを、あたかも大事件のように報道するマスコミの価値基準にはいささか呆れてしまう。また、こうした胡散臭い大鳴り物にコロッと騙されてしまう日本国民には、つきあい切れないという想いを禁じえない。
    また、曽我さんの夫ジェンキンス氏の問題を整理もせずに連れ戻そうとしたようだが、勉強不足というのか、功を焦りすぎたというのか、理解できない。日本の最高権力者の行動というのは、もっと重たいものだと私は思っている。
  5. 以上を要すれば、私は今回の小泉訪朝を評価できない。別に小泉首相に最初から悪意を持っている訳ではないが、この人の行動には一貫した哲学というものがどうしても感じられない。
    テロ行為には日本国憲法を踏みにじってでも断固として戦うといいながら、直接日本国民がテロ行為によって拉致された問題については、一事が万事、ノーズロなのである。この人のテロとの戦いはこんな認識に過ぎないのである。危ない、危ない!
    他の国はいざ知らず、日本としては、テロ行為を完全に認め反省していない北朝鮮と今後どうつきあうかが、これからの日本の外交戦略として最も大切なことである。私が拉致問題や北朝鮮問題に言及してこなかった理由は、ここにある。少なくとも期が熟するまでは、北朝鮮との国交回復を急ぐべきではないと考えている。小泉首相の功名心で国交回復を急ぐべき問題でないことだけは,、この際ハッキリといっておきたい。

06:15   長野県のあるホテルにて

白川勝彦

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2004年5月18日
No.201

さぁ、どうする民主党?!

  1. 最後の結果がでるまで政治は分らない。最近、マスコミが勝手に予測し、このような見通しであると方向付け、そしてそれを事実としていく。こういう報道が多くなってきた。政治は、そんなものではあってはならないし、現にそうならなかった。

    小沢一郎氏が年金未納問題の責任をとって、代表選挙への出馬を辞退した。マスコミの多くの記者のうち、こういうこともあり得ると取材をしていた者がマスコミ界に果たしてあるのだろうか。少なくとも、こういう事態になれば小沢代表の誕生はないと少しでも言及した記事が、この間にあった記憶はない。

    政治の現場にあるものは、結果がでるまでギリギリの努力をしなければならない。そんな努力の中から、晴天の霹靂(へきれき=急激な雷鳴)といわれる政治的出来事が可能になるのである。前述の手法は、かつての田中派・経世会が自民党を操縦する時使った手法なのである。皆、この手法に騙されてきた。

    こういった風潮と戦わなければ勝負にならなかった私は、最後までしつこく粘るという癖がこの時に鍛えられた。だから、私はしつこいのである。

  2. 小沢氏の代表就任は、政局を面白くさせると私は思ってきた。しかし、いまの自公体制を倒し、これに代わる新しい政権を打ちたてるという大事業を小沢氏に頼らざるを得ないことに私は何となく割り切れないものをこの間ずっと抱いてきた。新しい酒は、新しい皮袋に入れろということである。 そういう人士がなぜ民主党にはいないのだろうかと思ってきた。たとえ負けてもいいから、18日の代表選挙にドンキホーテよろしく立候補しないのかと期待してきた。小沢氏が代表選をやることを希望したのだから、願ったりかなったりではないか。私は田中派・経世会主導の自民党の中で、こんなことばっかりやってきた。ほとんど負けたけれど、そういうことが政治を面白くしてきたことだけは事実と思う。

    こういうことがないから、小沢氏の代表選不出馬を受けて全員一致で岡田克也代表になるのである。小沢氏の場合は理解できないではないが、民主党が全員一致で岡田氏ということだけはないであろう。民主党には人士がないということをわざわざ自白しているようなものである。もっと自由闊達にやればいいのだ。

  3. 民主党は、菅前代表・小沢代表予定者まで人見御供にされたのである。これは、そうしなければ野党第一党としての責任が果たせないという国民の声を反映してのことであった。私はこれはこれで間違っていなかったと思う。だとしたら、民主党はこれから一体どうするのか。そこを私は注視していきたいと思っている。

    今日の『読売新聞』の社説は、「いつまで『未納』を問題にするのか」である。また共産党は、「国会議員になる前や任意加入の時期のことまで責任を問うことはしない」と小泉首相の責任を追及しないと発表した。物事を深く考えようとしない日本人のことだから、早晩こういう雰囲気が蔓延してくるであろう。

    しかし、民主党は菅代表・ほとんど代表就任が確実視されていた小沢氏の首をこの問題で差し出したのである。代表の首は、その政党の命みたいのものである。大将の首を二つも取られて、このまま引き下がるようでは民主党には武士(もののふ)としての意地がないといわれてもしょうがないであろう。政治には、武士としての美学がなければならない。そうしたものが国民の心をうち、大きな変革ときには革命を成し遂げるのである。さぁ、どうする民主党の若手議員?!

  4. この永田町徒然草も200号を越えた。時には、義務として書いたこともあるが、大半はその時々の私の必死の叫びであった。顧みていささかの感慨がある。こんなことを書こうと思っていたのだが永田町の動きがこれを許さない。

    「永田町徒然草200号の原稿です。Updateをお願いします。
       形どおりならば、200号の感慨を書くところかもしれませんが、なぜか、こういう原稿になりました。まあ、こういうことが自然体ということなのかもしれません。こういう調子で書いていけば、これから週一位で更新できるのではないかと思います。
       しかし、貴兄には200号の御礼を申し上げます。4年半にわたり永田町徒然草を続けてこれたのも、貴兄という良きパートナーがいたからできたのだと確信しております。本当にありがとうございました。
       それにしても、実にいろんなことがありました。休止の期間を含めて、この永田町徒然草は私の戦いの記録そのものでした。顧みていささかの感慨以上のものがあります。もし、この永田町徒然草がなければ、私は自分自身の戦いの記録を残すことが出来なかったでしょう。それだけでも、大きな意味があったと思います。
       そして、この私の戦いを永田町徒然草で多くの同志が共有できたことがもう一つの素晴らしいことでした。もし、インターネットがもっと普及しており、私の熱心な同志がこの永田町徒然草をリアルタイムで読んでいてくれたら、私はこの間の危機も乗越えることができたかもしれません。
       一体、政治という分野でこういう状況になるのは、いつころなのでしょうかね。私はあまり、楽観的にはなれないのですが、貴兄はどう思っておりますか。
       以上をもちまして、200号の御礼の言葉とさせていただきます。」

    これは、私が前号のupdateをWebマスターに送った際のメールである。同じよう気持をこの永田町徒然草を愛読して下さった皆さんにも表します。

11:15   東京の寓居にて

白川勝彦

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2004年5月13日
No.200

なかなか心静かにはならない

  1. 10日前に久々にこの永田町徒然草を更新した。多くの方から歓迎と激励のメールを頂戴した。率直にいって嬉しかったし、ありがたいと思った。悪い癖だが、いまなお毎日200近くのアクセスがある。これがどれだけの重さがあるかということは、長年Webサイトを運営しているものとして誰よりも知っているつもりである。だから、肩の力を抜いて気軽に徒然にいろんなことを書くつもりでいた。また、私の心静かな心境を率直に多くの方々に照覧していただきたいと思っていた。

    しかし、あれから10日間に世の中も実にいろいろなことがあった。また、私自身の身にもまたいろんなことがあった。心静かな暮らしを送るということはなかなか難しいものである。こういう状況の中で、肩の力を抜いた気軽なものを書くということは逆に相当な力がないと書けないものである。こんなことをいっているとまた更新ができなくなる。だから、自然体で書くことにする。

  2. 今日時点で私が一番関心があるのは、年金保険料未納の閣僚・議員に一体どういう責任を取らせるかという問題である。誰がかって? もちろん国民=有権者である。福田官房長官と菅民主党代表は未納の責任をとって辞任した。民主党などは、このことによって瀕死の危機にある。これには、国民の意向も深く関係している。

    だとしたならば、他の閣僚も議員にも責任を取らせなければ、不公平というものであろう。それにしても未納議員が多すぎる。だから仕方ないじゃないかという雰囲気がすでにあるような気がする。しかし、それはいかん。一部の人間には未納の責任を取らせ、他の人間には責任を取らせないというのは、一番悪いことである。

    かつて、リクルート事件で竹下首相が辞任した後、同じようなことがあった。リクルート社からパーティ券1枚買ってもらった者も、リクルート疑惑に汚染されていることで首相候補から外され、宇野宗佑氏が総理大臣になった。しかし、女性問題が起こり、宇野氏は2ヶ月で辞任せざるを得なくなった。

    だが、こうしたことも無駄ではなかった。自民党の政治家は、変なところからパーティ券1枚買ってもらっただけでも総理大臣になるチャンスを失うことを知った。政治資金について緊張感をもつようになったことだけは確かであった。こうしたことは、悪いことではない。

  3. さて、菅辞任の後の民主党代表の選出が、いま大変である。参議院選挙を目前に控えて、たったいま民主党の顔になれるのは確かに小沢一郎氏しかいないであろう。民主党にいかに人材がいないかということの証左である。その辺を見透かしてか、党則による菅代表の残任期間の今年9月までなら嫌だ、2年半の任期を認めてくれるのでなければ引き受けられないと小沢氏は出てきた。まさに超法規的措置の要求である。困ったからといって小沢氏の超法規的要求を呑むのか、それとも誰に対してもこのような措置は認められないと考えるのか。辛いところである。少なくとも自民党では、このような超法規的処理をしたことはなかった。さあ、民主党の議員はどうする。ここが見どころである。

    小沢氏が代表に選出された場合、先に述べた責任問題だけはかなり深刻なことになるだろう。また、民主党が現在の苦境から脱するには、このくらいしかない。こうした勘所を小沢氏は見逃さないであろう。そうすると政局は面白くなる。

    それにしても公明党の神埼代表の未納問題の責任の取り方には、失笑を禁じえない。こうした問題に一番敏感に反応するのが公明党だった。自公体制成立以来、自民党も変わったが公明党も変質した。しかし、世間体を気にする創価学会は、きっと神埼氏以下の執行部を交代させると私は思っている。私の予測があたるかどうか、見守っていきたい。

  4. これを書いているときに、テレビ朝日のニュース23のキャスター筑紫哲也氏が2年数ヶ月間、公的年金の保険料を支払っていなかったと自ら公表した。筑紫氏は、これからは政治家の未納問題を論評する資格がないといっていた。筑紫氏にその資格がないというのは仕方がないが、ニュース23がこの問題に触れないというわけにはいかないと思う。そうすると筑紫氏の立場はどうなるのか、辛いところである。私は筑紫氏を日本では数少ない優れたジャーナリストと評価しているだけに痛みを禁じえない。

    私は、この数年間ずいぶんマスコミに叩かれてきた。正直いって、なんでこんなことが取り上げられ、バッシングにあわなければならないのか、心の底から怒ったことが何度もある。しかし、政治家は弁明せずと肝に銘じて耐えてきた。また仮に弁明してみたところで、所詮マスコミの心ない大量報道によって損なわれたイメージは回復できない。政治家は、そういう環境の中で生きているということをいやというほど知らされた。

    マスコミを支える人々に期待したいのは、自らの報道に気概と命を賭けてもらいたいということである。私は一人の自由主義者として報道の自由を守るために戦ってきた。個人情報保護法案に反対したのも、そのような観点からだった。報道の自由なくして、自由も民主主義も守れないし、発展しないからである。これは私の信念である。ジャーナリズムは、そのような大勢の人々の努力の中で育ち、大きな影響力をもっているのである。ジャーナリストは、このことを忘れないで、その職責を誇りをもって全うして欲しい。

23:50   東京の寓居にて

白川勝彦

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2004年5月4日
No.199

在素知贅

  1. 本当に久々の更新です。前号が1月22日ですから、3ヶ月以上です。でも、この前の休止は1年半以上あったのですから、これに比べれば短いということで勘弁して下さい。Webサイトを開設している以上、開設者としての責任はいつも痛感しているのですが、私も生身の人間です。書きたくても書けない時があるのです。でも、人間は生きている以上、いろいろと考えているし、またいろいろな営みをしています。また、いろいろなことに嫌でも巻き込まれます 。

    そんなことをそれこそ「徒然に」書くのが、この永田町徒然草の本来の出発であった訳ですし、読者もそれを期待していたのかもしれませんが、「永田町」徒然草である以上、なかなかそうはいかないのです。政治家が政治的言動をする時は、いつも命懸けなのです。ですから、いい加減なことは書けないし、その気力と気迫がない時は、沈黙するしかないのです。私が風邪を理由にこの3ヶ月以上沈黙してきたのも、そういう事情があったからです。懸命な読者は、このことを察していてくれた筈です。

  2. この3ヶ月間に、私の身にいろいろな出来事がありました。それらに嫌でも一つひとつ対応していかなければなりませんでしたし、それらは否が応でも私自身の考えや心境を変化させていきました。今日はそれらをいちいち書き連ねることはしません。とても1回で書くことはできませんし、まだ未消化のこともあるからです。今後、報告方々折りに触れて書くつもりです。

    大切なことは、そうしたいろいろなことがあって、ようやくこの永田町徒然草を書く心境になったということです。また3回続けての落選ですべてを失った私に最後に残ったのがこのWebサイトであり、このWebサイトに今なお多くの方々がアクセスして下さっているのですから、これを通じて私の人間としての社会的活動を改めて始めようと決心したからです。

    これまでの永田町徒然草とは、論調もスタンスもかなり異なったものとなると思いますが、それはそれとして私にとっては意味のあることであり、書かなければならないことですし、また書きたいことですから、興味のある方はどうぞ引き続きご覧下さい。

  3. 話は急に変わりますが、いま私が一番心していることが、標題に書いた「在素知贅」ということです。これは私の政治の恩師、故大平正芳先生が好んで使った言葉です。これが大平総理の造語なのか、あるいは中国の古典にある言葉なのか、いまの私は知りません。

    その意味はこういうことだろうと私は解釈しています。「衣食住などの日々の暮し向きは質素にせよ、しかし、知性だけでなく感性を含めた精神的なことは贅沢(ぜいたく)=充実した暮らしをせよ」

    私自身を含めて、私たちはこの逆の生活をしているのではないかと私は強く反省しているのです。3回の落選ですべてを失った筈の私にも、狭い部屋に置ききれない程の衣類はありますし、靴も13足ありました。それをどのように整理したらよいのか苦労しています。体重もいまなお70数キロ(秘密)あります。いかなるダイエットも過食を進めるものはありませんから、私の場合は粗食に優るものはないのでしょう。

    こう思うと、現在の私は少しも悲嘆することはないのです。本も整理したら、まだ読んでいないものが沢山ありました。その時点では読まなければならない、また読みたいと思って買った本ですから、これを読むだけでも1年以上はかかるでしょう。あり余る時間を、在素知贅のway of lifeで過ごせば、私は人生で一番充実した日々を持つことができるような気がするのです。

  4. この3ヶ月間、せっかくアクセスして下さったのに何らのメッセージも発しなかったことを深くお詫び申し上げます。これからは、このようなことがないようにしたいと思っています。しかし、あまり肩に力をいれたものを書こうとすると書けなくなる時もありますから、これまでと同じものは期待しないで下さい。本当に「徒然に」いろんなことを書きたいと思っています。

    時はまさに新緑の季節です。だいぶ体力も衰えてきておりますので、新緑の中の例のひたむきな散歩を明日から私はやるつもりです。

以上をもちまして、Web活動再開の挨拶とさせていただきます。

22:10   東京の寓居にて

白川勝彦

在素知贅
「シンプル・ライフ・アンド・ハイ・シンキング」(思想は高く、暮らしは質素に)の漢字版 (参照 大平正芳記念財団Webサイト内資料 http://www.ohira.or.jp/cd/book/zc/zc_00.pdf) [読んでいたところへ戻る]

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2004年1月22日
No.198

わが国の基本政策の破壊

  1. 新年早々、私の体調は完全に狂ってしまい、多くの方々が訪ねてきて下さったのに、この永田町徒然草を更新することができずに本当にすみませんでした。まだ、完全に復調した訳ではありませんが、いつまでも謹賀新年ではありませんので、ちょっとご挨拶申し上げます。

    毎日毎日、イラクでの自衛隊の動向がほとんどトップニュースとして報じられています。イラクへの自衛隊派遣についての私の考えは繰り返し述べた通りです。私のように考えない人でも、イラクに自衛隊を派遣することの重大性は感じているから、このように大きく報道されるのでしょう。これは、いいことだと思います。私たちは、イラク問題から目を背けてはならないのです。

  2. 一体いま、イラクという国の統治者は誰なのでしょうか。暫定統治機構というのもあるそうですが、その実態は私には分りません。率直にアメリカとイギリスと考えるのが普通の見方でしょう。では、アメリカとイギリスはどうしてイラクの統治権を持っているのでしょうか。それは、戦争に勝ったからです。ありていにいえば、アメリカとイギリスが戦争に勝って軍事占領しているのが現在のイラクです。

    この現状に対する認識を、私たちはハッキリと持たなければなりません。確かに、イラクには沢山の困難な問題があります。でも、戦争中は人道上もっと放置できない問題が多くありました 。そのとき、人道復興支援ということがいわれたでしょうか。戦争はいつも国を破壊し、人命を奪い、人権を踏みにじるのです。だから、わが国は戦争はしないし、戦争には協力しないと、憲法でハッキリと宣言しているのです。

  3. 国際法からみたら、イラク戦争はまだ終結したといえないのではないかと、私は思います。いかなる形になるかは明確にはいえませんが、“イラク戦争なるものを何らかの形で法的に終結させることがすべてに優先する”し、“イラクへの人道復興支援は、そこから始めるべきだ”と私は考えます。

    それがない段階でイラクに自衛隊を派遣することは、戦争の最終段階として軍事占領しているアメリカとイギリスに協力することとしか、私には思いないのです。だから、私はイラクに自衛隊を派遣することに反対だし、自衛隊がイラクに進駐を進めるごとに、わが国の基本政策が踏みにじられていくと感じ、ニュースを見る度に、私の心は引き裂かれるのです。

  4. 国にとっても、個人にとっても、その基本を破ることは深刻なものです。他国には絶対に武力行使はしない、他国の武力行使には協力しないというわが国の基本政策が公然と破られているとき、ひとりの政治家として、私自身のすべてが否定されていくような気がしてなりません。国際貢献という耳ざわりのよい言葉で騙されてはならないと思います。

    世界の中で、決して小さな国ではない、いや、それなりの存在感のあるわが国が、「他国に対して決して武力行使はしない。他国に対して武力行使をする行為には決して協力しない」ということをハッキリと宣言することは、誇りにしていいことだし、非常に意味のあることだと、私は信じています。スイスの永世中立国の宣言と同じ程の意義あることだと、なぜ考えることができないのでしょうか。国際貢献などという言葉より、はるかに重いことのように私は考えるのです。

01:30   東京の寓居にて

白川勝彦

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