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2003年10月26日
No.187

気力・体力すこぶる快調!

いろいろなことがありますが、私は毎日元気に頑張っていますから、まずはご安心下さい。私にとって、今回の衆議院総選挙は11回目の国政選挙となるわけですが、今回ほど気力・体力・使命感が充実している選挙はありません。スケジュールは苛酷でありますが、すべてを冷静に考えています。

山本五十六帝国海軍大将像イライラして雷を落としたことは、一回もありません。長岡が生んだ英傑のひとりに山本五十六がいます。山本五十六の言葉に次のようなものがあります。

 「言ってやり、やって見せ、やらせてみせて、誉めてやる」

選挙を手伝って下さる方は、みんなやる気があるのです。しかし、やり方が分らないからいろいろとトラブルがおこるのです。この言葉を噛みしめならないと思います。

昨日は、長岡市で大決起大会が開かれました。約1000人の皆さまにお集まりいただきました。新潟県庁で出馬の記者会見をすませ、長岡市のホテルに仮事務所を開いてからちょうど1ヶ月で、このような盛大な決起大会の開催ができたことは、感無量のものがあります。

写真:「こんな会ってこれまでになかったよな。これが革命なんだよな」と仰る渡辺秀央参議院議員また、大会の雰囲気・内容も素晴らしいものがありました。隣に座っていた渡辺秀央参議院議員も、「こんな会ってこれまでになかったよな。これが革命なんだよな」といっておられました。この大会の全発言は、今、テープ起こしをしております。掲載いたしましたら、ぜひご覧下さい。

写真:大決起大会壇上の私 ─ 白川

まあ、それにしても、民主党公認・推薦問題は、困ったものです。こんな問題で公示前の限られたWebサイト上のスペース・時間をとられたくないのですが、大切な問題ですから仕方ありません。自分の党の運営を地方主権の精神でやれない政党が、いくら地方主権と叫んでも誰も信用しないのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

民主党本部がどのように考えようが、新潟県そして新潟5区の民主党は私を推薦し、一所懸命に支援して下さっています。政治的・戦略的には、これが一番大切なのです。この逆だったら、戦いになりません。この方々も民主党本部の態度には憤慨を通り過ぎて、呆れています。

今日は小千谷市、北魚沼郡、南魚沼郡の決起大会があります。その後の支援団体の集会を含めると合計4ヶ所です。選挙戦、本番です。それでは行ってまいります。

14:25   長岡市内の選対本部にて

白川勝彦

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2003年10月21日
No.186

革命とは、難儀なものぜよ!

朝立ちを始めて、早いものでもう20日以上が過ぎた。お陰で、早起きになりました。今日も午前5時50分に起きました。このように早く起きておかないと、いざ演説となっても声が出にくいのです。声が出にくい状態の時、無理して演説するとのどを痛めてしまい、演説が一日中つらくなるのです。ですから、このように早起きするのです。

歯を磨き、髭を剃り、顔を洗い、髪を整えて迎えを待ちます。身支度を整い迎えを待つこの小一時間が、私がインターネットを見たり、このWebサイトの原稿を書いたりする貴重な時間です。

毎日、全国的にも新潟5区にも、政治的に重要な動きが何かあります。こういうことに適切に対応しなければなりません。昨日もある重大な関心事が新潟5区にあったのですが、たいしたことではありませんでした。

10月16日付『読売新聞』の「主要各党『首脳に聞く』」紙面画像それにしても白川勝彦も大物になったものです。10月16日付『読売新聞』の「主要各党『首脳に聞く』」の民主・菅代表の一問一答のコメントに、固有名詞入りで登場しているのですから。

── 新潟5区で白川勝彦・元自治相の推薦を県連が求めている。

「国政だから、最終判断は(党本部の)常任幹事会だ。田中真紀子さんが立候補表明をしており、その動きを含めて様子を見たい」

総選挙全体に関する党首インタビューの中で、300の小選挙区のうち新潟5区だけを取り上げる方もおかしいと思いますが、これにまともに答える方も誠実といえば誠実かもしれませんが、適切であるかは別問題のような気がします。政権交代をして総理大臣になろうと訴えている党首の発言としてはちょっと軽いような気がするんですが…。

問題は二つあります。まず、政権交代を訴えている野党第一党には、300の小選挙区のすべてに反自公保・政権交代の立場を明確に表明する候補者を擁立する責任があるということです。また誰がそのような候補者なのか、はっきりとさせる義務が野党第一党にあるというです。このことを明確にしなければ、新潟5区の有権者は判断がしにくくなります。それが公認や推薦の問題なのです。

「(田中真紀子さんの)動きを含めて様子を見たい」というのは、ちょっといただけません。総選挙の日程は日に日に迫りつつあります。公示は10月28日です。政見放送やポスターの準備があります。もっと能動的・積極的にこの問題に取り組んでもらわないと実際に現場で戦っているものは困るのです。事務スタッフは正直いって本党に困っています。こんな問題で苦労するなどとは、私も思っていませんでしたし、新潟県の三党(合併前の民主党と自由党、社会民主党)の関係者も予想もしていませんでした。正直いって、みな首をかしげています。

まあ、こういうことを含めて、小論「政権交代は、やはり、革命である」で書いておきましたが、いろいろと困難があるということです。これらをすべて呑み込み、前に進んでいかなければならないのです。

 坂本竜馬 上野撮影局(上野彦馬撮影) 撮影年は1864又は1866年 長崎書房刊“幕末のプロカメラマン上野彦馬”(八幡政男著 1976年9月25日初版)掲載より坂本竜馬風にいえば、

「革命とは、難儀なものぜよ」

ということなんでしょう。

この問題以外は、すべて順調です。安心して下さい。

迎えがきました。それではこれから朝立ちに向かいます。

07:10   長岡市内のアパートにて

白川勝彦

坂本竜馬 上野撮影局(上野彦馬撮影) 撮影年は1864又は1866年
長崎書房刊“幕末のプロカメラマン上野彦馬”(八幡政男著 1976年9月25日初版)掲載より
現在入手可能な類似の書籍として、同じ八幡政男氏著の“写真術師上野彦馬”があります。

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2003年10月18日
No.185

やはり街頭である!

写真:街頭宣伝で演説する白川私は毎日朝7時半から長岡市内の自動車の通行量が多い交差点に立ち、街頭演説しています。私の一日はここから始ります。初当選した昭和54年まではこれが日課でしたが、それからは、選挙の時を除けば、このような朝立ちはあまりしていませんでした。20数年ぶりの活動です。正直いってこれは楽なことではありません。朝は声も出にくいのです。

でも、この朝立ちを始めて20日になりますが、やはり朝立ちこそ私の原点だったと、30代の頃を懐かしく思い出しながら、毎日元気にやっています。7時半から演説するためには、少なくとも6時には起きる必要があります。起きがけでは声も出にくいですし、気合も、人さまに訴えるものにはならないからです。お陰で早起きになりました。その代わり、夜は12時には寝るようにしたいのですが、それができない時もあります。そうすると翌日がたいへんきつくなります。

朝立ちが終ると、街宣部隊が組んだスケジュールに従って、1日に30ヶ所くらいで街頭演説をします。新潟6区に比べ、街頭演説に適した所、街頭演説をやりたい所がはるかに多くあります。全国どこにいっても、街頭演説に適した所は、意外なほどに少ないものです。人がいれば良いってものでもありません。2年前の参議院選挙の時、渋谷のハチ公前で街頭演説を何度もやりましたが、聴いて下さる人はほとんどいませんでした。

人家がまばらだったり、通行人が少ないと、やはり気合がのってきません。人が出て聴いてくれなくとも、家の中でしっかりと聴いていて下さるので、心して話をしないとダメなのですが、それでも、たとえ数人でも聴いて下さる方が目の前にいると、全然話やすいのです。最初の内はそういう方がいませんでしたが、いまは、どこで街頭演説をしても、相当の人が玄関先に出て、私の話を聴いて下さいます。ありがたいことであり、助かります。

お陰さまで、誰に会っても「白川さんだよね。テレビで観ました」といわれるようになりました。これは明らかに、真紀子報道の効果です。これはすごいことなのです。

白川勝彦という男が新潟5区から立候補するということ、白川勝彦という男の顔と名前が一致すること。このことを周知するために、候補者は大変な時間とコストとエネルギーを使わなければならないのです。私の場合は、これは一挙に解決しました。

あとは、できるだけ多くの方々に直接会うことが必要なのです。会えば会うだけ支援者が確実に増えます。このことを肌で実感しています。

多くの方々に直接接することができるのが、街頭活動なのです。これにまさるものはありません。まだまだ組織ができていないこともありますが、私が街頭活動を主にしているのは、こういう理由からです。これからも、室内の集会はできるだけ夜にしてもらい、明るい内は、できるだけ街頭演説をやっていく予定です。

街頭演説の難しいところは、白川の話を聴きたくない人にも、私の演説が耳に入ってしまうということなのです。こういう人たちにも、さすがだといってもらえるような演説をしなければなりません。つまり、政治家の演説のなかで、一番難しいのが街頭演説なのです。ですから、人がいてもいなくても、気合の抜けた演説は絶対にできないのです。

そんな1日の街頭活動を終えると、クタクタになります。しかし、快い充実感があります。確かな手応えが日に日に大きくなっていることが、着実に感じられるからです。私だけではなく、街宣部隊も同じことを感じていると思います。

今日は休日なので、住宅地を中心に街頭活動をやります。幸い今日は絶好の秋晴れです。

では、行ってまいります!

06:40   長岡市内のアパートにて

白川勝彦

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2003年10月14日
No.184

爽やかな秋晴れのような社会

三連休、いかがお過ごしでしたか。いま、テレビをみる時間が全くありませんので、全国的にどのような天気であったのか分りませんが、新潟5区では11、12日は爽やかな秋晴れ、しかし13日は一日中土砂降りでした。その土砂降りの中、昨日も朝から街頭活動をしました。昼食のとき着替えをしたのですが、それこそパンツまでグシャグシャでした。

私は政治活動を始めて10年くらい経った時、政治の究極の目的はなんだろうかと考えあぐねた結果、「政治とは、爽やかな秋晴れのような日本・社会をつくることだ」との結論に至りました。ですから、パンフレットなどに「爽やかな秋晴れのようか社会をつくる」というキャッチフレーズをよく使っています。そして、現在もこの考えに変りはありません。別に難しいことを言っているつもりはありませんが、それなりの一つの哲学を踏まえたキャッチフレーズのつもりです。

政治家は、政治の力で何でもかんでもできると過信しています。国民も、政治が何でもできると過剰な期待をします。しかし、自由主義社会の基本は、経済も文化も社会活動も原則自由だということです。従って政治の役割は、国民一人ひとりがその能力を自由に発揮できるような環境・条件をつくることにあります。政治の役割は、そのような舞台をつくることなのです。その舞台の上で踊るのは、国民一人ひとりなのです。ですから、政治家があまりでしゃばったのでは、国民は自由なパフォーマンスができなくなるのです。

国民が「さあ、今日も頑張るぞ!」という気になり、頑張ってもらった努力の総和が、経済でもその他の分野でも国全体の成果として現われるのです。爽やかな秋晴れの日は皆さんそのような気になって出勤するでしょう。それが大事なのです。

外回りの仕事など、天気の良い日と雨の日ではあげられる成果が全然違います。私たちの街宣活動も外回りの最たるものですから、同じです。しかし、外回りの仕事でなくても爽やかな秋晴れの日はやっぱり成果が違うと思うのです。ここでは、そのことを言いたいのです。

「政治家は、政治が何でもやれるなどとうぬぼれてはならないし、そのようなことをいってはならない。また国民も政治が何でもやれるなどと過剰な期待をしてはならない。しかし、政治が果たさなければならないことは、政治家は命を懸けてやり抜かなければならない」

私の政治の師、大平正芳氏の言葉です。含蓄のある、政治家が常に肝に銘じなければならないことだと思っています。

さて、去る12日、新潟県の民主党と自由党の合併大会が開かれ、私の推薦を決めていただきました。また、私は一つになった新しい民主党に入党しました。私はこの日に入党することを決めていたのです。

なぜならば、この日を過ぎなければ、私が入党届を出す場所が現実問題としてないからです。これは意外に大事なことなんです。旧自由党事務所にいって入党届を出せば、私は今後いろんな時に、白川は旧自由党系だといわれますし、民主党事務所に出せば、白川はもともと民主党系と旧自由党の人々に思われることになるでしょう。

新しい民主党には、大きな役割が期待されています。また、その期待に応えなければならない使命があります。そのためには、新しい民主党は、いろいろな面で質的に大きく変らなければなりません。旧民主党でもない、旧自由党でもない私が新しい民主党誕生後に入党した理由は、ここにあると思っています。

いま、民主党の最大の使命は、政権交代を果たすことです。政権交代は、ひとつの革命です。革命をやろうという政党は、革命的に自己変革をする度量がなければなりません。民主党に入党した私も己を革命的に変え、大きく成長しなければならないと肝に銘じています。皆さんのご指導・叱咤激励を心からお願いいたします。

今日も朝7時半から、街頭演説です。くもり空ですが、雨は降っていません。助かります。

06:10   長岡市内のアパートにて

白川勝彦

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2003年10月10日
No.183

衆議院解散、その日に100万!

今日午後1時5分、衆議院は解散されました。10月28日公示、11月9日投票という総選挙の日程が確定しました。今回の総選挙は、わが国で政権交代の是非を現実問題として国民に問う、初めての総選挙に必ずなります。この歴史的な選挙、私は新潟5区に「今こそ、政権交代を!」という旗を高く掲げて戦っています。

写真:街頭演説で政権交代を訴える白川小泉内閣の悪政への怒りでしょうか、戦いを始めてまだ2週間ちょっとなのですが、驚くほどの温かい励ましを受け、確かな手応えを感じながら、元気に毎日頑張っています。政権交代という歴史的な一大事業に、新潟5区において具体的にその役割を果たすため、私のすべてを賭けて戦います。多くの皆さま方の温かいご理解とお力添えを、心からお願い申し上げます。

戦いを始めたその瞬間から、そして今も、足らないものだらけです。しかし、そんなことは最初から覚悟していましたから、どうってことはありません。また、それが今回の戦いを左右するとも思いません。いま一番欠けているのは、政権交代に対する認識と覚悟です。

政権交代は、やはり、ひとつの革命なのです。その認識と気概がいま一番必要なのです。詳しくは、「政権交代は、やはり、ひとつの革命である」をご覧下さい。

さて、この歴史的戦いの火ぶたが切られる解散のその日、白川Webサイトのアクセスカウンターがついに100万を超えました。Webサイトを開設したのは、1999年12月ですから、3年10ヶ月経ちました。この間に、日本の政治にも私個人にも、多くの劇的な出来事が多くありました。その一つひとつに私は関り、かつ戦ってきました。

このサイトを通じ、多くの人々に直接に訴え、また、メールやサイトのBBSを通じて、多くの方々から励しをいただいてまいりました。白川サイトは、私の戦いの武器であると同時に、私の精神的支柱でした。ですから、アクセスカウンターが100万を超えたことは、私にとりましては感慨大なるものがあります。また、感謝の気持でいっぱいです。政治におけるインターネットの可能性を信じ、そのさきがけとなるため、今後とも努力をする覚悟です。これからも白川サイトを可愛がって下さいますよう、心からお願い申しあげます。

激しい戦いの毎日です。でも、心身ともに元気に晴れやかに頑張っておりますから、ご安心下さい。政権交代は、革命であり、いまよりも一人ひとりがもっと自由にい自己実現できる、明るい豊かな社会をつくるためになんとしても実現しなければならないのです。ですから私も、坂本竜馬や高杉晋作が大胆にしかし明るく振舞ったように、私も率直かつ楽天的に戦っております。皆さまの温かいご理解と大きなお力添えをお願い申し上げます。

13:08   長岡市の白川事務所にて

白川勝彦

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2003年10月6日
No.182

街頭が一番いい !

田中真紀子さんに何かの動きがあると、私のところにマスコミが殺到します。昨日(5日)もそうでした。

私は5区からの出馬を検討しているときから、「田中真紀子さんは、次の総選挙には新潟5区から必ず立候補するし、その政治的立場は決して反自民・反自公保・政権交代という立場ではない。出馬表明は、解散前日か当日であろう」と思っていました。

そして、不起訴報道以後の取材で一貫してこのように述べていたのですが、また昨日も同じ質問。しかし、これに答えるのも大事なことですから、短気を起こさず丁寧に対応しています。最後は記者さんの方が恐縮している始末です。

昨日Updateした「来るべき総選挙の意義と展望」で述べておきましたが、今度の選挙は、最後は必ず「政権交代、是か非か」ということになります。

昨朝、事務所に向かう時、長岡市のいたるところに菅民主党代表の大きな顔写真の民主党のポスターが貼られていました。一気に総選挙モードを感じさせると同時に政権交代が最大の争点する選挙になるということを肌で感じます。

だから、田中真紀子さんの出馬の唯一の政治的関心事は、田中さんが反自民、反自公保、政権交代の側から立候補するのかどうかということだけなんです。私は田中さんの政治的スタンスをよく知っていますから、田中さんがそのような立場から立候補することは99パーセントないと思います。もし、仮に田中さんが反自民、反自公保、政権交代という立場から立候補するというのであれば、お互いに話し合い、また野党の皆さんが協議すればいいだけの話なのです。

写真:街頭で演説中の白川結論は、99パーセント分っているのでから、私は街頭で私の所信を述べることに全力を注ぎたいと思っています。また、それが一番確かな手応えを感じられます。小泉首相のやってきたことがあまりにも弱者切り捨て・地方切り捨て・中小企業つぶしであったため、政権交代という訴えがしっかりと伝わります。5区で政治活動を始めてわずか10日だというのに、びっくりするほどの反応です。街頭演説にまさるものはないと思います。今朝は、7時30分から街頭演説に立ちます。

 選挙になると、例によって候補者のWebサイトは更新できなくなります。ですから、その前にできるだけ私がいま考えていることをUpdateしておきたいのですが、十分な時間がありません。でも最大限の努力はいたします。月刊誌『財界展望』の「日本を斬る」をあえて前面に出しているのは、この一年間の私の考えを述べたものであるからです。画像ですから読みにくいとは思いますが、お読みいただければ幸いです。

多くの方々からメールをいただいておりますが、いちいち返信できなくて申し訳なく思っております。しかし、全部をありがたく拝読させていただいておりますし、私の力の源泉とさせていただいております。事情ご賢察の上、お許しの程、お願申し上げます。

00:40   長岡市のアパートにて

白川勝彦

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2003年10月1日
No.181

不起訴決定の余波

昨日午後、田中真紀子前外相が秘書給与疑惑で告発されていた件の不起訴処分が正式に決定したことを受けて、これについてどう思いますか、またこれを受けて田中真紀子さんが選挙に出馬する可能性が濃厚になったがどう戦いますか、というマスコミ各社の取材攻勢にさらされました。各社がバラバラにくるものですから、10回くらい同じことを話さなければなりません。これって、意外に大変なのです。

しかし、これも選挙運動に大きく影響するものですから、丁寧に対応しなければなりません。昨日で終ったかと思っていたら、今度はワイドショウ-の取材が東京からきて、今日も朝早くから午後1時半までインタビューに対応。改めて真紀子人気の高さを感じました。

「新潟5区から立候補を決断するにあたり、私は田中真紀子さんが最終的には出馬すると考えていましたので、そういう事態になったとしても少しも驚いたり、動揺したりしておりません。また田中さんは自民党や小泉首相を批判するでしょうが、反自民・反自公保・政権交代という政治的スタンスには決して立たないと思います。そうである以上、反自公保・政権交代の立場にたつ候補者が新潟5区にいなければならないと考えたからこそ、私は立候補したのです。また野党各党の協力を得て戦うならば、必ず勝算はあると確信しています」

以上が私の答えであり、またこれが私の偽らざる心境です。

さて、いよいよ事務所に十日町から荷物が届き、事務所を開設することができました。といっても、トラック3台の荷物をおおざっぱ置いただけで、きちんとレイアウトし、電話などが使えるようになるのは、明日の午後でしょう。広い事務所なので、トラック3台に積んできた事務機器などを入れても事務所にはまだ十分な余裕があります。本当にいい事務所が授かりました。感謝しております。

午後7時から、渡辺秀央参議院議員の後援会「秀央会」の新潟5区幹部会が開かれ、これに出席させていただきました。渡辺先生ご本人もわざわざ東京から駆けつけて下さり、心からの白川推薦のお言葉をいただきました。これを受けて、全会一致の力強い推薦が決議されました。それにしても、渡辺先生の私に対する温かい激励とお力添えに政治家として感激いたします。私もこのようなことができる政治家になりたいと強く決意しました。しかし、いまはまずこの戦いに勝つことを全力をつくさなければならないと思います。

また、白川Webサイトのビジター数が先週の土曜日99万を超えました。この1年半は、事実上閉鎖しているような状態であるにもかかわらず、この間でも10万以上のアクセスがあったことは、感激に耐えません。この間、あまりにもいろいろなことが私の回りにおきました。また私も大きな政治的決断をしましたが、そのことをほぼリアルタイムでお伝えしてきました。これがWebサイトの威力だと思っています。

そして、その結果、その時々の私の政治的心情、政治行動を理解して下さり、また共有して下さる方が多数おられるということは私の心の支えとなりました。改めて白川サイトを可愛がっていただいたことに御礼を申し上げます。

出馬声明以来、今日で丁度1週間が過ぎました。今回は短期決戦です。いままでのようにあまりこの永田町徒然草も、論文なども書けないかもしれませんが、このサイトを魅力あるものにするために素晴らしいスタッフが現れましたので、必ずご期待に応えられる内容にするつもりです。

百里を行く者は九十里を半ばとす」という言葉があります。選挙が終る日までにどの位のアクセス数になるか分りませんが、当選という目標を「百里」とし、そのためにこのWebサイトが働いてくれればいいなーと思っています。約2年間インターネットから少し離れていました。2年前に比べて質的に変っていればいいなぁ、と期待してはおりますが、あまり幻想を持たないようにしなければならないとも考えています。すべてのものが、そう一直線には発展しないものだと、覚悟しておかなければなりません。私も、多少は辛抱強くなりました。

それでは明日の活動に差しつかえますので、休ませていただきます。

23:50   長岡市内の仮事務所にて

白川勝彦

百里を行く者は九十里を半ばとす
何事も完成に近づくと気が緩み失敗しやすいから、九分通り済んだあたりを半分と心得て努力せよ、という意味。戦国時代の策士である縦横家の言動を記した代表的古文三十三篇の戦国策・秦策 (三省堂故事・ことわざ・慣用句辞典より) [戻る]

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2003年9月28日
No.180

土・日で新潟5区を街宣車で一回り

去る9月24日(水)の記者会見から、木、金曜日はこの選挙に臨むにあったって、どうしてもお願いしなければならないところのあいさつ回り、事務所探し、ポスター・リーフレット作成、マスコミ各社の調査票の書込みなどに忙殺されました。

金曜日(26日)の夜、「今こそ、政権交代!」という新しいパネルの入った街宣車が出来上がりましたので、さっそくこの土・日(27・28日)で新潟5区を一回りさせていただきました。この前の参議院選挙から2年2ヶ月ぶりの街宣活動なので、最初の1時間くらいは若干ぎごちないところもありましたが、後は完全にいつもの調子が蘇り、意義ある街宣ができました。その雰囲気は「日々の政治アルバム」をご覧いただければ、お感じいただけるかもしれません。

30歳のとき、全くゼロから出発した私は、街頭演説を打つことからその活動を始めました。今回の戦いも全くのゼロからの出発ですから、まず街頭において新潟5区の皆さんに直接訴えていかなければならないと思っていました。

2日間の街宣活動を通じて強く感じたのは、反自公保・反小泉内閣という政治的雰囲気が、新潟5区に満ち満ちていることでした。行く先々で、とても初めての街宣とは思えない熱烈なご声援をいただきました。これなら十分な戦陣を組めると直感しました。

政治の原点は、辻立ちにあると私は肝に銘じてきました。今回の戦いにおいてもできるだけ多くの方々に直接私の熱い想いを訴えていく覚悟です。

お陰さまで、素晴らしい事務所が決まりました。しかし、この29・30日は日本一うまい「魚沼産コシヒカリ」の最初の出荷のため、私たちの地域のトラックが総動員されているため、引越しは10月1日しかできません。新しい事務所がオープンしたら、紹介いたします。Webマスターにいわれて、手ぶれ防止付きの最新鋭のデジカメを購入することにし、今日それが届きました。これまで私のサイトに欠けていたいい写真を掲載できると思います。乞う、ご期待!

23:10   長岡市内の仮事務所にて

白川勝彦

この永田町徒然草を打ち込む白川の写真(最新鋭デジカメで撮影)*「この永田町徒然草を打ち込む白川」
*最新鋭のデジカメで撮った最初の写真です。

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2003年9月24日
No.179

私は、新しい戦いを開始しました !

実に、1年半ぶりの永田町徒然草です。この間いろいろなことがありましたが、私はあえて沈黙を守って来ました。それは、次にこの永田町徒然草を書くときは、私の政治的スタンスがはっきりとした時だと心に決めていたからです。それにもかかわらず、多くの方々がこのWebサイトを訪れて下さったこと、私は感謝すると同時に本当に申し訳ない気持でいっぱいでした。

この間、私が考えてきたことは、月刊誌『財界展望』の「政界談義白川勝彦の『日本を斬る』」をお読みいただければだいたいお察しいただけると思います。Webマスターが気を利かして、これをUpdateしていてくれたので、多くの方々にお読みいただけたのではないかと感謝しています。

私は今日午後2時、新潟県庁内の記者クラブで記者会見をして、来るべき総選挙に新潟5区から立候補することを声明しました。この決断に至るまでには、私も考え、悩み、苦しみました。しかし、一人の政治家として、いま私のやれることは、またやるべきことは、これしかないと決断したのです。決断をした今は、実に晴れ晴れとして、新しい戦いに向けて、意欲と闘志満々です。

28年間にわたりお世話になった新潟6区の皆さんとお別れしなければならないことは、断腸の想いであり、また申し訳ない気持でいっぱいです。しかし、私の現在の政治的信念は、自公保政権を打ち倒し、新しい政権構造を作ることです。この政治的信念に従えば、既に新潟6区には民主党の筒井氏がおられるのですから、私がここで立候補する政治的理由はありません。。この前の選挙では激しく戦った相手ではありますが、政治的大義の前では、己を空しゅうしなければならない、それが政治家だと私は常に肝に銘じて生きてきましたし、いまもそのように生きなければならないと心に期しております。

しかし、私をして新潟5区から立候補せしめるのは、同じ新潟県で長い間衆議院議員をつとめさせていただいたからです。ですから、新潟6区の皆さまへのご恩と感謝は終生これを忘れません。また選挙区は違うことになる訳ですが、一所懸命に政治活動をしている私に対するご理解とご支援を切にお願いする次第です。

新潟5区の皆さんには、本当に全くの新人ですが、政権交代のために、また新潟5区の発展のために、私の全てを尽くして頑張りますので、温かいご理解を心からお願い申しあげます。小泉首相の人気は相変わらず高いようですが、小泉政治は私にいわせれば政治的詐欺みたいなものです。田中角栄先生をはじめとして多くの優れた政治家を産み出してきた賢明な新潟5区の皆さまが、この事実を見逃すはずがないし、本格的な政権交代という日本の新しい政治課題の先導を必ずして下さると私は信じております。一人の政治家として、新潟5区という伝統ある名門選挙区で政治活動ができることを誇りに思っています。初心に返って、懸命に努力します。

全国で私をご支持して下さった方々の中には、再び来年の参議院選挙に立候補することを期待しておられる方もいっぱいいらっしゃる訳ですが、私は前回の参議院選挙で全力を尽くしました。そして、現在の選挙制度では、私の力では残念ながら歯が立たないことを痛感しました。賢明な皆さまならば、きっとこのことをご理解いただけると信じています。ただ、私の政治的信条は全く変わりありません。いや、自公保体制を批判するというより、私は本気で自公保政権を打ち倒さなければならないと考えております。そのためには、やはり衆議院選挙でなければその目的を達することはできないのです。どうかこのことをご理解いただき、全国から温かいご支援をいただければ幸いです。

書きたいこと、書かなければならないことは、山ほどあるのですが、戦いは既に始まり、事務所探しをはじめとしてやらなければならないことがいっぱいあります。ですから、今日はこの位にさせていただきます。できるだけ時間をとって、私の戦いの状況をお知らせするつもりですから、ときどきこのWebサイトを訪れて下さい。最後に、もう一度長い間のご無沙汰をお詫び申し上げます。そして、私の新しい戦いにご理解とご支援をお願い申し上げます。

     15:00   新潟市内のホテルにて

白川勝彦

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2002年3月18日(月)

No.178

“謹賀新年”の返上

あちこちで、桜の開花が報じられる季節となりました。正月元旦以来いろいろなことがありましたが、長い間、ご愛読をいただいたこの「永田町徒然草」の更新をしませんでした。この間、何かあるのではないかと、多くの方々からアクセスいただいたこと、誠に申し訳なく思っております。また、感謝をいたしております。

私は生きておりますから、このようにいろんなことが起きている時、何かを思わないはずもありませんし、考えないはずもありません。でも、あえて沈黙をしてきました。私なりに深く考えてのことです。

多くの方々から「沈黙は金ではない」という叱咤をいただきました。でも、私はあえてこの際沈黙しようと決意し、お叱りを承知で永田町徒然草の更新をしなかったのです。ただ、月刊『財界展望』の“白川勝彦の「日本を斬る」”だけは、請われるままに書いてきました。先の選挙後、これも固辞したのですが、編集者に強く勧められたため、これも何かの因縁であろうと思い、あえて続けてきたのです。そして、この雑誌を手にされない方も多いのはないかと思い、Webマスターに頼んで掲載してもらうことにしたのです。

しかし、多くの方々から「いつまでも“謹賀新年”ではないだろ」とのメールをいただきました。確かにそうです。もう3月も半ばを過ぎました。いずれにしても、謹賀新年だけは何とかしなければならないと思っておりました。それにしても、この一ヶ月間余、政治的にあまりにも多くのことがありました。そんなとき、時候の挨拶的なものを書くこともできません。ついつい、前号の”謹賀新年”を更新する機会を失ってしまったのです。いつまでも正月気分でいたわけではありません。事情ご賢察の上、ご寛恕ください。

なぜ、ことさらに沈黙しているか──多くの方々が訝(いぶか)ることと思いますが、もう少しの間、私のわがままをお許しいただきたいと存じます。沈黙することは決して楽なことではありませんが、これも、いまの私には必要なことだと私は思っています。報道の伝えるところによれば、今日、加藤紘一代議士が自民党を離党するとのことです。加藤氏とは20年余の付き合いですから、いろいろな思いがあります。でも、このことについてもあえて「感無量なり」ということだけににさせていただきます。

「明けない夜はない」とか「冬来たりなば春遠からじ」ともいいます。きっとそうでしょう。でも「夜明け前がいちばん暗い」という言葉もあります。そんなことはどうでもいいのですが、私は、意味のある言葉を発したいのです。私はまだ政治評論家になったつもりはありません。私自身のスタンスをきちんとした上で、意味のある言葉を発したいのです。その時に備え、体だけは鍛えなければならないと、例の散歩に打ち込んでおります。近いうちに東京の事務所を引き払い、新潟県上越市に移すことにしました。このことについて、関東圏の方々にはお許しを賜わりたいと思います。

今日は、これにて失礼をさせていただきます。皆さまのご健闘を心からお祈り申し上げます。

00:30東京の寓居にて

白川勝彦

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