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このコーナーでは、わが戦い─名付けて「平成革命」の理論や戦略などについて、私の考えや参考資料などを適時取り上げて、同志の皆さまの戦いの参考に供したいと考えております。ときどきご覧下さい。

白川 勝彦透明スペーサー


第7号

2001/3/16

『中央公論』4月号の「人物交差点」の記事

中央公論4月号1文字アキ『中央公論』4月号のかなりの人気コーナー「人物交差点」に私のことが載りました。リードには、〈土壇場でブレない評価を得るが、その一方で柔軟さに欠けるとも〉と評されています。私は確かにブレない方だとは思っていますが、ブレないことと柔軟さを両立させるということは難しいことなんですよね。

1文字アキしかし、この難しいことを合わせもたなければ平成革命を実行することはできないわけですから、筆者のありがたいご忠告と受けとめ努力してゆきたいと思っています。『中央公論』などという難しいものはあまりお読みにならない方も多いのではと思い、ここに掲載させていただきます。

(白川記す)


白川勝彦 しらかわ かつひこ(元自治大臣)

中央公論4月号記事1文字アキ昨年、あえなく潰れた"加藤の乱"派内外で「白川がいれば」との声が渦巻いた。土壇場でブレない男という評価を得るが、その一方で柔軟さに欠けるとも。参院選では党を率いる大将の資質を試される。

過程よりも結果が問われる政治の世界で"タラ、レバ"は禁句のはずだが「あの時、白川さんがいれば」という声が自民党の、とくに若手周辺から今も聞こえてくる。昨年十一月の"加藤の乱"は野中広務前幹事長ら主流派による切り崩し工作で闘わずしてあえなく挫折。加藤は数の力の前に涙を飲んだという図式だが、「数ではない。最後までブレないで行動できるかどうかだった」と、その時白川は語っている。もし白川がいたら、と思わせるのは、良くも悪くも「ブレない政治家」だからに違いない。

1文字アキとはいえ同じ宏池会で加藤と行動を共にしてきただけに、一時は「十日間も食事が喉を通らない」ほどに落胆したという。だが、「公家」と「野武士」の地金の差がここで出た。「生殺し」のままの加藤を見限ったかのように、白川は自ら行動を起こしたのである。

1文字アキ二月四日付で自民党に離党届を提出、七月の参院選に向けて新党の旗揚げを宣言。比例区で自分も含め最低一〇人の候補を立てるとぶち上げた。そのめざすところをズバリ「自民党の解党」と言ってのける。

「自民党は『不自由非民主党』になった。二十一世紀の政治のために舞台から退場すべきだ。それが国民の声だ」

1文字アキ白川はかつて、今の自民党の姿を新潟・十日町市に現存する築百五十年の生家になぞらえたことがある。古いだけにあちこち傾いている。だが土台が腐っているから少し手を加えたくらいでは補修できない。いよいよダメになったら思い切って新築するしかない―。

1文字アキ党執行部や実力者たちに対する評価も歯に衣を着せるところがない。野中前幹事長は、「不自由非民主党を作った張本人」であり、総選挙で惨敗したのも野中の「選挙戦術が目茶苦茶だったから」。河野洋平外相を評して、「有象無象派に忠誠を誓い首相の座が回ってくるかもしれないことを期待する物待ち顔」と言う。橋本龍太郎元首相についても「橋本内閣時代の政策を総否定した内閣に入ったのでは、森内閣が頓挫しても、そのアンチテーゼとはならない」。

1文字アキ白川は昭和二十年、九人兄弟の末っ子として新潟十日町市の絹織物を業とする旧家に生まれた。中学一年の時に家業は倒産。奨学金とアルバイトで苦学して高校・大学に通った。東大在学中に司法試験に合格、弁護士となる。昭和五十四年、当時の新潟四区から徒手空挙で衆議院選に出馬して三十四歳で初当選。その後当選六回、昭和六十年には国土政務次官、六十二年に郵政政務次官、平成八年には自治大臣・国家公安委員長を務めている。
政界に飛び込んだ当初から、大物政治家や党の執行部を相手に一歩も引かぬケンカを繰り返してきた。

1文字アキ初当選のころは同じ新潟出身の故・田中角栄元首相の金権政治を批判して名を売った。ちなみに現在の砂防会館三階の事務所は、奇しくも田中角栄が事務所を置いていた同じ部屋だという因縁をもつ。
1文字アキリクルート事件で自民党が揺れた昭和六十年には亀井静香(現政調会長)らと自由革新連盟を結成した。亀井とは、平成八年の総選挙で新進党に参加した創価学会・公明党を「憲法違反」と攻撃した"戦友"でもある。その亀井が自自公連立の旗振り役になると、「変節漢」と一刀両断している。

1文字アキ昨年の総選挙では与党にありながら容赦のない自公連立批判を展開、それが執行部の逆鱗に触れ、対立する民主党候補を創価学会が応援するという"ねじれ"現象まで生んだ。秘書による交通事件もみ消し事件という不祥事もあり落選。七ヶ月の雌伏の間は、地元の支持者にも顔を見せず精神不安定説まで流れていた。それが一転、離党・新党結成のアドバルーンで再び世間の耳目を集めた。

1文字アキ「勝算があるのか、と新聞記者はそればかり聞く」と白川。たしかに、現職を離れ新潟六区という地盤も失った。かつての盟友、加藤の支持もない。今はまだ「たった一人の反乱」にどれほど展望があるのか。

1文字アキ自民党と決別した白川が望みを託すのが、いまや支持政党別で"第一党"となった「無党派」層だ。東京二十一区の衆議院補欠選、長野、栃木の両知事選では、たしかに無党派に食い込んだ候補が自民党の有力候補を打ち破った。そうした流れを「マグマの噴出」、無党派層を取り込むための武器は「インターネットとマスコミ」、と言う。政治的スタンスは一貫してあくまでリベラル。その旗印の下に自民党、民主党ばかりか、社民党の支持者をも取り込めると目論む。

1文字アキ「自民党だの民主党だのという『藩』はいずれなくなる」現在の政治状況を幕末にたとえ、"平成維新"を担おうとする自らを高杉晋作、白川新党を奇兵隊になぞられる。高杉のように志半ばで倒れてもなお、維新の礎となるのか。ただのドン・キホーテで終わるのか。まずは参院選で試される。

(市)

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