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このコーナーでは、わが戦い─名付けて「平成革命」の理論や戦略などについて、私の考えや参考資料などを適時取り上げて、同志の皆さまの戦いの参考に供したいと考えております。ときどきご覧下さい。

白川 勝彦透明スペーサー


第10号

2001/5/2

「神社は宗教にあらず」─宮沢俊義著『憲法Ⅱ』の抜粋

1文字アキ小泉首相の靖国神社公式参拝発言がいろいろと論議をよんでいます。白川BBSの政教分離分科会でも、多くの書き込みが行われました。この問題を考えるとき、私が司法試験のとき、何度も読んだ宮沢俊義著『憲法Ⅱ』(有斐閣)が非常に参考になると思います。今日、有斐閣に問い合わせたところ、すでに絶版になったとのことです。国立国会図書館から借りてきて、ボランティアの方に打ってもらいました。ご一読いただければ幸いです。

(白川記す)


信教の自由

1「神社は宗教にあらず」

1文字アキ宗教の自由は、歴史的に見て、自由権のカタログにおいて、花形的地位を占める。それは、文字どおり、すべての人権宣言で定められている。それがアメリカではじめて人権宣言をうみ出す大きな原動力だったとされることは、人の知るところである。

1文字アキ明治政権が成立したはじめには、徳川時代以来のキリスト教の禁止がつづいていたが、やがて近代的な宗教の自由の思想が強くなり、また、外国からの圧力もあり、この禁止は解かれた。

1文字アキ明治憲法の記草者も、「国教を以て偏信を強ふるは、尤人知自然の発達と学術競進の運歩を障害する者」として、宗教の自由をみとめるべきものと考えた。明治憲法第二八条は、「日本臣民は、安寧秩序を妨げず、及臣民たるの義務に背かざる限りに於て、信教の自由を有す」と定めた(同二八条)。信教の自由は、すなわち、宗教の自由である。この規定について、起草者は、「本条は、実に維新以来取る所の針路に従ひ、各人無形の権利に向て、濶大の進路を与へたるなり」とのべた。この言葉は、この規定が、諸外国の人権宣言における同種の規定と同じように、宗教の自由の確立を狙う趣旨であることを推測させる。しかし、その推測は、かならずしも当っていなかった。

1文字アキ明治憲法は、神権天皇制をその根本義とし、その当然の結果として、天皇の祖先を神々として崇める宗教―神社または惟神道―を、ほかの宗教と同じに扱うことを好まなかった。ことに、明治憲法の基本理念とされた天皇崇拝の精神的基盤を固めるために、天皇の神格の根拠としての神社に対して、国教的性格を与えることを必要と考えた。こうして国家神道が成立した。そこで、仏教や、キリスト教などの神社以外の宗教を容認しながらも、神社に対してはそれらとはちがった公共的性格を認め、神宮・神社には、公法人の地位を、その職員たる神官・神職には、官吏の地位を与えた。行政組織法的にも、一般の宗教に関する行政は、文部省の所管としつつ、神社に関する行政だけは、それとは別に、内務省神社局、後には神祗院の所轄とした。そして、一般国民に対しても、神社参拝を強制し、ことに官公吏に対しては、公の儀式として行われる神社的儀式に参列する義務を負わせた。

1文字アキ明治憲法が信教の自由を定めたことと、かように神社を国教的に扱うことは、明らかに矛盾する。この点をどう説明するか。当時の政府は、「神社は宗教にあらず」という説明で、その矛盾を解消しようとした。

1文字アキいかにも、神社は、一般の宗教とはちがった取扱い―国教的取扱い―をうける。もし神社が、仏教やキリスト教とならぶ宗教だと見るべきものであれば、神社だけをかように特別扱いするのは、憲法の定める信教の自由に反する。しかし、神社は、宗教ではない。それは、単に祖先の祭りというだけのもの(!)であり、憲法にいう宗教ではない。だから、神社だけを特別に扱い、これに公的な地位をみとめ、国民にそれへの礼拝を強制しても、憲法の定める信教の自由には、関係がない。

1文字アキこれが、「神社は宗教にあらず」という命題の内容である。これによって、憲法の明文で信教の自由を定めることと、神社だけを国家的に保護し、これを国民に強制することとが、少しも矛盾しないと説明できると考えたのである。しかし、神社が本来宗教であることは明らかであるから、この説明は、つまり、明治憲法の定める信教の自由は、神社を国教とみとめることと両立する限度においてのみ、みとめられていたことを意味することになる。明治憲法の信教の自由に関する規定は、決して、その文字どおりの意味をもっていたのではなかった。

1文字アキこの点については、また、こうも説明された。明治憲法は、「臣民たるの義務に背かざる限りに於て」信教の自由をみとめる。ところで、神社を信仰することは、「臣民たるの義務」に属する。したがって、憲法の保障する信教の自由は、はじめから神社の国教的地位と両立する限度内においてのみ、みとめられていたと解すべきである。

1文字アキいずれにしても、明治憲法の下で、かように、信教の自由がまったく骨ぬきになっていたことは、明瞭である。そこでは、いかにも、キリスト教や、仏教を信仰することも、布教することも、一応は自由であった。しかし、その自由に対しては、根本的な限界が与えられていた。それは、天皇の祖先が神々であり―その代表者が天照大神であった―天皇自身も神の子孫として―「現御神」(あきつみかみ)として―神格を有することの信仰を否認しないことであった。ところで、宗教というものの本質からいって、かような限界は、信教の自由そのものを否定するにひとしかった。その結果、政教一致(祭政一致)が明治憲法の建前とされた。政治は「まつりごと」で、「まつりごと」は「神をまつること」だと説明された。

1文字アキこうした状況は、しばしば、特にキリスト教徒たちによって批判された。しかし、そのつど、それは、おさえつけられ、明治憲法の末期には、国家主義・軍国主義・ファシズムの強化とともに、神社国教制が公然と支配するに至った。

1文字アキ「神社は宗教にあらず」という命題は、かように、神社国教制が憲法の定める信教の自由を骨ぬきにしてしまい、その結果として、キリスト教や、仏教が非常な制約の下にあったという事実をおおいかくす役割をはたした。その意味において、そのはたした役割は、宗教の自由に対してきわめて敵対的なものであったといえる。ところが、この命題が、後に至って、ある程度において、最小限度の信教の自由を守る(?)役割をはたすまわり合わせになったことは、興味がある。

1文字アキ明治憲法の末期において、神社国教制の強化とともに、優位に立った神社は、しだいにより攻勢をとり、「神社は宗教にあらず」というような実際便宜的ではあるが、不正確な命題を捨て、神社が宗教であるとの主張を真正面に出しなじめた。神社は宗教である。それは、天皇の宗教であり、したがって、国民の宗教でなくてはならない。それでこそ、日本は「神国」なのである。日本人は、だからすべて神社を信仰しなくてはならない。それ以外の宗教は、すべて異端であり、日本では存在を許されない。こういう見解すら強くなった。

1文字アキこの見解は、反キリスト教的であるだけでなく、同時に反仏教的でもある。日本でのキリスト教の歴史も決して短くはないが、仏教の歴史はきわめて長く、仏教徒の数は、国民の大きな部分を占めている。この現実を前にして、神社だけが日本の宗教だと主張して、神社と仏教との不両立を主張することは、実際問題として、多数の国民の支持を得るゆえんでない。ここで、政府は、あらためて「神社は宗教にあらず」という命題をもち出して、かような神社の攻勢を阻止しようと試みた。神社は、なるほど、国民一同の信仰すべきものである。しかし、神社は、仏教や、キリスト教と同列におかれるような「宗教」ではない。だから、神社を崇めることと、仏教なり、キリスト教なり、各自の好む「宗教」を信仰することとは、少しも矛盾しない。戦場で死んだ「護国の英霊」を靖国神社に祭るとともに、これに戒名をつけて菩提寺に葬ることは、少しもさしつかえない。

1文字アキ政府のかような説明は、その理論的不正確さは別として、当時優勢をきわめていた神社の攻勢に対して、明治憲法でみとめられていた最小限度の信教の自由(?)を保護しようとの意図にもとづいていた。その限度で、そこでその命題がはたした役割は、それが明治憲法の下で本来はたすべく期待され、そして、現にはたした役割とはちがって、いくぶんでも宗教の自由に対して交友的だった、…というのが言いすぎならば、以前ほど敵対的ではなかった、ということができようと思う。これは、政府の態度が変わったというよりは、神社の地位がそれまでにくらべて非常に強くなったという事情にもとづく。つまり、「神社は宗教にあらず」という、本質的に宗教の自由に対して敵対的であるはずの命題が、神社の攻勢の行きすぎを少しでもおさえる役割を演ずるに至ったほど、明治憲法の晩年には、神社国教論が有力になっていたのである。

1文字アキここに至って、明治憲法の文字の上ではまがりなりにもみとめられていた信教の自由は完全に死滅した。そして、「神国日本」だとか、「神州不滅」だとかのかけ声の下に、狂信的な神国主義が、日本を支配した。

2 宗教の自由

1文字アキ降伏は、かような神国主義に終止符を打った。ポツダム宣言は、日本が「宗教の自由」を確立すべきことを要求した(同一〇項)。それをうけて、降伏後、総司令部は、一九四五年一二月一五日の「国家神道の禁止」に関する指令によって、神社の国教的地位を廃止した。ここで、神社は、キリスト教や、仏教とならんで、ひとつの私的な宗教となった。

1文字アキ翌年一月一日の、詔書は、さきにも引かれたように、「天皇を以て現御神とし、かつ日本国民を以て他の民族に優先せる民族にして、延べて世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念」を否定した。これは、その半月以前に、連合国最高司令官が、「日本の天皇は、その祖先あるいは特殊な起源の故に、他国の元首より優越し、日本人は、同じ理由により、他国民よりまさり、日本の島は、神聖な起源の故に、他国よりすぐれているとの教義が、日本の神道に織りこまれている」とのべて、国家神道禁止の指令を発したことをおもい出させる。

1文字アキこの詔書は、天皇の「人間宣言」として、注目された。明治以来、「国体」の根本義として日本中の学校でやかましく教えこまれた神権天皇主義が、かんじんの天皇自身の宣言によって否定されるというのも、おかしな現象であるが、それはとにかく、この詔書は、天皇があらゆる神々から絶縁したことを宣言したものと解される。もっとも、そういう法的な効果は、この宣言によってはじめて成立したわけでなく、すでに日本の降伏により、天皇主権が否定され、国民主権が確立されるとともに、天皇の神格は否定されていたのであり、この詔書は、それを宣言したにすぎないと解すべきである。

1文字アキ日本国憲法は、こういう沿革を考慮しつつ、次のように規定した。

1文字アキ「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を有してはならない。
1文字アキ何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
1文字アキ国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない」
(憲二〇条)

1文字アキここに、信教の自由とは、宗教の自由を意味する。宗教の自由を信教の自由と呼ぶのは、明治憲法のいい方であり、日本国憲法は、その例にしたがったのである。明治憲法にいう「信教の自由」は、宗教の自由のほかに、教育の自由(Lehrfreiheit)をも含むのではないか、という意見があったが、特にそう考えることの根拠も見出されず、一般にも、そういう考えは承認されなかった。日本国憲法の「信教の自由」が宗教の自由であることは、その規定の上から、明瞭である。

1文字アキ信教の自由とは、およそ次のような意味を有する。

(一)
1文字アキそれはまず内心における宗教上の信仰の自由を意味する。これは、思想および良心の自由(憲一九条)の一部とも考えられる。ある特定の宗教を信ずる自由、その信仰を変える自由、および、すべて宗教を信じない自由が、これに含まれるであろう。自分の宗教上の信仰について沈黙を守る自由―たとえば、「踏絵」の禁止―がこれに含まれることは、思想および良心の自由の場合と同じである。

(二)1文字アキそれは、宗教上の信仰を外部に発表する自由を意味する。これは、表現の自由(憲二一条)の一部でもある。

(三)1文字アキそれは、宗教を宣言する自由を意味する。これも、表現の自由の一部である。

(四)1文字アキそれは、宗教的行為の自由を意味する。宗教上の信仰の目的で礼拝し、集会し、結社を作る自由がこれである。集会し、結社する自由は、一般的な集会・結社の自由(憲二一条)の一部である。もちろん、宗教的行為をしない自由(礼拝その他の宗教的行為に参加しない自由)をも含む。

1文字アキ世界人権宣言が、宗教の自由は、「その宗教又は信念を変更する自由ならびに単独に又は他の者と共同して、また公に又は私に、教育、行事、礼拝及び儀式執行によって、その宗教又は信念を表明する自由を含む」(同一八条)というものも、これと同じ意味である。

1文字アキ信教の自由を保障する、とは、公権力によって、これらの自由が制限されることなく、また、それらを理由として、どのような不利益も与えられることがないことを意味する。

1文字アキ「何人も、宗教上の行為…に参加することを強制されない」とは、公権力によって、この種の行為への参加を強制することが禁止される意である。公務員が、この種の行為に参加する職務をもつことは、したがって許されない。明治憲法時代には、宮中の儀式をはじめ多くの国家的な儀式が、原則として、神社方式によって行われ、関係公務員は、職務として、それに参加することになっていた。後には、一般人に対しても、いろいろな形で―たとえば、学校の生徒に対しては、教師の指示という形で―神社的な儀式や行事に参加することは強制されるに至った。明治憲法の末期において、義務教育の小学校ないし国民学校の庭に小型神社が設けられ、児童は―もちろん、教師も―毎日それに礼拝させられたことをおもい出すべきである。

1文字アキこの理由によって、公の儀式は、宗教的な性格をもつものであてはならない。憲法第七条は、「儀式を行うこと」をもって天皇の権能とするが、この規定によって、天皇が、公的資格において、行う儀式は、すべて宗教的色彩をもたないものでなくてはならない。皇室典範の予測する即位の礼(同二四条)や、大喪の例(同二五条)が、もし公の儀式であるとするならば、やはり宗教的色彩をもつことは、許されないだろう。立太子の式も、同様である。もっとも皇室の儀式といえども、私の儀式とされるのは、もちろん宗教的色彩をもつことを妨げない。その代り、私の儀式の場合は、何人も―宮内庁の職員も―これに参列する義務を負わない。

(宮沢俊義著『憲法II』 第2部 第7章 第3節 信教の自由)

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