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 FORUM21   2009年6月 通巻161号

特集 民主党代表選と政局・選挙

それぞれの最終決戦

白川  勝彦  元衆議院議員・弁護士

自公“合体"政権の絶体絶命の危機

この雑誌が発売される6月10日には、まだ衆議院は解散されていないであろう。しかし、その後の事は分からない。ここで私の予測している情勢がどう変化するかも分からない。それは私が手を抜いてこの原稿を書いているからではない。今回の戦い=解散総選挙がそれぞれにとっての最終決戦だからである。

政権交代を目指す民主党を中心とする野党、これを支持している国民にとっては、絶好のチャンスであることは間違いない。政権交代の可能性は十二分にある。

自公“合体"政権にとっては、絶体絶命のピンチなのである。政権の座から降りることは自民党が生き延びていけるかどうかの瀬戸際なのである。

平成5年夏、自民党が野党に転落した時、私は自民党の国会議員が右往左往する様を嫌というほど目撃した。長い間、政権党として君臨してきた者の威厳や誇りなど微塵もなかった。歴史が変わるとき、滅びていく権力者にそれなりの美学・パフォーマンスがあったことを多くの歴史小説などが教えている。自民党にはそんな美学の欠片もなかった。

自民党が野党に転落した時、無様を呈したのはその本質の表れであった。自民党は“政権党であることを唯一のレゾン・デートル"とする政党だったからである。政権党の甘い蜜に群がる有象無象が大多数であった。花に群がる轟は、花が散れば飛び去っていく。

その自民党の中にあって、自由主義政党としての行持を辛うじて持っていた者だけが、反転攻勢を試みた。そして11カ月後に自社さ政権という変則ではあったが、兎にも角にも政権党に戻したのである。

いまの自民党には、そのような行持をもっている者が果たしているのだろうか。与党となった公明党には、いかなる行持があるというのだろうか。魑魅魍魎には反転攻勢などできない。自公“合体"政権は絶体絶命の危機にある。だから、必死なのである。

それぞれの最終決戦

現代の政治は、理念を中心として争われる。マニフェスト選挙を提唱する者もいるが、マニフェストなどというモノで政権を争った例を私は知らない。だいいち、マニフェストなるモノの全部を有権者が正しく理解することなど可能なのであろうか。

現代でも、選挙の時に予想も想定もできなかった問題や事態が多々生じる。そのような時、政府がどのように行動するかは非常に重要である。マニフェスト選挙の疑問点である。それに現代の選挙が“御利益"の多寡を争って行われるというのも実態にも反している。

それにしても、選挙の際それぞれの政党は何かを掲げる。それはマニフェストと呼ばれるモノなどではない。それは理念なのだ、と私は考えている。

ちなみに英和辞典(Vista、三省堂)によれば、manifest【1(形容詞)明白である《堅苦しい言い方》2(動詞)明らかにする、証明する《堅苦しい言い方 3(名詞)積み荷明細書」とある。いっぽう、manifessto【声明、官一言、声明書、官一言書】ともある。

御利益を求める選挙ならば宝船の積み荷を争う意味合いでmanifestが妥当のようである。manifesstoならそんなに詳しく書く必要はない。理念が明白であれば良い。リベラルとか友愛は、政治的理念を立派に宣言している。「国民の生活が第二も、国民の生活がズタズタに破壊されている現状では、野党の民主党が掲げる立派な理念・manifesstoなのである。

創価学会党化した自民党に理念はない

自公“合体"政権には、果たして理念やmanifesstoと呼べるものなどあるのだろうか。

自民党は、その実態はともかく自由主義を標榜するわが国の唯一の政党だった。だが、自由主義とは無縁かつこれと敵対する創価学会を母体とする公明党と連立を組み、これと“合体"したことにより、唯一の存在価値であった自由という理念を放棄してしまった。

公明党と連立すれば、自民党がこうなることは目に見えていた。だから、私は自民党を離党したのである。自社さ連立は、さまざまな評価をされた。だが、これにより政権党になった自民党から逃げていく者はなくなり、逃げていった者が数多く帰ってきた。そのような自民党に“離縁状"を叩き突けたのは、私が名誉ある第一号であった。

政党とは理念を中核として生成・発展するものである。理念を失ったとき、その政党は必ず死滅する。およそこの世には物の道理に背いて存在できるものなどないのである。

自民党の傍に立った公明党は、自民党から自由の欠片さえをも奪った。自民党は創価学会党化した。宗教団体としての創価学会が今後どのような運命を迪るかは、私の専門外である。しかし、創価学会党化した自民党と創価学会党の本家本元である公明党で作る自公“合体"政権が、国民の支持を失い衰退していくことだけは確かである。

小沢事件が意味するもの

いかに醜悪な存在でも、およそ生命あるものは死滅を免れるために必死に抵抗する。

政党の生命の源は、理念である。理念に磨きをかけ、これを盛んにすることが生き延びる途である。自公“合体"政権にはこの理念がないのである。

自然界の存在は、自然の摂理に反するものは死滅するしかない。人間界の存在は、敵対者を倒すことによって一時的に生き長らえることができる。

平成12年(森内閣)の総選挙から専門的にみれば自民党と公明党はすでに“合体"していた。その時から実は国民の支持を失い大幅に議席を滅少したのである。

総選挙後どうにもならなくなった自公“合体"政権は、小泉首相というマガイモノを担ぎ出した。自民党をぶっ潰すと言う総裁を選び出すこと自体が、論理矛盾なのである。しかし、マガイモノに編された国民は平成13年の参議院選挙で大勝させてしまった。平成17年の郵政解散でも詐術的戦術に引っ掛かり、国民は3分の2を越える化け物のような議席を与えてしまった。

人の良い国民も編されたことにようやく気が付いた。平成19年(安倍内閣)の参議院選挙で、自公“合体"政権は歴史的な敗北を喫した。 安倍首相→福田首相→麻生首相と、手を変え品を変えても駄目になったとき、小沢事件が起きた。

それぞれの最終決戦

「小沢事件の政治的本質は、自公“合体"政権が検察を使って政敵を抹殺する卑劣な行為である」と秘書逮捕直後から私は一貫して主張してきた。

詐術→謀略。マガイモノや詐術が通用しなくなったとき、権力が使う常套手段である。この企みは成功するかに見えたが、鳩山民主党“新"代表の選出により、民主党と国民は辛うじて難を逃れた。小沢事件が起きる以前より情勢は良い。何事も、“過ぎたるは及ばざるが如し"だ。

小沢事件では、マスコミは共同正犯としての役割を果たした。そのマスコミは岡田克也氏を代表に選出させようとした。しかし、私は鳩山由紀夫氏を民主党代表に選出すれば民主党は選挙に勝てると考え、応援した。私の直感は間違っていなかったようである。

このままいけば、自公“合体"政権を倒すことはできる。私には10年がかりの闘争である。これは私の私憤ではない。憲法20条に反する政権は、わが国にあってはならない。憲法を疎かにすれば、この国がおかしくなるのは必定なのである。

弁護士として私は債務整理を主たる業務としている。依頼者から聴く生活環境は劣悪である。警察や検察や司法の専横は、目に余るものがある。懇勲無礼な行政官に泣かされている者は沢山いる。

それぞれの最終決戦が、今回の総選挙なのである。

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