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「女性は子どもを産む機械」?

07年01月29日

No.320

「女性は子どもを産む機械」なる発言は、しばらくニュースの俎上にあげられるであろう。永田町徒然草No.298で述べたように柳澤代議士は、私が自民党の中でもっとも頭の良い、かつ人格も高潔な政治家として畏敬の念を抱いていた数少ない政治家であった。自民党の政治家の大半は、理論的な話などほとんどできない人が多い。私はかなり理屈ぽっい方だ。だが柳澤氏には、知識や理論では簡単に勝てないものがあった。その彼がなぜこんなデリカシーと見識を失った発言をしたのか?

私は自公連立政権が彼の人間的な何かを変えてしまったのだと推測する。少しばかりの理性と歴史を知っている者には、公明党という政党がおかしいということは自明の理だ。この公明党と連立を組むということがどういうことなのか、まともな政治家なら疑問を持たざるを得ない。しかし、このことに疑問を持つことは自民党ではいまやタブーなのだ。まともな政治家にとってそのタブーを守らなければならないということは、理性と良識を失えということを意味する。そんな状態がもう10年以上続いている。そうするとせっかく持ち合せていた理性も良識も鈍化してくるのだろう。

これは政治家だけではない。公明党の政治参加や政権参加を批判することは、いまやマスコミにとってもタブーなのだ。このタブーに触れる者に、マスコミはその場を与えないことにしている。だからジャーナリストや評論家まで、理性と良識を麻痺させられているのだ。創価学会や公明党がどのような手段を使って、自民党やマスコミをこのようにしたかは別の機会に述べることにしよう。今日は、柳澤発言も発端である少子化問題に欠けているもうひとつの大事な問題を述べてみたいと思う。

それは、わが国に根強くある純血主義という問題だ。わが国の少子化問題は確かに深刻である。社会や経済のあり方まで変えていく。しかし、少子化で現れるこうした問題の多くは、要は若い人や子供がいれば解決する問題なのである。どうして日本人の若い人や子供にこだわる必要があるのだろうか。私にはそれが昔から理解できなかった。近くのアジアだけをみても、若い人があふれている。この人たちはわが国で働きたいと思っているし、できれば日本に住みたいとも思っている。こうした人々をわが国のマンパワーとしてどうして考えることができないのか、私には不思議でならないのである。これは、少子化などということが問題にされなった時代から私が抱いていた疑問である。

私の支援者に外国のタレントを日本に招聘することを業とする人がいた。タレントといってもその多くはクラブやキャバレーなどで働く女性を招聘するという仕事だ。しかしこういう女性でも何かしらのタレント(才能)がないとビザは出ないのだ。だから外タレ招聘業という。これを所管するのは法務省の入国管理局だ。局長は外務省からでることが多かった。ここと交渉しているとわが国の純血主義がよく分る。外国から要望もあるし、わが国にも希望する業者は多いのだが、できるだけ入れようとしないのだ。どうしたら問題が起きないようにできるかを考えようじゃないか、といっても聞く耳をもたないのだ。何だかんだと難癖をつけるだけなのだ。要するに入れたくないのだ

かつては労働省といったがここも同じなのだ。外国人労働者は入れたくないのだ。失業者が増えるというのだ。警察も入れたくないのだ。犯罪が増えるというのがその理由だ。異質なものを入れれば、混乱や問題が発生することは当たり前のことだ。だから純血を守りたいのであろうが、先進諸国で純血を守って国を運営している国がいったいどの位あるのだろうか。ほとんどの先進諸国が外国人を国内に多く抱えている。そうならざるを得ないのは、かつて植民地を抱えていたことに原因が確かにある。それらの国でも問題はいろいろ発生しているのだある。だが、それを解決しながら国を運営しているのである。

国や社会を運営するためには、若い人や子供がいなければ正常な姿にならないと思う。しかし、それが全部日本人でなければだめだというのはこの国際化社会では無理なことだし、それにこだわることはないというのが私の昔からの考えなのである。私は純血主義を採らない。わが国の国民だって、いろんな所からきた人種や民族から今日に至っていると私は考えている。外から人が流入できなかったのは、厳格な鎖国政策をやっていた江戸時代くらいなのではないだろうか。もちろん当時の交通手段は限られていたので、その数と範囲は現在とは大きく違うが、私がいいたいのは外から流入する人々をどう受け入れるかという基本的な考えである。外から流入する人を認めると厄介な問題が起きるからこれを阻止しようと考えることを私は純血主義といっているのだ。

わが国の保守反動といわれてきた人たちは、ほとんどが純血主義である。それは神の国である日本民族に氏素性の分らないものが勝手に入ってきてたまるかという素朴なものかもしれない。だが保守反動でない人にも外国から多くの人々が入ってくることを嫌う人はけっこう多い。豊かな国に来て富を手にしたいと考えるのは、世界中で昔から行われてきたごく普通なことなのである。これを押しとどめることなど、できはしない。大切なことは、これをどう受け容れるかと問題なのである。私は異民族や異文化と接することによって問題が起こることを否定しないが、逆に得ることも多いはずだと考える方である。わが国は、鎖国政策を止めて開国したことによって果たしてダメになったのだろうか。

経済や文化の高かった欧米の人々が入ってきたから良かったのだ、という反論がすぐ返ってくると思う。しかし、貧しい中で慎ましやかに懸命に生きている民族や人々から学ぶものがないというのは、尊大というものである。私たちの父母も祖父母も貧しかった。慎ましかった。しかし、懸命かつ必死に私たちを育ててくれた。私たち日本人は、所詮世界の中で生きていくしかないのだ。私たちは異民族と異文化と付き合う術を小さいときから知らなければならない。そうでなければ日本民族の繁栄はないのだ。こう考えると、私は少子化をヒステリックに叫ぶ気にはなれないし、必要もないと思う。

多分この論考は生煮えだと思っている。反論もあると思う。いずれもっと詳しく論じたいと思っているが、少子化問題を考えるとき気に留めておいてもらえればそれでいい。少子化問題をヒステリックに煽るおかしな政治家や評論家もいるが、道を間違わなければ日本は絶対に小さくもならないし、なくなりもしない。心配は要らない。少子化問題を必要以上に煽る政治家をみていると、昔のように「産めよ、増やせよ」といっているように見えるのは私だけであろうか。もっとも9人兄姉の末っ子である私などは、産めよ増やせよということでこの世に生を受けたのだが……(笑)。

それでは、また。

  • 07年01月29日 01時40分AM 掲載
  • 分類: 2.国内政治

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