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ソウルから

08年10月12日

No.958

昨日の土曜日、いつものとおり私は事務所に出た。ぎりぎりまで仕事をして羽田から金浦空港行きのフライトに乗った。昨夜遅く、私はソウルに着いた。夜だったので何も見えなかった。9月の連休に来る予定だったのだが、著書2冊の出版のために果たせなかった。キャンセルではなく、延期ということにした。だから今日の朝からいろいろな人と会う予定が入っている。ちょっと市内観光もしたいのだ。

この前ソウルに来たのは、平成11年の秋だった。小渕vs加藤vs山崎の自民党総裁選の後だった。当落は別にして、私は加藤紘一氏に立候補を勧め、全力で票に奔走した。加藤氏は100票を超える得票をした。世間では善戦したといわれたが、私としては負け戦であった。公明党との連立に反対だった加藤氏の票をたくさん出せば、小渕氏が進めようとしていた公明党との連立に歯止めがかかると考えて戦った。私は嘘ではなく他派から10数票貰った。100票をちょっと超える得票では、公明党との連立を阻止することはできないと思った。そして平成11年10月、自民党は公明党と連立を組むことになった。

自公連立を機に、自民党の変節・堕落・傲慢が始まった。自自公が自公保となり、自公連立は自公“合体”となった。自公“合体”政権のトップは、小渕→森→小泉→安倍→福田→麻生と変わった。しかし、その本質は変わらず、“合体”ぶりはますます酷くなった。パラサイト(寄生獣)的体質をもつ公明党は自民党を食い千切っている。自民党は断末魔である。政治家や政治評論家で、これと毅然として戦ってきた者は数える程しかいなかった。国民の政治家に対する信頼を失わせた痛恨事であった。

前回の韓国行は、柄にもなく傷心旅行であった。以来10年ぶりである。わずか2日の旅行であるが、韓国のその後を確りと見たいと思っている。2冊の著書の緊急出版で、いささか疲れた。多くの方々から読んでもらわなければ出版した意味がない。帰ったらまた忙しくなる。疲れをとり、英気を養う旅にしたい。運転手さんに聞くと、今日は好天だという。ありがたい。何か有意義なことをレポートできれば好いのだが・・・。

それでは、また。

  • 08年10月12日 03時53分AM 掲載
  • 分類: 1.徒然

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