ヘッダバイパス[j]ump
liberal-shirakawa.net 白川勝彦 Webサイト (HOMEへ)
白川勝彦へメールを送る
永田町徒然草を閲覧しています
自薦論文を閲覧します
白川文庫を閲覧します
フォトエッセイ即写一言を閲覧します
永田町徒然草
自薦論文
白川文庫
フォトエッセイ 即写一言
プロフィル
リンク

 

恐竜になろうとしている自民党

06年11月22日

No.256

昨年の郵政総選挙で自民党から離れた旧自民党議員の復党が時間の問題となってきた。そもそも現在無所属となっているこれらの議員は、自民党から除名されたのだろうか。それとも離党したのか、ただ公認されなかっただけだったのか、いまの私には確かな資料がない。記憶をたどると、離党か、ただ公認されなかっただけだったような気がする。郵政法案に反対したほとんどの自民党議員には刺客と称される自民党公認候補がたてられたが、なかには刺客をたてらなかった人もいる。だがそんなことはいまとなってはたいしたことではないような気がする。要するに、自民党所属の衆議院議員がまた10数人増えるということだ。

小泉マジックで自民党衆議院議員は、現在でも294名いる。これがまた10数名増えるのだ。1955年(昭和30年)保守合同により自民党ができてから、こんなに多くの自民党衆議院議員がいたことはない(300数名ということもあるが、この時の衆議院の定数は512であった)。公明党の31名と合わせて325名、絶対多数与党だ。これがさらに10数名増えることになると、国会は自公両党に占拠されることになる。自民党は、恐竜にでもなりたいのだろうか?

自民党は、党派性という点ではまことに融通無碍の政党だ。これまでに党本部から除名された国会議員などいるのだろうか。ちょっと思い浮かばない。自社さ三党で村山政権を誕生させた時、小沢一郎氏にたきつけられて対抗馬として総理大臣指名選挙にたった海部俊樹氏さえ、除名にはなっていない。本人は離党すら考えていなかったが、これは許されないというので嫌々離党した。自民党は絶対に許せないということで、党本部に掲げられていた肖像画を外した。しかし、海部俊樹氏はいまでは自民党の衆議院議員となっている。この時、海部俊樹氏に投票した中曽根元首相をはじめとする30数名もお咎めなしだった。議院内閣制をとるわが国において、総理大臣指名選挙の投票は政党の最重要事だ。法案に対する賛否とは質を異にする。党が決定した総理大臣候補に投票しない者は除名しても当然なのだが、こうした対応だった。

自民党は、何が何でも政権党の議員でいたいという者が集まって作っている政党である。これが自民党のもっとも基本的な特質・性格である。理念や政策など、実はどうでもいいのである。こちらも融通無碍なのだ。だから、1993年(平成5年)自民党がはじめて野党になった時、ゾロゾロと自民党から出ていった。自民党から離れて行く者には、それまで我こそは自民党と声高にそして居丈高にふるまうタイプが多かった。扇千影参議院議員などは、その代表といってよいだろう。だから、改革改革と叫び、自民党公認候補となった小泉チルドレンなども本質は同じだと私は思っている。この人たちも、自分が政権党の議員でいられるのなら、復党に最後まで反対するなどということはまずないだろう。まあ、見ていなさい。

造反議員の復党は来年の参議院選挙対策だというが、本当にそうだろうか?私は違うと思う。復党をしようという者も、これを受け入れようという自民党も政権党でいたいということからくる自己増殖なのだ。政権党でいたいという者が集まろうとしているだけなのだ。しかし、ものには適正規模というものがある。これを超えて大きくなったものは、必ず死滅する。あの恐竜が死滅したように。

  • 06年11月22日 01時32分AM 掲載
  • 分類: 2.国内政治

白川勝彦OFFICE   白川勝彦へメール送信 ]

Valid XHTML 1.0 TransitionalValid CSS!Level A conformance icon, W3C-WAI Web Content Accessibility Guidelines 1.0

Copyright©K.Shirakawa Office 1999-2016 - Web pages Created by DIGIHOUND L.L.C. All Rights Reserved ©1999-2016
Powered by Nucleus CMS. Page designed by James Koster.Ported to Nucleus by Joel Pan. Re-design and adjusted by DIGIHOUND L.L.C. © 2006-2016