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ファショは、いつも反文化的。

14年12月12日

No.1721

投票日まで、あと2日。マスコミやそれに類するものは、どれも“自民党300議席超え”を、これでもかこれでもかと恥ずかしげもなく喧伝しいている。“自民党300議席超え”ということなど、もう、ニュースでもスクープでも何でもない。しかし、自公“合体”体制が衆議院の3分の2を占める一強多弱状況は異常であり、民主政治という面から好ましくないと、多くの国民が思っているところである。普通のマスコミ関係者も、そう思っているだろう。

だったら、マスコミが伝えなければならないのは、多弱政党から立候補している候補者がどのように闘っているかを報道することだ。それこそが、マスコミの使命ではないのか。特定の小選挙区を取り上げて報道することは、特定の政党や候補者を有利に扱うものではない。これまでのノウハウで、問題が起きないようにできる筈だ。ところが、このような選挙報道も、極めて少ない。

永田町徒然草No.1716「この静けさは何なのだ。」で、この異常さを、私の直感で指摘した。これに関して、あるサイトが、極めて明快かつ実証的に指摘している。私の直感は事実であり、官邸とマスコミが仕組んだ結果として生じている現象なのだ。それがどのような意図をもってなされているかは、敢えて言うまでもあるまい。自由な報道がない社会は、それだけで、もはや自由な社会とは言えない。それが、世界的な常識である。

自由な報道がない社会は、それだけもうファッショ的な社会なのである。第一権力(政治)と第二権力(行政)と第四権力(マスコミ)の癒着・結合関係によるが、その結合の度合いが強い場合には、ファッショ体制ということができる、と私は考えている。そして、現在の癒着・結合状況では、ファッショ体制と呼んだ方がよいと、私は思っている。そうしないと、私たちはとんでもない過ちを犯す危険性があるからだ。

ファッショ体制の下で行われる選挙では、どこでも不正な選挙が行われる。だから、国連などから選挙監視団が派遣されるのだ。わが国にも、選挙監視団を派遣して貰った方が良いのかもしれないが、現状ではそれは無理だ。だったら 覚醒した国民が、今回の選挙を監視するしかない。それは、実はそんなに難しいことではないのだ。開票が行われる最小現場の開票作業を監視し、開票結果を立会人がシッカリと記録しておくことなのである。

立候補している候補者や政党は、その開票現場に立会人を出せることになっている。立会人は大変だが、束になった投票用紙をキチンと確認してもらいたい。比例票を含めて、それをしなければならない。たぶん、明け方まで現場に留まる必要があるだろう。しかし、最小単位の開票結果をキチンと押さえておけば、不正は行えないのだ。幸い、どの選挙区にも共産党が候補者を擁立しているので、彼らには、シッカリと監視して貰いたい。

“スットプ the 安倍”で戦う人々は、ファッショ体制と戦う覚悟と緊張感を持たなければならない。この3日間のニュース報道番組は、ノーベル賞関連の話題を、必要以上に放映していた。ノーベル賞の受賞は目出度いことであるが、それに(かこ)つけて国民の目を選挙から遠ざけているのだ。放送は、文化の結集であるはずなのだが、ファッショは、この文化を破壊することから始める。ファッショは、いつでもどこでも反文化的なのである。

今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。

  • 14年12月12日 12時43分AM 掲載
  • 分類: 2.国内政治

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