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創価学会シンボルわが国最大のカルト「創価学会・公明党=池田大作」

フリージャーナリスト 古川 利明



第九回

鳴呼!学会センキョ――「F(フレンド票)」取りはつらいよ


1文字アキというわけで、今回もまたおちゃらけたお題で始めてしまいました(笑)。
1文字アキまあ、なんて言うのか、日本国民の中で、まともにモノを考えている人のうちで、「創価学会・公明党=池田大作」の政権参画を「あれはとても素晴らしい!」と手を叩いて大喜びする人は、おそらくほとんどいないと思います。
1文字アキ“アレ”が「うさん臭い」ってのは、もう、大多数の有権者はわかり切っていますし、ホンネでは「できれば(できるだけ)関わりたくない」と思っている人が大多数でしょう。
1文字アキもちろん「政教一致はケシカラン! 許せない!」と叩くのも一興ですが、ここはもう少しシニカルに、かつクールに見ていきたいと思います。何事も「お笑い」の感覚は大切ですので。

1文字アキ何度も繰り返して恐縮ですが、「カルト」の本質が「宗教の仮面をかぶった全体主義」であり、その巨大化していったカルトの最終目的とは「公権力に浸透する試み」、つまり「国家権力の乗っ取り」です。
1文字アキだとするなら、それをわが国の「創価学会=公明党」に置き換えますと、権力奪取の手段は、少なくとも現段階では、ヒットラーがナチスを率いて政権を取ったのと同様、「選挙」を通じてであるわけですから、この「学会選挙」の実態を見ていくことは、実は重要なポイントです。
1文字アキそうした視点から、今回は「集票マシーンとしての創価学会」を見ていきましょう。

1文字アキ創価学会は公称812万世帯と言っていますが、もちろんこれは“大本営発表”でして(笑)、実際のところは約240万世帯前後といわれています。
しかし、この約240万世帯がすべて熱心に学会活動をしているわけではありません。中には“休眠中”の学会員も相当いて、学会内隠語でいうところの「K」(=活動家)は約60世帯といわれており、これを人数に換算いたしますと、ざっと200万人前後といわれています。
1文字アキしかし、この活動家の約200万票だけでは、こと国政選挙では候補者の当選に遠く及びません。このため、学会員以外の票を上積みしなければなりません。それが「F」(=フレンド票)と呼ばれるものです。
1文字アキつまり、末端の学会員が自分のあらゆるツテを頼って、外部の人間をシンパ(=お友達)として引き込み、公明党や公明党の候補者に投票するようお願いして回って、票を積み重ねていくというわけです。
1文字アキここで、学会選挙においては、次のような算式が成り立ちます。

【公明党(=創価学会)の総得票数=「K」+「F」】

特に、学会の選挙では、池田センセイが常日頃から「学会は婦人部でもっている」と言っているように、専業主婦らを中心とした婦人部員です。ある学会関係者によりますと、外部のF票を稼ぐ割合は、だいたい「婦人部=5、男子部=3、壮年部=1、女子部=1」といわれており、婦人部の集票パワーはもの凄いものがあります。
1文字アキ私も取材してびっくりしたのですが、こと婦人部の方々の集票行動はハンパではありません。
1文字アキ例えば、各病院には学会員の女性が看護婦として入っていますから、入院患者には不在者投票がなされます。そうした不在者投票の日程は、逐一、組織の上の方に上げられますから、そこで婦人部が“お見舞い作戦”を繰り広げて、1票、1票固めていくというわけです。

1文字アキ中には教えても、すぐ候補者の名前を忘れる患者さんもいるので、そういう人には掌にマジックで名前を書いたりします。もちろん、見舞いのお土産などは個人の自腹です。

1文字アキというのは、学会内部では「Fを1票でも多く取ることが功徳であり、これを怠ると罰があたる」という教えが徹底していますから、私のような外部の人間から見ると、驚きはもちろんですが、ここまで来ると、本当に「怖い」ですね。このへんにも「カルト」の本質をかいま見る思いがします。

1文字アキこうして末端の学会員たちは、純粋な“信仰心”から、「F」取りに走り回るわけで、そして、選挙戦が突入すると、全国に散らばっている創価学会の会館施設が、“選対本部”へと変身します。
1文字アキ学会本部の専従職員でラインに乗っている幹部職員(基本的に副会長以上)は必ず選挙区を持たされ、公明党候補者の遊説計画や最終的な票読みなど、選対の最高責任者として選挙戦の切り盛りをします。このため、投票の1カ月ぐらい前になると、信濃町の学会本部には顔を出さず、自分の持ち場となっている選挙区の学会施設に“出勤”して、指揮を執ることになります。
1文字アキ現在、約300人もいて、「インフレ人事」と揶揄されている学会の「副会長」職ですが、同じ副会長でも、選挙区を持たされていない幹部は、選挙期間中でもやることがなくて、学会本部でブラブラしているため、「無任所教師」(※僧侶の資格はあるけれども、務めるお寺がない僧侶のこと)とバカにされるのだそうです。

1文字アキでもって、公明党の候補者が、会館施設で熱狂的な婦人部を前に、土下座をしながら、涙ながらにスピーチする内容は決まっています。
1文字アキそれは「池田先生をお守りするために、ぜひ、当選させてください」です。
1文字アキすると、婦人部を中心に割れんばかりの拍手が巻き起こります。ここまで来ると、もう“ギャグ”としか言いようがないでしょう(笑)(※もっと細かい学会選挙の実態をお知りになりたい方は、拙著『システムとしての創価学会=公明党』の「第四章 集票マシーンとしての学会選挙」をご参照下さい)。

1文字アキ内部関係者によりますと、公明党の総得票数は、参院選比例区で「K」の3・5―4倍、衆院選(中選挙区)だと「K」の2・5倍といわれています(市町村議選レベルだと2倍未満)。
1文字アキ実際これまでの公明党の得票数を見ていきますと、参院比例区はだいたい700万票台、衆院中選挙区は500万票台をコンスタントに出してきていますので、この算式は信憑性があります。

1文字アキちなみに、参院選と衆院選でどうして学会票の出方が違うのかといいますと、参院比例区というのは、選挙区が日本全国にわたっていますから、例えば、札幌の学会員が個人的なツテを頼って東京の友人に投票を依頼するといったふうに、全国レベルで集票活動ができるわけです。
1文字アキですから、選挙区のエリアが狭くなる衆院選(中選挙区)の2・5倍を上回る数字が出てくるのです。
1文字アキさらに、学会の選挙に対する基本姿勢として、「参院選では比例区全体の総得票数、衆院選は議席数」があるために、「議席数」にこだわっている衆院選より、「総得票数」を目標としている参院選の方が、多めに票が出る結果となります(※実際、参院比例区は得票数に応じて議席数が決まりますし)。
1文字アキいろいろ長々と説明してきましたが、要するに、学会選挙のポイントは、内部の「K」(=活動家)が、いかに多くの「F」票を積み上げるかにかかっているのです。

1文字アキ昨年(2000年)の総選挙(衆院選)で、実に興味深いデータがあります。
1文字アキ公明党は公示前より11議席減らして31議席にとどまったのですが、公明党の得票数を見ると、比例区では773万票もはじき出しているのに対し、小選挙区では全国の合計でわずか123万票しか獲得していないのです。
1文字アキ確かに小選挙区の方は勝てそうなところに候補者を絞ったという面もありますが、しかし、これは共産党の計735万票はもとより、社民党の計231万票、自由党の計205万票をも下回り、あの保守党とほぼ同数なのです。

1文字アキここで公明党がたったの123万票しか取れなかったのは、私にとってはびっくり仰天でした。
1文字アキというのは、それまでの中選挙区では計500万票台を公明党はコンスタントにはじきだしてきたわけですから。
1文字アキ確かに中選挙区から小選挙区に変わり、選挙区の面積が小さくなったことで、かつての基本算式である「K×2・5」があてはまらないということもありますが、公明党の獲得票数が、本来の基礎票であるところの「K」の約200万票を大幅に下回っているのに対し、一方では比例区だとちゃんと700万票をはじき出しているのです。
1文字アキこのアンバランスが何とも、一見、不可解に見えます。

1文字アキしかし、このことは実は不可解でも何でもないのです。
1文字アキ既に述べましたように、学会選挙とは、全国規模で活動家が「F」取りに飛び回る「機動力」重視のスタイルです。
1文字アキところが、「小選挙区制」というのは、選挙区が中選挙区のときよりさらに小さくズタズタに切り刻まれるため、こうした学会お得意の機動力が駆使できなくなるわけです。
1文字アキそれに加え、「定数二」以上の中選挙区のときでは、「トップ当選」にはこだわらなくても、例えば、「定数四」であれば、最下位の4位での当選圏内にギリギリ滑り込めば、それでオールOKだったわけです。

1文字アキところが、小選挙区制では絶対に「1位当選」でなければなりません。
1文字アキこうした「死票」がたくさん出てしまう現行の制度だと、「拒否率」がいまや共産党を抜いてトップに踊り出ている「公明党=創価学会」にとっては、なかなか1位に踊り出ることが難しいために、圧倒的に不利なのです。
そして、そのことを学会幹部はもちろん、池田センセイも大昔から十分、知っているのです。
1文字アキ元学会幹部によりますと、昭和40年代前半に自民党が小選挙区制を導入しようと画策した時に、センセイはこうおっしゃったそうです。

「小選挙区制を導入されると、公明党は存続できない。そのときは我々は街頭行動に出て、絶対に導入を阻止する!」

1文字アキしかし、現在の衆院の小選挙区制導入を決めたのは、公明党が連立政権に参画していた細川内閣の時です。
1文字アキこのときは、小沢一郎、市川雄一という「一・一コンビ」が、関東軍のごとく突っ走り、細川“殿様”護・首相のあのバブル的な大人気をバックに、一気に“政治改革”という虚名を借りて成立させたものです。
1文字アキしかし、池田センセイがおっしゃっておられたように、「小選挙区オンリー」では、学会票ははじき出せませんから、この学会選挙の弱点を救済する意味もあって、「比例代表制」というものをつっくけたわけです。

1文字アキこの小選挙区比例代表並立制も、新進党という“水膨れ大政党”が、小沢一郎を求心軸としてうまく回るのであれば、非常に有効に機能するシステムだったと思います。
1文字アキつまり、「公明党」の看板を下ろして、「新進党」に合流したわけですから、これまでの学会アレルギーはなくなる。
1文字アキでもって、学会票のなかなか出ない小選挙区は、池田センセイのお目にかなう候補者に集中的に回す一方で、学会員がフル稼働する比例代表の方は、名簿搭載順位で公明系の議員を上位に送り込むことで、池田センセイの党内における影響力を最大限、確保する─。

1文字アキところが、この新進党戦略も、池田センセイの証人喚問をチラつかせた自民党サイドの徹底した「政教一致」攻撃を受けたことで、結局は瓦解し、参院選後の98年11月にはまた昔懐かしい「公明党」が復活します。
1文字アキとなると、いちおう、比例代表制がくっついてはいるものの、小選挙区制を中心とする現行の選挙制度は、「創価学会=公明党」にとっては、はっきり言って、自分たちの首を締めるシステム以外の何物でもないのです。
1文字アキある意味で、こうした「小選挙区制」において、国民にアレルギーの強い「公明党」という看板を掲げて戦った結果、公明党の議席減が起こるのは、実は以前から分かりきっていることなのです。

1文字アキもし、今回、公明党候補者が全滅してしまった東京の小選挙区も、もし、従来の中選挙区制なら、もっとわんさか当選者が出ているハズなのです。
ですから、最近になって、池田センセイは必死に公明党に「中選挙区制の復活」を唱えさせているのです。
1文字アキとなれば、今度の衆院選敗北(少なくとも公示前より11議席も失っているわけですから、これは惨敗に近いといっていいと思います)の最終責任は、「小選挙区でいけ!」とGOサインを出した池田センセイにあるのです。

1文字アキここで自民党のセンセイ方がいちばん気になる、“学会票回し”という名の「自・公選挙協力」の内実について、もう少し説明します。
1文字アキよく、政治面での新聞報道を見ますと、学会票の“威力”ということで、参院選ではじき出される700万票をもとに、これを300の小選挙区で単純に割って、「1選挙区あたり2・5万の学会票があり、選挙協力が成立すればこれだけプレゼントされる」という表現が、まことしやかになされていますが、これが「フィクション」であることは、これまでの説明でも十分にお分かりでしょう。

1文字アキですから、このように「700万票」がそのままプレゼントされるということは、絶対にありえませんが、ただ、創価学会が実に巧妙なのは、他党の候補者のポスター貼りや演説会の動員といった、「目に見える部分での選挙協力」に関しては、とにかく非常に熱心にやるため、候補者とってみると、「これだけ一生懸命動いてくれるんだったら、間違いなく票も入れてくれるだろう」と思い込んでしまうわけです。
1文字アキしかし、「選挙戦」という目に見える部分での応援する“フリ”と、実際の「投票行動」とは、創価学会はシビアに使い分けていますから、そこのところは目をちゃんと凝らして見る必要があると思います。

1文字アキ見方を変えれば、創価学会(=池田大作)というところは、「ハッタリ」が実にうまいと思います。
1文字アキ例えば、トランプのポーカーで「ワン・ペア」しかないにもかかわらず、ガンガン勝負を挑んでいって相手を下りさせる作戦、とでもいうのでしょうか。しかし、目を見ればマジですから、フツーの人はちょっとビビッてしまいます。
1文字アキこれで、かなりの候補者はダマされてしまうのです。はっきり言って、ケンカという点では、信濃町の方が一枚も二枚も上手です。彼らはそんなに「バカ」ではないので、大事な大事な「権力の源泉」である票を、ホイホイと“安売り”するはずがないのです。

1文字アキところが、「選挙の神様」だった田中角栄は、自分でちゃんと情報を取って、例えば、実際に学会票がどれだけ自民党の候補者に回ったのかを正確につかんでいたわけですから、池田センセイの「ワン・ペア」作戦にも引っ掛からなかったわけです。
1文字アキ角栄にしてみれば、「いいか、オレの目は節穴じゃねえぞ」ということです。
1文字アキもし、自民党の派閥の領袖であれば、学会サイドが一方的に流すであろう、「おたくの候補者に○千票回しました」という“大本営発表”を鵜呑みにしないで、自分の足で正確な生データを集めておくべきでしょう。
1文字アキ特に昨年秋の「加藤政局」では、加藤紘一氏が、学会票をもらっている宏池会の議員リストを主流派から突きつけられ、「(学会票をもらっている宏池会の議員が)こんなにもいたのか……」と絶句したという話も漏れ聞こえてきますが、これがもし事実としたら、角栄と比べるのは酷とはいえ、私は一軍の将としての資質を疑いますね(もっとも、こういう手口で脅し上げる「“マフィア”経世会=野中広務」&「『カルト』創価学会・公明党=池田大作」は、もっとサイテーですが)。

1文字アキ実際の学会票の「票回し」ということでは、少なくとも、公明党総得票数から「F」を差し引いた「K」(=約200万票)に関しては、もちろん最終的には池田センセイの決裁を仰いだうでで、すぐに(遅くとも48時間以内)動かせるといいます。
1文字アキ元学会幹部の証言によりますと、中選挙区時代には、公明党はほぼコンスタントに全体で計500万票を出してきていますので、これを引き合いに出しながら「この500万票というのは、身内の公明党候補者を当選させる場合で、100%の力を出し切っての数字だ。これが、自民党など他党へ回すということになっても、500万票のうちの60%から70%(300万票―350万票)は、どんなヘボな幹部でも出せる」とは言っています。「300万から350万の票田」と聞くと、野中広務ではなくても、口からヨダレが出てきそうですね。

1文字アキしかし、その一方で、この元学会幹部はこうも言っています。

「でも、選挙ってのは、60―70%を出すだけじゃ勝てない。そんなに甘いもんじゃない。本当に勝つには、いかに学会員のケツを叩きまくって、100%の全力を振り絞って出すかですから。選挙は負ければ地獄、生きるか死ぬかの戦いですから」

このへんが机上の空論で計算するのと、実際に選挙を戦ってきた指揮官の発言とでは、重みが違います。

1文字アキ私は実際に立候補して選挙を戦ったことがないので、こみいった部分はわかりませんが、素人目に見ても、そもそも学会票のような「上からの指令によって、たった一晩で投票行動に移せる有権者の票」ということが気持ち悪いというか、理解不能です。
1文字アキ選挙における投票行動とは、私たちの日常かつ究極の政治参加です。
そこで投じた1票1票の積み重ねが、最終的には「政治権力」を構成し、政治を動かす源となるわけです。
1文字アキであるとするなら、1人の有権者がどの政党のどの候補者に1票を投ずるかは、テレビや新聞などの報道はもとより、その政党や候補者がどのようなことを訴え、公約に掲げてきたか。そして、その公約をきちんと実行してきたか、ということをシビアに判断したうえで、最終的にだれに(どの党に)票を入れるか、決めるものではないでしょうか。
1文字アキ逆に、候補者の方も、そんな「上からの指令によって、たった一晩で投票行動に移せる有権者の票」に安直に乗っかるべきではないでしょうか。「青臭い書生論」かもしれませんが、候補者が自らの思想・信条、政策をコツコツと訴え、それを理解し、共感した有権者の票を集めて当選してこそ、本来あるべきまともな政治を実行できるというものではないのでしょうか。

1文字アキ繰り返しになりますが、上から「今回は自民党の野中広務に入れなさい」という指示が来て、それがわずか1両日中のうちに徹底して、みんながみんなが投票用紙に「野中広務」と書くという選挙は、果して、本当の民主主義といえるのでしょうか?
1文字アキだって野中なんて、ついこの間までは国会質問なんかで、「我等が池田センセイ」(笑)をガンガン叩いていたわけでしょう。そのへんが私の理解を越えているのです。
1文字アキどうも、私にはそうした上からの命令には素直で従順な学会員の“善男善女”の方々が、自分の頭でものごとを判断する1人の人間というよりも、単なる“投票ロボット”としか思えないのです(もっとも、こういうロボットは、社畜と呼ばれるサラリーマンもたくさんいますので、学会員だけを取り上げ、このように揶揄するのは適当ではないですね)。

1文字アキこんなふうに、そもそも私には、そんな票をもらってまで当選したいと考える自民党候補者の感覚がよく理解できないのです。
1文字アキただ、議員心理の弱みとして、選挙戦に突入し「当落選上で危うい」という状況になった場合、この学会票というのは、いわば“阿片”みたいなもので、落選という恐怖から逃れ、心を鎮めるためには、どうしても手にせずにはいられないのでしょうか。
1文字アキしかし、阿片は吸引した直後は、恍惚としたいい気持ちになりますが、繰り返していくうちに、だんだんと体は蝕まれ、最終的には廃人になってしまいます。これが薬物中毒の怖いところです。

1文字アキ私は自民党が、こうした学会票に安易に頼るようになったのは、もはや自民党の組織自体が、都市部での集票力の落ち込みを見てわかるように、まったくもって空洞化している証拠だと思います。
1文字アキ55年体制下では、高度経済成長をなし遂げてきた自民党には、もともと「基礎体力」がありましたし、また、「政権与党」としての自信、プライド、余裕というものがありました。なんて言うのか、「横綱の風格」といったものですしょうか。
1文字アキところが、93年の総選挙で敗北して下野して以降、そういった「余力」といったものが自民党から消えていったと思います。チョー自信喪失というか、インポ状態になっているんで、「政権与党から滑り落ちる不安」に駆られて、「保身のためには何でもござれ」とばかりに、KSDに丸抱えしてもらったり、ついには“シャブ”にまで手を染めてしまったわけです。

1文字アキ前にも述べたように、公明党(=創価学会・池田大作)というのは、最も「拒否率」の高い政党です。というのは、国民の大多数は、その組織の体質の奥にある「全体主義」の臭いを、敏感に嗅ぎわけているからだと思います。
1文字アキつまり、自民党が公明党と組んだことで、もちろん「学会票」というプラスもあるのですが、その一方で逃げていく票もあります。
1文字アキそして、おそらく、ここで「逃げていく票」というのが、従来の自民党支持の保守層の中でも、最もマトモであったリベラルな人たちの票ではなかったか、と思います。

1文字アキ実際、昨年の総選挙では、自民党が議席を減らしたにせよ、潰滅的な敗北に至らなかった理由の一つが、こうしたマトモな「サイレント・マジョリティ」の受け皿がなく、その一部は棄権に回ってしまったからだと思います。1文字アキもし、投票率が70%に達していたら、与野党は間違いなくひっくり返っていましたから。
1文字アキ「悪貨は良貨を駆逐する」という諺があります。良質な有権者の票が逃げていくことは、それはとりもなおさず、“悪貨”によって当選を果たした政治家の「劣化」を、そのまま意味するものではないでしょうか。

1文字アキそして何よりも、創価学会だってタダで票を回したわけではありません。学会票をもらって当選した暁には、「創価学会・公明党=池田大作」の言うなりになれ、ということを意味します。当然、自・公批判などもってのほかです。
1文字アキつまり、学会票(=阿片orシャブ)を回されることで、議員自身の体に「創価学会・公明党=池田大作」と同じ体臭がしみ込んでしまうこと。実はこれが最大の陥穽であり、究極の暗部ではないかと、私は思うのです。
1文字アキおそらく、その最大の要因は、選挙における「自・公協力」、つまり、「学会の自民党候補者に対する票回し」が一段と進んだため、「わかっているな。ワシらに逆らったら、次の選挙はどうなるか」という、信濃町の“奥の院”からの無言の脅しにビビッている議員も少なくないと思います。
1文字アキ特に、昨年6月の総選挙後は、反自・公、創価学会批判の急先鋒であった白川氏が、猛烈な学会からの攻撃を受け、議席を失ってしまったこともあって、以前にも増して、自民党内から「自・公批判」をする声はほとんどなくなってしまいました。

1文字アキ今や「創価学会・公明党=池田大作」の“票乞食”と化した野中広務が、恫喝しまくりの恐怖政治を自民党内で敷いてしまったことと考え合わせると、自・公連立から、さらには今度の自・公選挙協力を通して、自民党が失ってしまったものは、本当に根の深いものがあると私は思います。
1文字アキその現象をひとことで言うと、「自民党の創価学会化」でしょう。
1文字アキそして、こうした流れが、自民党内にわずかに残っていた最後のリベラリズムを抹殺させてしまい、あの昨年秋の加藤政局(騒動)での腰砕けにつながった一因にも、間違いなくなっていると思います。
1文字アキですから、学会票の存在を過大評価も過小評価もするべきではないと思いますが、その等身大の姿を冷静に見つめたうえで、「カルトとしての創価学会・公明党=池田大作」から選挙支援(票回し)を受けることの意味を、私たちはもっと深く考えるべきではないでしょうか。

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