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目次


自民党を倒せば日本は良くなる
第2章 こうすれば自民党は倒せる

1. 平成革命の敵は自公保体制である──

●自民党と公明党をまとめて敵にするドエライ男

私は、「総資産10兆円といわれる創価学会・公明党を相手にする度胸ある男」と言われてきました。

確かに、創価学会・公明党は巨大な組織です。ですから、民主党も社民党も正面から事を構えようとしないのかもしれません。自民党に至っては、保守政党の矜持(きょうじ)をも捨てて、恥ずかしげもなく連立を組んでしまいました。

亀井静香氏などは、変節漢そのものです。自民党が下野したときには、「憲法二十条を考える会」の会長として、公明党は政教分離に違反する憲法違反の党と批判をしておきながら、自民党が公明党と連立を組むという話が出てくると、コロッと手のひらを返したように、一切公明党批判を言わなくなっただけでなく

「公明党と連立して何が悪いんだ。武士はいつまでも昔のことにはこだわらないんだ。いつまでもそんなくだらないことにこだわっているのは、商人や百姓のたぐいだ」

とまで言い出したのです。

私は、このときほど自分の耳を疑ったことはありません。「何をバカ言ってるのか。武士こそ、志を大切にしなければいけないんじゃないか!」と、あきれ果ててしまいました。

自民党という政党は、このような男を党の幹部にし、こういう男のもとに多くの議員が集まって一つの派閥をつくっているのですから、もはや自民党には、道徳とか愛国心とかいうことだけは絶対に言ってほしくないし、また聞きたくもありません。

また、神道政治連盟の推薦を受け、一時は政教分離を熱心に訴えて公明党を批判してきた村上正邦氏も、自公連立の中心人物でした。そして、“参議院のドン”などと言われ、上品で従順な参議院議員を好きなように牛耳ってきた村上氏は、KSDからの収賄で逮捕されました。

●凄まじいイヤガラセ

士(もののふ=侍)の生き方とは、正邪をわきまえて行動することであり、戦うことです。

そして、代議士と呼ばれる私は、いつも士の生き方をしていきたいと思っていました。そうでなければ「代議士」と呼ばれる資格はないと、いつも自分に言い聞かせてきたつもりです。

田中派が150人になりなんとしたときでも、私は金権政治批判をやめませんでした。しかし、多くの議員は田中派になびいていき、きちんと筋を通した人はごく少数でした。

そんな私が、創価学会・公明党と正面から戦うことになったのは、亀井氏に頼まれて「憲法二十条を考える会」の会長を引き受けたことが始まりでした。会長を引き受けることに対して、特に躊躇(ちゅうちょ)はありませんでした。憲法に違反することと戦うことは、当たり前だと思ったからです。

そのときからなぜか、イヤというほどのイヤガラセを受けました。それは仕方のないことだと最初から覚悟していましたし、それに挫(くじ)けてしまったら、それこそ相手の思うつぼになってしまうとも思いました。

それにしてもすごかったのは、2000年6月の総選挙のときです。まず最初に、私の秘書の不祥事が掲載された新聞のコピーが、私の選挙区の10万世帯全戸に何度も投げ込まれました。

そして極めつけは、私の事務所にも保存されていないような、過去の私に関するマイナスイメージの記事だけを見事に編集してつくったビラが、投票日の3日前に選挙区の各家庭に差出人不明の郵便で送りつけられたことです。10万世帯の約3分の1、つまり約3万世帯に郵送されました。

そのビラが入った封筒の消印を見ると、新潟だけでなく長野や群馬など、私の選挙区である新潟周辺のいろいろな地域の消印がありました。3万通もの郵便を出すのであれば、普通は料金別納郵便にしてまとめて出すものです。

おそらくそこから足がつくことを恐れたのでしょう。そこで、いろいろなところからわざわざ手分けして出したのでしょう。

しかし、こんなことで私はひるむつもりはありません。暴力団を相手にするのと同じで、弱味を見せるとつけ上がるのです。

「やれるもんならやってみろ!」です。今回の決起も、そういった私の心意気の一つです。

●根っこまでダメになった自民党

一方、私がこれから相手にしようとしている自民党はというと、確かに“腐っても鯛”でしょう。長い間、政権党だったわけですから、それなりの人物もいることは事実です。

しかし、それが自民党が強いということを意味するわけではありません。もはや、自民党は上層部がやられているだけでなく、根っこまでもがダメなのです。つまり、自民党は根腐れを起こしてしまっているわけです。

自民党が張子の虎であることは、前にも述べました。ですから、あえてここでは繰り返しません。ただ、ここで一つだけ言っておきたいのは、自民党は創価学会・公明党という強い味方を得たつもりになっていて、「手を出すとこわいぞ!」と言いたいのでしょうが、そこが大きな間違いだということです。

実は、自民党は公明党と組んだことによって、弱くなってしまったのです。そして、このことに気づかないような軍略家しかいない自民党だから、選挙に負けるのです。

●自公連立は非常にもろい存在

自民党と公明党が組めば盤石(ばんじゃく)だというのは、バカな軍略家の浅知恵です。近代選挙というものを知らないとしか言いようがありません。

結論から言うと、自公連立は非常にもろい存在であり、こんなものを倒すことなど、実は造作もないことなのです。

では、なぜ自公連立が弱いと言い切れるのか? その理由は次の3点です。

第1点は、憲法に違反する体制だからです。

公明党は創価学会に事実上支配されている政党です。そんな政党が政権に参加して政治上の権力を行使することは、政教分離を規定した憲法に明らかに違反しているのです(詳細は次項参照)。

したがって、自公体制は、国民の大多数が支持している憲法の政教分離原則に真っ向から歯向かっているわけで、そんな無謀なことに勝算などあるはずがないからです。

第2点めは、矛盾に満ち満ちた体制だからです。

自民党は現状はどうあれ、自由民主党と名乗っている以上、支持者は自由で民主的なことを望んでいます。一方、公明党はというと、池田大作氏を絶対的権威者・最高指導者とする創価学会に事実上支配されている政党ですから、非自由主義政党であり全体主義的政党です。

つまり、この二つの政党は本質的な部分がまったく違うわけで、少し調整すればフィットするというような問題ではないのです。そんな体制が長続きするはずはありません。

第3点めは、信頼感のない連立だからです。

私も自民党のなかにいた人間ですからよく知っているのですが、ほとんどの自民党議員は創価学会・公明党など信頼していません。本当は創価学会なんか嫌いなんだけれど、“貧すれば鈍する”で、票をもらうためには仕方がないと思っているだけなのです。

創価学会・公明党にしても、自民党のことを全面的に信頼しているわけではないと私は思います。なぜなら、亀井氏のようにあんなに激しく公明党批判をしていたのが、連立を組んだ途端に手のひらを返したようにすり寄ってくるような変節漢を、そう簡単には信頼しているはずがないと思うからです。もし、心底、信頼しているというのなら、創価学会の信頼というのは、そんないいかげんなものなのかと言いたくなります。おそらく内心では、そのうち自民党が自分たちを見限るかしれないと、ヒヤヒヤしているのではないかと思います。

信頼感のない疑心暗鬼の連立ですから、どう考えてももろい存在なのです。

2. 自公保体制の問題点と本質──

●自公保連立政権は憲法違反である

私は先ほど自民党と公明党との連立は憲法違反であると述べました。その根拠について、少し長くなりますが、重要なことですので、ここで詳しく述べたいと思います。

そもそも、なぜ政教は分離されなければならないのでしょうか。なぜ、公明党と創価学会の関係が問題にされるのでしょうか。

それは、信教の自由を保障するため、憲法が政教の分離を定めているからです。

創価学会という宗教団体の存在それ自体は、

     
  1. 「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(憲法一九条)  
  2. 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」(憲法二〇条一項前段)  
  3. 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(憲法二一条一項)

などの規定からみて、当然のことながら憲法上何の問題もありません。

そもそも、宗教団体が、平和や人権を守る運動、あるいは信教の自由を守る活動をすることについては何ら問題もありません。それは、憲法が基本的人権として保障するところであり、憲法を尊重する私が問題にするわけがありません。

問題は、そこから先です。宗教団体の政治活動には、憲法上の制約があるのかないのかということを問わなければならないのです。

●宗教団体の政治活動には憲法上の制約がある

憲法は、まず「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」(憲法二〇条一項前段)と定めています。これが、信教の自由に関する大原則です。本来ならば、この大原則を明らかにするだけで十分なのですが、憲法はさらに五つのことを定めています。

  1. 「いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならない」(憲法二〇条一項後段)
  2. 「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」(憲法二〇条一項後段)
  3. 「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」(憲法二〇条二項)
  4. 「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(憲法二〇条三項)
  5. 「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、これを支出し、又はその利用に供してはならない」(憲法八九条)

これが、憲法が定めている政教分離の原則といわれているものです。

いずれも、公権力と特定の宗教団体との癒着を極めて具体的に禁止しています。(2)を除く他の四つは、権力が特定の宗教または宗教団体と癒着することを、権力の側からとらえて禁止しています。

一方、(2)の「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」という規定は、特定の宗教団体と権力との癒着を、宗教団体の側からとらえてこれを禁止しています。

それでは、なぜ、憲法は権力と宗教団体との癒着を禁止したのでしょうか。

特定の宗教団体と権力が癒着した場合、その宗教団体は他の宗教団体に比べ、優越的な地位を得ます。

優越的地位を得た宗教団体は、宗教活動や布教活動において有利な立場に立つことになり、その結果、他の宗教団体の宗教活動や無宗教の人々の自由が侵されることになるからです。このことは、歴史の教訓として明らかなことです。

憲法は、信教の自由の保障に万全を期すため、特定の宗教の禁止や宗教団体への弾圧を排除することはもちろんですが、権力と特定の宗教団体が癒着することを禁止したのです。

したがって、憲法は、法律上の癒着はもちろん、事実上の癒着もこれを禁止していると解すべきです。要するに、特定の宗教団体が優越的な地位に立つことを禁じたのが、政教分離の原則なのです。

●「政治上の権力」の行使とはなにか

では、「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」とは、具体的には、どのようなことを禁止しているのでしようか。

国家権力は、立法権・行政権・司法権に分けられます。中世のヨーロッパの教会が行っていたように、現在の日本において、ある宗教団体がそのままの形で立法権や行政権を行使することは憲法上明白に禁止されていることであり、およそ考えられません。仮にある宗教団体が権力を簒奪(さんだつ)しても憲法上何もできないのだから、この規定は意味のない規定であるという学説さえあります。

しかし、憲法を尊重する立場からは、このような解釈はとうてい採り得ません。現在の日本において、ある宗教団体がそのままの形で立法権や行政権を行使することは、クーデターでも起こさない限りできません。仮に、そのようなクーデターが成功したとしても、憲法上は絶対に認められません。

しかし、ある宗教団体が事実上支配する政党が、立法権を行使することはできます。また、議院内閣制のもとでは、議会の多数派は、内閣総理大臣を指名することができ、行政権を事実上支配できます。その多数派の政党が、事実上ある宗教団体に支配されていた場合、憲法上、何の問題もないといえるのでしょうか。

「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」とは、まさに、このような状態を想定し、これを禁止したものと私は考えます。現に、このような学説もあります。

こうしたことから考えると、創価学会に事実上支配されている公明党が、自民党と連立を組んで政権に参加することは、明らかに憲法に違反すると言えるわけです。

●創価学会・公明党の反論と私の再反論

ところが、創価学会・公明党は、「憲法は権力を規制するものであって、宗教団体を含めてそれ以外のものを規制するものではない」と主張しています。

ですから、「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」という憲法二〇条一項後段の条文も、「国家権力が特定の宗教団体に、政治上の権力を行使させることを規制しているものにすぎない」と主張しているわけです。

しかし、私は憲法二〇条一項後段の条文をそのように解釈しなければならない根拠は特段ないと思います。なぜなら、憲法は現に国家権力以外の者に対しても、いろいろな規制をしているからです。

一例を挙げれば、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」(憲法三〇条)という条文がそうです。これは、国民に対して納税の義務を課しています。

したがって、この憲法二〇条一項後段条文は、宗教団体が政治上の権力を行使することを禁じていると解すべきです。

では、「宗教団体が政治上の権力を行使する」という、この条文の解釈のいちばん肝心なところについて、創価学会・公明党はどのように言っているのでしょうか。

創価学会・公明党は、「『宗教団体が国や地方公共団体から委託を受け、裁判権や徴税権や警察権を行使すること』が、宗教団体が政治上の権力を行使することであり、これは憲法違反になるが、それ以外のことは何の制限もない」と言っています。

しかし、現行憲法のもとでは、ある宗教団体が国から委託を受けて、裁判権や徴税権や警察権などを行使すること自体が違憲と言わざるを得ません。そして、実際問題として想定することすらできません。

たとえば、創価学会が国から委託を受けて裁判権を行使するというケースを考えてみましょう。誰がいったい裁判官をやるのでしょうか。誰が検察官になるのでしょうか。そのような暗黒裁判の被告人の弁護人は、どういう資格を持った人がなるのでしょうか。想像することさえできません。私の見解に対する執拗な、くどくどとした創価学会・公明党の反論を要約して裏返すと以上のようになります。

国民の信教の自由を真剣に考える立場に立てば、創価学会・公明党のこのような解釈をとり得ないことは明らかです。この条文の解釈は、信教の自由を守るという理念に立って解釈しなければなりません。

●宗教団体が政党を組織することに問題あり

さらに言うと、私はある宗教団体が事実上支配する政党(以下、宗教政党と言います)を組織し、国政選挙に候補者を立てて選挙に臨むことも、憲法上禁止されていると考えています。なぜなら、いかなる政党も国政選挙に出る以上、権力獲得をめざすからです。

宗教団体が直接であれ、間接であれ、権力を獲得しようという行為こそ、「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」として、憲法がまさに禁止していることなのです。

その宗教政党から何人当選者が出たかということは、本来関係ありません。確かに、ある宗教政党が政権を単独で獲得するためには、衆議院で過半数以上をとらなければなりません。しかし、連立政権の場合ならば、なにも過半数をとる必要はありません。この場合でも、その宗教政党は国家権力に大きな影響力を行使できます。

宗教団体は、宗教政党を介在させることにより、国家権力を直接掌握することもできれば、国家権力に対して大きな影響力を行使することもできます。憲法は、宗教団体がこのようにして政治上の権力を事実上支配すること、また支配しようとすることを「政治上の権力を行使する」こととして禁止しているのです。

特定の宗教団体が国家権力を事実上支配した場合、その宗教団体は他の宗教団体と比べ、権力との関係で優越的地位を得ます。特定の宗教団体がこのような優越的地位を得ることを防止するために、憲法は政教分離の原則を定めたのです。

創価学会・公明党は、「創価学会と公明党は法律的には別個の存在である」と盛んに主張していますが、法律的に別個の存在であることは当然です。そんなことが問題なのではなくて、創価学会と公明党との関係が「支配−被支配」の関係にあるのかどうかが問題なのです。創価学会に実質的に支配されている政党であるかどうかなのです。

創価学会と公明党は、両者が政教分離していることを世間に印象づけるために、いろいろな努力をしていることは確かです。しかし、公明党という政党は、創価学会という宗教団体を抜きにして存在し得るのでしょうか。

私は存在することはできないと考えています。その存在自体を創価学会に依存している以上、公明党は創価学会に事実上支配されている政党と言わざるを得ません。

創価学会・公明党は、「公明党が国会に進出してから、信教の自由を脅かすようなことを、ただの一度でもしたことがあるか」と言います。また、公明党は、「信教の自由をどの政党より大切に考える政党だ」とも主張しています。

しかし、もし公明党が信教の自由を脅かすようなことをしたとすれば、それ自体が大問題です。公明党が国会に進出すること、そして現在のように一定程度の議席を確保し、現に自公保連立政権の一角を占めていることが問題なのです。

公明党の連立政権への参加は、公明党を実質的に支配している創価学会が、政治上の権力を行使していると考えられるからです。これこそまさに、「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」という憲法の規定に、真正面から違反していることではないでしょうか。

●我利我欲の輩が集まった卑しい政権

1970年に藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』(日新報道)をめぐる言論出版妨害事件が起きた際、田中角栄幹事長(当時)は周囲の人に「池田大作というのは、法華経を唱えるヒットラーだな」と言っていたそうです。

つまり、そのときから田中氏は、池田大作氏が全体主義的な人間だということを見抜いていたわけです。

のちに、田中氏は次のように言ったといいます。「公明党を、外で自民党のために使うことはあっても、絶対に内に入れることをしちゃいけない」と。

要するに、田中氏は「外に妾を持ってもいいが、本宅に入れると家庭が混乱するもとになる」ということを言いたかったわけです。そして、田中氏はその言葉どおり、公明党を見事に裏で自民党のために使い切りました。

ところが、いまの自民党は公明党を内に入れてしまいました。しかも、田中氏のように公明党を使いこなせる人物がいませんから、池田大作氏にいいように使われています。そして、自民党のなかはグチャグチャになってしまいました。

自民党のほとんどの国会議員は、「いまがよければそれでいい。次の選挙に勝てさえすればそれでいい。あとは野となれ、山となれだ」と考えているのです。こんな政権が続いたら、日本が破滅することは間違いありません。

●出始めた全体主義の徴候

私は、結党宣言のなかで、「全体主義的な自公保体制をこれ以上存続させたならば、日本の自由は必ず死滅する」と言いました。

実は、このことは、すでに1970年の段階で、藤原弘達氏がその著書『創価学会を斬る』のなかで、次のように指摘されていたのです。

「(公明党が)自民党と連立政権を組んだ時、ちょうどナチス・ヒットラーが出た時の形態と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における狂信的要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁を安定化する機能を果たしながら、同時にこれをファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性を非常に多く持っている。そうなった時には日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い、ということを私は現在の段階において敢えていう」

慧眼(けいがん)というのは、恐ろしいものです。

そしていま、その全体主義的な徴候がいくつか出始めています。

たとえば、テレビの政治番組です。お気づきの方も多いと思いますが、最近の政治番組では、与野党の議員が一堂に会して論争する機会がまったくと言っていいほどなくなりました。与党は与党、野党は野党という形でコーナーを分けて、司会者が別々に質問するという形式をとっています。

いつごろからそうなったのかというと、古賀誠氏が自民党の幹事長に就任してからです。古賀氏は、「自分が幹事長の間は、与野党が一緒に出る番組での論争は絶対やらない」と言っているそうです。

討論(ディベート)というのは、与党がAと言ったことに対して、野党はBと反論し、それに対してまた与党が反論するという形式のものであって、そうしたやりとりのなかで、国民はどちらの言い分が正しいかが判断できるわけです。

しかし、いまの自公保体制はそれをやらないと言う。これはもう問答無用だと言っているのと同じであり、議論というものを否定している全体主義の最たる例だと思います。

さらにつけ加えるならば、自公保体制に反対する者は全部つぶせという姿勢があげられます。2000年11月の加藤騒動の後、なぶり殺し的なリンチによって加藤派を徹底的に殲滅(せんめつ)してしまいました。

このやり方は、秘密国家警察のようなものです。

こんな自公保体制が続けば、日本から自由がなくなってしまう日は、そんなに遠くはないと思います。

だからこそ、自由を守るための国民の戦いが、いま必要なのです。

3. 自民党攻略法──

●自民党を攻略する3カ条

自民党は世間が思っているのとはまったく逆で、実は実体のない幽霊政党だということはすでに述べました。

私の家はもともと神官の家で、家の前には真浄院というかなり大きな寺があり、そこにはもちろん大きな墓地もありました。私は子供のころ、幽霊は本当にいるのかもしれないと思っていたので、そこを通ると本当は近道なのですが、夜一人で墓地を通ることなど、こわくてとてもできませんでした。

中学生ごろになって、ようやく幽霊なんか本当はいないとわかると、またそう信じたことによって、その墓地を通ることなどなんともなくなったのです。

自民党もこれと同じで、倒せないと思っているから倒せないのであって、自民党なんてこわくないと思えば、倒すことなど実は簡単なことなのです。

では、具体的にどうすれば、自民党を倒すことができるのか?

それは、国民一人ひとりが次の三カ条を実行すればいいだけです。

 第一条   自民党など実体のない幽霊だと信じること
 第二条   自民党など少しもこわくないと思うこと
 第三条   「自民党じゃダメ」とささやきあうこと

この三カ条を実行するだけで十分です。

●第一条=自民党など実体のない幽霊だと信じること

何度も言ってきたように、自民党は実体のない幽霊のような政党です。しかし、そのように認識することと、本気でそう信じることとは別物です。認識するのではなく、信じることが大切です。

自民党は実体のない幽霊なのですから、本当は、戦う必要すらないのかもしれません。しかし、自民党は幽霊はいるのだと国民に思い込ませようとしています。そうしなければ、自分たちが生き残れないからです。

だから、自民党は火の玉の仕掛けを使ったり、アルバイトを雇ってお化け屋敷のお化けのようなパフォーマンスをしたりするわけです。キャーキャー言って騒ぐのもご愛敬ですが、これはあくまでもお遊び。かりそめにも本気で驚かないことが大切です。

もっとも、いまの自民党には、国民を本当にこわがらせるような本物そっくり(?)のお化けを雇う力もなければ、そのようなお化け屋敷を経営する力もないとは思いますが……。

●第二条=自民党など少しもこわくないと思うこと

本当は、うまくつくったお化けを使って国民を畏怖させるのが一番いいのでしょうが、自民党にはもうその手は使えません。ですから、これからの自民党は、「自民党に逆らったら、どうなるかわかっているだろうな!」と言って、脅すに違いありません。

しかし、万が一にも、そんなものに引っかかってはなりません。また、こわがる必要もありません。なぜなら、もともと実体のない幽霊なわけですから、実害を加えることなど、最初からできないからです。

仮に、自民党がそのような手を使って脅してきたら、それを世間に明らかにすることです。マスコミに通報すればいいのです。自民党の使う手は、違法であり、不当なことなのですから、表に出せば通る話ではないからです。

●第三条=「自民党じゃダメ」とささやきあうこと

第一条と第二条は、皆さんがどう考えればいいかということでしたが、第三条は具体的な行動です。

といっても、別に槍や鉄砲はいりません。ドンパチやる必要もありません。また、大演説をする必要もありません。

みんなでささやきあえばいいのです。長野や栃木や千葉の県知事選挙を思い出してください。これらはまさに、市民のささやきあいの勝利でした。

今後、自民党はこれまでのように執拗な運動を展開することができなくなるでしょう。これだけ評判の悪い、国民に嫌われている自民党の運動をする人は、「いかにも」という人だけがやることになるはずです。ところが、そういう人というのは、実はほとんど影響力のない人たちなのです。本人たちも望んでやっているのではなく、仕方なくやっているだけなのですから、かわいそうな人たちなのです。

しかし、戦いは戦いですから、そのような人たちに声をかけられても、「ダメなものはダメ」とハッキリ言うことが必要です。そうすることによって、その人たちもやる気がなくなっていくはずです。

私自身、何度も選挙を経験しているからわかるのですが、3人に声をかけて3人たて続けに断られると、たいていの運動員はやる気がなくなってしまうのです。ですから、勇気を持ってキッパリと断ることも、非常に大事な戦いなのです。

戦いにはいろいろな戦いがあります。最前線で敵の矢玉を受けながら戦う兵士。あるいは、敵に嫌気を起こさせる勇気ある拒否……。しかし、このどれもできないという人も多いのではないでしょうか。

そういう人たちは、自民党の手の者の執拗な勧誘を「そうですか、そうですね」と聞くふりをして、聞き流してください。また、後援会のしおりなどに名前を書いてくれと言われることもあると思います。断り切れなければ、書いてもいいでしょう。でも、魂だけは決して売らないでください。

敵にムダ玉を打たせることも、大事なことなのです。

4. 公明党攻略法──

●実は、創価学会・公明党は選挙ベタ

創価学会・公明党は選挙上手だと、世間では思われています。自民党の政治家も、これに騙されて、自公連立へと走っていきました。一選挙区当たり2万数千票あるといわれる公明党票につられて……。

しかし、私に言わせれば、創価学会・公明党は、決して選挙などうまくありません。もっとはっきり言えば、下手です。特に、一対一の選挙になれば、公明党候補はほとんど勝てないといっても過言ではありません。

それは、自民党と新進党が激突した1996年の総選挙の結果をみれば明らかです。

実は、その前年の参議院選挙では、新進党が比例区で18議席を獲得し、第一党になっていました。ですから、この勢いでいけば、次の総選挙でも創価学会がど真ん中にいる新進党が勝つだろうと、マスコミも含めてほとんどの人がそう思っていたわけです。

ところが、蓋を開けてみれば、300の小選挙区のうち、新進党は95議席しかとれなかったのに対し、組織のほとんどない自民党は169議席もとりました。これが、創価学会・公明党が選挙ベタだという最大の理由です。

これに対して、「自公保体制で臨んだ2000年の総選挙では、3党合わせて300の小選挙区のうち191議席とったじゃないか」と言う人もいるでしょう。

しかし、これは創価学会・公明党が自民党や保守党についたからではなく、自民党系というか保守系の候補者同士が調整した結果であり、創価学会・公明党の力を借りてライバルの民主党に勝ったわけではなかったのです。

仮に、創価学会・公明党のおかげで勝ったというのなら、東京都の25ある小選挙区のうち、創価学会・公明党が敵に回った1996年の総選挙で自民党は14議席とっていたのに、創価学会・公明党が味方についた2000年の総選挙では自民党は9議席しかとれなかったということを、どのように説明するのでしょうか。説明できません。

だから、私は創価学会・公明党は選挙ベタだと言うのです。

●創価学会員は何百万人いるのか?

創価学会は会員数が1000万人を超える非常に大きな宗教団体であると、世間では思われています。創価学会の公称によると、世帯数で821万世帯、人数では1200万人だそうです。

しかも、選挙になれば創価学会は組織をあげて選挙をやると言われていますし、選挙のたびに創価学会員が通称「フレンド票」と呼ばれる、創価学会員でない人の票の獲得に走り回ることでも有名です。おそらく皆さんのなかにも、創価学会員から執拗に依頼された経験のある人も多いことでしょう。

ですから、もしこの数字が本当だとすれば、公明党は創価学会員の数にフレンド票を足して、比例区で1500万票くらい獲得してもおかしくはないはずなのです。

ところが、実際には、1998年の参院選比例区の得票数は774万票であり、2000年の衆院選比例区では776万票でした。

これはいったい、どういうことなのでしょうか?

実は創価学会というのは、意外に小さいのではないかと私は考えています。つまり、「770万票−フレンド票=会員数」なのではないかと。

あれだけの選挙活動をやっているわけですから、フレンド票をかなり獲得しているはずです。仮に、フレンド票が200万票あったとしたら、会員数は570万人。フレンド票が半分あれば、会員数は385万人です。そうなると、ほかの宗教団体とそれほど変わらないということになります。

したがって、フレンド票さえとれなくなれば、創価学会・公明党など、なんら脅威ではないということです。

●自民党との連立がマイナスに作用する

私は創価学会・公明党の選挙ベタは、もっと本質的なものであると考えています。 なぜなら、選挙活動は支持者の日常生活の総決算だからです。選挙運動を一生懸命やれば票がとれるというものではありません。常日ごろの人間関係、特に人徳があるかどうかによって、集票能力が決まるのです。

しかも、創価学会・公明党が得意とするフレンド票作戦は、一般の人々には薄気味悪いという印象さえ持たれています。もしかしたら、実はほとんど効果がないのかもしれません。

また、公明党が与党になったことが、かえって選挙ではマイナスになったと、私は考えています。

というのは、創価学会員をはじめ創価学会員と親しい人というのは、共産党と支持母体が似ていると言われるくらい、どちらかというと現在の日本では必ずしも、いまの社会に満足していない人々が多いため、基本的には反体制派だからです。

フレンド票を入れてきた人にしても、創価学会員が「いまの自民党はダメですよね。そう思いませんか?」と言うことに対して、これまではシンパシー(共感)を感じる人が多かったわけです。

それが、体制側についたことによって体制批判ができなくなってしまったことで、これまで獲得できていたフレンド票すらとれなくなってしまうからです。

●公明党を攻略する三カ条

創価学会・公明党を攻略するには、フレンド票を減らすしかありません。

ところが、おそらく創価学会・公明党は、次の選挙ではこれまで以上に執拗なフレンド票獲得作戦を展開してくるものと思われます。皆さんのところにも、必ずやってくるはずです。

そこで、そんなときのために、自民党の場合と同様に公明党を攻略するための三カ条を用意しました。

第一条   「選挙のことなら会いたくない」と言うこと
 第二条   「私は池田大作が嫌いだから」とハッキリ言うこと
 第三条 しつこかったら「選挙違反だ」と110番

この三カ条を実践すれば、執拗な勧誘も撃退できること、請け合いです。

●第一条=「選挙のことなら会いたくない」と言うこと

皆さんのところにも、選挙近くになると、とんでもない筋をたどって、ほとんど見知らぬ人から「会いたい」と言って連絡が入ってくることでしょう。

実際、私が直接聞いた話で、1995年に行われた佐賀県の参議院の補欠選挙の際に、自民党候補を応援していた社長のところに、数年前に泊まった山形県の温泉宿の仲居さんから電話がかかってきたという例があります。

もちろん、その社長は電話をしてきた仲居さんのことなど覚えているはずがありません。ただ、その温泉宿に泊まったことはあったそうで、おそらくその仲居さんは、宿帳か何かで佐賀県在住の人を調べて、片っ端から電話をしていたのでしょう。その社長は薄気味悪くなったと言っていました。

選挙間近になってくると創価学会員からなぜか電話がかかってきます。そのような電話がかかってきたら、まず会わないことです。これが相手にとっては一番の痛手となります。また、会ったところで、相手は要するに票がほしいだけですから、選挙が終われば特に意味のある人間関係を持とうと考えているわけではないのです。ですから、会わないことが一番の撃退法なのです。

創価学会・公明党の運動員というのは一度食いつくと、えてしてこちらが「わかりました。入れます」と言うまで粘ります。創価学会員は、そのように指導・訓練されているのです。ですから、普通の人ならまいってしまいますので、「ぜひお会いしたい」などという電話があってもとりあわないことが大切です。

●第二条=「池田大作が嫌いだから」とハッキリ言うこと

不幸にして彼らにつかまり、公明党への投票を依頼されたら、

「私は池田大作さんという人間が嫌いです。だから、公明党には入れません!」

と、相手にハッキリ言うことです。

これを言うと、創価学会員は逆上し、傍目にはあたかも狂ったような表情を見せるかもしれません。そして、「池田先生は○○から勲章をもらった」とか、「○○大学の名誉博士だからいい人だ」とか言うはずです。

これは実際に私が経験した話ですが、CS放送の『国会テレビ』にゲスト出演したときに、視聴者からの電話に私が答えるというコーナーがあったのです。その番組で、創価学会の人から電話がかかってきて、私の政教分離の考え方が間違っていると言ってきたわけです。

そこで、私は本書で書いたような考え方を言っていたところ、何かの拍子で池田大作氏の名前が出た瞬間、その人は突然キレて「池田先生はそんな人じゃありません!」と、泣くわわめくわの大騒ぎになってしまったのです。私も、この番組をみていた人もビックリしました。

“タデ食う虫も好きずき”というほどです。人の好き嫌いは理屈ではありませんから、「私は池田大作さんが嫌いなんです。だから、公明党には入れるのはイヤです!」と、単純に繰り返せばいいのです。

こう言ってもなかには逆上しないで(ごく少ないとは思いますが)、「平和だ、人権だ、福祉だ」と言ってくる創価学会員もいるかもしれません。でも、それにつられてちょっとでも反論したりすると、彼らが詰め込まれた理屈をイヤというほど聞かされることになります。ですから、決して論争など挑まない方が得策でしょう。

「イヤなものはイヤ!」とハッキリ言うだけでいいのです。

●第三条=しつこかったら「選挙違反だ」と110番

第一条、第二条の攻略法を使っても成功せず、あるいは断りきれなくて、結局家に上がられて1時間も2時間も、また2回も3回もつき合わされるハメになってしまう場合もあるかもしれません。でも、大丈夫です。最後の奥の手=究極の撃退法があります。

それは、トイレか何か使いに行くようなふりをして電話のところへ行き、受話器を取り上げダイヤルして、相手に聞こえる程度の声で次のように言うのです。

「もしもし、○○警察ですか。私は○○に住む△△といいます。いま××さんという方が私の家に来て、どうしても公明党のAさんに票を入れてくれとしつこく頼むんです。これは公職選挙法に違反する犯罪ですから告発します。大至急来て、捜査してください」

事実、こうした勧誘行為は、選挙期間前であれば事前運動の禁止にあたり、選挙期間中であれば戸別訪問の禁止に該当しますので、どちらも公職選挙法違反です。

このように言えば、それまで「池田先生は……」とか、「平和だ、人権だ、福祉だ」と、あなたを前に大演説をしていた創価学会員は、とるものもとらず、ひょっとするとあなたに挨拶もせずに退散することでしょう。

そして、二度とあなたの前に現れることはないはずです。

もちろん、この方法はどの政党の運動員に対しても効果はあるわけですが、特に創価学会・公明党の運動員に対しての撃退効果は抜群です。

それは、池田大作氏が参謀室長として大阪での参議院選挙の指揮をとったときに公職選挙法違反(戸別訪問)でつかまったことがあるため、創価学会・公明党の選挙違反に対する恐怖感は特別なものがあるからです。創価学会を長い間観察してきた内藤國夫氏は「創価学会は陰花植物である」と言っています。

最後につけ加えておきますが、本当に110番にダイヤルするか、それともダイヤルしたふりをして「もしもし、警察ですか……」と言うかは、あなた自身の判断であり、機転です。

5. 自公保体制の打倒は正義の戦い──

●保守党は自民党のイボみたいなもの

これまで自公保体制といいながら、保守党のことについてはほとんどふれてこなかったので、ここで少しふれておきたいと思います。

まず保守党の党首である扇千景さんですが、彼女は自民党が野党になった1993年にはまだ自民党にいました。そして、私たちが何とか自民党を立て直して政権を取り戻そうと、党の政治改革本部の会議でいろいろな議論をしていたときに、扇さんも会合に出席してはさんざん「もうこんな自民党はダメよ」と言っていたわけです。

そして1994年3月31日に、自民党を離党して小沢一郎氏率いる新生党(その後、新進党から自由党)に入党しました。その約三カ月後、自民党は自社さ連立で政権に復帰したわけです。扇さんにしてみれば、政権党に行くつもりだったのに、行った途端に政権党でなくなってしまったわけだから、「しまった!」と思ったのでしょう。

ですから、小沢氏が自自公連立から離脱しようとしたとき、扇さんたちは保守党をつくって政権にしがみついたわけです。要するに、扇さんという人は、政権にいたいだけの人だと私は思っています。

保守党幹事長の野田毅氏についても、扇さんと多少時期は違うものの、やはり自民党から飛び出して、同じような遍歴をして、いま保守党にいるのです。

党首の扇さんしかり、幹事長の野田氏しかりですから、あとの保守党の議員も推して知るべしでしょう。つまり、保守党というのはただ政権にいたいだけの人たちの集まりであって、そこに理念や理想はないということです。見かけ上は自民党とは別の政党のように振る舞っていますが、実際には、保守党という政党は自民党にできたイボのようなものなのです。

●自公保体制は究極の世紀末現象

保守党のことはこれくらいにして、本題の自公保体制の話に戻したいと思います。

これまで私は自公保連立政権のことを、「自公保体制」と言ってきたわけですが、あえて「体制」という理由の一つは、2000年の総選挙をみれば明らかなように、自民党と保守党は創価学会・公明党と深く結びつき、政党の連立の枠を超えているからです。もう一つは、自公保連立政権がどことなく江戸時代末期の幕府(幕藩体制)と似ているからです。

1853年6月3日、アメリカ海軍のペリー提督率いる軍艦四隻が浦賀にやってきて以来、下手をすると外国に侵略されてしまうかもわからないというなかで、ただうろたえることしかできなかった幕府の姿と、日本経済が沈没してしまうかもしれないという状況のなかで、何の手も打てずにただうろたえているだけの自公保体制の姿は、非常によく似ています。

さらにつけ加えるならば、幕府の老中連中がただ幕藩体制を維持することだけを考えていたという点も、政権に居座ることだけを目的とした自公保体制の幹部連中とダブっています。

その一方で、長年政権党であった自民党と、日本最大の宗教団体と言われている創価学会が手を組んだわけですから──自民党のイボみたいな保守党の存在は、この際あまり関係ありませんが──これほど強いものはないだろうと、世間では思われています。

また、数の上でも3党合わせて衆議院では277議席、参議院でも136議席と、安定多数を確保しているわけですから、彼らも「自公保連立こそ、究極の体制だ」と思っていることでしょう。しかし、私に言わせれば、自公保体制は「究極の体制」ではなくて、「究極の世紀末的体制」であり、「究極の世紀末的政治現象」なのです。

世紀末的だというのには、二つの理由があります。

一つは、戦後の日本が約半世紀かけて築いてきた自由とか民主主義とかを、全部帳消しにしてしまうくらい危険なことだからです。そういう面では、自公保体制は日本を戦争に導いていった軍部に似ているかもしれませんし、それ以上に危険な存在かもしれません。

もう一つは、自公保体制は「戦艦大和」のようなものだからです。一昔前には戦艦大和は無敵だったわけですが、時代の変化とともにだんだん小回りのきかない重厚長大な戦艦大和は、その大きさが弱さとなって、結局大した戦果をあげることもできずに沈んでいったわけです。

一刻も早くこの世紀末的体制を倒さないと、21世紀の新しい日本の政治は何も始まらないのです。

●自公保体制にしがみつくかつての大物たち

先ほど、自公保体制の幹部は江戸幕府の老中たちのようだと言いましたが、具体的には誰かというと、たとえば河野洋平氏です。

この人に、かつての新自由クラブを率いたときの希望や迫力を、いま国民は感じることができるでしょうか。また、この人の外交に河野イズムみたいな何かがあるのでしょうか。

なんだかわかりませんが、自民党の有象無象派にただ忠誠を誓い、じっとしていればひょっとしたら首相の座が回ってくるかもしれないと期待しているだけの物待ち顔な姿しか感じることができません。

それから、宮沢喜一初代財務大臣もそうです。この人は、もうこれだけが生きがいとしか見えません。この人は生涯大蔵官僚でいたい人だと前から私は思っていましたが、本当にそうなってしまいました。しかし、この人の希望をかなえるために、大蔵省が最後の最後までこだわっていた国の財政健全化という目標はズタズタにされ、国民の方がそのことを心配するようになってしまいました。これを大蔵省の堕落と言わずして何と言うのでしょうか。大蔵省は、省始まって以来の堕落のなかで、その幕を閉じました。

橋本龍太郎氏なども、昨年暮れの内閣改造でどうして大臣などを引き受けたのか、私にはまったく理解できません。橋本氏の再登板ということは、現在の自民党の人材不足ではあり得ることは十分考えられたことです。

しかし橋本内閣時代の政策を総否定した内閣に一閣僚として入ったのでは、森内閣が頓挫しても、そのアンチテーゼとはならないのです。どうしてこんな簡単な理屈がわからないのでしょうか。この人には、政治的な側近といわれる人がまったくいないということでしょう。

きっと有象無象派に「閣内にいれば、森内閣がダメになったとき、あなたが首相になる公算が一番高い」とでも言われたのでしょう。でも、それでは、森内閣のマイナス部分を引き継ぐことになってしまうのです。

ほかにもたくさんいますが、コメントするほどの価値のない人たちですから、これくらいにしておきたいと思います。

●ものを言わなくなった若手議員たち

では、自民党の若手議員はどうなのかというと、ものを言わなくなってしまいました。

いつの時代でも、どんな組織でも、改革の担い手は若手です。たとえばロッキード事件のときにしても、リクルート事件のときにしても、私たち若手議員が中心となって批判してきたわけです。

ところが、いまの自民党の若手議員には、そうした覇気がまったく感じられません。私が「政教分離を貫く会」を設立しようとしたとき、何人かの若手議員にも声をかけたのですが、そのとき返ってきた返事は次のようなものでした。

「白川先生、自民党っていうのは不自由非民主党の略なんでしょう。だから、いまさらそんな理想論というか、書生論を言ったってはじまらないんじゃないですか」

この言葉を聞いて、私は愕然(がくぜん)としました。少なくとも私たちが若かったころは、決してそんなことは言いませんでした。むしろ、自由民主党なんだからということで、言いたいことを言ってきたわけです。

また、最近よくテレビに出ている“政策新人類”などともてはやされている若手議員にしても、あの程度の知識で政策新人類なのかと情けなくなってしまいます。あの程度のことは、役所の課長補佐クラスなら誰でも知っていることだからです。

彼らは評論家と一緒になって「あれが悪い、これが悪い」と言っていますが、そんなことは本来、政治家のやる仕事ではないのです。政治家がやるべきことというのは、自分が正しいと信じる政策を、命をかけてでも実行させることなのです。

本来、改革の先頭に立つべき若手議員までもがこんな調子ですから、もはや自民党に未来はないと言っても過言ではないでしょう。

●舞い上がっている公明党・保守党の議員たち

一方、公明党や保守党の議員たちはどうかというと、これはもう舞い上がっているとしか言いようがありません。よほど与党になれたのがうれしかったのでしょう。

その典型的な例が、公明党の坂口力労働福祉大臣です。彼は大臣に就任したあと、地元で祝賀会を開いています。通常、祝賀会といえば収支トントンになればいいということで、地方だったら会費は1万円くらいにするものです。

ところが、彼の祝賀会の会費は2万円で、さらに案内状には「この催し物は政治資金規正法第8条の2に規定する政治資金パーティです」という文言まで書いてあるのです。これはもう祝賀会ではなく、政治資金集めのパーティ以外の何ものでもありません。

かつて自民党の大臣や政務次官が祝賀会の名目で金を集めていたのを厳しく批判していたのは、ほかならぬ公明党であり、野党だったのです。

そんなことはすっかり忘れて、自分が大臣になった途端かつての自民党と同じことをやっているのですから、舞い上がっているとしか思えません。

また、保守党の扇千景国土交通大臣も、ようやく大臣になることができて舞い上がっている一人でしょう。彼女は自民党のなかでは大臣の適齢期でしたので、あと3カ月我慢して自民党にいれば自社さ政権で大臣になれたかもしれないのに、野党の自民党に我慢しきれずに飛び出してしまったので、約5年くらい大臣になるのが遅れてしまったからです。

●自公保体制を牛耳っているのは池田大作氏である

さらに、自公保体制の恐ろしいところは、政権を牛耳っているのが池田大作氏だということです。

たとえば、自民党の5人組が、2000年4月小渕首相の後継を森氏にすることを決めるにあたって、野中自民党幹事長が公明党の神崎代表に電話をして「森でいこうと思うが、いいか?」と聞いたというのは有名な話です。もちろん、神崎代表が「いい」と言ったのではなく、その後ろにいる池田大作氏が「森でいい」と言ったととられても仕方がありません。

さらに、もう一つ例をあげると、一連の「森降ろし」です。このそもそものきっかけは、2001年1月24日夜、自民党執行部(野中広務氏ら)と創価学会首脳(秋谷栄之助会長)との会談で、学会サイドが森氏の更迭を暗に求めたのが発端です。学会内部においては、“重要案件”については必ず池田氏の決裁を取りますから、これも当然、池田氏の意向が働いているとみるのが自然でしょう。

このように自公保体制は完全に池田大作氏に牛耳られてしまっており、このままいくと日本は間違いなく破滅の道を歩むことになってしまうでしょう。

●自公保体制は世紀末のあだ花

しかし、心配することはありません。

一見、難攻不落の城に見える自公保体制も、実は世紀末に一瞬咲いたあだ花にすぎないからです。

もちろん、あだ花にも、世間をそれなりに惑わすものもあれば、厚化粧で誰にでもあだ花とわかるものもあります。自公保体制は後者であり、究極のあだ花なのです。

このことは世論調査によっても明らかです。

たとえば、小渕内閣の支持率の推移を見てみると、発足当初は低かったのですが、徐々に上がっていきました。しかし、1999年10月5日の公明党の連立参加を機に一気に落ちていったのです。

森内閣の支持率については、発足当初は40%近くまで上がりました。しかし、このとき私のWebサイトの『永田町徒然草』で、「いまはご祝儀相場もあって瞬間的に支持率は上がっているけれども、自自公よりも自公保の方がより自公のストレートな連立だから、この地金に国民が気づいたときには、森内閣の支持率は落ちるだろう」と書きました。

結果は、私の予想どおり、1カ月も経たないうちにほとんど小渕内閣の水準まで落ちたのです。

連立政権に対する評価というのは、最初は違和感があったとしても、本当にそれがいいものならば国民の理解は必ず得られるものなのです。現に、自社さ政権のときは、最初はダメだという意見が多かったのですが、半年ぐらいあとには、一番いいと思う連立の組み合わせのトップにランクされるようになったのです。

ところが、自公連立だけは反対だ、好ましくないという評価が一貫して変わりません。これは、まさに国民の自公連立に対する拒否反応の表れであると言えます。

●すでに自公保体制は破滅の途上にある

このように自公保体制は、国民からも「NO!」を突きつけられているわけですから、こんな政権を倒すことなど造作もないことです。世間的には難攻不落の城だと思われているだけに、相手にとって不足はありませんし、これを敵に回してこれほどおもしろい戦いもありません。

長野や栃木や千葉の県知事選挙、東京二十一区の補欠選挙における選挙の結果をみれば、流れはすでにでき始めました。

あとは“最後の一押し”をすればいいだけです。

私は、自公保体制というのは、坂道に止めてある車のようなものだと思っています。そして、その車についているサイドブレーキが、コーメー社製の少し欠陥のあるブレーキなのです。ですから、誰かがちょっと押すだけで、あとは勝手に坂道を転げ落ちていってくれるのです。

では、「打倒・自公保体制」の戦いに、勝算はあるのか?

100%あると断言できます!

むしろ、専門的に見たら、自公保体制が続けられるなどと考えるのは、よほど選挙を知らないか、世の中を見る目がないか、よほど暗愚の政治家だけだろうと思います。

平成革命を成功させるためには、まずは2001年夏の参議院選挙で、自民党の議席を減らすことです。

消費税が争点となった1989年の参議院選挙で、自民党は36議席しかとれずに大敗したわけですが、今回はそれ以上に叩きのめせる要素は十分あると考えています。

そうすれば、参議院では与野党が逆転し、予算案など衆議院の優越が認められているもの以外の法律案は、自公保体制の思いどおりにはいかなくなります。

実は、これが彼ら、特に公明党にとっては、一番の痛手なのです。

というのは、公明党が自民党と組んで一番やりたいのが、選挙制度を小選挙区制から中選挙区制に戻すことであり、そのための密約が自民党との間であったと言われています。ところが、これは公職選挙法という法律を改正しなければできませんから、たとえ衆議院で通っても、参議院で否決されれば、それができなくなるからです。

私はいまでは公明党は半分くらいは自民党を見放していると思っていますが、参議院で与野党が逆転すれば、完全に公明党は自民党を見限ることでしょう。

そして、公明党はどこへ行くのか? もはやこの政党と手を組もうという政党などありません。おそらく民主党だって組まないでしょう。孤立無援の道が残されているだけです。

一方、公明党に見限られた自民党はどうなるのかというと、これまで何度も言ってきたように、もはや自民党は政権に群がる有象無象の集まりでしかありませんから、次の総選挙が自民党の看板では勝てないと思ったら、ボロボロと自民党から出てくるのは目に見えています。

その結果、自民党は次の総選挙で議席を大幅に減らすことになります。そして、政権党でなくなった自民党は、1〜2年で瓦解することになるのです。

したがって、勝負は2001年夏の参議院選挙です。ここで自民党の議席を30台まで減らすことができれば、自公保体制は勝手に坂道を転げ落ちていってくれるはずです。

●自公保体制を攻略する四カ条

自民党と公明党の攻略法はすでに紹介したとおりですが、最後に自公保体制の攻略法を紹介しておきたいと思います。

 第一条   自公保体制はもう嫌だとみんなで言うこと
 第二条   仲間に呼びかけること
 第三条   絶対に勝てるという自信と信念を持つこと
 第四条   報復をおそれないこと

の四カ条です。

●第一条=自公保体制はもう嫌だとみんなで言うこと

自公保体制が嫌いだということは、もはや国民大多数の意見です。

したがって、自公保体制の批判を口にすることをおそれる必要はまったくありません。また、難しい理屈もいりません。ただ、「自民党は嫌いだ。自公保体制はもうイヤだ」と言うだけでいいのです。そうすれば、相手もすぐにあなたの意見に同調してくれるはずです。言うなれば、自公保体制批判は、まさに“入れ食い”状態なのです。一人ひとりが、ちょっと勇気をもって声に出してハッキリと言うことが大切なのです。

●第二条=仲間に呼びかけること

仲間に呼びかけることも大切です。そして、柔らかくてもいいから、一つの固まりをつくって動いてください。勝手連的なグループをどんどんつくることです。

それは、別に「新党・自由と希望」の応援団でなくてもかまいません。自由党でもいいし、民主党でもいい。自公保以外の党なら、どこでもかまいません。それよりも、みんなで動くことが重要なのです。1人よりも2人、2人よりも3人集まった方が、大きな力となります。その力が日本を変えるパワーとなるのです。どんどん知り合いに声をかけましょう。

●第三条=絶対に勝てるという自信と信念を持つこと

長野や栃木や千葉の県知事選挙で、田中さんや福田さんや堂本さんを応援していた人たちは、おそらく勝てるという確信がないなかで選挙を戦っていたと思います。ですから、精神的には辛かったと思います。

しかし、今回の戦いは、勝算は100%あるのです。ですから、絶対に勝てるという自信と信念を持つことはそれほど難しくはないと思います。

だからといって油断は禁物ですが、一人ひとりが自信と信念を持って行動すれば、必ず良い結果が出ることは間違いありません。

●第四条=報復をおそれないこと

次の参議院選挙は、自公保体制にとって自分たちの命運がかかった選挙ですから、おそらくこれまで以上に厳しい「締めつけ、締めつけ」で脅しをかけてくることでしょう。

しかし、こんなものをおそれる必要はありません。なぜなら、自公保体制はすぐに政権の座から落ちる運命にあるからです。政権を失ってしまえば、報復などもはやできません。ですから、そんな脅しにひるむ必要などまったくないのです。

また、これは前にも述べましたが、もしそんな脅しをかけてきたら、マスコミなどにどんどん公表することです。そうすれば、それが引き金となり、自公保体制の瓦解する時期はさらに早くなることでしょう。

自公保体制の打倒は、いままさにわれわれ日本国民に与えられた歴史的使命です。

 いま立ち上がらなければ、日本に未来はありません。
 これは正義の戦いです。必ず天も私たちに味方してくれるはずです。
 形勢もわれわれに有利です。
 あとは、進軍あるのみです。


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