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目次


自民党を倒せば日本は良くなる
第1章 張子の虎──自民党の虚像を暴く(下)

4. 有象無象派が支配する自民党──

●自民党は難攻不落の城ではない

世間では、自民党という政党は、そう簡単には倒れないだろうと思われているようです。

しかし、本当にそうでしょうか? 私はそうは思いません。

体制というものは、倒れるまでは、どこの国でも、いつの時代でも、難攻不落の城に見えるものなのです。

それが国家権力というものです。ましてや日本はGDP(国内総生産)で世界第二位の国です。その政権政党である自民党が、難攻不落の城に見えてしまうのは、当然といえば当然でしょう。

一つの体制が崩壊したとき、人々はなぜこんなものに縛られ、恐れおののいていたのかということに気がつきます。それは、宴の後にも似ています。

たとえば、ソ連邦の崩壊、フィリピンのマルコス体制の崩壊、ルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊……など、数え上げればきりがありません。

日本でも、徳川幕府をはじめ、戦争を指導した軍部・国粋主義者など、近くでは平成5年に野党に転落した自民党などがその好例と言えるでしょう。

結局、難攻不落の域といっても、そんなものなのです。

しかも、長年、自民党に籍を置いてきた私の目から見れば、いまの自民党はもはや自壊スパイラルに突入していて、放っておいてもそう遠くないうちに崩壊することは間違いありません。

だからといって、何もしなくていいというのではなく、いずれ崩壊するものであればなおさらのこと、できるだけ早く、きれいに取り去ることが世の中のためになるのです。その方が、早く次の建設に取りかかることができるわけですから。

そのために、いま、私は立ち上がったのであり、自民党に引導を渡すのが私の仕事だと思っています。自民党を倒せば、日本は良くなると確信しています。

●自民党は政治理念のない政党

自民党の第一義的な役割は、西側陣営にとどまることだったということは、前にも述べました。この道を選択したのは、当時の吉田茂首相であり、その選択自体は正しかったと思います。

ただ、アメリカから見れば、西側陣営を選択してくれる政党であれば、別に真の自由主義政党でなくてもよかったわけです。そういう意味で言えば、自民党は、ベトナム戦争のときにアメリカが一生懸命支援した、南ベトナムの傀儡(かいらい)政権などと同じレベルの政党だったのかもしれません。

実際、自民党のなかには、単なる反共主義者もいれば、右翼全体主義者もいたわけで、彼らが自由主義者であるという保障はどこにもなかったのです。

しかし、自由民主党と名乗ったことから、自民党には自由主義者も集まってきました。したがって、自由主義政党としての体裁だけは整えざるを得なかったわけですが、実体は決して自由主義政党と呼べる代物ではなく、党内では常に自由主義者とそうでない者との間にバトルが繰り広げられていたのです。

そんななかで、党内のバトルに勝ち残った自由主義者は、石橋湛山、三木武夫、大平正芳くらいなものです。彼らが勝ち残れたのは、非常にたくましかったからであって、多くの自由主義者は、政権の甘い蜜を求めて集まる有象無象派の手によって、しだいに殲滅(せんめつ)され、追放されていったのです。

だから、そういう先輩たちの姿を見てきた私は、最初から「戦うハト派」「戦うリベラリスト」であることを宣言し、理念のない自民党を真の自由主義政党に改革すべく戦ってきたのです。

●公明党との連立で馬脚を現した

1999年10月、自民党は公明党と連立を組んでしまいました。この一事によって、これまでなんとか自由主義政党の体裁だけは整えようとしてきた自民党も、とうとう馬脚を現してしまったのです。

公明党の問題点については第3章で詳述しますが、結論から言えば、公明党は、創価学会という宗教団体が事実上支配する政党です。ところが、このために私自身、その本質を理解するのにずいぶん苦労しました。というのは、創価学会は公称1200万人もの信者を抱える宗教団体なのだから、基本的にはまともな団体が一時的な気の迷いで間違いを犯しているのだろうという気持が、どうしても拭えなかったからです。

しかし、古川利明氏の『カルトとしての創価学会=池田大作』(第三書館)を読んで、私は目から鱗が落ちました。つまり、創価学会も公明党も、池田大作氏が率いるカルトであるところに、その本質があったわけです。そう理解すると、すべてのことが解決しました。カルトとは、ひとことで言えば「宗教の仮面をかぶった全体主義団体」のことです。特に巨大カルトの隠された狙いは、洋の東西を問わず、国家権力の乗っ取りにあります。

ちなみに、カルト対策に力を入れているフランスでは、1995年12月に国民議会(下院)で採択された報告書において池田大作氏が会長をつとめる創価学会インターナショナル(SGI)を「カルト」としてリストアップしています。

公明党は中道政党と言われていることから、一見、政策的には自民党とそんなに隔たりはないように思われがちです。しかし、政党にとって政策と同じくらい大切な理念や体質という面からみれば公明党は、共産党と同じくらい自民党の対極にある政党なのです。

公明党の実体は、池田大作氏を最高権威・最高実力者とする全体主義的な“私党”という指摘が多いのです。それは本来、自由主義とは相容れないもののはずです。

ところが、そんな公明党と自民党は平気で連立を組みました。これによって、自民党はついに馬脚を現すとともに、その本質が自由主義政党ではないことを露呈してしまったのです。

●保守政党であることもやめてしまった

自民党は自公連立によって、自由主義政党であることをやめました。そして同時に、保守政党であることをも、自民党はやめてしまったのです。

自民党が保守政党であることを否定する人は、自民党の国会議員のなかでおそらく誰もいないでしょう。誰もが否定しない保守政党という面から見ても、自公連立は自民党の生き方に悖(もと)るものと言わざるを得ないのです。

普通の意味における保守政党である自民党が、一番大切にしなければならなかったのは、人間としての信義のはずです。ところが、公明党と連立を組んだことで、自民党は保守政党としての誇りすら投げ捨ててしまったのです。

典型的な例を一つだけ挙げましょう。

自民党は、1996年10月に行われた総選挙において、新進党対策として政教分離のキャンペーンをかなり派手に行いました。そのキャンペーンの総大将が、当時、自民党の組織広報本部長であった亀井静香氏です。亀井氏は「憲法二十条を考える会」の会長として、宗教団体に向けた1994年2月18日付書簡のなかで、次のように言いました。

「さて、政治は国家、国民の安全と、福祉の向上に全責任を持つことでありますが、その前提は、国民一人ひとりの自由な意思が尊重されることであり、言い換えれば『心の自由』を確保することであります。

しかし、連立政権(細川連立内閣のこと──筆者注)の誕生と共に、戦後幾多の先人が築き上げてきた『心の自由』を保障する『自由な社会』が、いま根底から崩れ去ろうとしております。

なぜなら、極めて排他的な一宗教団体が、自ら支配する政党を政権与党に組み入れ、政治を壟断(ろうだん)(一人占めにすること──筆者注)し、わが国を事実上支配しようとする構想を描いているからであります。特に、この度の政治改革法案の成立に伴う小選挙区比例代表並立制の導入によって、現実化する危険が切迫してまいりました」

これが、自公保連立の中心人物の一人である亀井氏の言動であると知ったら、あきれる人も多いのではないでしょうか。

さらに付け加えると、綿貫民輔氏(現衆議院議長)も、野中広務氏(前自民党幹事長)も、村上正邦氏(前参議院自民党議員会長)も、みんな「憲法二十条を考える会」の役員として名を連ねていたのです。保守政治家の大幹部とされるこの人たちですら、このとおりですから、あとは推して知るべしです。

政教分離をこれだけ主張していた政治家が、恥も外聞もかなぐり捨てて自自公連立・自公保連立へと流れていきました。そんな自民党に保守政党としての矜持(きょうじ)など微塵もないと言っても過言ではないでしょう。

●「不(・)自由非(・)民主党」となった自民党

自民党がもっとも大切にしなければならない独立自尊の精神を失い、自民党の支持者にさえ失望を与える、公明党と連立を組むなどという不甲斐ない状態になってしまったのは、いったいなぜなのでしょうか──。

それは、自民党があまりにも長く政権党だったからです。世界の先進自由主義国のなかで、自民党ほど長く政権党であった自由主義政党はありません。これが、自民党を堕落させてしまった一番大きな原因です。

いつの時代も、どこの国でも、政権というものには甘い蜜を求めて有象無象が集まってくるものです。そんなことをどうこう言うほど、私は単純な理想主義者ではありません。そうした有象無象も呑みこんで政権基盤を強化するたくましさがあっても、それが現実の政治というものだと思います。

しかし、民主主義の国では、政党は選挙によって初めて政権を得ることができます。最初から政権党であることが決まっている政党など、どこにもありません。もしあったとしたら、それは独裁国家です。

政権に群がる有象無象には、政権を補強することはできても、政権を生み出す力はありません。政権を生み出す力は、その政党の理念や政策や生き方にあるのです。その理念や政策を支持する国民に支えられ選挙に勝ち抜くことで、初めて政権を手にすることができるのです。つまり、政党の命は、理念であり政策でありその党の生き方なのです。

ところが、自民党はあまりにも長く政権党であったために、政権に群がる有象無象の比率が高くなりすぎてしまい、自民党を勝利に導く理念や生き方の発信ができる政治家が少なくなってしまいました。

現在の自民党は、そうした有象無象派に乗っとられてしまいました。その結果、自民党は「不(・)自由非(・)民主党」になってしまったのです。そんな不自由非民主党に政権を担当させたら、早晩、日本は必ずや自由のない非民主的な国になってしまいます。それだけは許すことができません。

5. 実体のない幽霊政党=自民党──

●「自公保連立」と「自社さ連立」の違い

自公保連立は、ただ政権党でいたいという与党三党の党利党略で成り立っている連立です。こう言うと「白川、お前が中心になって成立させた自社さ連立だって同じじゃないか!」とよく言われます。

しかし、まったく違います。自社さ連立を中心になって進めた私には、政権欲などまったくありませんでした。また、パートナーとなった社会党の左派といわれる人たちや、新党さきがけの人たちにも、そのような意識はほとんどありませんでした。

私たちが「自社さ政権をつくらなければならない」との共通の認識をもって活動したのは、当時の「一・一ライン」が推し進める強権政治に対する危機感からでした。現に1994年6月29日、村山富市氏を首班とする自社さ連立政権ができたとき、私はその立役者と言われましたが、入閣する気などまったくありませんでしたし、しませんでした。

もう一つ大きく違う点は、自社さ連立の最大与党となった自民党は、当時、野党だったということです。社会党も新党さきがけも政権党となるために、ただでさえ評判の悪かった自民党にすり寄る必要などまったくありませんでした。

社会党と新党さきがけが自民党との連立に同意したのは、「一・一ライン」といわれる強権政治に対する危機感と、自民党がリベラルな路線に転換することを明らかにしたからです。当時の河野洋平自民党総裁は、そのことを担保するに十分な存在でした。また、自社さ連立を実際にハンドリングしたのは、この連立下の自民党の政調会長を一期、幹事長を3期務めた加藤紘一氏でした。

自社さ政権は、閣内・閣外を含めて四年間続きました。この間に、被爆者援護法の改正、介護保険法、NPO法の成立や水俣病認定問題の解決などといった、自民党単独政権ではとうてい考えられないことを実現させました。

自社さ政権をつくる母体となった「リベラル政権を創る会」の代表は、社会党(当時)の伊東秀子代議士(北海道一区選出)と私でした。私たちがめざしたものは、リベラルな政権でした。しかし、このリベラル政権にも、甘い蜜を求める有象無象派がいたことは事実ですし、集まってもきました。自民党がリベラルな路線に転換することを、快く思っていなかった面々も、最初のうちこそ「政権党になるためには仕方がない」ということで猫をかぶっていましたが、自社さ政権が終わるとともにその本性を現してきたのです。

そうした面々が裏で画策してつくったのが小渕内閣だったと、私は思っています。そのことにより自民党はリベラルな路線から外れていき、そして再び国民の信を失ってしまったのです。

●理念をなくしてしまった自民党

“一寸の虫にも、五分の魂”というくらいですから、一つひとつの政党には何らかの理念=基本的価値観がなければなりません。

ところが、前述したように、現在の自民党は、有象無象派の支配によって、政党としてのアイデンティティをはかる理念を失くしてしまいました。いまの自民党にあるのは、「ただ政権党でいたい」ということだけです。

同様に、現在連立を組んでいる公明党にも保守党にも、政治的理念といえるほどのものはほとんどありません。これが、自公保連立政権に対する国民の不支持を強くしている大きな原因であると言えるでしょう。このような理念のない政党同士が組む連立の目的はただ一つ、政権を持っていたいということだけです。つまり、自公保連立の本質は政権維持にすぎないわけですが、実はこのことがそれぞれの政党の基盤を弱くしているのです。

理念のない無節操な連立は、必ず縮小再生産につながります。このことは私が書いた『自公連立の政治論的批判』という論文(Webサイトに掲載)、『自自公を批判する』(花伝社)に詳しく書いてありますので、ここでは多くは述べませんが、一つだけそのことを証明した例を挙げておきたいと思います。それは2000年6月に行われた総選挙の結果です。総選挙の直前、それまで連立を組んでいた自由党は、政権離脱を巡る意見の対立により分裂し、政権に残留した自由党の議員は保守党をつくりました。そして総選挙を迎えたわけですが、その結果はどうだったか──。ご承知のように、政権の外に出た自由党は倍増し、政権にとどまった保守党はほぼ壊滅したのです。

理念のない無節操な連立の末路がどうなるのかを、これほど雄弁に物語っている事実はないと言えるでしょう。

●自民党は自前の組織を持っていない

私が自民党のことを実体のない幽霊政党だと断言する理由は、なにも自民党に理念がないからだけではありません。

実は、自民党には党を支える社会的実体、つまり組織もないからなのです。

確かに、自民党を“難攻不落の城”あるいは“不沈空母”と見ている人が、まだまだ多いのは事実です。また、自民党もそのように見せかけ、思い込ませようとしています。ですから、多くの人は、自民党が“難攻不落の城”ならば、少なくともその土台となる石(組織)くらいはあるはずだと思って当然です。

民主党には、連合という組織がついています。公明党には、創価学会という巨大な組織がついています。共産党にも、これまた強い党組織があります。ところが、自民党には、これらの政党が持っているような土台となる組織は、実はまったくないのです。

このように書くと、「自民党にだって、建設業界団体や軍恩・遺族会、農業団体などがあるじゃないか?」との反論が聞こえてきそうですが、それは違います。

確かに、これらの団体は自民党を応援しています。しかし、それは自民党の理念に賛成して応援しているわけではなく、自民党が政権党だから応援しているにすぎないのです。

実際、北海道の建設業者は、横路知事の時代には社会党候補を一生懸命応援していましたし、私の選挙区の三和村の村長選挙では、多くの建設業者が共産党の現職村長を応援していました。軍恩・遺族会はというと、これらの団体を結束させているのは、軍人恩給であり遺族年金なわけですから、自民党が政権党でなくなれば、応援することはないのです。

農業団体といっても、いまや農業土木の建設業者を中心とした動員態勢しかとれないのが実情です。これらの業界団体は自分たちの利益を守るための団体ですから、自民党が政権党でなくなれば、自民党から離れていくのは目に見えています。

●財界も自民党を本気で支持しているわけではない

財界は自民党を応援していると、世間では思われています。実際、私たちが自社さ政権をつくろうとしていたときに、社会党のある議員から次のようなことを聞かれたことがありました。「ところで、白川さん。財界は白川さんたちを応援するんですか?」と。

一瞬、私は「この人は何を言っているのだろう?」と思いました。というのは、財界と自民党とはそんなに深い関係がないからです。少なくとも私には関係ありませんでした。

ところが、社会党の議員はそうは思っていなかったのです。当時、社会党は総評という労働組合に金も票も全部面倒をみてもらっていました。その総評の意向に逆らって、社会党の代議士として活動することなどできないという意識だったのです。

だから、自民党の議員も財界のいろんなグループの意向には、これっぽっちも逆らえないだろうと思っていたのでしょう。

しかし、財界というのは、自民党に多少は献金していましたけれども、自民党が野党に転落したときには、もう自民党なんかどっちでもいいといった感じで、すでに細川政権にすり寄り始めていたわけです。

そういう意味では、財界もほかの業界団体と同様、自民党を応援していたわけではなく、実は政権党だから自民党を応援しただけのことなのです。

政党にとって本当の支持団体というのは、その党が政権党であろうが野党であろうが、党の理念や政策に賛成するから応援しましょうという団体のことだと思います。自民党の団体総局長を二年間務めた私の目から見た限りでは、自民党にはそんな団体はほとんどないというのが結論です。

●自民党は実は「無党派的政党」だった!

いま、無党派が大流行です。「新党・自由と希望」も無党派が頼りだろうと、よく言われています。しかし、実は自民党こそ、無党派的政党だったのです。

55年体制の下ではどうだったかというと、社会党は総評という労働組合と野党第一党としての集票能力でもっていました。民社党は同盟という労働組合がその母体でした。公明党は言うまでもなく創価学会が母体であり、共産党は強固な党組織と共産党系の労働組合や団体の支持を受けていました。

自民党にはこのような意味での支持組織はありませんでした。では、誰が自民党を支えてきたのかというと、実は保守層と呼ばれる地域の実力者や影響力のある人たちが、遠巻きに自民党を支持してきたのです。

そして、その中身はというと、経営者や会社役員、商店主、農民、サラリーマン、主婦など実にさまざまで、まさに国民政党としての陣容を揃えており、そのなかには地域で活動し、大きな影響力を持った人たちがたくさんいたのです。

また、社会党をはじめとした野党が、支持団体に偏りすぎて、国民一般の政治的ニーズに耳を傾けず、目を向けなかったことも、自民党には幸いしていました。

しかし、こうした自民党支持者は、誰かに強制されて自民党を支持していたわけではありません。だから、逆に言うと、この人たちがいつ自民党から離れてもおかしくはないのです。

大都市部のほとんどが社共を中心とした革新自治体となったとき、実は自民党の基盤に大きな変化が表れ始めていることを、自民党は気づかなければなりませんでした。

自民党はそのことに気づかず、消費税を導入しようとしたために、1989年の参議院選挙で大惨敗してしまいました。また、最近では、1999年の東京都知事選挙で、自民党と公明党が推薦した明石康候補が大惨敗したことも、自民党の支持者がいかに無党派的であるかということを如実に示したといえるでしょう。

つまり、自民党の支持者というのは、本来、自由を愛し、民主的なものを愛する人たちなのであり、自立した人たちなのです。党員といえども、そうです。党や組織の命令によって、盲目的に自民党を支持し、投票する人も若干はいるかもしれませんが、大半は違います。

あくまで自分の判断で行動し、投票する人たちが主流なのであって、そういう意味では、党員であっても自民党という組織に帰属意識はないし、「右向け右」に従うこともないのです。

だから、私は自民党支持者は他党の支持者よりも無党派的だと言っているわけです。

6. 自民党を倒すことなど造作もないこと──

●いまや自民党は瓦解寸前の城である

これまでの説明で、難攻不落の城に見えた自民党も、実は瓦解(がかい)寸前の城であるということがおわかりいただけたと思います。だから、そんな自民党を倒すことなど、実は造作もないことなのです。

ところが、公明党などは、KSD疑惑が発覚したりしても、「自民党の自浄能力に期待する」と言っています。しかし、もはやそんな段階ではありません。自浄能力というのは、基本的に健康体であるときに使う言葉であって、死にかけている者に自浄能力を期待することなど無理なことなのです。

一方、自民党はというと、「解党的出直し」という言葉を、いまだに性懲(しょうこ)りもなく使っています。これまで何度この言葉を聞いたことでしょうか。

私が1979年に初当選して以来、ロッキード事件やリクルート事件など不祥事が発覚するたびに、自民党は「解党的出直し」と言ってきました。しかし、ただの一度も解党的出直しをしたことなどないのです。仮に、実行するとしても、自民党はいったい何を原理・原則にして出直そうというのでしょうか?
理念のない空っぽの自民党に、解党的出直しなどできるはずがないのです。

●もはや自民党には人材がいない

それから、私が自民党を倒すことは簡単だと言う理由の一つに、自民党の人材難が挙げられます。これについては、私のWebサイトの掲示板に投稿してくれた21歳の学生の「粛清の悲劇」と題する書き込みが、実に見事にそのことを指摘していますので、少し長いですが、そのまま引用します。

「私は21歳の学生です。今の自民党の後継争いを見て、私が感じたことを述べます。

自民党に色々な派閥があり、主流派と非主流派が入り乱れることは、自民党だけで政権を担うことを可能としたように思います。いうなれば、主流派が前政権の罪を全て負って退場し、非主流派が政権を受け継ぐことによって、自民党の中だけで政権をたらい回しにすることが出来たのではないでしょうか。

たとえば今、もしかつてのままの加藤氏が政権の座についたならば、これまで自民党に背を向けている大多数の保守派層・無党派層は一気に戻ってきたでしょう。しかし、今の自民党は非主流派がほぼ皆無。総主流派であり、言うなれば誰もみな森政権の責任者。誰が後継者となろうが、所詮、今の自民党の中には前政権の罪をぬぐうことができる人は誰もいません。人々が新しいものを求める時、もはや自民党の中に人を求めることはないでしょう。加藤政局とその後の粛清は、自民党自身が浄化作用を失ったことを彼ら自身が証明したことなのです。

反対派はたとえ邪魔でも、絶対に一掃してはいけません。二つの勢力がお互いに刺激し合うことによって社会は活性化するものなのです。独裁では、社会は停滞します。短い目で見れば、加藤政局で野中氏は圧勝したように見えますが、実は自分で自分の首を絞め、自民党そのものを滅ぼすことになる亡党の徒以外の何者でもありません。(中略)

自民党が勝つ小手先の方法は、6月あたりにあっ!というような無名の新人を傀儡(かいらい)として擁立することです。リクルート事件後に無名の海部氏を擁立して議席を回復したように、国民向けの傀儡政権をつくり、国民がそれに戸惑っている最中に選挙が行われれば、議席の減少は最小限に食い止められるでしょう。

ただ連中が政治の安定という名目で権力にしがみつくその見苦しい行為は、社会を停滞させるもの以外の何ものでもありません。森氏にすべての罪をなすりつけようとしていますが、私達は連中をも地獄に叩き落さなければならないと思います」

この学生の書き込みを政治記者にみせたところ、「まいった」と言っていました。いまどきの若い者もちゃんとしているじゃありませんか。

●国民も自民党の正体に気づき始めた

最近の選挙結果を見ていると、どうやら国民も自民党が張子の虎であることに気がつき始めたように思います。

長野や栃木や千葉の県知事選挙や東京二十一区の補欠選挙で、自民党の推す候補が敗れたことが、そのことを如実に物語っています。これらは決して偶然ではありません。

なかでも注目すべきは、栃木県知事選です。長野の田中康夫さんや東京二十一区の川田悦子さんは、あれだけマスコミが大きく取り上げれば、普通は勝つものです。

しかし、栃木の福田昭夫さんは違いました。マスコミの援護がなかったのに加えて、保守王国と言われる土地柄の栃木県で、自民党に勝ったのです。

最近では千葉の県知事選で、無党派の堂本暁子さんが一カ月間という短い運動期間で、しかも36.88%という低い投票率であったにもかかわらず、当選しました。国民は自分たちが勇気をもって立ち上がれば自民党をやっつけることができると気づき、喜々として行動したのです。

まさにリベラル市民の勝利といえるでしょう。

●加藤騒動が鎮圧され、リベラル派は死滅した

2000年11月、加藤騒動が起こりました。

このときほど、私は「以心伝心」ということを強く感じたことはありません。なぜなら、私は加藤紘一氏の側近中の側近と言われ、加藤氏とは23年間、政治活動をともにしてきましたが、自民党離党──新党結成ということを考えていたため、総選挙後は加藤氏とは会っていなかったからです。

にもかかわらず、兄貴分であり永年の同志である加藤氏は、私と同じことを考えていた。まさに、“わが意を得たり”という想いでした。

この加藤騒動が起こったとき、国民の多くが加藤氏に期待しました。加藤氏が自民党の政治を変え、日本の政治に大きな変革をもたらしてくれるだろうと……。しかし、結末は皆さんご存じの通り、残念な結果に終わってしまいました。

もし、私が国会議員として加藤氏の側(そば)にいたとしたら、決してあのような結果にはさせていなかったはずです。仮に、加藤氏の決起を成功させることはできなかったとしても、最低限、私は加藤氏と二人だけでも本会議に出席し、不信任案に賛成票を投じていたことでしょう。

ただ、この加藤騒動を通じて国民は、政治家のなかにも“優良債権”と“不良債権”があるということを感じ取ったのではないかと思います。おそらく、国民の目には、加藤氏たちのグループは“優良債権”であり、逆に不信任案に反対したグループは、たとえ田中真紀子氏であろうと小泉純一郎氏であろうと、みんな“不良債権”に見えたのではないでしょうか。

加藤騒動のあと、加藤派が分断され、切り刻まれていく姿を見て、多くの国民は自民党のなかのリベラル派は殲滅(せんめつ)され、死滅したという想いを強くしたことだと思います。

そういう意味では、失敗に終わったとはいえ、加藤騒動が国民に与えた影響は非常に大きなものがあったと言えるでしょう。

●健全な保守層の「第二次離脱」が始まった

自民党は政権に群がる有象無象だけでなく、自由を愛し、民主的なものを愛する健全な保守層によって支えられてきた政党であるということは、前に述べたとおりです。

しかし、現在の自民党の状況はどうかというと、そういう健全な保守層がどんどん自民党から離れていっているのが実情です。

第一次離脱が始まったのは、1999年10月5日の自公連立からです。その結果、自民党は2000年の総選挙で大敗しました。

第二次離脱は、言うまでもなく加藤騒動後です。自分たちの声をまさに代弁していた加藤氏を、リンチにかけてなぶり殺しにするような自民党を見て、もう自民党には良識やリベラルなものは期待できないと、離れていったのです。

そして、私はまもなく第三次離脱が始まると思っています。おそらく自民党は次の参議院選挙で惨敗するでしょう。そうすると、自民党の政権もそう長くは続かないだろうという雰囲気になり、これまで政権党であるがゆえに自民党を応援していた有象無象の団体も、一斉に雪崩をうって離れていってしまうというわけです。

そうなれば、自民党は終わりです。完全に息の根を止められてしまいます。しかし、第一次離脱にしろ、第二次離脱にしろ、これから始まる第三次離脱にしろ、それらはすべて自民党の自業自得なのです。

遠慮はいらないのです。自分たちが不自由非民主党になるのは勝手ですが、日本を不自由で非民主的な国にしようという輩(やから)に遠慮などしていてはダメなのです。自民党を倒すことが日本を良くすることになるのです。


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