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創価学会シンボルわが国最大のカルト「創価学会・公明党=池田大作」

フリージャーナリスト 古川 利明



第四回

「カルト」とは何か (下)

── 「カルト」とは「宗教の仮面をかぶった全体主義である」


1文字アキ私が『カルトとしての創価学会=池田大作』を第三書館より刊行したのは、昨年(2000年)の11月上旬ですが、今のところ、前2作(『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』)も含めて、出版社にも私のところにも、拙著の記述内容に関する反応(抗議、民事提訴、刑事告訴など)は、いまのところ、公式には一切ありません。
1文字アキまあ、私の本など、放っておいても、学会員が我先と買いまくって、常に数十万部の発行部数を保証してくれる「池田先生の御本」と違って、大して売れていませんので、学会サイドにしてみると、正面切って相手にするのもバカバカしいと思っているのでしょう。
1文字アキそれよりも、尾行でうっとうしく付きまとったり、満員電車の中で痴漢の犯人でも仕立て挙げるなどの“謀略”(イヤガラセ)を駆使することで、社会から葬り去った方が早いと考えているのでしょうか。「古川容疑者、わいせつ行為で逮捕」と警察発表すれば、サツ回りの社会部記者は喜んで記事を書きますし(笑)。

1文字アキ本人にしてみれば、「我等が池田センセイの名誉を毀損した」と警視庁に告訴して、ウラから手を回して逮捕させたり、もしくは、ひと思いに殺害してくれた方が、よっぽどいいと思っています。そうすれば、どうせ新聞や週刊誌が「創価学会と戦って、無念にも命を落とした一青年ジャーナリストの熱き思い、云々……」と、浪花節チックに大々的に書き立ててくれこと間違いなしですので、こういう展開になれば、究極の『言論出版妨害事件』として、大ベストセラーの道が開けると踏んでいるのですが(笑)。

1文字アキといった“与太話”は置いときまして、学会系の月刊誌『第三文明』の2001年2月号に、「カルト問題を考える視点・アメリカにおける宗教事情」という意味深長なレポートが、さっそく掲載されていましたので、今回は、まず、これをたたき台にしながら、話を進めていきたいと思います。

1文字アキ『第三文明』も私の学会3部作と同様、あまり売れているものではないですし(失礼!『第三文明』の方が多いかもしれませんね)、読者層も同じ学会系の『潮』とは違って、さらに学会員に特化される形で狭くなっているゆえ、ここで書かれている内容は、学会内部におけるプロパガンダ的な側面が極めて強い、ということを、念のため、あらかじめ申し添えておきます。

1文字アキこの『第三文明』のレポートで書かれていることを要約いたしますと、フランスと同様、「政教分離」がきちんとなされている(ことになっている)アメリカの宗教事情を引き合いに出して、次のように述べています。

  • アメリカはヨーロッパ、特にフランスのカトリックのような普遍的教会(チャーチ)と呼べるべき宗派はなく、ある程度組織的な基盤を持った諸宗派(デノミーネション)が併存してきた。ちなみにアメリカの創価学会はデノミネーションである。

  • 「カルト」という語の法律的な定義はなく、むしろ、最近では侮蔑的なニュアンスで、その宗教を反対する人たちによって、意図的に用いられる傾向がある。「カルト」だからといって、即、犯罪集団と決めつけるのは、明らかに行き過ぎである。

  • カルトといっても、その宗教に社会的な生き延びる力があり、世間に受容されれば、「破壊的なカルト」ではない。

1文字アキ毎度おなじみの阿部日顕や山崎正友を、これでもか、これでもかと中傷した記事と違って、極めて淡々と書かれているのが少しヘンな感じですが(笑)、逆に抑えた文体であるがゆえに、私の提示した「カルトとしての創価学会」という提起に、どういう反論を加えたらいいのか、というスタンスがまだ定まっていないような印象を受けます。

1文字アキ本来なら、拙著(『カルトとしての創価学会=池田大作』)を取り上げ、名指しでこんぱんに叩いてもらった方が、本の宣伝にもなるし、私にとっては非常にありがたいのですが、そうでもないのです。読んでいて、極めて一般的とでもいうのか、あたりさわりのない“カルト論議”に終始しているのが、印象的です。

1文字アキさらには、フランス国民議会(下院)が『創価学会はカルトである』と認定している(創価学会サイドにとっては、あまり触れてほしくない不利な)事実は、まったく触れていません。詳しくはこれから説明していますが、“カルト輸出大国・アメリカ”で流布している、一見もっともな(曲学阿世の)学説をそのまま引き写しただけにすぎず、私からすると、ここで彼らが何をいいたいのかが、イマイチはっきりと見えてこないのです。

1文字アキフランスの国民議会(下院)が1995年12月に採択した報告書『フランスにおけるセクト(=カルト)』が、新たに「カルト」の概念を確立するにあたっ
て、カルトの問題を宗教から切り離したことは既に述べましたが、まさに、それまでは『第三文明』のレポートに出ているように、カルトという語においては、「法律的な定義」どこにも存在しなかったのです。
1文字アキそして、フランス下院の報告書では、そこを出発点に「カルト」を論じているわけですから、『第三文明』に出ているアメリカのカルト論議の引き写しは、はっきり言って、20年前の学説を引っ張り出したに過ぎないのです。わかりやすく例えると、日本に来日したばかりの無知な外国人に、石川さゆりの『津軽海峡冬景色』を「この歌がいま日本では大流行しているんだ」と、説いて回っているようなものなのです。
1文字アキ特に1990年代に入ってから、到底、宗教団体とは呼べない、例えば、オウム真理教のテロ事件に象徴されるように、「宗教の仮面をかぶった全体主義団体」の犯罪が出てきたことに及んで、これは社会問題、政治の問題として取り組むべきであるという機運が高まり、本格的なカルト対策に取り組むことになったわけです。そして、『第三文明』のレポートは、こうした「現代」を見る視点が、決定的に欠落しているのです。

1文字アキ「欧米」という熟語に象徴されるように、日本から見ると、ヨーロッパとアメリカは何でも一色端に、「一心同体」のように思われがちですが、実際にはそんなことはなく、両者の間における対立はいくらでもあります。少なくとも、カルトの問題に関しては、ヨーロッパから見れば、“カルト輸出大国・アメリカ”に対して、厳しい批判にさらされているのが現状なのです。つまり、カルト対策においては、「アメリカVS欧州(特にフランス)」の図式がはっきりと存在しているのです。
1文字アキアメリカは、『第三文明』のレポートにもあるように、いろんな民族が寄り集まってできた新興国家であるという歴史的背景もあって、カトリックという旧勢力の“重し”がなかったために、もともと宗教そのものには寛容でしたし、それは現在でもあてはまります(こうした流れは、戦後、GHQの指導によってわが国では宗教法人法が成立し、「信教の自由」の名のもとの“野放し的状況”が作られていった部分に受け継がれていると思います)。

1文字アキもともとこうしたバックグラウンドがあるために、アメリカでは「新宗教運動」の名のもとに、多くのカルトが生まれ、全世界に散っていったわけです。その中には、フランス下院の報告書にリストアップされている「統一教会」「サイエントロジー教会」「エホバの証人」なども含まれています。 「カルト」もまだ小さいうちは、「家族を捨てて帰って来ない」「高額の御布施を請求された」という。個人レベルの問題で済みますが、これが巨大化し、権力の中枢と伺うとなると、もはや、こうした「個人レベルの問題」では済まされなくなります。

1文字アキ欧州が危機感を募らせているのは、既に申し上げましたが、「プチ・カルト」はもとより、「宗教の仮面を被った全体主義」である巨大カルトが、国家権力を乗っ取ろうとする動きなわけです。
1文字アキフランスでは、巨大カルトの“御三家”として、「サイエントロジー教会」「エホバの証人」「創価学会」)がリストアップされ、その動向の警戒および情報収集に余念がありませんが、中でもいちばん大きな問題が「サイエントロジー教会」(一般には「サイエントロジー」と呼ばれています)です。

1文字アキ「サイエントロジー」といっても、日本ではほとんど馴染みがありませんが、わかりやすく例えますと、“アメリカ版創価学会”と言ってもいいと思います。豊富な資金力をバックに、議会やホワイトハウスにも強い影響力を持っており、サイエントロジーを批判するNPOや議員、ジャーナリストに対しては執拗なイヤガラセがなされます(何だか某国の巨大カルトとそっくりですね)。
1文字アキこの「サイエントロジー」は、日本にも「自己啓発セミナー」の形で既に入り込んできていると言われています。あと、俳優のジョン・トラボルタが“広告塔”として活躍しています。
1文字アキフランスの場合で言いますと、サイエントロジーは、国家権力の中枢にも侵食してきており、特に司法省において、1999年にサイエントロジーの裁判に関する資料が忽然と消えるという事件が起こっています。また、サイエントロジーはアメリカ本国はもとより、フランスでも裁判沙汰を多く起こしていて、93年にはカルト対策のNPOであるUNADFIを「信教の自由を弾圧する団体である」として訴訟を起こしています。

1文字アキ確かにアメリカでも、民間団体(NPO)のレベルでは、カルト問題の相談に乗ったり、情報を提供したりする動きはありますが、「信濃町の生き仏様」が「ウラの総理大臣」を務めておられる極東の某国と同様、政府や議会レベルでは、カルト対策に向けて本腰を入れようとする気配はありません。
1文字アキそれは、サイエントロジーなどの巨大カルトが、ホワイトハウスや議会に資金提供するなどして強い影響力を持っていますし、また、カルト問題を取り上げたり、批判する議員には徹底的な攻撃がなされます(このへん、日本では政教分離の視点から、創価学会・公明党を批判している白川氏が、信濃町サイドから徹底した個人攻撃にさらされている点と共通していますね)。
1文字アキそういう背景があるために、「チョー怖い巨大カルト」に対しては、アメリカでも「見ざる、聞かざる、言わざる」であるどころか、マスメディアやお抱えの学者・文化人を使って、ヨイショをさせたりもしているのです(これも極東某国のケースと酷似しています)。

1文字アキこの点、カルト対策については、フランスを始めとするEU諸国とアメリカでは真っ向から対立しています。
1文字アキ例えば、フランスのセクト対策庁の長官を務めるアラン・ヴィヴィアンは、カトリック系の総合週刊誌『LA VIE』2000年5月11号のインタビューの中で、次のように発言しています。

「私たちは昨年(1999年)4月、非合法活動を行うカルトに対する勧告を行い、これは欧州内の41の地方議会で採択されましたが、こともあろうにクリントン政権は私たちの活動が間違っているとして、プレッシャーをかけてきたのです。こうしたアメリカの現政権のカルトびいきの姿勢によって、北ヨーロッパのいくつかの議会では、この私たちの対カルト勧告に冷淡な態度を取らざるをえないところもあるくらいですから。」

1文字アキアメリカという国は、確かに日本と比べれば、デモクラシーの先進国ですし、社会においてはオープネス(公開性)とフェアネス(公平さ)がはっきりと確立されており、その存在がもろもろの活力の源泉となっていると思います。 しかし、デモクラシーの熟度という点では、アメリカは、欧州(フランス)に比べると、まだまだ立ち遅れていると、私は思います。

1文字アキその点、あの腐れ自・公を選挙で引きずり下ろせない日本は、デモクラシーの熟度という点では、欧米には遠く及ばず、今や韓国、台湾より大幅に遅れを取っていると思います(はっきり言って、フィリピンですら、あの汚職まみれのエストラーダをピープルズ・パワー(民意)でもって大統領の座から追放しているわけですから、日本は、もはやフィリピン以下といっていいでしょう)。

1文字アキヨーロッパから見れば、サイエントロジーやエホバの証人(もちろんこれに創価学会も加わりますが)は、デモクラシーを根底から脅かす「巨大カルト」です。
1文字アキしかし、アメリカ本国では、既に説明したように“宗教団体”として、立派な“市民権”を得て、大手を振ってまかり通っているわけです。日本の場合もアメリカとほぼ同様ですが、そういう現状を踏まえますと、欧州、特にフランスから見れば、アメリカの「政教分離」など、カルト対策の遅れとも合わせて、まったく中途半端であるとして、厳しい批判にされされているのが現状なのです。
1文字アキカルト対策における「アメリカVS欧州(フランス)」の対立の根源にあるのは、デモクラシーの熟度とも合わせて、アメリカという国の歴史の浅さということがあると思います。
1文字アキ確かに、まだ建国から200年余りのアメリカは、古いしがらみがないぶん、逆にいろいろと思い切ったことができる部分もあります。
1文字アキそれに比べると、「中世」という歴史の暗部を抱え込んでいる欧州は、現在でもなお、カトリックに象徴されるように、否定された権力や価値が今でも重層的に残っているため、今でも社会の中にそうした勢力との緊張関係が絶えずあります。

1文字アキところが、「中世」を飛び越して、「近代」から出発した新大陸・アメリカは、自分たちが「古い価値」を打ち壊した「理想」なのですから、いわば、いまある自分たちの体制こそが「絶対的な正義」なのです。つまり、アメリカの建国理念が、既に「過ちを犯したことのない神の国」であるわけであり、その中に独善的なカルト的体質を既に含んでいるともいえるのではないでしょうか。
1文字アキアメリカという国は、「民主主義」や「人権」を“絶対の正義”として、いろんな国に押しつけようする“癖”があります。確かに天安門事件を引き起こした中国に対して、「人権」を振りかざすアメリカの姿を見ていると、「じゃあ、アンタの国の黒人差別の問題とかは、一体、どうなってんだ?」とイヤミの一つでも言いたくなるのです。
1文字アキ自分たちの置かれた状況を差し置いて、「民主主義」だの「人権」を振り回すアメリカの姿は、何だか、オモテでは「世界平和」や「人権」を唱えながらも、ウラでは反対勢力や批判者に対して執拗な弾圧、イヤガラセを行う「創価学会=池田大作」や、また、「ごもっとも」なタテマエばかりを並べるばかりで、本当の権力悪には絶対に切り込まない、わが国の“大新聞”と、見事にオーバーラップして見えます。

1文字アキそれに比べると、欧州は、中世や封建時代をしっかりと抱え込んで生きているため、カトリックもそうですが、いくら近代化しても、消え去ることのないアイディンティティーがあります。
1文字アキ血肉を争う宗教戦争の中から、カトリックが自らの襟を正し、自らの改革に取り組んだように、常に自分たちの過ちを検証し、相互批判したり、謝罪するプロセスを通じて、近代の歴史を形作るベースとなった、「人権」や「自由、平等、友愛」という人間主義の価値観に立ち返ろうするベクトルがあります。
1文字アキ特に、戦後日本は、アメリカ型の民主主義を取り入れられさせられたため、何事もアメリカを引き合いに出して、「アメリカではこうなのだから、絶対に正しい」という帰納法的な論証をやりがちですが、そういった発想自体が、非常に「カルト的」だと私は思います。

1文字アキ私個人の立場で言えば、フランスに対しては、非常に親近感を抱いています。が、しかし、フランスが絶対だとは決して思っていません。
1文字アキフランスに滞在すればわかりますが、イヤなこと、閉口してしまうこともたくさんあります。ムルロア環礁で平気で核実験をやるなど、どうしようもないところもあります。
1文字アキしかし、そういうこともひっくるめてみても、少なくとも「デモクラシーの熟度」「カルト問題に対する認識の深さ」という点に関しては、フランスの立場というのは、実に侮れないものがあると、今回の現地取材で痛感しました。

1文字アキフランスのカルト対策で、非常に興味深いと感じたのは、ここではカルトの問題を、麻薬などの薬物取り締まりと同様、「予防措置」といった側面から、特に「未成年者」をいかにカルトの被害から守るか、ということに力を入れている点です。
1文字アキ「自由意思の尊重」というのは、基本的人権の一つですが、その「自由意思」を行使するためには、「批判精神」が必要です。その視点から見ていくと、カルトが子供たちを囲い込んで、リーダーに個人崇拝を強要させ、ドグマを叩き込むことは、子供たちから批判精神を削ぎ落とすことになります。そして、そのことは「人権侵害にあたる」というわけです。
1文字アキそういった方針から、フランスでは1998年には、義務教育に関する法律が改正され、「視学官」という専門職員を配置して、学校や自宅を回って、子供がカルトに囲い込まれて、精神的、肉体的な虐待を受けていないかチェックできるようになりました。
1文字アキこのため、公立学校でのカルトに対する警戒が厳しくなってきたことから、カルトは矛先を変えて、補習校(私塾)や家庭教師派遣センターの方に手を広げてきている例が報告されています。

1文字アキそして、フランスでは昨年(2000年)の6月に、カルト対策法が国民議会(下院)で満場一致で可決され、現在、上院での審議が始まっています。
1文字アキこの法案では、始めて「洗脳(マインドコントロール)に対する罪」というのが設けられ、この「洗脳に対する罪」で有罪判決を2回受けた団体は、裁判所が解散命令が出せるほか、病院や高齢者施設、学校などから100メートル以内の区域におけるカルトの勧誘の禁止・カルト対策のNPOが、被害者に代わって訴訟を起こす権利を認める――ことなどが盛り込まれています。
1文字アキこの法案については、「“洗脳に対する罪”は、思想弾圧につながる危険がある」という慎重論がある一方で、「こんな生ぬるい法律では、カルトを取り締まれない。もっと厳しくしろ」という意見もあって、実際に法律が制定されるところまで行くかどうかは、まだわかりませんが、少なくとも、こうして議会ではもとより、国民レベルで、カルトの問題を真剣に議論し、その被害を未然に防ごうという意思が、フランスには存在します。

1文字アキところが、日本の場合ですと、カルト被害者の救済をどうするか、という議論はもとより、その「カルトとは何か」を論じる出発点となる「政教分離」の問題すら、放置されたままになっているわけですから、何ともお寒い限りです。
1文字アキ「日本でもフランスのように早く『カルト対策法』を制定しろ」とカゲキに振り回すと、ちょっと議論が飛躍しますが、もう少し、国民レベルでも、そして国会レベルでも、「カルトとは何か」「カルトの被害を未然に防ぐにはどうしたらいいのか」という議論がもっとあってもいいと思います。実際、創価学会だけに限らず、カルトにハマッてしまったことで、家庭がバラバラになってしまったり、子供を囲い込んでグルへの洗脳を強要しているという被害が実際に出ているわけですから、もはや「社会問題」として対処する時期に来ていると思います。
1文字アキしかし、現在のところは、わが国最大のカルト「創価学会・公明党=池田大作」が“永久与党”として、踏ん張っていますので、残念ながら、こうした問題提起すら、なかなかできないのが現状です。脱会者や批判者に対してあれだけ集中的にイヤガラセをしている問題を、いま、「ウラの総理大臣様」が君臨する国会で取り上げろ、というのが少し無理な要求かもしれません。
1文字アキまあ、日本の民主主義はこの程度だ、と言ってしまえばそれまでですが……。

1文字アキここで、冒頭の『第三文明』のレポートの内容に戻りますと、この論文の最大の特徴(欠陥)は、“カルト輸出大国・アメリカ”の事情のみを引き合いに出しながら、「カルト批判を何とか封じ込めたい」とする、カルトの存在を擁護する立場からのみ書かれている点です。
1文字アキまあ、媒体が媒体ですので、その記事内容に「客観公正な立場」を求めること自体、そもそも無理がありますが……(笑)。

1文字アキしかし、こういう論文が学会系の雑誌に出てくること自体、私にとっては大きな驚きです。ひょっとしたら「カルトとしての創価学会」という私の問題提起に、学会サイドも少しはご関心を持ってくださっているのでしょうか? だとしたら、著者としても、非常にうれしい限りです。ぜひ、どんどん論戦をヒートアップさせることで、カルトに対する国民的な関心が高まっていけば、私の苦労も無駄ではなかったということでなのですから。

1文字アキちなみに拙著(『システムとしての創価学会=公明党』Amazon.co.jpへ『シンジケートとしての創価学会=公明党』Amazon.co.jpへ『カルトとしての創価学会=池田大作』)Amazon.co.jpへは、書店によっては「池田本コーナー」に先生の最新作『詩集・月光の城』と並んで置いてあるところもあります(笑)。もし、書店にない場合で、お急ぎの方は、電話03-3558-7331か、話題のインターネット書店amazon.co.jpAmazon.co.jpへなどでご注文ください。こんなところで、本の宣伝なんかしてしまって大変申し訳ありません(笑)。

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