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創価学会シンボルわが国最大のカルト「創価学会・公明党=池田大作」

フリージャーナリスト 古川 利明



第七回

「創価学会=公明党」における池田独裁体制の分析 (下)


1文字アキ一般的には、組織の特性とは、そのリーダーのキャラクターに左右されるといわれています。
1文字アキ例えば、「ホンダ」がその創業者である本田宗一郎の、技術にこだわるモノ作りの精神をその社風に残している、といった具合でしょうが、これがカルトの場合でも、そのリーダーの特異なキャラクターがそのまま組織の特性にダイレクトに現れてきます。
1文字アキこれを「創価学会=公明党」の場合にあてはめ、池田大作のキャラクターと比較しながら、見ていきましょう。

1文字アキ「システムとしてのカルト」を綿密に分析したアメリカの研究者、マデリン・ランドー・トバイアスとジャンジャ・ラリックが著した『自由への脱出』(邦訳・中央アート出版社、1998年)によれば、カルトのリーダーは、ほぼ例外なく、サイコパス(精神病質者)の傾向を持っていると指摘しています。
1文字アキサイコパスとは、誇大妄想を抱き、虚構と現実がわからなくなる精神病とも区別されるとして、次のように説明されています。

1文字アキ「サイコパスは衝動的で、欲求不満や遅延に耐えることができず、信頼することができにくい。偏執的な態度を取ったり、情動的な経験を外に出そうとする。人と協力して何かをする能力に欠け、怒りは驚くほど激しい。ひんぱんに逃避する。他者との関係に非常に問題が生じやすい。他者と親しくなることで、相手に取り込まれるかのように融解する、つまり自己を失うことを恐れる。同時に逆説的ながら、サイコパスは他者に近づきたいという欲求を抱き、そこにこだわることがしばしば怒りの爆発を促す。サイコパスは子供の幼稚な癇癪を、大人の身体能力で実際に演じることができ、そうした行動に出る可能性は、そう遠くないところにある。結局のところ、サイコパスは『欲しいものは何でも手に入れずにすまされない』ということになる」

1文字アキ以上の説明を踏まえながら、『自由への脱出』では、サイコパスの具体的な特徴として、「弁舌の巧みさ」「ごまかしに長けている」「誇大な自意識」「愛する能力の欠如」「行動の抑制が効かない」「無責任、信用がおけない」など、15項目にわたって列挙しているのですが、これがまた実に、これまでの取材結果と照らし合わせると、池田さんのキャラクターとほとんどピタリと当てはまるのです。

1文字アキサイコパスの本質として挙げられた項目のうち、例えば、「行動の抑制が効かない」という点で見ていきますと、1991年、創価学会が宗門から破門され、脱会者が続出すると、池田さんは「脱会者は地獄に落とせ」という指示を出したため、無言電話や中傷ビラの配布、尾行などといったイヤガラセを集中的にやりましたが、これなどは「常識の範囲での行動が取れない」こと、つまり、「行動の抑制が効かない」ということの典型例だと思います(ちなみに元学会幹部によりますと、「オレを怒らすと、何をするかわからない」という池田さんの証言もあります)。これなどは、まさに集団ヒステリーというか、集団ストーカーといった感じですね。
1文字アキ最近では、こうした「ストーカー」が、男女を問わず増えているようですが、現代人にも「サイコパス」という特質を持つ人が増えてきているということでしょうか。
1文字アキあと、「ごまかしに長けている」「無責任、信用がおけない」という点で言いますと、これもほじくり出したらキリがないとは思いますが、自・自・公における路線変更で、新ガイドライン関連法や盗聴法、国旗・国歌法などが、一挙に成立してしまったことなどは、これに該当するのではないのでしょうか。

1文字アキただ、学会内部における「池田先生」は、既に述べたように個人崇拝が徹底しています。それはまさに戦前の昭和天皇並みの「神聖不可侵」なる存在ですので、こうした責任が池田さんに波及することは絶対にありません。
1文字アキいちおう、創価学会と公明党は、表向きは「政教分離」のフリをしていますので、悪いのは法案に賛成した第一には「公明党」であり、100歩譲っても、そういった方針を池田先生に唆した(と末端の学会員は素朴に信じ込んでいますが)秋谷栄之助、野崎勲といった学会首脳なのです。極論を言えば、学会内部では、秋谷、野崎、神崎、冬柴の悪口をいくら言っても構わないのです。「池田先生」さえ批判しなければ。

1文字アキ前にも述べたように、「絶対的な権限は行使するが、責任だけは絶対取らない」のが池田大作とするなら、「権限は行使できない代わりに、責任だけを取らされる」のが秋谷さんでしょう。
1文字アキ内部関係者の証言によりますと、秋谷さんの口癖は「オレは池田より一日でも長生きする」とのことだそうです。このへんに“蛇・秋谷”の執念を感じますが、個人的にはぜひ、一日でも池田さんより長生きして、秋谷さんには是非、これまでに出ていない「池田大作のウラ」を証言してもらいたいと思っています。それが、学会内部最後の“良識派”と言われた(もちろん、今は池田ベッタリですが)秋谷さんの責任だと思いますが。
1文字アキそのときは、たぶん取材に行きますんでよろしくお願いします(笑)。

1文字アキこうしたカルトのリーダー特有の「サイコパス」の気質が、どのようにして形成されていったのか、池田さんの生い立ちに遡りながら、説明したいと思います。
1文字アキ池田さんの生まれたのは、1928(昭和3)年1月2日、現在の東京府荏原郡入新井町大字不入斗(現在の東京都大田区大森北)に、海苔づくりを手がける父・子之吉、母・一の五男として生まれました。今年(2001)年の正月で満73歳を迎えましたが、聖教新聞やグラフSGIで見るかぎりは、顔の色つやもよく、例によって会員をアジテートするカゲキな詩や和歌も日夜、作っておられるようで、まだまだ元気いっぱいです。

1文字アキ池田さんの少年時代は、「貧乏人の子だくさん」を地でいく状況だったといいます。
1文字アキそのへんは、池田さんの自伝『私の履歴書』や小説『人間革命』などには詳しく出てきませんが、池田さんを含めて、子供が計10人もいたわけですから、いくら当時は多子が珍しくなかったとはいえ、これだけの子供を養っていくのは、並大抵ではなかったと思います。
1文字アキ実際、池田さんの少年時代が貧乏だったことは、同級生の証言からも出ていますし、そのうえに栄養不足で自らが「死にそこなう」と漏らすほど(『宗教と信仰の心理学』)、大変だったといいます。

1文字アキ戦後、雨後の筍のように出てきた「新興宗教」に走った人が、「病」「貧」「苦」がそのバックグラウンドにあったように、池田さん自身もそういう環境で少年時代を過ごした、というのだそうです。
1文字アキまことしやかに流れている噂として、池田さんの「在日説」「同和出身者説」があります。私はこの話の裏付けを得ていないので、その真偽のほどはまったく不明ですが、少なくとも、池田さんが少年時代に貧困や病気に悩まされた、いわば「差別される側」にいたこと、つまり「マイノリティー」の出身であることは、重要なポイントだと思います。

1文字アキやはり、池田さんのディスクールを丹念に拾っていきますと、そうした「弱者」が踏みつけられた痛みを癒そうと、琴線に触れる表現がよく出てきます。
1文字アキこれはおそらく、戦後、裸一貫から宰相の地位に上り詰めた田中角栄もそうですが、大衆の欲望というものをサーッと見抜き、そうした心をくすぐる能力が極めて池田さんは長けているのですが、これは池田さんの出自に起因する部分が大きいと思います。その意味では、私は池田大作という存在を絶対に侮ってはいけないと思います。

1文字アキただ、池田さんの少年時代というのも、ずっと調べていったのですが、実はわからないことが多いのです。
1文字アキそれは池田さん自身がなかなか本当のことを語っていないこともありますし、肉親が既に亡くなっていたりして、取材ができないこともあります。
1文字アキ例えば、妻妾同居だったという池田さんの少年時代にしても、そのディティールはほとんどわかりません。ほんの断片的に漏れてくる情報をもとに、いろいろと想像していくより術はないのですが、ただ、おそらく池田さんは幼いころ、すごく肉親の愛情に飢えていたんじゃないか、「寂しい人」だったんじゃないかっていう気はします。

1文字アキそのへんがおそらく、サイコパスの特徴である「愛する能力の欠如」というところにつながってくると思うのですが、結局のところ「愛する能力」とは、その相手の人間性を認め、信頼し合い、最終的には相手を「許す」ということだと思うのです。
1文字アキが、池田さんのキャラクターを見ていったとき(もちろん表面的には、末端の会員などには巧みな励ましのスピーチを駆使していますが)、この「愛する能力」ということが、どこか根本的に欠けているような気がしてならないのです。

1文字アキもし、本当に池田さんという人に「愛する能力」を兼ね備えていたのなら、あそこまで自分から離れていったり、批判した人を悪しざまに罵倒したり、執拗なイヤガラセを繰り返したりしないと思うのです。

1文字アキそういったところを見ていくと、たぶん、池田さんが人間としての基盤を形成する少年期に、もっとたっぷりと肉親からの愛情を注がれていたら、もっと寛容というか、「人を許す」というおおらかさが形作られていったように思えてならないのですが。
1文字アキ池田さんの創価学会への入信は、戦後まもない1947(昭和22)年の8月とされていますが、彼が学会内部で頭角を現すきっかけとなったのは、第2代会長・戸田城聖が経営していた高利貸し業「大蔵商事」で、営業部長として、抜群の活躍を見せたことによります。
1文字アキもともと文学青年だった池田さんは、戸田城聖に拾われる形で、東京・西神田にあった「日本正学館」という小さな出版社で、少年誌などの編集にかかわっていたのですが、入社して1年も経たないうちに、1949(昭和24)年の秋に倒産してしまったことから、食べていくためには、自分の意志とは反する高利貸し業に手を染めることになったようです。

1文字アキ当初は、おそらくイヤイヤながら始めた「大蔵商事営業部長」という職だったのでしょうが、実際、始めてみると、池田さんというのは、その動物的カンで、カネのある家とない家をピタリと当てる一方で、借金の取り立ても、それこそ「寝ている病人」の布団を剥ぐといった逸話があるほど、なかなかのものだったといいます。
1文字アキそして、大蔵商事時代は羽振りもよく、最初の3年間で池田さんが稼いだのが、歩合で200万円、基本給と合わせると毎月の手取りが20万円を下らなかったといいます。
1文字アキ当時の大卒公務員の月給(初任給)が5千円にも満たなかった時代です。この池田さんの辣腕ぶりが、いかにすごかったかがわかるでしょう。

1文字アキ実は、池田さんのこの「大蔵商事」時代というのも、小説『人間革命』などをはじめとする、彼の“履歴書”からは、ことごとく抹殺されています。
それは池田さん自身が「戸田先生の唯一の失敗は、私に、金貸しのような、汚い仕事をやらせたことだ。俺なら、後継者の人生経歴を、そんなことで傷つけたりはしない」(山崎正友『懺悔の告発』)と語っているように、本心では一刻でも忘れてしまいたい、忌まわしい過去なのかもしれません。
しかし、この大蔵商事時代の体験は、池田さんにとっては「失敗」どころか、その後の「大成功」を約束する大きなカギになっています。
1文字アキ池田さんが「大蔵商事」で学んだことは、人間社会における「下部構造」、つまり、カネを握ることの絶対的な意味だったと思います。

1文字アキ人間というのは、私も含めてそうですが、非常に弱いもので、ことカネの力の前には、あまりにも脆弱です。どんなに口ではキレイゴトを言っていても、人間というのは、カネの前にはもろくも跪いてしまう存在です。
1文字アキおそらく、池田さんは大蔵商事の体験を通じて、こうした人間の本質を怜悧に観察したのではないでしょうか。
1文字アキこうしたカネに対する執着は、おそらく田中角栄に匹敵するといっていいと思います。それは田中角栄と同様、学歴も人脈もない最底辺の人間が、体制の中でのし上がっていくためには、残された武器は「カネ」しかないことを、池田さん自身が痛いくらいに知っていたからだと思います。
1文字アキそうして、このような大蔵商事での活躍が、戸田城聖に評価されたからこそ、池田さんは学会内部で取り立てられていくきっかけになったわけです。

1文字アキこうしたカネに対する嗅覚ともリンクしてきますが、池田大作に与えられた才能の中で、最も卓越しているのは、「相手の心を瞬時に読む力」だと思います。

「いったいこいつは何を考え、何を欲しているのか。弱点は何か。何に喜び、何をいちばん恐れているのか……」

1文字アキそして、カネで籠絡するのであれば、徐々に与えてヒモ付きにしていくのがいいのか、見せ金でバッサリ落とすのがいいのか。
それを池田さんは瞬時のうちに読み取り、すぐさま相手の心を取り込む「演技」で切り返すというのです。
1文字アキまあ、こうした能力は、えてして政治家にも必要なものでしょうが、このような「他心通」(※仏法の言葉で、相手の心を瞬時に読み取る能力のこと)の才能に、「サイコパス(精神病質者)」の性質が加わることで、「独裁者」のキャラクターというのが形成されていくのだと思います。

1文字アキ田中角栄が池田大作のことを評して、「あれはしなやかな鋼だ。煮ても焼いても食えない」と語っていますが、頭の回転の速さ、スキのなさ、「演技的人間」としての狡猾な人心籠絡術、そしてカネ集めのうまさといった点で、私も池田大作は実に恐るべき人間だと思います。
1文字アキだいたい、第3代会長に就任して、学会内部の権力を掌握したのが、1960(昭和35)年のことです。
1文字アキそれ以来、独裁権力を一手に握り、失脚もせずに今日に至っているというのは、ここでは皮肉を一切込めずに、本当にすごいことだと思います。
世界中探して、これだけ長い間、独裁権力を保持している人間が、いったいどこにいるでしょうか? でもって、学会内部だけで飽き足らず、ついに国家権力の中枢に入り込んでしまったわけですから、これはもう、ギネスブックに記録を申請してもおかしくはないと思います(笑)。

1文字アキよく、週刊誌あたりの池田大作バッシクングを見ますと、面白おかしく、そして、時には感情的にこきおろすパターンが見受けられます。
1文字アキかくいう私も、文章表現のテクニック上、敢えて感情を込めて、そういう文体を(わざと)取ることもあります。
1文字アキが、しかし、「池田憎し」という感情が先走るあまり、彼を“過小評価”しようとするのは、逆に池田大作、および、創価学会・公明党の本当の姿が見えなくなる恐れがあると思います。
1文字アキやっぱり、こうしたバッシングの深層心理には、田中角栄に対してそうであったように、エスタブリッシュメントから見る、「マイノリティー」や「成り上がり者」に対する反感や、うさん臭い思いみたいなものが、どこかに潜んでいるような気がします。
1文字アキもちろん、過大評価をすることも禁物ですが、特に日本の戦後史という歴史的な時間軸から、「創価学会・公明党=池田大作」という存在の、等身大の姿を捉える視点が大切だと思います(しかし、それがなかなか難しいですが……)。

1文字アキそれから見ていきますと、実際のところ、「創価学会・公明党=池田大作」というのは、わからない部分が実に多いのです。まあ、一連の私の3部作で、その大まかな部分は描き出したつもりではいます。
1文字アキが、その一方で、創価学会というよりも、池田大作という存在そのものがブラックホールとでもいうのか、「戦後史の闇」そのものですので、実はわからないところが多いのです。
1文字アキ所詮、私が拙著で書き表したことなど、まさしく氷山の一角にすぎないわけで、それこそ、人の評価は「棺を覆いて定まる」ではありませんが、池田さんのまだ出てきていない情報は、それこそ池田さんが亡くなってから、「じゃあ、今だから話そうか」というレベルだと思います。
1文字アキその意味では、本当に冗談ではなく、秋谷さんあたりには池田さんより1日も長生きをしていただいて、例えば、自・自・公の裏側ではいったい何があったのかを、明らかにしてもらいたいなあ、と切に思います。

1文字アキ結局、私がなぜここまで「創価学会=公明党」にのめり込んだかといえば、それは、ひとえに池田大作というキャラクターだと思います。
1文字アキ確かに取材という行為は、いろんな人と会って、これまでの歴史的な事実を引き出し、それを積み重ねていく作業ですが、その奥にあるのは、「人間」という存在に対する関心、飽くなき好奇心ということだと思います。
とにかく、池田大作という存在を見ていくとき、私の新聞記者時代を含めて、これだけ根源的な驚きを提供する取材対象はありませんでした。
1文字アキまあ、創価学会という組織が極めて閉鎖的、排他的ですので、満足な情報公開がないために、正確な情報を掴むことが難しいという点もありますが、それを越えて、池田さんという人間が、とても通常の人間の常識感覚では捉えきれないことが、次から次へとたくさん出てくるのです。

1文字アキ例えば、「創価学会=池田大作」の総資産一つとっても、それは誰も(池田大作以外は)正確な金額がわからない。とりええず、「10兆円」という数字がまことしやかに囁かれていますが、それもどこまで正確かわからない。
低く見積もって、仮に総資産が1兆円だったとしても、いくら宗教法人法の優遇税制があるからといっても、それだけの巨額な数字をどうやって1代で築き上げることができたのか。不思議でしょうがないのです。
1文字アキそれに加えて、あの脂ぎった顔、権力を目指す飽くなき執念、全国各地に建設されている豪華絢爛な専用施設、さらには彼を取り巻くあやしげな「女帝」の存在……。
1文字アキ既に21世紀に突入し、とりあえずタテマエ上は「民主主義」の形態を取っているこの国で、中世のローマ教皇を彷彿させるような絶対的指導者が、いったいどこにいるでしょうか。
1文字アキですから、オウム真理教の麻原彰晃が、池田大作をポアのターゲットに絞ったというのも、何となくわかるような気がします。
1文字アキつまり、教団内部で絶対的な権力を持ち、いまや国家権力まで牛耳ろうとしているその姿に、ジェラシーをストレートに感じたのだと思います。そして、到底、自分が届きそうもない政治権力、さらにはカリスマ的なパワーを持っている池田の存在をどうしても許すことができず、何としても「亡きもの」としたかった、独裁者の狂気から、それは来ているのではないでしょうか。

1文字アキ特に私は、この取材を始めるまで、ほとんどといっていいほど、「創価学会・公明党=池田大作」に関する予備知識がなかったので、それこそ内藤国夫という人も、「何で将棋差しが、こんなアブない問題に関わっているのか(それを言うなら、「内藤国雄」ですが…)」と、疑問に思っていたぐらいでしたから。取材を始めて、調べを進めていくたび、私にとっては驚きの連続でした。
1文字アキそれからすると、1974年に「創共協定」を結んでいたことを初めて知った時の驚きは、今でも忘れられません。「あー、これはとんでもないオッサンだな」と。と同時に、いくばくかの身の危険を感じながらも、その面白さにどんどんと自分がハマッていくのが、わかりました。一度、この世界を取材すると、なかなか抜けられないといいますが、その意味もよくわかります。
1文字アキ池田さんの行動様式を説明する言葉として、彼を知る何人かは「動物的カン」という表現を使います。確かに、今度の自・自・公についても、なぜ、そういう選択肢を取ったのか、その合理的な説明は、自分なりにいろいろとしていますが、最後の最後はよくわからないところがあるのです。
1文字アキもしかしたら、池田さん自身も整理しきれていないんじゃないか。そう思うときがあります。

1文字アキ確かに、独裁者が権力を握り、国家を振り回すのは、ヒットラーやスターリンの例を出すまでもなく、国民にとっては、たまったものではありませんが、しかし、取材者の立場から見ると、「独裁者の異常性」というのは、取材対象として、こんな面白いものはないのです。
1文字アキつまり、並外れた人間を観察することで、1人の人間、もしくは人間全体の多様性とか、幅といったものが見えてくるのです。そして、そこから「人間とか何か」という命題を考えるきっかけになるわけですから。
1文字アキもちろん、ジャーナリスティックな部分からのアプローチでは、「創価学会=公明党」の政教一致や、自・自・公以降での政権参画は、厳しい批判にさらされて当然ですし、そのことに関しては、私も容赦ない攻撃をします。
が、文学の視点から、もしくは、精神分析の立場から、「独裁者としての池田大作」をもっと切り込んでいったら、まったく別の作品が生まれるかもしれないなあ、ということを最近、よく思います。そして、読者が読んで面白く、かつ、ビジネス的にも売れるのは、たぶん、そっちの作品ではないでしょうか。

1文字アキその意味では、私の心の中にも、現在、「ウラの総理大臣」として、永田町に大きな影響力を行使している「創価学会名誉会長・SGI会長・公明党創立者」としての池田大作と、そうした肩書をすべて取っ払った1人の「池田大作さん」を見る視点には、実は相当のズレがあります。
1文字アキおそらく、池田さんはそういったごてごてした「社会的存在」としての鎧で武装していると、非常に巨大に見えますが、そういった夾雑物をいったん取り払って、ただ単に1人の人間として見たとき、実は、非常にか弱くて、根源的な孤独に耐えきれない、依存症タイプの人じゃないかという気がします。
1文字アキそれは、1957(昭和32年)の大阪での選挙違反事件で逮捕されたときに、拘留満期を待たずに、全面自供してしまったことや、おそらくそこから出発している「権力からの弾圧」に対する恐怖から、国会での証人喚問を怖がって、学会員以外の公の場所にはほとんど姿を見せない、というところにもつながっているのではないかと思います。
1文字アキ一つの組織の中にある「独裁システムの分析」というと、なんて言うのか、非常にメカニックな響きを持っています。しかし、システムを構成しているのが、血も涙も通っている「人間」である以上、こうしたテーマを究極まで突き詰めていくと、最終的には「いったい人間とは何か」という部分に行き着いてしまうように私は思いますが。

1文字アキ次回以降は、「巨大カルト」の最大の特徴である「公権力へ浸透しようとする企て」が、創価学会・公明党においてはどのようになされているかを、もう少し具体的にみていきたいと思います。

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