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自由主義の政治哲学

著書表紙写真・著書紹介ページへリンク1文字アキこのサイトの私の論述は、公明党の政権参加の違憲性や、自由主義の立場から自公連立の問題点を述べたものがほとんどです。自由主義そのものを論じたものはありません。しかし、自由主義の政治思想をキチンと押さえておかないと、私が自民党と公明党の連立になぜ強く反対するのか十分に理解できないものがあると思います。
1文字アキこの小論は、平成元年9月に出版した拙著『戦うリベラル』からの抜粋です。自由主義の政治を理解するためにきっと参考になると思います。ご一読いただければ幸いです。


2000(平成12)年11月7日1文字アキ

skwname.gif (1150 バイト)1文字アキ


自由主義か管理主義か
ボーナスとペナルティー
管理でよい社会がつくれるか
適切なペナルティーが自由社会の根源
政治は人間の最高の営為

白鳥は悲しからずや

自由主義か管理主義か

1文字アキ私は、政治というのはどういう国をつくるかということ、もう少し専門用語で言うと、どういう秩序をつくるかというのが、いついかなるときもその本質だと思っています。

1文字アキさて、一つの秩序をつくるのが政治の目的だとする場合、どういう秩序がいいかという考え方には違いがありますが、いろいろな価値観があっても、とにかく秩序をつくってキチンとまとまりのある国をつくろうということは、どんな政治であっても本質的なことだと思います。それは太古の昔からそうだと思うのです。

「最悪の政府といえども、無政府状態よりましである」(カムデン卿)

は、政治というものの本質をついた言葉であると思います。そこで、どうしたらいい秩序ができるかということに関して、私は二つの考え方があると思うのです。

1文字アキ一つには、秩序という言葉からして、「良き管理をするからいい秩序ができる」という考え方であります。それに対して、「管理することによっていい秩序ができるという考え方は、本当に正しいのだろうか?そもそも国というのは、そんなに管理能力があるのだろうか?逆に、できるだけ管理しない方が結果としてはいい秩序ができるのではないか?」という考え方があります。こうした考え方が十七,八世紀からでてきた、まさに自由主義政治の哲学だと私は思っています。これはイギリスから始まりました。

1文字アキ経済については、アダム・スミスが、経済を発展させるためには自由競争の方が結果としてはいい秩序が出てくるんだ、という主張をしたわけです。

 「われわれはいい秩序をつくりたい。しかし、いい秩序をつくるためには、基本的に国民を信頼して自由にやらせることが、結果としてはいい秩序ができるのだ」──これが、自由主義政治の根本思想だと思います。「自由主義の政治というのは何なんだろうか?」と二十年近く考えてきて、これが私の結論でした。

1文字アキそこには、単に政治制度だけではなくて、人間に対する物の見方において根本的に違う立場があると思います。一つは、まず管理するという問題を考えてみても、人間というのはそんなに管理できるのだろうかという問題があります。管理の前提には教育という問題があります。教育しないととんでもないことになるからというので教育する。しかし、教育だって、国家が考えるように完璧にはやれっこない。いわゆる権力者側の立場に立っても。そんなに徹底した教育もできないし管理もできない。だから、管理したら結果としていい秩序が出てくるんだという考え方はあきらめた方がいい。私はこのあたりから、自由主義政治の考え方が出てきたのではないかと思います。

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ボーナスとペナルティー

1文字アキもう一つは、私は、自由主義政治というのはやはり、人間をどう見るか──というところが、そうではない政治の思想と非常に違っていると思うのです。 性善説かというとそうでもない。例えば、人間というのはある程度一生懸命やったら、ちゃんとボーナスを与えなければだめだという、そういう点では非常に人間不信なのかも知れません。同じように、悪いことをしたらペナルティーをあたえようというのも、人間不信なのかも知れません。

1文字アキただ一方では、自由主義者というのは、では人間というのは自由にしたからといってみんながみんなそんなに悪いことをするかというと、「それほど捨てたものではないよ」ということも考えていると思うのです。だから、原則的には自由にしてしまえという発想がでてくるのだと思います。国民というのは、まるっきり当てにならないのだというのならば、最初から原則的に自由にしてしまえなどという発想は出てこないと思います。

1文字アキ党内で議論するときでも、また世間でもそうですが、「自由はいい。しかし自由の濫用はけしからん」ということを言う人がいます。それはそのとおりなんです。民法にも「権利の濫用はこれを許さず」と書いてあります。

1文字アキ自由にしてもいいというと、自由をはき違えて、やはり許されないことを平気でやってしまう人が一定の率で出てくる。そのかわり、同じくらいの率で、期待した以上にその自由を生かしていいことをやる人もいるわけです。だから、自由にした以上、どうしたってある程度期待しないことをやる人、ドロップアウトする人が出てくるのはやむを得ないことなんだということを、自由主義者は最初から考えた上で原則的に自由を与えるべきだ、と思っているのです。

1文字アキ“できるだけ無条件の自由”というゆえんは何かというと、過ちを犯す人も、よく見ると、その大多数は普通は正常なグループにいるのですが、一時的に過ちを犯すグループに入っているだけなのだと自由主義者は見ているのです。事実そうなのではないでしょうか。

1文字アキしかし、そういう人は、逆に過ちを犯して一度チャンとペナルティーが与えられると、まず二度とドロップアウトして悪のグループには入らない。自由主義者というのは、徹底した事前の教育によって悪を犯させないというよりも、「いくら教育したって限界があるのだ。人間というのは、ときには悪の誘惑に負ける時があるのは仕方ないことなのだ」と考えているのです。しかし、悪をなすことによって、それ相当のペナルティーを受けることによって、逆に悪は犯さなくなる──という“悪の効用”ということもちゃんと知っている人が、真の自由主義者ではないかという気がするのです。それは、私たちが風邪をひいたり、はしかにかかったりしながら、病気に対する免疫をつけていくのと似ているのです。

1文字アキこんな一般論を言うと、何とも七面倒くさいことを言っているような気がしますが、例えばわれわれ一人ひとりをふり返ってみれば、親や学校の先生がやるなということはだいたい一通りみんなやってきているわけです。そして人間というのは、それが見つかったり、またかりに見つからなくても、ああ、おれは悪いことをしたなと思って、逆にそう二度も三度も同じような過ちを犯さなくなるわけです。私などは、性悪な人間に生まれたからでしょうか、自分の体験からつくづくそう思うのです。あなたの場合はどうでしょうか。

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管理でよい社会がつくれるか 

1文字アキ「自由は認める。しかし、権利の濫用はこれを許さない」それはそのとおりなんですが、ちょっとしたことにすぐ目くじらを立てて、だから自由といっても、かなり制限をした自由でなかったらだめだよという物の考え方をする人というのは、自由主義ということの根本は本当はおわかりになっていない方なのではないかという気が私はいつもするのです。

1文字アキ物事というのは反対をみるとわかることがあります。管理した方がいい社会秩序ができるし、管理しなければだめだ──という国を見てください。まず、そうした国は、それは徹底した教育をします。で、そこまで教育したらもう後は過ちを犯さぬだろうと思って国民を自由にさせるのかというと、そういう社会に限って教育が終わっても自由にしないのです。自由にしないなんていうものではなくて、常に悪いことをしないかと監視する秘密組織だとか、管理組織が必ずあるのです。

1文字アキ管理社会ほど教育をする社会はないのですが、教育をする割には実は全然国民を信用していないのです。どんなに教育しても、人民などというのは何をするかわからないといって、裏に回って監視したり管理しているのです。
そういうところを見ると、自由主義社会というのは、一見冷徹のようなところもありますが、意外に人間を基本的には信用しているほうの“性善説”という立場に立っているような気がするのです。社会主義社会というのは、自分たちは性善説に立っているのだ、だから教育すればみんないい人民ばかりできるのだと言っていますが、根っこのところでは人間を全然信用してないのではないかと私は思っています。

1文字アキ自由主義社会の政治はどういうものか。自由主義政治の根本はなんだろうか。このことは、以上のようなことを十分ふまえて考えなければなりません。悪いやつが出てくると、「警察は何をしているんだ、監督官庁は何をしているんだ」、社会党や共産党の先生方は国会でよくこういう言い方をします。そういう発想のなかには、社会主義者であるがゆえに、「“管理”すればそういう問題は起きない。管理が足りないところにすべての問題の原因がある」という思想があるように思えてなりません。

1文字アキ日本の一億二千万のすべての人の営みを国が管理できるわけもないのですし、また管理しようなどと思ったら膨大な役所や警察官が必要になってきます。いい世のなかというのは、多少の過ちや問題は起きるかも知れませんが、基本的には国民を信頼して自由にやらせることができる社会を言うのだと思います。

1文字アキこれを会社に当てはめると一番わかりやすいと思います。
例えば、企業の経営者は私たちに会うと「私は根っからの保守主義者ですよ。自民党の支持者ですよ」と言うのですが、これは保守だとか革新だという話ではないのです。およそ人類が続く限り、管理した方がいい秩序ができるという人と、管理しないでできる限り自由にさせた方が結果はいいんだ、という二つの考え方に分かれると思います。

1文字アキだから、自民党支持者だ、保守主義者だと思っている社長さんにも二タイプあります。社員を徹底的に教育して、社員のやることなすこと全部口を出して、おれについてこい、とにかく全部おれがやらなければだめなんだ、自分が掌握しなければ納得しないという社長さんもずいぶんおります。

それに対して、自分が守備できる範囲というのは非常に狭いところにしかない、だから基本的には社員に一生懸命やってもらうしかないんだということで、できるだけ社員に任せるところは任せて、比較的のんびりとやっている社長さんもおります。そんなにモーレツな社長さんという感じはしないんですが、立派な成績を上げている、そういう会社の社長もいます。それらを見ても、管理主義者と自由主義者という、二つのタイプの会社経営者がいるわけです。

1文字アキ会社が比較的小さいうちは、非常にやり手の社長さんが社員を一丸にしてガッと進む方が、たぶん会社としてはいいと思うのですが、ある程度大きくなってしまうと、そういうタイプだけではやっていけない。やはり発展した形態の社会というのは、どうしても自由主義社会にいかざるを得ないのではないかと私は思います。

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適切なペナルティーが自由社会の根源

1文字アキ子供さんを育てるということも、同じようなことだと思います。とにかくいい子供に育てたい、生まれたときから大学を卒業するまではおろか、入社して結婚するまで、最近では結婚した後までも、立派な子孫を残すためという理由で三十くらいまで徹底的に管理する。そのようにして面倒を見ないといい子は育たないのではないか、と思っている親ごさんもいる。私なんか九人兄弟ですから、面倒も見れなかったのかも知れませんが、私たちの世代の親というのは、概してほったらかしておいても、それほどひどい子供にはならないということで育てたと思います。

1文字アキ自分の子供なんだから、たいがいのことは大丈夫だという形で見ていて、明らかに間違ったことをしたときは、キチッとしたペナルティーを与える。それだって全部が全部は見つからないと私は思います。子供さんだって馬鹿じゃないのですから、親に簡単に見つかるような悪いことをしません。しかし、そのぐらいの関心は持っていて、明らかにおかしなことをしている、誤ったことをしているときはペナルティーをキチンと与える。褒美も大切なんですが、誤ったときのペナルティーが大事だと思います。それさえちゃんとやっていれば、そんなに問題のある子供さんはできないと思います。

1文字アキ大切なことは、「こういうことをやったらペナルティーがあるというのが世の中なんだ」というけじめをキチッと教えなければならないのだと思います。私は別に、体罰をもってけじめにしろとは言いませんが、いまの世の中というのは、悪いことをやったときのペナルティーが昔に比べて甘くなってきたところがいけない事実だと思います。いいことをやったときのボーナスはいっぱいあるのです。

1文字アキしかし、ボーナスだけで人間をいい方向に引っ張っていけるかというと、人間というのはそれほど甘いものではありません。いいボーナスのある社会と同時に、適切なペナルティーのある社会というのが、自由な社会の根本だと私は思います。

1文字アキそういう面で言いますと、やはり何といっても自由主義社会の原型はアメリカにあると私は思っています。アメリカの社会が、何だかんだと言いながら物すごいエネルギーを持っているのは、キチンとしたペナルティーもあるし、またちゃんとしたボーナスもある。アメリカという社会は基本的には自由な社会のいいところをたくさん持った国だと思います。

1文字アキですから、私は日本は全体としていい国だと思いますが、いい自由主義社会をつくろうという場合は、自由な社会というものがどんな形で運営されているかということについて、特にアメリカの社会に見習うことが多いと思っています。

1文字アキ日本は長い歴史のある国です。基本的には長い間、管理主義でやってきた国なんです。だから、本当に自由な国家になるためには、まだまだ管理主義的な部分が強いんだということを常に自重自戒していった方がいいと思います。

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政治は人間の最高の営為

1文字アキもう一つ、最近は政治をばかにする風潮もありますが、私は、政治は人間の最高の営為だと思っています。私たちは、日本という国、あるいは新潟県とか何々市町村というなかでそれぞれ生きていかなければならないわけです。政治が自分たちにとってどのような関わりあいをもっているか、少なくとも自分たちを統治している者は自分の味方なのか、それとも自分に敵対するものなのかを常に見据えるということは、一番大事なことだと思うのです。

1文字アキ例えば、「私はお金はある。幸いにもいろいろな面で家庭的にも恵まれている。ただ、自分が毎日生活している国というのが、実はおれの一番嫌いなやつがトップにいるんだ。しかし、それでも私は幸せなんだ」という人は小さな幸せに満足している人であって、大きな幸せに本当にどん欲な人ではないと思います。

1文字アキだからといって、自分たちの代表としていいと思った人を国会に出したからといってすぐに幸せになるかというと、しょせん人間のやることですから、そんなにすぐには幸せにはなりません。しかし、自分が嫌だと思う人が、自分の国のトップにいるとか、自分の住んでいる町のトップにいるのに黙っている。もしもあなたが、本当にあらゆる意味での豊かさを求める人であれば、そうしたことに鈍感であってはいけないと思うのです。

1文字アキあえて物質的な豊かさを犠牲にしてでも、いい政治をつくることから始めようと試みた国がいっぱいあります。日本の社会というのは豊かになったし、いい社会なんだろうと思いますが、日本人の望みというのは意外に小市民的で、一番肝心かなめの、自分たちに最後に命令する政府が自分たちの価値観に反していてもしょうがないという人も結構いると思います。それは、昔ながらに、しょせん権力には勝てないという非常に自暴自棄的な気持がどこかにあるからではないかと思います。だとすれば、それは民主主義という面で言えば、きわめておくれている国であると私は思うのです。

1文字アキ私は自分が政治の世界に出たからといって、完全に理想の政治が現にやれているとは思っていません。しかし、少なくとも自分が生きていることに関して、誰かに抑圧されているという気持はありません。自分が参加しながら、政治そのものを変えているんだという気持がありますから。

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白鳥は悲しからずや 

1文字アキ「いったい政治ってなんですか?」──これは私たち政治家が一番よく受ける質問です。そのとき、私はよくこういうことを言うのです。
「政治というのは、言われてみると意外に利害損得にあまり関係がないものかもしれない」と。
また、こう言います。「あなたは快晴の日と曇りの日、どちらが気分がいいですか?」と。
すると、だれもが「快晴の日の方が気持ちいい」と答えます。

1文字アキ自分たちの価値観に合う政治をつくるために努力するということは、快晴の日のような国をつくろうということなんだと私は、思っています。天候というのは、いまのところ人間の力では何ともできませんが、政治的にカラッと、少なくとも自分たちの頭に何か覆いかぶさったものがないという程度のものは、みんなの努力でできる。つまり、“やる”ということ自体が大事だと思うのです。

1文字アキこの前の参議院選挙(1988(平成元)年7月に行われた参議院選挙のこと。自民党が大惨敗した──白川注)というのは、そういう結果をつくってみんなで「よかった、よかった」と言っているわけです。「自民党を負かしてよかった」、と。それは非常にハッピーなことでしょう。みんなで努力した結果そうなったのですから。そして、それで喜ぶということがまさに政治に“参加する”ことだと私は思います。

1文字アキそのかわり、自民党を負かして直ちに幸せになったかというと、そうじゃないと思います。さっきも言ったとおり、自民党を負かしたからといって、では理想郷がすぐできるかというと、そうはいきません。

1文字アキ私は、この十四年間にそれこそ何万人、何十万人という人と政治の話をしてきているのですが、意外に政治の本質というのは快晴のような国をつくるというこんな単純なところにあるのではないかと思っています。

1文字アキ信頼関係がある政府と国民との間ならば、例えばその政府がつらいこと、負担を国民に求めたとしても、「そうだな。これはやむを得ないことだな」と映るでしょうし、曇り空のようなうっとおしいと思う政府が何か負担を求めてくると、「この野郎!」という形でとても受け入れられない、そう思います。まさに政治は「信なくば立たず」です。

1文字アキ十年間自民党のなかにいて思いますことは、私はもともと自由主義者ですから、「世の中にはいろいろな考え方がある。そのなかで自分の意見を多数意見にするように努力すればいいのだ」と思ってきました。私は、党内で少数意見の側に立つことが多いのですが、それは、私に力がないのだから仕方がないと思ってきました。

1文字アキただ、そういう自民党の代議士として私がいつも感じたことは、「白鳥は悲しからずや、海の青、空の青にも染まずただよう」という若山牧水の短歌の心境です。私自身、それほど志が高いとは思いませんが、政権政党だからといってそんなに満足感も覚えられませんでしたし、さりとて、少数派だからそれほどつらいなどと思ったこともありません。
政権政党のなかにいていろいろなものを変えていくことによってこそ、結果としては政治家としての責任が果たせるのです。短気を起こして、「じゃ、おれは、党を出る」などと言ったら、結果として無責任になると思って十年間やってきたわけです。

1文字アキきっと私は、一生同じような想いで政治をやっていくのではないかと思います。しかしそれは理想を持つ者の宿命だと思います。悲しいとは思いません。理想を持たない人間に政治をやる資格はないと思うからです。

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