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No.57 | No.58

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No.58透明スペーサー

本日午後1時5分、衆議院は解散!

透明スペーサー衆議院は、本日午後1時5分に解散されました。恒例の万歳がなされましたが、一体何のための解散か、お互いいまひとつハッキリせず、いつもと違ってなんとなく意気の上がらないものでした。

透明スペーサーしかし、どうであれ、矢は放たれました。サイは投げられました。6月25日の決戦の日に向けて私は全力で戦います。さまざまな攻撃や妨害がありました。これからもあるでしょう。今回の戦いは、一人新潟6区の代表を選ぶという戦いにとどまりません。「日本の自由」が懸った戦いであると深く肝に銘じ、必ず勝たねばならぬと燃えに燃えております。

透明スペーサー私のWebサイトを通じて、温かいご理解とご支援を賜っている方々からは、私の勝利のためにぜひ力強いお力添え賜りたく伏してお願い申し上げます。

透明スペーサーなお、解散を受けて、新潟6区の同士に次のような激を発しました。ご一読いただき、私の胸のうちをご照覧いただければ幸いです。

13:20         議員会館にて

陣中にて 名前「白川勝彦」毛筆体画像透明スペーサー


透明スペーサー《同志への手紙》

透明スペーサー本日6月2日、衆議院は解散されました。6月13日公示、6月25日投票日という日程が確定しました。
透明スペーサー小渕首相が健在のときは、解散・総選挙はサミット後の秋口と誰もがいっておりました。4月2日小渕首相が脳梗塞で倒れられると、その翌日からにわかに執行部周辺から6月25日投票説が流され、有無をいわせない雰囲気のなかでドタバタ
と4月5日森首相が選出されました。
透明スペーサーこの間に自自公連立は崩壊し、実質的には自由民主党と公明党の連立となりました。
透明スペーサー森内閣は、一時的には高い支持を得ましたが、五月の連休明けには早くも自公連立の地金に国民は気付き、森首相の「神の国」発言で完全に行き詰まりつつあります。自公保連立は、自自公連立以上に国民の信を失っています。
透明スペーサー少し冷静に考えればこうなることは容易に予測できたことでもあります。私は、自由民主党のために、そしてなによりも日本のために自由民主党が「独立自尊の気概」で天下の王道を歩むことを一貫して強く訴えてきました。これは自由民主党を愛する党員、党友の声であり、国民の声であると私は確信しております。
透明スペーサーこの私の言動が気に入らない邪な勢力から、私に対し信じられない陰湿な攻撃・妨害・謀略が次々と加えられてきました。同志の皆さまにご心痛をおかけしたあの大々的なもみ消し騒動もそのひとつでしょう。この他にも許しがたいことがいっぱいありました。これからもありとあらゆる攻撃・妨害・謀略があるでしょう。
透明スペーサー一方、上越市で市長リコール運動が4月26日から始まりました。そのリコール運動の大きなテーマであったセクハラ訴訟が、こともあろうに暴力団・右翼の介入によって取り下げられたという由ゆしき事実が5月20日にいたって判明しました。今後、これは大きな政治問題と必ずなります。
透明スペーサー中央も地方も、政治は大きく乱れています。政治の世界に身をおく者として、暗澹とならざるをえません。  
 しかし、国民は健全であり良識をもって、今日の政治の惨状を見ていてくださっている。また私と同じ思いの有力な同志も党内にまだ確実に多くいる。これが私の唯一の救いでした。
透明スペーサー6月25日投票という政治日程が固まってくるなかで

「白川、どうするんだ」

という温かいご心配やご激励を数多くいただきました。以上のような状況の中で、私は動きたくても動けないという「政治的監禁状態」にあったのです。5月25日、リコール運動はひとつの収束をみました。
透明スペーサー衆議院は、解散されました。もう待てません。幸いなことに風向きも明らかに変ってきました。満を持しての戦いを開始します。
透明スペーサーこの間、同志の皆さまに大きなご心痛をおかけしましたこと、誠に申し訳なく思っております。
透明スペーサー私の秘書も潔白を主張するが故に二ヶ月余になりますがいまなお獄中です。
透明スペーサー私は元気です。意気軒高です。攻撃や妨害や謀略が加えられれば加えられるほど、「負けてたまるか。絶対に勝ってみせる!」という不退転の決意、高まるばかりです。全国の良識ある多くの方々が、私の勝利を祈るような気持で願っています。負けることの許されない戦いであるとの不動の信念で全知全能を尽くして戦います。
透明スペーサーこの25年間、いかなる苦難も、自由と民主主義を愛する同志の皆さまの熱烈なる力でのりこえさせていただきました。私の政治生活のなかで、今回が最大の試練です。私の親愛なる同志の皆さまの絶大なるお力で、この白川を助けていただ
きたく伏してお願い申し上げます。
透明スペーサー白川、この試練をのりこえ、北陸新幹線・高規格道路などをはじめとして真の21世紀の上越地域・ふるさとを創るために命を懸けて働かせていただく決意です。 
透明スペーサー貴家の益々のご繁栄をお祈り申し上げます。

透明スペーサー平成12年6月2日 

透明スペーサー陣中にて

前衆議院議員 名前「白川勝彦」毛筆体画像透明スペーサー

 

 


5月31

No.57透明スペーサー

5月30日の代議士会における私の発言

透明スペーサー今日の一部の新聞には、昨日の代議士会における私の発言が取り上げられているかも知れません。代議士会というのは、本会議のある日本会議開会の10分前くらいに開かれ、その日の本会議の議事日程などを説明するために開かれる会です。議運理事が説明したあと、代議士会会長が「他に発言はありませんか」といいます。普段はほとんど発言はありませんが、時たま誰かが発言することがあります。ほんの6~7分しかないのですが、発言を求めると発言は許されます。昨日は議運理事の説明が長引いたために、本会議の開会までにもう5分しかありませんでした。私は発言を求め許可を得て次のような発言をしました。

透明スペーサー今日の新聞をみると、わが自由民主党の勝敗ラインは229議席だとか、215議席だとかと我が党の選挙責任者がいっている。現在の自由民主党の議席は267である。解散・総選挙というのは、議席を増やすためにするものだ。20の定数削減の半分─10議席減はやむをえないとして、257議席とってはじめて現有議席を確保したといえる。30人も40人も討ち死にしても仕方ない、などという指揮官は戦いを指揮する資格がない。本当にそう思っているのならばその席を去るべきである。

透明スペーサー政権のあり方は、衆議院の議席によって決められるものである。そうしなけれは憲法に定められている第一院たる衆議院の権能がおかしなことになることを、われわれ衆議院議員は自覚しなければならない。連立を組んでいる、これをいくら大切にするといっても政党が別である以上、選挙になったら相戦うことになっても恨みっこなしというのが常識というものである。最近の与党3党の選挙協力の動きを見ているとおかしい。

透明スペーサー前回の総選挙で、わずか980票差で敗れ、臥薪嘗胆3年7ヶ月。今度こそと頑張っている者に公認を出さない。内部的になんの問題のない現職の衆議院議員を公認しない。どう考えてもおかしい。前回の選挙でなぜ自由民主党が勝てたか。それは、新進党の基礎票の半分、いや3分の1、4分の1というなかで「独立自尊の気概」をもってわが党の候補者が頑張ったからである。いまのわが党はこの「独立自尊の気概」を失っているとしか思えない。

透明スペーサー「独立自尊の気概」を失ったわが党が、国民の支持を受けるわけがない。

透明スペーサー執行部の方の見解を聞きたい。

透明スペーサー執行部席には、池田行彦総務会長と粕谷茂代議士(正式名称はチョット思い出せません。ごめんなさい)がおられましたが、特に発言はありませんでした。

透明スペーサー4分くらいの時間の中でしなければならない発言でしたので、ほぼこの通り発言したと思います。意はもちろん尽くせませんでしたが、今いわなければならないことはすべて触れたつもりです。極めて大切なことも触れているつもりです。しかし、新聞にはほんの断片的な記事しか載らないと思いますので、ここに紹介させていただきました。

透明スペーサー時間をとって敷衍したいたいと思いますが、今日は取り急ぎ紹介のみとさせていただきます。

産経新聞5月31日記事讀賣新聞5月31日記事

00:20         高輪の議員宿舎にて

名前「白川勝彦」毛筆体画像透明スペーサー

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