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「諸君!」2000年4月号
白川勝彦・俵孝太郎対談記事
「小渕連立政権の『いやな感じ』」後編

政教分離原則の本質

白川 私のWebサイトには創価学会員と称する人も多数意見を寄せるのですが、そこで「四月会は自自公賛成、特に自公賛成という人は推薦できないというが、その動きこそ政教一致じゃないか」という意見があります。「政教分離を言いながら、それはまさに公明党がやってることと何ら変わりないじゃないか」とも言っている。で、白川はどう思うんだ、とお尋ねになる。しかし私は四月会のことはよく存じあげているけれど、四月会のメンバーではないから答える立場にない。四月会の代表幹事としていかがお考えでしょうか。

俵 そのような幼稚な議論のすり替えは好きではないが、きちんとお答えしておくべきでしょうね。
 まず、四月会とは、平成五年総選挙の結果細川連立政権が発足し、公明党が大臣を出して権力に連なったことに危機感を持つ宗教団体と、われわれのような立場の人間、自由人が集まり、作った団体です。立正佼成会、霊友会、仏所護念会、新生仏教団、真言宗金比羅尊流、神社本庁の六宗教団体が、それぞれ政治団体の形、あるいは宗教団体そのままの形で加盟しています。つまり、複数の宗教団体が共通のものの考え方の中で意見を交換し合おうとういう団体です。
 複数の団体が、ということは、一人のカリスマによっては動かないということです。つまり、そこに民主的な合意形成のプロセスがあるということです。われわれの活動とかれらの活動が同じだ、といいますが、この点で明らかに異なる。
 それからここで改めて、政教一致、政教分離の原則についても正確に説明しておきます。
 私どもが「政教分離原則」というのは、日本国憲法第二十条(別掲)を忠実に解釈した上ではじき出される原則であって、同条一項後段はマッカーサー憲法草案の十九条(別掲)のそっくりそのままの和訳です。この草案を正確に読み解くことが、正しい政教分離の理解につながります。
 この英文、主語は No religious organization です。かかる宗教団体はあってはならない、という書き方です。

白川 No religious organization──。単数ですね。

俵 まさに単数なんです。一つの宗教団体が国から特権を受け、または political authority を行使してはならない。political authority というのは、日本の憲法の訳文では「政治上の権力を」となっていますが、これは誤訳に限りなく近い。authority の意味はもっと広い。

白川 普通ですと政治的権威ということでしょうね。むしろ通常、political power の和訳こそが「政治上の権力」だそうですよ。

俵 ええ。権力ではなく権威。つまりたった一つの宗教団体が政治的権威を行使する、あるいは政治的権威の行使に多大なる影響を及ぼすということは、非情によろしくない。なぜならば一つの宗教団体というのは、一人のカリスマによって統率され、一つの価値観に支配される集団であって、異端を許さない。これは宗教の世界では当たり前かもしれませんが、政治の世界に異端を排除する精神、非寛容の精神を持ち込んでこられると、明らかに民主主義を損なう。それが憲法違反、ということになるんです。まことに明快な原則です。

白川 ところが創価学会─公明党は、憲法二十条一項後段の「いかなる宗教団体も、(中略)政治上の権力を行使してはならない」について、「宗教団体が、国や地方公共団体から警察権、裁判権、徴税権などの『政治的権力』の委託を受け、それを行使してはならない」と解釈する。つまり、ここでは宗教団体と政党の関係について何ら規定されていないんだ、と主張し続けています。

俵 これもおかしな話。さきほどの誤訳を考えても、警察権、裁判権などは決して「権威」にはあてはまらない。「権力」むしろ「権能」でしょうね。解釈としては到底成り立たない。

白川 それに、もし宗教団体が徴税権や警察権や裁判権を行使することになったら、もはやその時点で国家ではなくなっている。憲法上そんなことはあり得ない。

俵 憲法上あり得ないことを憲法が想定しているわけがない。そんな解釈が許されるならば、国会がなくなって独裁者が法律を作ることも憲法で禁じていないのでやってよろしいという、こんなナンセンスな主張も許されるわけです。そういった憲法に書かれていない、あるいは憲法国家体制を否認しなければ成り立たないような主張というのは言語道断というべきでしょう。
 憲法がわざわざ記していること。それは、たった一つの宗教団体が political authority を行使してはならない、ということです。

白川 そして創価学会─公明党が行っているようなことこそが、political authority なのではないか、ということで、私もいろいろと発言するようになりました。
 それから、憲法二十条の前、十九条で思想及び良心の自由が保障されています。こちらの精神と二十条の関わりも重要なポイントですね。

俵 思想・良心の自由というのは自分が主体的に精神的活動を行えるということ。そこがまず保証された上で信教の自由がある。信教の自由とは自分が主体的に一つの宗教を信ずるという選択をして、その宗教の価値観の中に身を置くということ。その結果による宗教的統制は自分の自由の選択の結果なんだから法律とは別個に認められる、ということです。
 ただ、自分が熱心な何々教の信者であっても、他の人には他の人の良心の自由があり思想の自由があり、別の宗教を選択する自由がある。
 ですから四月会は、憲法二十条を、あるいはこの十九条を踏みにじる危険を孕んだ宗教団体が政治的権威を持つ、という事態に危惧を感じた複数の政治団体が、それぞれの考え方に基づき、意見を調整しながら力を合わせている、そういう団体なのです。これはまさに民主主義の中の宗教団体、宗教者に認められた政治活動であり、何ら問題はない。

白川 私もさまざまな宗教団体の方とお話しする機会があります。彼らの要望はそれぞれ、異なる部分もあります。しかし、みなさん、一点だけ強くこだわっておられるのが、「とにかく政教分離だけは貫いてください。自分たちの宗教団体を優遇してもらいたいなどとは全く考えていない。ただ、戦前のことがあるから、政教分離だけは守ってください」という要望です。だから自由民主党を応援したい、ということで特に平成八年の選挙のときに応援していただいた。ですから、彼らからすれば「自民党が裏切った、変節した」ということになります。そして彼らの「元に戻してもらいたい」という要望、そして「この要望に曖昧な態度を取る人間はもう応援できない」という態度にも正当性があると思います。

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肉食獣に食い殺されてもいいのか

俵 問題は自民党の多くの議員たちが、自分の変節について余りにも自覚していない、あるいは目を背けている、ということです。そしてその態度が改善されないままに、総選挙に突入することになる。

白川 はい。先日も公明党の冬柴幹事長と自民党の野中広務幹事長代理が選挙協力の話をしていましたが、冬柴氏はこんなことを仰った。「わが党は二十いくつに候補者を絞っています。だからこれについては自由民主党さん、全面的に協力してもらわなければ困る」と。これは果たして選挙協力と言うのでしょうか。

俵 それは協力ではない。こう決めたのでお前らも従え、という話は、命令です。

白川 このような形で合意が形成されていくのは明らかにおかしいと思います。
 自社さ連立の時の選挙協力はこんなものではありませんでした。事実をありのまま申し上げれば、やはり連立政権であろうが三党は別々。ある選挙区では戦わざるを得ないし、これが政党政治家としての宿命であって、それは恨みっこなしです。ただ、もしそうやって連立のパートナー同士が戦うことで敵方が漁夫の利を得てしまう、そんな危険があるならば何とか選挙協力しよう、という考えがベースとしてあり、その場合には結果として候補者を連立の中で絞り込んで戦い、勝利を収める──。このようなプロセスでした。それと比しても「この選挙区は公明党が出るんだから自民党は遠慮してくれ」などというのは選挙協力ではない。余りにも傲慢な物言いなのではないかと思います。
 それから、たとえば自社さのとき、自社さ連立政権に反対する候補者は、自民党が公認した人の中にも、社会党が公認した人の中にも当時はおりました。しかしそれはそれぞれの考え方であって、だからといって「落とそう」とか「あいつの敵を応援しよう」といったことは、私どもも、そして社会党も考えていなかったと思います。でも、今回はそこがどうも違う。「落としてしまえ」「相手を応援してしまえ」といった卑劣な振る舞いが残念ながら予想されてしまうのです。
 自由主義の政党というのは、たとえていうならば図体の大きなシマウマです。草食動物ですから他の動物を少なくとも噛むことはできない。しかし創価学会−公明党という組織は小さいけれども、肉食動物なんです。他の動物を食いちぎる狡猾な、危険な牙を持っている。

俵 かつての共産党と社会党の関係もそうでした。共産党が肉食動物だったんです。社会党が地方自治体の首長を取った程度で満足し、不用意にも共産党の肉食性に気づくことなく安易に手を結ぶケースが多かった。それが結局は自身の崩壊を招いてしまった。
 もし社会党と同じような過ちを犯したくないのであれば、あなた方も、そしてわれわれも肉食動物の行動様式にならなきゃ仕方がないんじゃないかと思いますよ。ただ草食動物でございます、と品良く草をついばんでいたら食べられてしまった、というのではシャレにもならない(笑)。

白川 私はそうなる決意でおります。ただ私は、もともと戦う自由主義者、戦うリベラルだと自ら公言して憚りませんし、あるいは戦うハト派だとも言われて政治に取り組んできましたが、これは何も政治の世界だけでなくて、商売でも言論の世界でも、やはりわが国は自由主義社会でなければならない、と思います。このことは全ての基本として守っていきたいんです。シマウマは容易に肉食にはなれない。ならばシマウマが力を合わせればいい、とも思う。

俵 シマウマが力を合わせて輪をつくって、そして後肢で肉食動物を蹴飛ばすようにすればいい。けれど、残念ながらまだシマウマは輪になって後肢で肉食動物を蹴飛ばせるような態勢になっていない。そうこうしている間にオーストリアのような事態が日本にも押し寄せてくるかもしれない。ヒトラーだって選挙で政権を取ったんです。自由主義というものは実に脆いものなんですよ。

白川 ええ、それは認めます。本当に脆いものです。

俵 それだけに、逆に自由を侵そうとするものに対しては徹底して抗戦すべきでしょう。向こうが牙を持っていれば、こちらも牙を持って戦うべきなんです。
 この白川さんと私の“温度差”はどこから来るのか。それは十六、七歳の年齢差から来ているのでしょう。先の戦争にまつわる記憶が私には皮膚感覚を伴って強く残っているからでしょう。
 私の祖父・俵孫一は、六回の連続当然ののち、翼賛選挙で落選している。ですから、私は戦前の政治のありようを子どもなりに体験しているわけです。その時に得た教訓は、声を挙げるべきときには声を挙げよ、戦うべきときに戦え、ということです。戦前だってやっぱり自由主義の政治家は沢山いました。新聞記者だって基本的には自由主義だってそうでしょう。しかし結局は憲兵に、軍閥にやられていった。やられたくなけば、どこかで戦わなきゃいけない。
 祖父の話に関連して、戦前の政治家、斉藤隆夫さんの話をしておきましょう。
 彼は昭和十一年の二・二六事件後に有名な粛軍演説を行い、さらには昭和十五年に支那事変拡大を批判する演説を行ったために軍部から睨まれ、帝国議会から除名処分を受けた政治家です。彼は除名された時にこんな詩を書いています。

  我言即是万人声 褒貶毀誉委世評
  請看百年青史上 正邪曲直自分明

 百年というけれど、実際のところは斉藤さんは、除名から二年後の昭和十七年、憲兵が猛烈な干渉を行い、東条英機が膨大な金を注ぎ込んだ対米戦争下の翼賛選挙で、最高得票を挙げて当選を果たすんです。選挙民というのは馬鹿ではない。戦った者にはそれだけの評価が下がるんです。
 残念ながら私の祖父は民政党の幹部だったが、当時斉藤さんに「ぎりぎりまで突っ張って除名処分を受けるよりは、おとなしく議員を辞職して再起を期すべきだ」と言ったもんだから、逆に翼賛選挙では落とされてしまう。祖父の選挙区は当時の島根二区、三人区だったのですが、翼賛会の推薦を受けたのが四人。一人は必ず落ちる仕組みです。そして、祖父の選挙ポスターが地元では軍の干渉によって貼れなかったのをはじめ、さまざまな選挙干渉を受けた。はじめから「俵を落とせ」ということだったのです。

白川 そんなことがあったんですか。

俵 それからこれも草柳大蔵さんの『斉藤隆夫かく戦えり』で知ったのですが、橋本龍太郎さんのこの間亡くなった継母の親が若宮貞夫さんという戦前の逓信官僚出身の政治家で、斉藤さんの対立候補でした。当時の斉藤さんは民政党で、若宮さんは政友会。しかし若宮さんは斉藤さんが除名になったときに党議に反して棄権し、議場の中で斉藤さんに駆け寄って、「君一人を見殺しにはしない。俺も一緒に戦う」と言ったんです。志は一緒でした。しかし、これがまた選挙のつらいところですが、斉藤さんは除名になってヒーローになったから二年後に当選できた。若宮さんは同じ志を持って、、反対党であるにも拘わらず斉藤さんを励ましたけれど、行動として強く世にアピールすることができなかったから、やはり翼賛選挙で私の祖父と同様、落選させられてしまう。

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“翼賛選挙再び”の恐怖

白川 しかし当時、斉藤さんのように大勢に反旗を翻すことは難しかったんじゃないでしょうか。

俵 ええ。翼賛選挙のころは東条万歳と言って拍手した政治家が大部分ですよ。そして、残念ながら今、野中広務氏があるいは青木幹雄官房長官がそれに近いことをやっているようだが、東条の横に鈴木貞一という企画院総裁というのがいて、議会の大臣席から「あいつは東条の演説時に手を叩く。あいつは叩かない」とエンマ帳をつけていたそうです。政治が暗くなると、そういうのが必ず出てきてしまうんですよ。

白川 その翼賛選挙時代の言論機関は、どんどんと物が言えないような状況になっていきましたよね。しかしながら今の日本の言論機関も同じように、触れるべきことに触れてくれない。自自公の問題について、正面から先ほど私たちが話しているような議論が出てこない。

俵 新聞が書かない。テレビも言わない。これは、見えない影に脅えているからでしょうね。私のようにもはやもう年は取った。これ以上仕事が多くなっても困る、これ以上稼がんでもよろしい、というような人間だけが、捨身でものを言ってるんでしょうね。
 もちろん、妙な圧力、いやがらせは始終あります。私の家には無言電話、脅迫電話はもちろんのこと、家の前に車が停まって、男が必ず二人乗って、何時間単位で駐車をして監視をしていることがよくあります。警察のアドバイスもあって、当然、彼らの車のナンバーは撮影して届けてありますし、運転手の顔写真も可能なかぎり撮ってある。対策として、家の造りを「千早城」の如く、来客を高いところから監視できるようにはじめからつくりました。このような状況は三十年ほど続いていますから。最近はだんだんと「これはアムネスティ・インターナショナルのマターではないか」という感じがしてきた。ただ、それを恐れていては、何も言えない。何も書けない。それでは言論人たる資格はない。
 私が子どもの頃に政治記者になろうと思った一番の原点は、祖父の翼賛選挙です。そして一番おかしかったのは新聞です。新聞が言うべきことを言わない。体を張ってでも言うべきことを言わない。そうでない政治記者が戦後日本には必要だ、ということで新聞記者になりたいと思った。

白川 今はそういった志のある記者はいるんですか。

俵 いるとは思いますよ。でも、行動で示してほしい。ここは現役記者諸君の奮起を待つしかない。
 と同時に、これは私の信条でありますが、コーラスボーイにはなりたくない。あくまでソロで歌をうたわなければならない。
 私は世間がみんな田中角栄をいろんな角度から批判してるときに、この『諸君!』でも、ロッキード裁判の検察のやり方、コーチャンに対する不起訴宣明の手続きは憲法違反だという論考をも書いた。渡部昇一さんや弁護士の石島泰さんの驥尾に付して、です。結局最高裁は何年も経ってから「あれは憲法違反だ」と丸紅ルートの公判で認めるわけです。おかしいものはおかしいと、ソロであっても声高く歌いつづけるのが、本来の記者のスタイルであろうと思います。

白川 記者だけではありません。政治家もそうでしょう。先日、一年ほど会長代理を努めました。「憲法二十条を考える会」の設立時の設立趣意書などを読み返しました。四月会の創立大会における河野洋平自民党総裁の挨拶文や、亀井静香氏の名前で各種団体に出した手紙も見まして、政治家の発言とその責任についていろいろと考えてしまいました。
 そもそも自由主義政治家は自己の意思で発言する政治家のこと。だから何を発言してもいいが、その代わり自分で発言したことについては常に自分で責任を負う。変えるなら変えるでも結構。ただ、変えるならば変えるで、何らかの言及がないままではおかしい。あの「憲法二十条を考える会」の設立当時、あれだけ政教分離を考えよう、公明党−創価学会問題を追及しようと口にした人が、なぜ今この問題について口を噤んでいるのでしょうか。
 それからもう一つここで強調したいことは、自自公という体制が未来永劫続くわけではない、ということなんです。この連立体制が一体いつまで続くのか。長くみても、次の総選挙が終わるところまでなのではないでしょうか。

俵 私もそう思います。

白川 そして小渕さんが首班指名を受け、その上でさらに自自公連立内閣を続けるということは、ちょっと政治が分かるものならば……。

俵 まず考えにくい状況ですよ。

白川 ならばあと数十日、という可能性が高い。そのような存在に何故脅え、何故口を噤むのか。怖がる必要もなければ、威かされる必要もない。まさに張子の虎。なのにこの体たらくですから、こういう状況をまさに裸の王様というんじゃないでしょうか。
 しかし、こんな体制がいつまでも続くんじゃないかと思っている人が多い。また、そのように錯覚させる能力に彼らが長けている、というところもあるのでしょうし。

俵 細川連立政権のことを思いだしていただきたい。
 あの時、私は細川内閣が発足したその日の産経新聞の「正論」欄に、細川氏は佐川急便問題に対して答弁する責任があると書きました。

白川 奇しくも、細川さんの佐川問題を国会で追及したのは私でした。

俵 そして、細川政権ができて、河野さんが総裁に選ばれたときの自民党大会で、私はただ一人の来賓として挨拶し、「細川内閣は、その気になれば一年たたずに倒すことができる」と申し上げた。でもあの時、大抵の人は細川内閣は長期政権になるだろうと予測しましたよね。

白川 七十五パーセント近くの支持率がありましたからね。

俵 そうです。しかし八ヶ月で潰れた。それから橋本内閣ができた後の自民党大会の来賓挨拶でも「やはり総選挙で新進党は倒さねばならない。かつて細川内閣が一年もたないと言ったのも、新進党が必ず国民から支持されないと言ったのも、これは政教一致体質を持つ、国民からの批判が絶えぬ勢力を身内に抱えているからだ。だから恐るるに足らない」とこう言ったんです。その通りになった。
 ただこれが今や皮肉なことに、「身内に抱えてしまっている恐るるに足らない勢力」に頼るのが、小渕さんの政権の姿になってしまってるんですね。

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自自公以降を考えよ

白川 ですから、それを早く清算しなければならない。自自公の問題については、少ないながらも志ある人たちが集まって“政教分離を貫く会”といった形をとりつつ発言をし続けていますが、清算の一番のチャンスは総選挙です。そして、選挙後のビジョンについても今のうちに考えておかなければならない。そこには当然、政界再編というものが視野に入ってきます。

俵 当然そうでしょうね。

白川 小選挙区になったので、政党の持つ力は大きくなりましたが、自由民主党の中には明確に派閥があります。民主党の方にもグループ的なものはある。相変わらずそこにこだわっている。現実には、例えば「自公はノーである」という考え方で共通する人が多いけれど、結果としては例えばこの前の総裁選でも三割しか票に出なかった。それは明確に派閥の領袖の投票行動の拘束が効いていたからです。
 ただ、私は今、自民党全体が徳川時代の幕藩体制末期のころと似通ってきているように思うんです。佐幕派、倒幕派も藩はまあ続くだろう、問題はどのような藩であるべきか、といった視点で動いているときに、坂本竜馬が「いつまでも藩の時代ではない。日の本の国という発想でやろう」ということで志を立てた時代です。われわれも、彼のような心持ちを持つべきなのでしょう。自分が所属している党や派閥にとらわれずに、日本の今後を、日本の二十一世紀を考えるべきじゃないかと。

俵 そうですね。それに小選挙区になった、ということは派閥の存立基盤もなくなった、ということです。派閥は中選挙区制下で複数の自民党候補者を当選させるがための政治システムだったわけですから。

白川 ええ。かつてのような集金力もなくなってきています。なのに、議員たちは中選挙区時代よりもはるかに戦々恐々として生きているようにも見えます。

俵 それは執行部の権限が強くなったことと、派閥単位で人事、ポスト配分が行われているからでしょう。

白川 しかしそこを乗り越える勇気が今こそ必要です。
 そして、公明党とか共産党なら名前を見ただけではっきりと分かりますが、自由民主党と自由党と民主党、名前を見てもおわかりのとおり、これらの政党の垣根は溶けつつある。もちろん、選挙に何党に所属して当選したか、ということは一つの大事な要素です。が、それ以上に選んでくださった国民の本当の意思はどこにあるのか、それこそそれは地域の要望から全国世論調査の数字まで、思いを致した上で、ある時にはドラスティックな決断をする必要がある、と感じているところです。

俵 あなたのような政界再編論について、党規違反だ、という人はあるいはいるかもしれない。が、自自公新党構想を言っているような人にその台詞を言う資格はない。政治に「節度」を取り戻すためにも、自自の方々は票に惑わされることなく“公”との間にある深い谷を見据えなけれならない。そして世論調査の声、さらには総選挙で国民が上げるであろう声を無駄にしないためにも、今こそ自民党は徹底的に路線論争を行うべき時を迎えていると思います。

*諸君編集部、俵孝太郎氏掲載承諾済

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