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目次


自民党を倒せば日本は良くなる
リベラルは健在である

東京大学名誉教授     篠原 一

私はいま「試み」の政治学ということを提唱している。あまり使いなれない言葉で、もちろん私の造語である。これはどういうことかというと、近代型人間の持つ傲慢さに対する反省を含めたもので、社会を人工的に操作しようという社会工学的発想、「企て」に対して、変化する時代の流れをクールに観察して、その流れに棹さしながら、より謙虚に何らかの改革を「試み」ていこうという態度を言う。冒頭からやや難しい話になったが、近代人的な、何でもできるという思い上がりはやめにして、しかし自己反省しながら積極的に改革をしていこうということである。

現代は世紀の変わり目にふさわしく、あらゆるものが変容しつつある。こういうときには、自分の非力を意識しながらも何らかの「試み」をしていかないと、結局無為のまま時の勢いにのみこまれてしまう。永田町という狭い世界も時代の影響から逃れることはできず、変化の時代に突入している。ながらく一党支配をほしいままにしてきた自民党は崩壊寸前に来ているのだが、そこの住人は危機感を持たず、旧態依然たるドラマを繰り返している。こういうときに白川君が挑戦を試みた。誰かが「出る杭」にならざるを得ない。

市民の学習会に行くと、「自民党やその派閥の悪弊がいっこうに改まる気配がなく、絶望しているが、どうにもならないのでしょうか」という質問をよく受ける。私は、「この改革は他の問題の解決より簡単で、自民党ないしは自公が次の選挙で敗北し、4,5年野に下ればすぐに実現できることですよ。そしてその状況はすぐ目の前にあるのではないでしょうか」と答えることにしている。白川君もおそらく同じような認識にもとづいているのであり、勇気ある行動であるが、しかし決して無謀な行動ではないと思う。「試み」の政治学を地でいったものだろう。

見通しはどうかと心配する向きもないではなかろうが、ビスマルクではないが、森の小径を通って森を抜け出ようとするときは、細かいプランなどはたてられないものであって、出口の「方向」が定められればそれでいいのだ。政治はすべてそういうもので、森のなかでつまらないじゃれあいをして、どこへ出ていくかが定かでないところが、いま批判を受けているのであって、白川君の場合はめざす方向がしっかりしているから、心配はいらないだろう。近々日本の政界に第二次のガラガラポンが起こりそうだが、そのときに白川君の存在感はいっそうはっきりするだろう。

われわれ学者の同僚の間でも、一人ひとりはみな意見が相違している。差異を持ち寄っていかにオーケストラを奏でるかが大切なのだと常に語っている。私もリベラルであることを誇りにしているが、おそらく白川君のリベラルとは若干相違しているかもしれない。しかし白川君のリベラルは本物である。無手勝流で初めて立候補したときと変わっていない。

このごろ白川君は「自己実現」とよく言うが、この「自己実現派」の市民がしだいに増殖しつつあるのが現代社会の特色の一つである。学問的にはリバータリアン(自由意志派)軸といって、その一方にはサッチャー流の市場至上主義・新保守主義があり、他方には社会的リバータリアンというか自己実現派、つまり自立した市民とその連帯を尊ぶ人々が位置する。ヨーロッパの中道左派といわれる人々も、従来の社会的分配論の一点張りではダメで、この自己実現派を獲得しなければ政権をとれないと言われている。時代が変わったのである。

白川君のいうリベラルというのは、どうやら社会的リバータリアンなのではないか。政界再編のなかでも、この基本的スタンスを失わないでほしい。


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