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専守防衛論の危機

07年04月06日

No.387

昨日ニュースをみていたら、安倍首相が近いうちに集団自衛権の行使について協議する会合を発足させるという。どのような集団的自衛権の行使ならば許されるのかをこの際ハッキリさせたいのだという。よく例に出されるのが、アメリカに向かって発射されたミサイルをわが国の自衛隊が日本の上空で打ち落とすことは、集団自衛権の行使として許されるのではないかという類の問題である。

最近の防衛議論は、異常である。北朝鮮のミサイル発射や核実験と拉致事件がない交ぜになって留まるところをしらない。日本に向けたミサイルの発射が確実な場合には、そのミサイル基地を先制攻撃することも許されるという“先制的専守防衛論”も飛び出す状況である。集団的自衛権の行使を検討したり、先制的専守防衛論なるおかしな議論が出ている状況で私たちは防衛問題について関心をもたなければならない。例の“平和と福祉の党”は、こうした問題では何の役にもならないようである。こうした乱暴な防衛論議が許されるようになった原点は、やはり小泉前首相にあるようである。小泉氏は首相に就任した直後の記者会見で次のような発言をした。

「自衛隊は、誰がみたって軍隊でしょう。その自衛隊が現に存在しているのに“陸海空軍はもたない”などという憲法がある。おかしいでしょう。憲法は改正する必要がある」
という趣旨の発言だった。昭和の時代(1989年まで)だったら 、この発言だけで小泉氏の首は間違いなく飛んでいたであろう。ところがこの発言はほとんど問題にされなかった。小泉フィーバーなるものに野党もマスコミも度肝を抜かれてしまって、事の重大さを見過ごしてしまったのだろうか。それとも平成も10年余が経過すると昭和が遠くなったということなのか。昭和が遠くなるのは仕方ないが、昭和憲法までおろそかにするのは許されることではない。昭和憲法は、“日本国”憲法なのである

小泉首相の「自衛隊は、誰がみたって軍隊でしょう」という発言を憲法9条をめぐり丁々発止し論争した与野党の歴戦の国会議員が聴いたら、その見識を疑ったであろう。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(日本国憲法第9条2項)という憲法の下に存在する軍事組織である自衛隊は、いろいろな面で特殊な軍事組織なのである。確かに自衛官の服装や装備などをみると他の国の軍隊のそれと同じようにみえるが、それは子供じみた見方・見解としかいいようがない。最近の警備員のスタイルは、ちょっと見たところ警察官と見間違うくらいだ。子供が見たら警察官も警備員も同じだと思うだろう。これと同じ類の見方・見解なのである。

警察予備隊を創設するときから、創設しようという軍事組織は憲法に違反するのではないかということが常に問題となった。そこで大きな意味をもったのが、9条2項の「前項の目的を達するために」という文言であった。前項の目的とは、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(9条1項)ということである。

憲法の論理は、禁止されているのは「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」であり、自衛のための戦争は否定しないが、軍隊をもっていると意に反し結果として戦争になることもあるので、戦力を保持しないことにするというものである。吉田首相が憲法制定議会で「正当防衛や防衛権による戦いを認めることは、戦争を誘発する有害な考えだ」と答弁したのは、このような論理からであろう。
その吉田首相自らがGHQの指令があったとはいえ警察予備隊→保安隊→自衛隊を創設することになる。しかし、この「前項の目的を達するために」という条文は最初から今日まで確りと生きている。それは、わが国が保有する軍事組織は、あくまで自衛のために保持していることである。「専守防衛」の軍事組織であるということである。

戦後の9条論争は、憲法の文言どおり戦力不保持を貫こうという考えと、自衛のための軍事組織は憲法に違反しないという考えの激突であった。しかし、どちらも自衛のための武力行使以外は認めていないという点において一致している。その結果、専守防衛という概念が生まれた。これは単なる標語の終らなかった。年々の予算審議の場において、専守防衛に反する、または専守防衛に必要ない装備や武器であるかないか真剣に議論された。わが国の防衛予算は年々増加してきたが、この原則だけはかなり厳格に守られてきた。

例えば、海上自衛隊は航空母艦をもっていない。わが国の防衛予算で航空母艦をもつことができない訳ではない。しかし、保持しないのである。それは、専守防衛という立場からは必要ないという考えからであった。またわが国は迎撃ミサイルはもっているが、航続距離の長いミサイル例えば大陸間弾道弾などはもっていない。核兵器や生物・化学兵器などの大量破壊兵器も専守防衛という観点から許されないと解されるであろう。核の抑止力は、専守防衛という考えと相容れないであろう。集団的自衛権ということで、わが国が現に攻撃されていないのに他国の軍隊などを攻撃することは専守防衛という観点から許されないとする見解は正しいであろう。安倍首相はこの集団的自衛権についてどういう場合に許されるのか検討するといっているのだ。

わが国の自衛隊が、専守防衛のための軍事組織であることは事実であるし、国民はそうであると確信しているからこそ自衛隊を憲法違反の存在と考えていないのである。アメリカとイギリスの軍隊は、2003年3月イラクに侵攻した。もし国連の別の議決などがあって、もっと多くの国々がイラクに軍隊を侵攻させることになったとしても、わが国の国民は自衛隊が他国の軍隊と一緒になってイラクに侵攻することを支持するとは思わない。わが国の国民は、自衛隊が海外に行くことには非常に懐疑的である。それだけ専守防衛ということにこだわっているからだと私は思う。右翼反動は、この専守防衛というわが国の“防衛の基本概念”を破壊しようとしているのである。注意しなければならない。

それでは、また明日。


  • 07年04月06日 09時03分AM 掲載
  • 分類: 5.憲法問題

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