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憲法9条の“骨太な解釈”

14年05月18日

No.1670

前号の「それでも地球は丸い。」は、安倍首相の記者会見を聞いて、一気にき上げた。怒り半分、一方では「これじゃ国民を騙せないよ」という気持ちが半分だった。記者会見を聞いて、多くの人々が「どこかおかしい」と思うと考えたので、まずは永田町徒然草をupdateすることにした。

私はタイトルに凝る方だが、とりあえず「それでも地球は丸い」とした。それでも、多くの方々からfacebookやTwitter で拡散して頂いた。600を超える“いいね”や“シェア”や“ツイート”を頂いたのは、白川サイトで初めてのことである。反応があると、やはり筆者の励みになるのは勿論であるが、いまは、あらゆる手段で安倍首相やその仲間のマヤカシと闘わなければならない時である。これからも、宜しくお願いする次第である。

憲法や法律を解釈する場合、もっとも重視しなければならないのは、“条文そのもの”と“立法趣旨”である。このふたつをチャンと押さえて、個々の問題や事例を解決していくことこそ、正しい法解釈である。今回は、憲法9条の“基本的な解釈”を私なりに述べてみたいと思う。これから、いろいろな場で集団的自衛権の問題が報道されると思うが、この“骨太な解釈”を頭に入れておけば、何が正しくてどこが間違っているか判断することができると思う。参考にして頂ければ幸いである。

憲法9条

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第1項が、わが国が国権の発動たる戦争を放棄していることは明らかである。戦争そのものは、“武力による威嚇”または“武力の行使”の集積体である。仮に戦争といえるものでないとしても、わが国が武力による威嚇や武力の行使を行うことは、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄すると定めたのである。わが国の“武力”とは、わが国が国家として保持している武力であり、典型的には軍隊であるが、それ以外の武力組織(例えば自衛隊や高度の武器で組織された警察組織)も含むと解釈すべきである。

しかし、国際紛争を解決する手段として戦争を放棄すると誓っても、戦争は起きるし、現に起こってきた。戦争が起きるのを最も確実に回避させる方法は、そもそも戦争を行う軍隊そのものを持たないこと ─ これが一番である。そこで、わが国の憲法は、第2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めたのである。世界の憲法の中で憲法9条2項は異例な規定とされているが、この条文が設けられた立法趣旨は、憲法前文の冒頭に記されている。

憲法前文第一節
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」したのが、憲法9条の立法趣旨である。従って、政府の行為によって戦争が起こることないようにするのが、憲法9条を解釈する上でいちばん重要なのである。わが国がいくら平和を希求しても、他国から侵略や武力攻撃を受けることはあり得る。それは、わが国から見たら侵略戦争を起こされたということだ。その侵略戦争や侵略攻撃に対して反撃を加えるのが、自衛のための戦争である。

国家と国民の生存を守るのは、不可侵の権利として、国際法上も認められる。憲法制定過程で、このことが争点となった。提案者であった吉田首相は、「自衛のための戦争も許されない」と答弁したが、自衛隊を創設する過程の中で「自衛のための戦争は不可侵の権利として許される」─ すなわち、「わが国も、個別的自衛権は持っている」ということで、憲法9条問題は政治的に決着した。

ここで最大の争点になったのは、「陸海軍その他の戦力」に自衛隊が該当するのではないかということであった。自衛隊違憲論はかなり長く続いたが、個別的自衛権を持っている以上、それを実効あらしめるための組織を保持することは認められるというのが、現在の憲法状態である。そのために、関係者の真摯な努力があったのは勿論だが、自衛隊はあくまでも自衛のための組織である証として、現に他国の軍隊とは明らかに異なっている。かなり専門的になるが、関心のある方は、拙論「改憲派が目論む自衛軍の想定像」を参照頂きたい。

集団的自衛権とは、「他の国家が武力攻撃を受けた場合に、直接に攻撃を受けていない第三国が協力して、共同で防衛を行う国際法上の権利である。直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処する」ことである。ある国(A国)に対して軍事攻撃を加えている国(B国)からみたら、自国(B国)に対して軍事攻撃を加えてくる第三国(C国)は敵である。理由の如何に関わらす、自国(B国)に軍事攻撃を加えてくる第三国(C国)に対して軍事攻撃をすることは許されるとするのが、世界の軍事常識である。

如何なることを理由にしようが、他国に対して軍事攻撃を加えれば、その国との間で戦争となり、軍事攻撃を受けるのは避けられない。こういう行為こそ、まさに「政府の行為によって戦争が起きること」なのである。だから、昭和56年5月29日の政府答弁書は「我が国が、国際法上、集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されない」と述べている。

安倍首相は記者会見で「国民の生命と財産を守る」と何度も強調したが、戦争こそ多くの国民の命を奪い、悲惨な惨禍をもたらすのである。このことは戦前を持ち出すまでもなく、“超”積極的平和主義国として世界のあちこちの紛争に介入したアメリカの歴史をみれば、明らかであろう。わが国の防衛政策は、あくまでも“専守防衛”なのであり、一国平和主義と呼ばれたとしても、それは正しくかつ賢明なのである。これは、半世紀余の歴史の試練に堪えてきた現実である。

以上が、憲法9条と集団的自衛権に関する骨太の解釈である。世界の平和に貢献するのは正しいことだし、わが国も、さまざまな努力をしてきた。それは、わが国の憲法の精神もある。しかし、憲法9条がある限り、世界平和への貢献は、あくまでも非軍事的分野に限定されてきた。それが国際的に非難されてきたことはないし、むしろ、国際的に高く評価されてきたのだ。「これからは、軍事的分野まで踏み込んで積極的にやりますよ」というのが安倍首相の“積極的平和主義”である。アメリカの軍事当局は喜ぶかもしれないが、それを評価する国があるとは思われない。特に、アジアの近隣諸国では…(嗚呼) 。

今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。


  • 14年05月18日 02時45分AM 掲載
  • 分類: 5.憲法問題

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