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憲法を守る力は国民にある。

13年07月01日

No.1587

戦後政治の分水嶺としての憲法

戦後の歴史を省みるとき、憲法に対する態度はひとつの大きな分水嶺であった。憲法改正を唱えるグループは保守勢力と呼ばれ、これに反対し憲法を護ると主張する勢力は革新と呼ばれた。「保守」と「革新」という対立軸を誰が付けたのか私は知らないが、きわめて意味のある正しい対立軸だったと思う。前号でみたように憲法改正を特に強く主張する者は、右翼反動であった。右翼反動は保守反動とも呼ばれてきた。

私の考えによれば、昭和憲法が60年以上も存続してきたのだから、正しい意味における保守はこの憲法秩序を前提にしながらものを考えなければならないと思う。私は長い間自民党の国会議員を務めてきたのだから、世間的には間違いなく保守政治家であろう。私自身、保守政治家であることを否定しようとは思わない。そして自民党にいた時から憲法改正に否定的主張をする私は、よく保守リベラルと呼ばれてきた。保守反動に対して、それほど悪い政治家ではないという意味で使われてきたのかもしれないが、私はそう呼ばれることがあまり好きではなかった。リベラルはリベラルなのであって、保守でも革新でもないというのが私の考えだからである。

細かいことはさておき、憲法改正を強く主張する者が昭和憲法的な秩序と価値観に嫌悪感をもっていることだけは確かであった。彼らは明治憲法的な秩序に回帰しようとしていた。少なくとも新しい秩序を構築するために努力するのではなく、明治憲法的な秩序や価値観に頼ろうとした。

護憲勢力の台頭と運動

それでは憲法改正を阻止しようとした人たちは、はたして昭和憲法的な価値観に忠実だったのであろうか。昭和憲法の最大の特長は、なによりも自由主義的憲法であるということである。この原則に従って、非合法とされてきた共産党も活動を再開したし、社会党などの革新政党が結成された。しかし、共産主義や社会主義に忠実であろうとすれば、昭和憲法が理想とする自由主義的な秩序と価値観は革新勢力の理想と矛盾するところがあったであろう。

私はそのことの故をもって、護憲勢力を非難しようとしているのではない。労働組合運動や人権を守る戦いを現実に展開したのは、間違いなく社会党や共産党だった。しかし、両党にとってそのような活動をしなければ、政党の基盤である労働組合や活動家を守れないという現実的な必要があったことも否定できないことであった。それも私は非難しようとは思わない。思想・信条の自由は、自由主義の基本の中の基本だからである。

昭和憲法は自由主義をもっとも基本の価値としている。憲法を守る戦いは、すべての国民の自由を守る戦いでなければ普遍性がなくなる。刑事事件の冤罪裁判などをみれば、社会党や共産党の活動家がこれを支えたことは事実である。また朝日訴訟のように生存権(憲法25条)を具体化する戦いもあった。わが国の基本的人権を具現化する広範な“権利のための闘争"を担ってきたのも革新勢力と呼ばれる人たちであった。

こうした人々は、自由主義的な秩序ということを必ずしも理解していなかった。彼らが共産主義や社会主義を理想とするならば、それはやむを得ないことであった。当時は冷戦の時代であった。西側陣営に属することを運命づけられていたわが国においては、革新勢力の“権利のための闘争"は反体制運動とみられる危険性があった。右翼反動は、このことを巧みに突いていった。政治の世界でこのようなことが行われるのは避けて通れない。このことは憲法を守る戦いの広がりを徐々に妨げることとなっていった。

簡単には理解できない自由主義の政治思想

昭和憲法の価値観を最初から否定したり、嫌悪感をもっている右翼反動が自由主義的な秩序を解しないことは論ずる必要もないであろう。しかし、護憲勢力と呼ばれる人たちは、昭和憲法を守ろうとしているのである。そうであるにもかかわらず自由主義を理解できないのは、自由主義的な秩序ということがきわめて難しい概念だからである。

自由主義の政治思想は、厳然として確立されている。あらゆる政治思想は、最良の秩序をどうやって形成していくかを提示しようとしている。しかし、国民の自由闊達な活動を保障することと最良の秩序の形成とは、そう簡単には結びつかないのである。もっと根源的な疑問を呈するとするならば、自由主義の政治思想はそれ以外の政治思想を倒すことには成功したのかもしれないが、まだ完全な形ではその姿を実現していないからなのであろう。

俗ないい方をすれば、社会党や共産党は東側陣営の国々(具体的にいうならばソ連や中国)を理想の国と考えていた時代があった。語弊があるとすれば、これらの国々にシンパシーをもっていた。しかしながら、東側陣営の情報は少なかったもののソ連や中国の経済がうまくいっていないことは徐々に明らかになっていった。またこれらの国々では個人の人権が著しく制限・弾圧されていることも知られることとなった。

そして残念なことだが、共産党や社会党の中でこれを構成する人々が個人として尊重されていないということも知られることになった。政党にはそれぞれの言い分があるだろうが、その政党の組織原理はその政党が政権をとった場合国民にも強制されることになると思うのは当然であろう。いかなる主義主張をもつ組織であろうが、その組織を活性化させるためには自由主義的に運営するのが一番なのである。しかし、自由主義と相反する主義主張をもつ最高指導者を戴く組織がそのような運営をできる筈がない。

自民党が憲法改正を掲げた政治的意味合い

右も左もぶった切る乱暴な論法だという人が多いであろう。それでは昭和憲法を本来守るべき責任があった自由主義者はどこで何をしていたのだろうか。

狂信的かつ絶対主義的な神権天皇制や軍事的ファシズムと一体となった偏狭な国粋主義が支配していた戦前のわが国で、自由主義者や自由主義的風潮が窒息させられていたのは厳然たる歴史の事実である。自由主義を学ぶことも自由主義者として自己を確立することも、厳しく抑圧されてきたのが戦前の日本であった。わが国にきわめて自由主義的な昭和憲法が制定されたとしても、自由主義者が澎湃と出現し、自由主義的風潮が一世を風靡することが少なかったとしてもやむを得ないのではないだろうか。

政治的に自由主義者の活動を困難にしたのが、1955年(昭和30年)に結成された自由民主党が自主憲法制定を党の課題として掲げたことであった。共産党も社会党も党の綱領的文書に社会主義を掲げていた。自由主義者としてはこのような政党に加入する訳にはいかない。しかし、憲法改正を党是とする自民党の中で憲法改正に反対や慎重の態度をいうと社会党や共産党に同調するようにみられてしまうのである。私が自民党所属の国会議員になったのは1979年であるが、昭和憲法が制定されて30年余が経ち完全に定着しているのに同じような不具合を感じなければならなかったのである。

以上を要すると、戦後の政治の流れの中に昭和憲法を中心になって守らなければならない責任と役割がある自由主義者の居場所がなかったということである。その結果、昭和憲法を守る運動の主体は社会党・共産党を中核とする革新勢力に依拠せざるを得なかったのである。その本質がどうであれ、自由民主党という政党が昭和憲法を改正すると唱え、かつこの政党が政権党であったことは昭和憲法にとって不幸なことであった。

下世話なたとえ話で恐縮だが、昭和憲法は生まれながらにして政権党である父親には非嫡出子扱いされ、血の繋がりのない継母に可愛がられるという皮肉な運命を辿らざるを得なかったのである。

多くの国民が支持した昭和憲法

昭和憲法はこのように政治的に不遇な環境に置かれたのだが、改廃されることもなく順調に定着してこれたのは、第一に衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成がなければ国会として憲法改正案を発議できないという憲法96条の規定があったからである。護憲政党は戦後一貫して衆参両院の3分の1以上の議席を確保していた。

もうひとつの理由は、昭和憲法が素朴に多くの国民から支持されていたからであろう。明治憲法下では、国民の自由が粗末に扱われたことを知っていたからである。国民の自由が奪われ、何らの抵抗も許されない中で侵略戦争に動員されていった。そして多くのアジアの人民を殺戮し、最後には自国民の多くが殺されていった。戦争に敗れ、焼け野原になり、すべてを失った国民にとって戦争を放棄した憲法9条はわが国の大きな希望だった。

わが国は武力ではなく文化によって幸せな日本を作ることを決意した。私は子供心に“文化国家"という言葉に希望を感じた。文化と文明とは多くの点で重なり合う。経済の発展ということも武力の領域ではなく、文化・文明の領域に属するものであろう。文化・文明への信奉が戦後の日本を精神的に支えた。しかし、物質文明という言葉があるくらいだ。世界の奇跡と呼ばれた復興を成し遂げたわが国は物質文明万能に陥り、その基底となった文化・文明を忘れてしまったような気がしてならない。

戦争の実体験をもった多くの人々が少なくなり、自由を奪われた不幸な歴史が忘られはじめたとき、若い右翼反動の首相が登場し、憲法改正を内閣の課題とするといいだした。内外の歴史をみるとこれはよくあるケースである。これを阻止できるかどうかは、文化力・文明力である。民主政体の下における政治は、紛れもなく文化・文明の領域の属するものである。

本当のターゲットは改正規定の改正!?

私は、右翼反動が昭和憲法にいちばん嫌悪感をもっているのは基本的人権の保障であると一貫して思っている。これは私が自民党の中にいて実体験として知っているからである。しかし、基本的人権を制限することは下手をすれば国民の総反発をくらう虞がある。そこで右翼反動が着目したのが憲法9条なのである。自衛隊は現に存在している。多くの国民はこの自衛隊を認知している。憲法9条を素朴に読めば明らかに現状と乖離している。

「私たちは、現状と明らかに矛盾している憲法を現状に合ったものにするだけなんですよ。憲法の大原則を変えるつもりなど毛頭ないですよ」

これが右翼反動の憲法改正の必要性を訴える決まり文句である。この言辞は意外に国民の耳に入り易いのである。これまでの護憲勢力からみたら考えられないことであろうが、最大の味方になってくれる筈の憲法9条が右翼反動が憲法改正を進めるテコにもなっているのである。私はこのことを確りと認識して昭和憲法を守る運動を進めていかなければならないと思っている。

もうひとつ重要なことは、右翼反動がいちばん目を付けているのが第96条の改正規定だということである。憲法改正を試みた右翼反動にとって昭和憲法の改正規定は不沈空母のように堅固な要塞なのである。この条文を変えない限り、彼らの望む憲法改正を行うことは到底できない。自民党新憲法草案では改正規定は次のようになっている。

第96条

この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議に基づき、各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票において、その過半数の賛成を必要とする。

憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体であるものとして、直ちに憲法改正を公布する

腰の定まらない民主党のスタンス

憲法改正規定がもしこのようになったら、後はもう一瀉千里である。右翼反動は人権規定をはじめとして自分たちに都合の悪い条文を次から次に変えていくであろう。自民党や公明党の良識に期待することなど、幻想であり危険でさえある。

今回の参議院選挙で憲法改正をマニフェストに載せた自民党は歴史的な惨敗を喫した。民主党は大勝し、参議院では第一党になった。それでも安倍首相は辞任しないという。自分の主張そのものは支持されたといっている。その中には憲法改正の主張も入っているのだろう。

安倍首相のこのような開き直りを許している理由のひとつに、民主党の憲法改正に対する態度がいまひとつハッキリしていないことがあると私は思っている。民主党の中には憲法について右翼反動と同じような考えをもつ者も若干ながら紛れ込んでいる。民主党の大半は、かつての社会党衰退がトラウマにとりつかれているようである。社会党衰退の最大の原因をいわゆる“護憲"と考えている節がある。それは歴史を正しく学んでいない証拠である。

憲法に改正規定があるのだから、憲法改正そのものは否定されるべきものではない。私とて憲法改正そのものが悪いなどと主張しているのではない。しかし、政治の世界では一般的・抽象的な概念は危険である。政治は具体的問題に対して具体的に応えていかなければならないのである。いま憲法改正に執念を燃やしているのは、自公“合体"政権である。彼らの憲法改正の内容は自民党新憲法草案に具体的に示されている。

民主党で憲法改正賛成という者が、自公“合体"政権と一緒になって昭和憲法を改正しようというのであれば、その者は私たちの敵である。民主党はいずれそのことをハッキリさせなければならないときがくるであろう。

ただ明確にいっておく。自公“合体"政権と一緒になって昭和憲法を改正しようとする民主党の議員やそれを許容する民主党を多くの国民は支持しないであろう。国民の自由を規制し、権力者に都合のいい国を作ろうとすることなどアナクロニズム(時代錯誤)そのものである。

そのときこそ、自由主義者が前面に出て命懸けで戦わなければならない。民主党の基本的な価値観は、社会的公平を重視する自由主義=リベラリズムしか現実にはないであろう。またそれは大多数の国民が求めている政治的価値観である。リベラルを高らかに宣言する昭和憲法を、民主党が自公“合体"政権と一緒になって否定しようという所業に出たならば、国民が民主党から離れるのは理の当然のことである。

昭和憲法は国民の中にもう確りと定着していることを政治家は肝に銘じなければならない。安倍首相をトップとする自公“合体"政権が歴史的大敗をした原因のひとつに、昭和憲法を公然と非難しこれを敵視する姿に国民が強い拒否感を感じたことと私はみている。国民の憲法に対するスタンスは、きわめて健全であり、正しいのである。このことに私は自信をもって良いと思う。この国民を信じて憲法を守る戦いを行えば、私たちが敗れる筈がない。自信をもって昭和憲法を守り、発展させる戦いを続けていこう。

以上をもって、この憲法改正問題講座をひとまず終りとする。長い間ご好読いただいたことに心から感謝する次第である。

* この小論は、月刊誌『マスコミ市民』平成19年9月号に掲載されたものである。

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  • 13年07月01日 01時00分AM 掲載
  • 分類: 5.憲法問題

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