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フォトエッセイ 即写寸言 月別アーカイブ

※タイのレストランで

これは世界的にも有名なオリエント・バンコク・ホテルのテラススタイルのレストランである。昼下がりであった。観光客とおぼしき多くの白人がお茶をしていた。このホテルはさすがに凄かった。今度来る時は、ここに泊まりたいものである。もっとも私が泊まったホテルの7~8倍位するらしいが・・・(笑)。

 ホテルが素晴らしかっただけではなかった。周辺のロケーションも良いのである。皇居前広場に面しているわが国の帝国ホテルと同じである。そういうことを含めて料金は高いのであろう。私が泊まったホテルとは、こういうところか相当に違った。

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'08年03月28日の03時33分に分類その他で掲載しました。

昼食をとる。

私もオリエントバンコクホテルで昼食をとらせてもらった。やはり素晴らしい食事であった。特に紅茶が美味しかった。パンやビスケットにちゃんとバターやジャムも付いてくるので、それだけで十分に昼食になったのだが、私はタイの麺を頼んだ(くれぐれも辛いのを抜きにと念をおして)。

 よく写っていないが、このように開放的なところではちゃんと灰皿が出てきてタバコを吸えるのが嬉しかった。喫煙に厳しいタイではあるが、要するに受動喫煙を禁止しているのである。このようにコンセプトがハッキリしているところが良い。日本もこれを見習ってもらいたい。

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'08年03月28日の03時06分に分類その他で掲載しました。

民族衣装を着た麗しき女性

戦場に架ける橋の鉄橋の傍の川べりにレストランがあった。そこで昼食をとることにした。そのレストランの入り口で私たちを迎えてくれた民族衣装を着た麗しき女性。タイの民族衣装を知らない訳ではないが、暑い中で昼間見るとすごく落ち着いて見えた。民族衣装をみる場合のひとつの大事なことなのかもしれない。

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'08年03月28日の02時46分に分類その他で掲載しました。

立礼でお客を迎える二人の女性

入り口にいた麗しい女性の傍にあどけない少女も立礼でお客を迎えていた。非常に異国情緒をかき立てられる。平日の午後1時頃であった。少女は学校は大丈夫なのだろうか。

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'08年03月28日の02時35分に分類その他で掲載しました。

旅の記念に

今回の旅行は観光ではなかったのでこのような写真はあまりない。私も観光客気分でタイの女性たちと記念写真を撮る。

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'08年03月28日の02時24分に分類その他で掲載しました。

※カツヒコ、『戦場に架ける橋』に往く。

アユタヤはあまり農村部ではなかった。地方を見たいという私の願望は消化不良であった。そこで映画『戦場に架ける橋』で有名な鉄橋があるカンチャナブリに行くことにした。詳しくは、永田町徒然草No.737参照。

泰緬鉄道の鉄橋を臨む写真である。天候は晴れ。時刻は正午ころであった。本当はバンコクから鉄道で来るのが良かったようである。断崖絶壁の所に敷設された鉄道が見事とのこと。

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'08年03月27日の14時23分に分類その他で掲載しました。

○○川の川縁で

上の写真に写っている川縁で撮った写真。メコン川もチャオプラヤー川もそうだったが、東南アジアの河川は日本人には清流にはなかなか見えない。どうも藻のせいのようである。だから魚は成長が滅多矢鱈早いという。ところがこの川(名前を記憶していないのが残念である)は、非常にきれいな清流であった。こういう川を見ると私たちの心は急に落ち着く。

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'08年03月27日の14時10分に分類その他で掲載しました。

鉄橋のど真ん中で

泰緬鉄道の鉄橋のど真ん中で。日本人よりも白人の観光客の方が多かったのが意外であった。白人観光客の多くは、ヨーロッパからの人が多いという。かつて東南アジアの多くの国はヨーロッパ諸国の旧植民地だった。そんな関係なのであろうか。

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'08年03月27日の13時55分に分類その他で掲載しました。

待望の水田である。

カンチャナブリで待望の農村に立ち寄った。この辺の農村もずいぶん豊かになったという。まずは水田が一面に広がる光景を撮った。乾期であるので稲は植えていなかった。4月になればたぶん田植えが行われるのであろう。真ん中のビニール袋は鳥避けであろう。

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'08年03月27日の13時47分に分類その他で掲載しました。

水田の近くで一枚

水田の傍で撮ったもの。バナナの木が違えば、日本の水田風景と同じである。

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'08年03月27日の13時40分に分類その他で掲載しました。

※カツヒコ、アユタヤに行く。

とにかくバンコクの混雑と喧騒から離れ、もっと地方に行きたかったのでアユタヤに行くことにした。アユタヤはバンコクからチャオプラヤー川上流70キロくらいにある。自動車で2時間くらいで着いた。

アユタヤは1350年から1767年までの417年間、タイの首都があった。この写真はアユタヤ朝の王宮があったところで撮ったものである。現在の王宮と同じように、仏教的な遺跡と王宮の施設と思われる物が混在しているように思われた。木造の建物もあったと思われるが、礎石だけしかない。これは不思議なことではない。江戸城だって昔のものがそのまま残っているのは石垣だけだという。

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'08年03月22日の21時24分に分類その他で掲載しました。

首のない石仏

王宮内にある石仏は、このように首のないものが多くある。捨てられた王宮は荒れてしまい、盗掘や盗難で石仏の首がなくなったという。石仏全部では重すぎるので、頭部だけ持ち去ったらしい。

インドネシアのボロブドゥール遺跡を観たた時も、そこの石仏の頭部はすべて欠けていた。これはイスラム教徒に征服された時、宗教上の理由で破壊されたらしい。同じ首なし石仏でもこのように歴史がある。

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'08年03月22日の20時46分に分類その他で掲載しました。

あるワット(寺院)の石仏

タイではどこにいってもワット(寺院)がある。アユタヤ市内のあるワットに行った。このワットの石仏はこのように無事であった。黄色の袈裟というか衣というか腹当て(語彙不足!?)を着けている。それがなかなか新鮮であった。こうすると石仏にもぐんと気品がでてくる。日本のお地蔵さんの赤い腹当てとルーツは同じなのだろうか。

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'08年03月22日の20時32分に分類その他で掲載しました。

あるワットの境内

このワットにはかなり高い塔があった。そこは登れたので登った。最近は運動不足なので足が突っ張ってしまった。せっかく苦労して登ったのだから、塔の上から境内を撮った。ここにはバンコクの王宮にあったような前衛的(?)なオブジェはなかった。

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'08年03月22日の20時21分に分類その他で掲載しました。

旧日本人町跡

アユタヤの中心からかなり離れた所に旧日本人町跡がある。そこでの記念写真。

 10年前に来た時にも、ここを訪れてた。その当時に比べ敷地内にいろいろな施設が作られており、多くの日本人観光客がいた。以前来たときにはそのようなものは殆どなかったとはっきりと記憶している。かなり広い旧日本人町跡地は、一面芝に覆われていた。タイの芝は私たちから見ると雑草のような感じがする。まさに“夏草や つわものどもの 夢の跡”という感がした。私にはその方が良かったような気がする。 

 最盛期には3000人の日本人がいたという。現地人や近隣諸国の従業員を加えると数千人が居住していたという。そこには首領がおり、1617年~1630年首領をしていたのが山田長政である。山田長政は商人というより王のけい警備隊長を務めたという。

 徳川幕府が鎖国政策をとらなかったら、江戸時代にも多くの日本人がタイや東南アジアに渡来していたのではないか。そうすると日本もかなり変わっていたのではないか。私は“民族の移動”というものに特に関心をもっている。

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'08年03月22日の20時13分に分類その他で掲載しました。

※王宮の見学

タイ国では王室の存在は特別である。至るところに国王と女王の写真が掲げられている。とても現在の日本の比ではない。王室への信頼は絶大である。それは昨年のクーデターの時、余すところなく発揮された。しかし、タイ国は立憲君主制である。絶対君主制ではない。

そんな訳でとりあえず私は王宮をまず見学することにした。たった一人での見学である。前に来た時にも確か行った記憶がある。しかし、人に連れてこられたのでぜんぜん記憶はない。

王宮は王室の寺院(ワット)と宮殿からなる。宮殿は併設されているが、私が行ったのはこの寺院(ワット)の方である。そこにある金で作られた大きな塔である。どのような目的で作られた塔なのであるか分らない。こういうときにガイドがいないと不便である。しかし、そんなことをあまり気にせずにそこにあるものをそのまま受け容れて気軽にみるのもよいものである。

以下の5葉の写真をそのように見てもらえれば幸いである。紹介というほどのものではない。

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'08年03月20日の19時50分に分類その他で掲載しました。

金の尖塔

これは前の塔とは別の金の尖塔である。ガイドがいないので、どのような目的の尖塔なのかは分からないが、きっと前の尖塔とは建てられた時期と目的が違うのではないか。いずれにしても王宮の建物の中にこのような金でできた塔がかなりあった。もちろん金箔が貼り付けられているのであろうが、これらをみてヨーロッパから来た人たちは“黄金の国”と思ったのではないか。黄金の国 ─ ジパングは必ずしも日本だけではなかったのではないか。

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'08年03月20日の19時28分に分類その他で掲載しました。

前衛的なオブジェではないか

王宮の中にはいろいろな建物がある。基本的にはそれらは仏教的な建物なのであろうが、あちこちにこのような立像がある。見方によってはきわめて前衛的なオブジェではないか。このような立像も至る所にある。それは私たちのイメージでは仏教的ではない。明らかにヒンズー教的な立像である。インドの影響があるのではないか…。

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'08年03月20日の19時15分に分類その他で掲載しました。

中国風かつ日本的な佇(たたず)まい

多くの建物が所狭しと建ち並ぶ王宮である。その一部で見つけたデコレーションである。庭園というほどの大きさではない。やはりデコレーションというべきなのであろう。植栽のレイアウトは日本的であるが、置いてある像は中国風である。中には“見ざる聞かざる”を思い出させるような猿があるものもあった。

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'08年03月20日の19時05分に分類その他で掲載しました。

近衛兵の行進

そろそろ王宮を出ようと思ったとき、急に騒がしくなった。何か騒動でも起こったのかと思ったら近衛兵の行進であった。イギリスの王宮の雰囲気のある近衛兵であった。なお、写真には撮らなかったが、王宮の入り口には普通の兵士の詰所があった。精強な兵士が屯していた。

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'08年03月20日の18時52分に分類その他で掲載しました。

※バンコクでの即写寸言

タイ国から帰ったら忙しかったのとちょっと体調を崩してしまったので、タイでとった写真をupdateできなかった。本当はバンコクでupdateできれば最高なのであったが、デジカメとパソコンを繋ぐケーブルを持って行かなかった。今度行くときには忘れないようにしよう。

2ヶ月近くも即写寸言のupdateをしなかったので少し勝手が違った。でも何とかupdateに成功した。今回はバンコクで撮った写真を掲載することにする。その他の写真は後日に回す。

私が泊まったホテルはバンコクの通称日本人街と呼ばれるところにあった。私はこのホテルに6日泊まった。外国に行ってひとつのホテルに6日も泊まったのは初めてのことである。一泊は朝食付きで1日5000円くらいであった。インターネットも使えるのでホテルは変えなかった。そのホテルの窓から撮った写真である。

バンコクの高架鉄道の駅舎である。バンコクは時間帯によっては、非常に渋滞するので非常に便利なのだそうだが、私は一度も乗らなかった。タクシー料金が日本に比べれば非常に安いからである。

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'08年03月20日の00時26分に分類その他で掲載しました。

私が泊まったホテルの周辺

私が泊まったホテルの部屋から撮った周辺の写真である。私が泊まったホテルができたのを機に、この周辺には日本料理店などが多くできたという。私が泊まったホテルの客は7~8割は日本人客だった。その割には意外に日本語が通じないで苦労した。ホテルの経営は華僑資本であった。

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'08年03月20日の00時02分に分類その他で掲載しました。

閑静なバンコクの住宅街の雰囲気ー1

私はホテルの近くの喧騒なメーンストリートから横道に入った。少し歩いただけでこのように閑静な住宅街になる。自動車も急に少なくなる。私は地図もなく気の向くままに歩き始めた。午前11時ころである。暑いことは暑いが猛暑というほどではない。

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'08年03月19日の23時51分に分類その他で掲載しました。

閑静なバンコクの住宅街の雰囲気ー2

私が歩いているこの横道は間違いなくかなり高級な住宅地である。この近くにはケニヤ大使館があった。そこにはもちろん国旗があったが、それ以外の家々にもこのような旗が飾られている。三色の旗はタイの国旗であるが、黄色い旗もいたるところにある。タイ皇室の旗なのであろうか。ちょっと訊くのを忘れてしまった。

どこにいっても自動車の多いのがバンコクであるが、この道の交通量はこのようなのである。また人がほとんど歩いていない。それが私が高級な住宅地という理由である。右上の看板は日本料理店の看板である。

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'08年03月19日の23時34分に分類その他で掲載しました。

新しく建設されたマンション

この道はメーンストリートからかなり離れている横道であるが、このように大きなマンションがあちこちに建っている。もちろんマンションは相当に高いという。購入者は主に外国人だという。多くの日本人も買っているのだろう。

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'08年03月19日の23時21分に分類その他で掲載しました。

こんな横道にも日本語の看板

私が歩いてきた横道にもかなりのところにこのような看板がある。まぁ、日本語はほとんどの人々が読めないだろうし、果たして日本語であるかどうかも分らない(笑)と思うが、私にはちょっと気になるところである。

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'08年03月19日の23時12分に分類その他で掲載しました。

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