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前ストーリーへテレビ雑考(その3)

  1. 冒頭に述べたとおり、わが家にはBSアンテナがありません。家事の実権を握っている家内が、BSアンテナの設置を必要を認めていないために、私はBS放送を観ることができないのです。結構いいものを放送していると思うのですが…。

    いまや1300万所帯でBS放送を見ているので、BSは決して珍しいメディアはなくなりました。CATVも1500万所帯が加入しています。CS放送を見ている所帯数は370万世帯あります。最近では、インターネットでテレビ放送をしている事業所もあります。このようにニューメディアは、少しずつではありますが、わが国でも着実に普及しつつあります。今後ともニューメディアの普及のために国は努力していく必要があります。

    このようにニューメディアは、技術の進歩と国の努力があれば、確実に発展・普及していきます。こうした中で、関係者が意外に関心をもたないのが、そのメディアにのるソフトのことです。ハイヴィジョンテレビのことをかつて高品位テレビと呼んだ時代がありました。その頃、「低俗な番組も、品位のあるものとなるテレビ」などという冗談をいい合ったこともあります。このようにメディアは、所詮どこまでいっても、映像を媒介するツールでしかないのです。映像を媒介するツールがいくら増えても、よい映像が制作されず、またよい映像を利用できなければ、ニューメディアは、決してバラ色の世界を私たちに与えてはくれないのです。

    わが国には、かつてテレビ放映された番組を保存している、総合的なライブラリーがありません。NHKなどは、そのようなライブラリーを作って一般にも公開しています。各放送局でも、自社のものは相当保存しています。かつては、ビデオテープでこれを保存しておかなければならなかったために、膨大なスペースが必要だったのですが、現在では、デジタル化して保存することでスペースの問題は解決しています。映像の劣化の問題もなくなり、自分の観たい番組に簡単にアクセスできるようになりました。

    通信カラオケがある時代です。光ファイバーを使って、自分の観たい番組を自宅のテレビで安価に観れるようにできるように、早くならないかなぁーと思います。大容量のDVDで番組を所蔵しているライブラリーと私たちの家が光ファイバーで結ばれれば、これは十分可能なのです。

    いい番組を作ることは、もちろん大切です。しかし、いい番組を作るにはお金がかかります。この意味でも、いい番組は、いろんなルートを通じて多くの人が何度もなんども観れるようにすることが必要です。著作権の問題は、そんなに大きなことではないと私は思います。制作の過程で、最初からちゃんと決めておけば済む問題です。NHKなどは、チャンネルをいっぱい持っていることもありますが、深夜時間帯やBS放送で何度も放送しています。民放ももっと再放送をしてもいいのではないかと思います。いいものは、何回観てもいいのであり、決して手抜きをしているなどと視聴者は思いませんから。その代わり、再放送に耐えるだけの番組を作らなければなりません。ニューメディアの普及・発展速度は、私が思っていたよりも決して早くはありませんでした。それでも、ニューメディアは、確実に普及していくことでしょう。しかし、いいソフト=映像がなければ、ニューメディアもたいしたことにはならないのです。高品位テレビ(ハイビジョン)が低俗な番組を品位の高いものにする力がないように…。

  2. いま韓国のドラマや映画が日本で大人気です。それに伴い、韓国の俳優も非常な人気です。私など、冬のソナタが放送されている時は、居間に入っただけで「いま大事なところなんですから、あっちに行って下さい」と家内に追い出されてしまいます。ですから、冬ソナは全然見ていないのですが、日本テレビが放映していたホテリアーは観ました。もちろんトビトビですが…。あのヨン様も出演していましたが、他の俳優もなかなかなものです。率直にいって面白ったです。よく出来ていると思いました。

    ある人から聞いたのですが、韓国は何とか面白いテレビや映画を作れるようになりたくて、200〜300人規模の学校を作ったのだそうです。大学なのか専門学校なのか聞きそびれてしまいました。創立からまだそんなに年月は経っていないそうですが、その成果でしょうか、わが日本で韓国ブームといわれるほど、競争力のあるドラマや映画を現に作っているのです。私は前から、NHKは「NHKアカデミー」みたいなものを作ったらどうかといってきました。それは、わが国の映像文化を支える人々の養成が劣悪だということを知っているからです。その実情たるや、未だにほとんど徒弟制に近いのです。

    文化・芸術は、ある程度、徒弟制でないと養成できないところもあるのでしょうが、その場合、優れた「師」なしでは、徒弟制は成り立たちません。例えば、あなたは『渡る世間は鬼ばかり』の監督は誰だかいえますか。テレビドラマの場合は演出というのでしょうが、ほとんどその人の名前を知りません。私もたったいま答えることはできません。映画の場合、監督のウエイトが圧倒的に大きいものでした。黒澤明監督の映画は、それだけでブランドだった訳です。また黒澤監督は、その期待に十分応えました。そのような師がいてこそ、徒弟的な関係でもいい弟子が育ったのだと思います。

    また、かつては大映、東映、松竹、日活という経営基盤のしっかりした映画会社がありました。そういう中で、優秀な監督や映像技術者が育ったのです。アメリカには、ハリウッドという映画を作る大集積地がいまなお健在です。イギリスやフランスの事情は知りませんが、きっと何かがあるのでしょう。映画産業が衰退し、多くの映像技術者を育てることができなくなったのです。

    このような現状では、映像技術者を育てる機関がどうしても必要だと私は思っているのです。NHKの年間予算は6000億円ありますが、これは国民の視聴料で賄われます。そのうちの200分の1=30億円くらいを投じて、映像芸術・文化の専門大学校として、アカデミーを作ったらどうかと考えるのです。もちろん、卒業生にはNHKに就職することを義務付けず、広く放送関係に開放すべきだと思います。NHKには、そのくらいの使命と義務があると思いますし、また、国民もこのことを理解してくれると、私は信じています。

    教育というのは、お金をかけたからといって必ず成果がでるというものではありません。しかし、教育や人材の養成をしなければ、有能な映像技術者や黒澤明のようなすごい監督を得ることは、僥倖(ぎょうこう)をただ待っているに等しいのです。優れた映像芸術や映像文化を育てることは、わが国の場合、偶然や僥倖にたよるだけではすまされない問題だということを、私たちは肝に銘じなければなりません。

  3. テレビなどあまり観ない私が、愚にもつかないことをいろいろと書き連ねました。最後まで読んでいただいたことに、感謝します。しかし、非難や批判を覚悟して、敢えてこのようなことを述べたのは、映画や映像が好きだからです。また、映像は、文字や絵画と同じくらい私たちの感性に訴える力をもっています。私自身にとっても、人格形成のうえで映像(その大半は映画ですが)は大きなウエイトをもっています。

    私は昔から「日本という国は、外国によく理解されなければ、最後は生きていけない国なんだ」と基本認識しています。映像は、民族や宗教や言語を超えた伝達手段です。橋田寿賀子さんの『おしん』が多くの発展途上国でブレークしたことは、あまりにも有名です(ただ、ほとんど無償でビデオが提供されたということはあまり知られていませんが)。映像は、日本を理解してもらうために大きな役割を果たすことができる手段です。そして、今日では、わが国の映像は、圧倒的にテレビ放送を目的にして作られています。その量だけならば、世界でももっとも多い国の一つでしょう。

    しかし、テレビで放送される映像や内容が満足できるものではないことは、多くの人々が感じていることです。かつて稀代の評論家大宅壮一氏がテレビを「1億総白痴化」と酷評しました。これだけテレビ放送が普及しても、それほど酷(ひど)くはなっていないと私は思います。しかし、テレビがもっている力を十分に発揮している状態かといえば、首を傾げざるを得ない人が多いのではないでしょうか。インターネットが普及し、映像もかなり自由に伝達できるようになりましたが、テレビ放送に比べれば、残念ながらその影響力は当分の間太刀打ちできないでしょう。

    テレビ放送が大きな影響力をもつ情報・芸術・文化の伝達手段でありながら、テレビ放送について本格的な評論があるかというと、意外に少ないのです。ほとんどすべての分野の評論家がいるのですが、放送評論家と自ら名乗っているのは天野祐吉氏(1度お会いしたことがありますが、専門家だけあって貴重なお話をお伺いしました)くらいしか、私は存じあげません。また放送評論家でありながら、テレビで結構お見かけしますが、放送についての評論はさせてもらえないようです。批判や評論を受け付けようとしない体質がテレビ局にあるのだと、私は思っています。第三者からの批判や評論に耳を傾けない者は、必ず堕落します。マスコミは、いまや第四の権力なのです。批判を拒む権力は、必ず腐敗し、堕落します。

    いまや誰もが日常生活の一部として見ているテレビについて、あえて愚見をとりとめもなく述べたのは、テレビがそれだけのウエイトをもっているからです。テレビ放送は、もっと国民から批判され、切磋琢磨しなければなりません。あなたにも、テレビを観ながら、ここで私が述べたと同じように、それぞれの考えを深めていただきたいからです。そして、それをお酒を呑みながらでも結構ですから、お互いに話し合っていただきたいのです。民の声は天の声、必ずテレビ局にもその声は届き、少しずつでも、テレビ放送の質の向上につながることと信じています。

─ とりあえず、了 ─

白川勝彦

参考: 渡る世間は鬼ばかり 製作 TBS・作 橋田壽賀子・プロデゥーサー 石井ふく子

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