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テレビ雑考(その1)最新ストーリーへ

  1. 私は映画時代に育ちました。私が育った新潟県十日町市は、人口5万の小さな町でしたが、映画館が3軒ありました。一つは、松竹系、もう一つは、東映系。あと一つは洋画専門でした。私は、高校時代の3年間、毎週この3つの映画館で映画を見ました。そのころは、1週間単位に新しいものがかかりました。「よくそんなに映画を見る時間があったな。よくそれで東大にはいれたなー」などといわれました。でも、これ本当なんです。とにかく映画が好きだったのです。その代わり、私の家にはテレビはありませんでしたから、テレビはまったくみれませんでした。いまは、どの家庭にもテレビがあり、受験生でもテレビは見るはずです。受験生が1日にテレビをみる時間を合計すれば、私が映画館で映画をみた時間よりもきっと多いでしょう。

    大学に入っても、私は6年間寮にいました。テレビは個人では持っていませんでした。高校時代のように映画をみることはありませんでしたが、それでも映画館にはよく行きました。こういうことですから、私にとっての映像文化は映画からであり、テレビからではなかったのです。でも最近では、滅多に映画舘にいって映画を観ることはありません。ですから、映像はほとんどテレビから入ってきます。この4年間は浪々の身、暇なものですからテレビを見ている時間がかなりあります。

    このようにテレビを見る時間が多くなって痛感することは、日本のテレビはどうしてこんなにつまらないのだろうかということです。わが家はBSアンテナを持っていませんので、わが家のテレビで見れるのは、地上波6チャンネルの放送だけです。そのすべてのチャンネルを回してみても、観たいというものが一つもなく、テレビを切ってしまうことがかなりあります。

    私は、いうならば特殊な生き方をしてきた人間です。ですから、お前がつまらないといってもそれは特別であり、一般の視聴者はそうは思っていないのだという人もいるかもしれません。しかし、私も、そんなに特殊な感覚を持っているわけではありません。また、テレビにそんなに特殊なものを求めている者でもありません。娯楽番組には娯楽として面白いものを求め、報道番組には報道として、迫力のあるものを求めているだけです。教養番組には、テーマを問わず知的興味をそそるものであれば、それでいいのです。そうでないからつまらないと感じ、こうして若干、憤(いきどお)っているのです。これが、この小論文を認めてみようという気になった動機です。気軽にお読み下さい。

  2. なぜ日本のテレビはこうもつまらないのか?それは、何といっても、制作者の意欲と意識の問題ではないでしょうか。視聴率の競争があるといわれますが、そんなに緊張感があるとは思いません。私にいわせるならば、ダメなものどうしの競争ですから、ドングリの背比べで、責任を取らせられることなど現実には滅多にないじゃないか、ということです。映画の場合の競争は、興行成績が文字通り、まさに幾らいくらと金額で明らかになるわけです。緊張感は、テレビの視聴率競争とは全然違うのです。

    つまる、つまらないという次元から話しているのですから、まず娯楽番組から述べてみましょうい。娯楽番組といえば、何といってもドラマですが、今、テレビで放映しているドラマで2度、3度と観たくなるものは、滅多にありません。1時間番組といっても、コマーシャルの時間を除くとだいたい45分です。45分では、見応えのある面白いものは作れないのではないかと思います。私がいま一番面白いと思って観ているのは、TBSの『渡る世間は鬼ばかり』です。橋田寿賀子さんの脚本がまず、いいのでしょう。それに加えて、俳優が素晴らしい。テーマが幅が広く見応えがあるのですが、45分ではちょっと窮屈すぎる気がします。せめて、丸1時間は欲しいですね。

    『刑事コロンボ』は確か45分番組だったと思うのですが、十分に推理ドラマの迫力と魅力がありました。こうなると、これは脚本力の問題ということになるのでしょうね。『刑事コロンボ』には及びませんが、45分番組ながらなかなか面白いのが、藤田まことの『はぐれ刑事ー純情派』です。ただこれは、藤田まことの魅力がなければ、とてももちませんね。芸能評論家でもない私がなんでこんなことをいうかというと、私たち日本人がみて面白いと思えないものが外国に売れる訳がないということです。『冬のソナタ』が日本で大反響になりましたが、日本のドラマで最近国際的に大反響となったものが果たしてあるのでしょうか。

    私は昔(約30年前)、よくこんな演説をしました。

    「テレビというのは、映像を観る機械です。いま、世界のテレビはほとんど日本製ですが、テレビに映る映像を売れる国にならなければ、日本が本当の先進国になったとはいえません。皆さんの家のテレビでもアメリカの映画がよく放映されるでしょう」

    いまや日本人が見るテレビ受像機は、その多くが東南アジアで作られています。最近は日本のメーカーも液晶テレビとかプラズマテレビを開発して頑張っていますが、これもいずれは東南アジアなどで作られることになるでしょう。テレビ受像機ではなく、映像を売れる国になることが、わが国の本当の課題なのです。よく「これからは、ハードよりソフト」というじゃないですか。テレビ受像機はハード。映像こそ文字通りソフトなのです。ドラマはもっとも商品性のあるソフトです。そのソフトが売れないことは悲しいことであり、日本経済の根本問題なのです。

    昭和20年代に黒澤明の『7人の侍』や『羅生門』は外国でも売れたのです。今観ても、『7人の侍』など、たいしたものだと思います。歯切れのよい台詞(せりふ)、テンポある場面展開、嫌味のない人間愛。いま、わが国のテレビで流されているドラマには、このいずれもありません。だから、私たちの心を打たないのだと思います。日本人の心をうつこともできない日本のドラマが、外国の人々の心に響くことは絶対にないでしょう。こんなことは別として、とにかく理屈抜きに面白いドラマがみたいものです。

  3. 報道番組といえば、まずはニュース番組でしょう。最近は、テレビのニュース番組もかなり充実し、新聞を読まなくとも大体のことは分ります。また、新聞よりも速報性があり、迫力もあります。これは率直にいって評価します。でも、大体10分前後で国際的ニュースから国内のニュースまでを報道するのでは、基本的に無理がありはしないか、という気がします。そこで特に「皆さまのNHK」にいいたいのは「せめてNHKくらいはもう少しニュースを流してもいいのではないか」ということです。現在のところ、NHKも朝の『おはよう日本』をはじめとしてニュースの時間帯がかなりとってあるのですが、ニュースそのものの時間帯は、全国版で10分あるかないかです。民放とほとんど変わりません。もう少しニュースの時間帯をとるべきだと思います。個々のニュースの重要度は視聴者が選択するのであって、テレビ局が今のように絞り込むのは問題だと思います。

    報道番組で私が特に関心をもっているのが、特定のテーマについて掘り下げて報道する番組です。文字通りの報道番組─ドキュメンタリー類ですね。わが国では、これが貧弱なような気がします。わが国のもっとも古典的(?)なこのような報道番組は、TBSの『報道特集』だったと思います。土曜日は政治家にとっては稼ぎどきです。私は現職の国会議員の時は、土日は選挙区で国会報告会を開いていましたが、夜の会場に行く前に食事をしながらよく観ました。これはけっこう面白い番組だったと思います。最近ちょっとみた記憶がないものですから新聞で確かめたところ『報道特集』という番組はもうありませんでした。残念です。

    私がほとんど毎週観ているサンデープロジェクトでも、ときどき、この種の番組をやっています。おもしろいものもありますが、イマイチという気もします。サンプロの売りは、なんといってもやはり田原聡一郎氏の政治トークショーなのでしょう。筑紫哲也氏の『ニュース23』でも、時々こうした特集をしており、見応えのある物があります。しかし、定期的にこういうものをやる、観れるということがやはり大事なのでしょうね。

    それから私がちょっと奇異に感じることは、どうしてわが国のテレビは天気予報をこんなにするのだろうか、ということです。特に朝は多いですね。人によって起きる時間が違いますし、テレビをみる時間も違いますから、仕方がないとは思うのですが、まあそれにしても、ちょっと多すぎる気がしてなりません。最近はほとんどの局でも気象予報士が天気予報をしています。ですから、気象に関する知識や歳時記的なものを付け加えてくれるので、多少は救いとなっているような気がしますが…。アメリカでは気象専門チャンネルがありますので、天気予報を観たければ、そのチャンネルにあわせればいいのです。日本のCATVにもほとんど気象専門チャンネルがありますが、CATVの普及率がアメリカとは問題になりません。だから仕方がないのかもしれませんね。

  4. テレビが政治をどう取り扱うかということについて、少し私の考えを述べてみたいと思います。平成5年の総選挙で自民党を野党にし、細川連立内閣を作ったのは、テレビだといわれました。その選挙の前、私は浪人中だったので、テレビをよく観ました。ですから、この時にテレビが果たした役割をよくみていました。テレビが政治を動かした、細川内閣を作ったというのは、その通りだと思います。その結果、自民党は野党になり、私も政治的には苦しい立場に立たされたのですが、テレビが政治を取り上げ、国民がこれに呼応して動いたことに反感をおぼえたことはありません。

    さて、その後はどうなのでしょうか。加藤の乱の時は、まさにテレビが日々報ずる報道と国民の政治的マインドが、細川連立内閣のあの時と同じように同時進行していたような気がしました。しかし、それ以後、あのような緊張した政治報道はなくなってしまったというのが私の率直な印象です。小泉内閣発足当時のあのお化けのようなフィーバーは、間違いなくマスコミ特にテレビが作ったものでしょう。でも、これは、政治権力に対してマスコミが緊張感をもって迫るというものではなく、政治権力に擦り寄るという珍しいものでした。太平洋戦争当時、大本営の発表をマスコミ(当時は新聞とラジオ放送)が無批判に垂れ流した姿に似ているような気がします。日本のマスコミがこのような体質をもっていることを、私たちは忘れないようにしておいた方がいいと思います。

    いまや定番となったフジテレビの『報道2001』、NHKの『日曜討論』、テレビ朝日の『サンデープロジェクト』がありますが、いまやちょっとイヤミがあるような気がしてなりません。どういうイヤミかというと「俺たちは、日本の政治を動かす力をもっているのだぞ」という奢(おご)りとでもいっていいでしょう。これらの番組が政治を動かしたのは、選挙制度の改革とか森内閣の打倒という具体的なテーマを、正面から素直に執拗に報道したからです。このテーマに国民が関心をもったのです。これらの番組のキャスターの発言に国民が動かされたのではないのです。しかし、キャスターたちは、かつての栄光の残像からでしょうか、自分たちの影響力で国民が動くと思っているのではないかというイヤミが、ちょっと目立ち過ぎるのです。

    政治を報道する時に一番大切なのは、率直さと謙虚さと熱情だと私は思います。私も何度かこうした番組に出たことがありますが、出演する側にも、このような気持が必要だと思います。最近の政治家は、テレビに出てさえいれば人気が出てくると思っているようですが、変な出方をすれば人気を失い、嘲笑を買うこともあることを知らなければなりません。少なくとも、マスコミに迎合するような発言はしないようにすべきです。そうするとテレビ局は声をかけないのですが、それはそれでいいのです。とにかくテレビに出たいという考えはよくありません。ちょっと、そういう感じのする政治家がいます。

    政治というのは、本来はおもしろいものなのです。ですから、取り上げ方によっては十分視聴率も稼げるし、日本を良くするために大きな役割を果たすこともできるのです。そのような番組を作るためには、テーマの選択と出演者の顔ぶれが大事だと思います。最近の政治番組をみていると、キャストがあまりにも偏っているような気がします。問題意識と発想が固定しているのではないかとも思います。この日本の人材にも、多彩な政治家や政治評論家が沢山いるのです。

─ つづく ─

白川勝彦

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