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は、政策集団宏池会(会長 加藤紘一衆議院議員)に所属しています。昨年の自由民主党総裁選では、自公連立問題が大きな争点になりました。総裁選を前に加藤紘一先生が著書およびインタビューで自公連立について述べた部分を抜粋します。加藤先生は主として政治論からみて反対していす。10月4日、自自公連立内閣は発足しましたが、その後の展開は加藤先生ののべられたとおりになっています。参考になりますのでご一読下さい。
なお、加藤先生もWebサイトを開きました。なかなか内容のある面白いものです。ぜひアクセスしてみて下さい。

(政界10月号のインタビュー記事全文がhttp://www.katokoichi.org/database/ij-9910-sei.htmlに転載されています。)


加藤紘一前自由民主党幹事長の
自公連立についての見解 

加藤先生のサイト掲載の同著は
http://www.katokoichi.org/agenda/book_index.html
の目次から全文をお読みいただけます。

加藤紘一著「いま政治は何をすべきか」(1999年8月26日講談社刊)から抜粋

■いわゆる自公について

   もう一つの連立、いわゆる自公についてはどうか。平成七年の九月から翌年にかけて、オウム真理教事件が発端になって宗教法人法の改正問題が持ち上がった、池田大作氏の国会招致をめぐって、国民環視のなかで、新進党.創価学会との激しい攻防が行われた。あれほどまでに熾烈な宗教政党批判を繰り広げたにもかかわらず、自民党がその対象とした公明党と連立するとは、あまリにもご都合主義ではないかという批判があることは当然だろう。

   宗教団体が政治に興味を持つこと自体、けしからんとかおかしいとかいうことはない。宗教が弱き者を救うことを信条としているならば、その延長線上で、平和や福祉に関心を持ち、政治的な発言をしても当然だと思う。したがって、その後、新進党が解党して、新たな公明党が再建されたとき、私は自民党の幹事長としてマスコミの質問に答え、「公明党は、羽田連立内閣に六人もの閣僚を送り込み、新進党政権の中核を担ってきた存在から、平和と福祉に特化した、かつてのような存在に戻った。これからは普通のつき合いができるように思うしと総括している。

   新しい自公連立の場合、このへんのことをどう考えるか。閣外協力なら、以前も「自公民」というかたちもあったぐらいだから、別に問題はない。自民党の支持者には農村の三世代同居家族が多いのに対して、公明党の支持者には都市の核家族が多く、そうした人々の悩みや苦しみを吸い上げることができるという点で、政策協議のメリットがあるとも言えよう。だから、閣外協力から徐々にやっていくのなら問題はないが、一気に閣内協力までいってしまうのはどういうものだろうか。拙速に過ぎて、結果的に、お互いが傷つくようなことがあっては何にもならない。状況をよく配慮して、慎重に事を進めるのがいいように思う。

■数に頼れば官に頼る政治になる

  私の経験から言えば、いくつかの政党が集って連立政権をつくるときに重要なのはきわめて基本的な政策については、連立するすべての党がともにテーブルについて討論しながら合意に達することだ。最有力な政党が真ん中にいて、一方にA政党、一方にB政党というふうにやっていくブリッジ方式もあるが、それでは結局不安定なものになるだろう。そうではなくて、全部そろって同じテーブルで議論し、一つ一つの合意を文章化していかなければならない。白さ社連立が始まったとき、マスコミは、これはすぐに壊れると評した。三党で最も対立したのが防衛費だった。平成六年の七月一日に連立が成立したが、八月下句、概算要求の数字を決めなければならないときが、一つの試練だった。

自民党代表の山崎拓さん、社会党代表の岩垂寿喜男さん、さきがけ代表の小沢鋭仁さんが部屋にこもって煮詰めたけれども、案の定、話し合いは決裂した。政調会長をしていた私のところに報告があって、この問題は、政調会長レベルの関山信之さん、菅直人さん、そして私でまとめてほしいと求められたが、私は突き返した。先の三人は防衛問題の専門家だ。専門家同士なら共通点をプロ同士で確認し合うことができ、合意は可能だ。だが、政調会長や、その上の幹事長、党首と、上にいけばいくほど政治的にならざるをえない。

この問題は五五年体制における最大の問題だから、政治的になれぱなるほど決着がつかなくなるだろう。だから、専門家レベルで、実務者チームの中で何としても結論を出してもらいたいと、私は三人に、改めて頼みこんだ。

  それから三日というもの、三人は懸命に議論し、ある数字を決めて部屋から出てきた。そして私に、あなたたちの方が私たちより上級で権限があることを知っているが、われわれがこれだけ死ぬ思いをして決めた数字だから、一銭たりとも動かすことは認められないと、いわば同士愛に満ちた、しかし厳しい発言があった。

   小沢鋭仁さんは、「この二人─山崎氏と岩壁氏─が激しく格闘し、結論を出した経緯を真ん中で見ていて、感動さえ覚えました」と言った。それ以来、二党の政策は、できるだけ実務者に結論を出させ、上に持ってこさせないようにして、その討議の過程をすべて報道陣にブリーフィングすることにした。それが、三党体制が四年ほど続いた基盤になったものと思う。

  そうした中でも、もうこれでおしまいかと思った一瞬が何回かあった。水俣病、戦後五十年法…土地譲渡益課税、大蔵省の財政・金融の分離間題のときなどだ。なかでもいちぱん厳しかったのは、消費税の引き上げ問題だった。三党は、それこそ必死になって議論し、妥協し、決着点を求めた。そして、議論の過程をすべて報道陣にオープンにブリーフィングした。

    役人がつくった案を、与党第一党が多数をもってそのまま通すことを許さないというのが、選挙で国民がわわれにはめた民意のたがなのだから、こうやって議論を重れていくしかなかったのだ。状況は今でも変わらない。たとえ自自公が圧倒的な多数になっても、もしこの民意のたがを外したら、取り返しのつかない結果になるだろう。衆議院で三五〇という未曾有の議席数を誇って、何でもできるという前提の下に政治を進めたとたん、必ずしっぺ返しがくるだろう。中曾根内閣時代に、衆議院で三〇〇もの議席を持つ自民党が売上税法案を強引に通そうとして、一敗地に塗れた、歴史の教訓を決して忘れてはならないのだ。

野中広務氏という、小沢氏と最も激しくたたかってきた政治家が自自連立をめざした一つの理由は、昨年─平成十年額賀防衛庁長官の問責決議案が通ってしまい、額賀氏が辞めざるをえなくなったことであろう。さらにより根本的には、その少し前、八月九月の金融国会の第一段階で塗炭の苦しみを味わったことがあった。小渕首相は就任直後で無我夢中だったし、森喜朗幹事長は総裁選で小湖さんと対立した小泉純一郎氏を支援した経緯があって、少し腰が引けていた。結局、野中広務官房長官と古賀誠国会対策委員長が、すべての責任を引っかぶった。あの二人は、体を壊すのではないかと危ぶまれるほど、心身をこきつかった。

 よほど疲れていたのだろう。数の上で政権を安定させなければならないと考えたに違いない。二人は、三ヵ月苦労して数で安定をと思った。私は自さ杜で苦労して数でと思った。そして、どっちの場合も、国民が与えてくれた数字とは異なる政権をつくり上げたのだ。

 やはり、新しい連立政権をつくる際には、少なくとも内閣総辞職をして、国会で首班指名を受りるべきである。冒頭に述べた橋本政権下での衆議院議員選挙が終わって、杜民党が少数になリ閣外協力に転じたときも、杜民党には首班指名で橋本龍太郎と書いてもらった。そのために、三党は連日、政策協議をやった。社民党は、秋葉忠利さん、さきがけは水野誠一さん、自民党は山崎拓さんと私である。毎日、五〜六時間、延べにすれば三十〜四十時間を費やした。総辞職した瞬間、支援を決めてくれていた政党が離れたり、自民党内で反乱が起きたりするかもしれない。もしそうなったら、政権は成立しない。どんな連立政権であろうと、連立する政党間で徹底的な政策のすり合わせを行った上で、首班指名を受けてからスタートするのが、連立政権が正統性を獲得する本来の姿ではないだろうか。私が連立をつくるとすれば、こうしたプロセスを考えるだろう。

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