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題字:真のリベラルとは何か

このページは、細川珠生著「未来を託す男たち」(1999年12月30日ぶんか社刊)から、私の部分を著者の了解を得て抜粋したものです。太字の部分が、インタビューに対する私のコメントです。この本には、私のほかに鳩山由紀夫氏外8名が取りあげられています。

真のリベラルとは何かを追求する愚直な自由主義者

白川勝彦

一九四五(昭和二〇)年六月二二日生。六九年東京大学法学部卒業。七二年司法試験に合格。弁護士となる。七九年衆議院議員初当選。以来六回連続当選。国土政務次官、郵政政務次官、自治大臣・国家公安委員長、自民党総務局長、同組織本部長代理・団体総局長などを歴任。
加藤紘一氏の側近として、九九年の自民党総裁選でも「反自自公」を訴える加藤氏をそばで支えた。政界きってのリベラリスト。比例北信越ブロック。

内表紙

◎自自公連立は国民の批判にあって早晩つぶれる

 政教分離派の急先鋒で、今回の自自公連立に「ちょっと違うんじゃないの」と異議を唱えた。総裁選でも所属する派閥の長・加藤紘一氏を“側近”として応援。“反自自公”がまるで政策の一つのように、違いを鮮明に出して戦った。ほとんど無投票再選だといわれていたせいもあり、結果は小渕恵三氏の再選。しかし、予想以上の加藤氏の得票に“反自自公”は、自民党内でも決して少数ではないことを証明した。それに気づいていないのは、自民党の幹部だけと言っていいかもしれない。

 白川勝彦氏は、「三党の政策合意なんてできっこない」と自自公連立は実現不可能という予測を立てていた。しかし、できてしまった、巨大与党が。

 なぜ、自自公連立に反対し、公明党との連立を、あれほど嫌ったのだろうか。
 「最大の理由は政教分離という問題ですよ」
 自民党はずっとその点を批判してきたのだから、白川氏がそう主張するのも、もっともなことだ。
 「思想・良心・信教の自由を保障するというのは、憲法でいったら、根本に属することなんです。ですから、政教分離というのは、予算を投入しないでできる最大の自由権の保障。われわれ自由主義者にとっては一番大事なところなのに。ですから、自自公連立はできましたが、早晩国民の批判にあってつぶれますよ」

 自民党が公明党を「政教分離ができていない」と、宗教の政治への介入を猛烈に批判したのは、わずか四、五年前だ。であるにもかかわらず、政教分離には触れずじまいで、それどころか、宗教団体に支援されることも容認するかのような発言をしながら、公明党と連立政権を作った。国民の八割近くが「おかしい」と言っているにもかかわらず……。なにを意図して、国民の批判にも耳をふさぎ、連立を組まなければならなかったのだろうか。

 「一つは数ですよね。でもそれ以前に、もともと小渕さんの属するグループは昔から公明党との縁が深いところなんです」

 政界の外の人間、つまり一般国民には全然知ることのできない、政界の“闇”の部分に聞こえるが、白川氏も、白川氏の派閥の長・加藤紘一氏も、もっとふんばって反対すればいいのに、というじれったさを感じずにはいられない。自由党との政策合意だって、簡単に先延ばししてしますような自民党と公明党の合意された政策だって、どれだけ実現されるのか、それに対する国民の不信感は並大抵のものではないのだ。

 もっと加藤氏も白川氏も、自自公反対の姿勢を貫き、もっとふんばるべきだったのではないだろうか。

 「最大限の抵抗はしましたし、これからも信念を変えるつもりはありません。しかし、こういう問題に筋を通すことに意味を感じない人が多い党のなかにあっては、仕方がない。いずれ厳しい国民の審判を経て、私たちが言っていたことが正しいかったことに気がつきます」

 白川氏らの良識度が評価される日は近そうだ。

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◎リベラリストが目指す国家像とは?

 白川氏は「思想・良心・信教の自由こそ、自由主義の根本」と言う。

 そう、白川氏は政界きっての“リベラリスト”、自由主義者だ。

 しかし、自由は誰もが求めていること。その自由が満足のいくものかどうかは個人差があるものの、日本の自由度は世界でも上位に入るはず。しかし、白川氏はあくまでも自由主義を追求するのだが、白川氏にとって、日本の自由度はいまだ満足いくものではないのだろうか。また保守主義とか、新保守主義とか、またこの本にも登場する鳩山由紀夫氏が掲げるニューリベラル、つまり新自由主義とか、なんだか一般の人にはよくわからない言葉が氾濫している。白川氏の言う、リベラルとはどんなのもなのだろうか。

 「実は、一時の“リベラリズムブーム”が去って、ほっとしているところなんです」
 ほっとしている?
 「ええ、一時はもう、自民党のなかも旧社会党系の人たちも、民社や公明の人たちもみんな使ったんで、私はリベラリストです、と言うのもはばかるくらい、政界中がリベラルになったわけです。だからって日本がリベラルになったわけではない」

 そこで、白川氏の意味するところの“リベラル”が何なのか、聞きたいところだ。

 「まず一義的には、リベラリストは自由主義者ということでしょう。最も素朴で、単純な意味でね。自由主義者というのは、明らかに国家主義者、全体主義者、それから社会主義者とも違うと、簡単に考えて頂いて結構です。その自由主義者のなかにも、分ければいろいろあって、われわれは今でも、自由主義的なものの考え方をする人と、自由主義的なものの考え方をしない人との戦いが、日本でも実は大きいと思うんですよ」

 自由というのは、個人の持つ自由という意味なのだろうか。

 「それはいろいろあります。圧政とか暴政とか国家権力の統制からの自由。それは例えば、なにも自諭主義社会特有でなくても、社会主義社会のなかにだって、あったんです。暴政からの自由という意味は、権力の横暴とか、無謀なあるいは専制的な体制から、個人の権利を守るという消極的な自由だったと思います。
 僕たちが今、自由な社会を作ろうというのは、そういう意味の自由じゃないんですね。個々人が自由に自らの運命を決めて、そして自己実現を図っていく。そういうことが保障される社会を作り、そういうことを支援する社会を作りましょうということなんです。そういう面では、われわれ自由主義者が作る政党の国家像と、自由主義者じゃない人たちが持っている国家像とでは、明らかに違うのではないでしょうか」

 そういう目でその違いを見るということは、こう言っては失礼かもしれないが、あまり一般には浸透していないことのように思う。なぜなら、個人より組織の力が強い日本社会ではあっても、世界を見渡せば、日本の自由度はやはり上位に位置すると思うし、日常生活において、恐らく多くの人が支障を感じるわけでもないからだ。

 「自民党と公明党が連立を組むということは、自由主義政党たらんとする自民党から見たら大問題なんです。ところが、参議院で過半数ないんだから仕方ない、というくらいでこの問題を考えてしまう。これが日本の政治の現実。自民党という政党のなかでこうなんですから、日本の自由というのも脆弱なんです」

 最近の自自公連の政策はやや国家管理的な要素が強まるようなものが多いように感じることに対しては、私も危惧するところだ。しかし、白川氏が自由主義の達成にこだわるというのは、国家像の違いが、政党の対立軸にもなり得ると考えているからなのだろうか。

 「よくイデオロギーの対立がなくなったと言われていますけれども、自由主義的なものの考え方は一つのものの考え方で、それに対して、自由主義的でないものの考え方、例えば、共産主義とか社会主義とか、あるいはあえて哲学的・政治的主張を持たない人たちと明らかに対峙しているわけです。そういう面で、私は日本という国は自由な国になりたければリベラリストががんばり、自由主義的な政党がもっともっと発展していかなければ、本当の意味で、自由人がのびのびと活動できる社会ができないんじゃないでしょうか」

 そうなると、自由と民主主義を掲げる自民党が、うんと活躍しないといけないはずだ。しかし、自民党がこのところ進めている政策は、どちらかといえば白川氏の言うような、個人の自由を認める部分を逆に減らしていくようなものが多い。それはそれとして、多少の国家の強さ、組織の強さは認めてもいいと思っているのだろうか。

 「いや、そこが僕たち自由主義者とそうでない人たちとの違いなんですが、すべてこの世の中の発展は、個人の自由な活動をどれだけ保障するかというところにあるんだというのが、われわれ自由主義者の考えなんです。
 それに対して、それは大事だと思うけれども、人間が幸せになるためには社会のトータルのシステムがきちんとしていなければ、個人の幸せはない。だからトータルの仕組みを、いい仕組みを作りましょうという人たちは、あまり自由主義的ではないんです。
 何よりも、自分が不幸せなのは社会の仕組みが悪いからだと、そして、集団の力で法を変えていこうというのが、労働組合にもあると思うし、その労働組合に依拠している社会主義政党や共産党にもあると思うんです。だから政策を詰めていくときに、最後はそういう違いを感じますよ。基本的にイデオロギーの差だと思いますね。
 これは多分、人間社会が続く限り、二つのものの考え方は僕はあると思っているんで、イデオロギーの違いの時代は終わりっこない」

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◎チャレンジャーを受け入れない日本の本質的仕組み

 今、国民個人の自由を妨げる制度や仕組みがあるのなら、それを変えることからまずやらないと、永久に白川氏の言う真の自由は手に入れられないだろうと思う。

 白川氏も、政治家を目指した原点は、「日本国民一人ひとりが、いろんな可能性を発揮できる世の中を作りたい。そういう野望のある青年の代表としてこの世の中の仕組みを変えていかなきゃいけないと思ったことだ」と言っている。社会の仕組み自体を変えようという思いが、やはり白川氏の胸の内にもあったのではないかと思うのだが。

 「あの当時は、私が若かったということもありますが、大人の考え方っていうのは、まだ非常に頑迷固陋(ころう)であって、若い人のチャレンジを温かく受け入れる世の中じゃありませんでした」

 それは今でもそうだ。若いものは黙っていろ、みたいな。若い人が何かに挑戦するとき、必ず「実績は?」と聞かれる。挑戦する機会がなければ実績も増えないのに。

 「その基本は今も何も変わっていませんがね。いつの時代にもあるんじゃないでしょうか。昭和四〇年代、五〇年代というのは、今よりはるかに硬かったですね。チャレンジャーは受け入れないみたいな。そういうものを何とかしなきゃいけないと思ったんです」

 若い人のチャレンジがなかなか受け入れられないというのは、どういうところにその原因があるのだろうか。

 「それは本質的な日本の仕組みでしょう」

 本質的な仕組みとは?

 「アメリカ人はチャレンジャーを歓迎し、励ますと言われてはいますけれども、一般的な風土があるわけではないんですね。チャレンジャーというものが出やすい投資システムとか税制の仕組みがあるわけです。そういうなかで、チャレンジャーが出てきて成功する。それを見て、また多くのチャレンジャーが現れる。世界中から集まってくる。
 チャレンジャーがまず出てくるというのは、それを支援するシステムというのが、アメリカ社会のなかにはきちっとビルトインされているからだと思いますよ。アメリカという社会が一朝一夕にそうなったのではないと思います。アメリカというのはそういう国にしようという、深いロマンがあったんだと思うんですね。いろいろな仕組みを作ったんだと思いますよ。日本はその点、まだまだ弱いですね。
 それから“各種業界”などというのがありますが、既成の業者が自分たちの利益を守るための業界団体であって、チャレンジャーを排除しようという、各種業界と官庁が一つの巨大な仕組みを作っている。今、それを変えていかないと、日本には本当の意味での活力が出てこないと思いますね。逆に、昭和二〇年代は変な仕組みを作ろうにも、国全体のパイが小さかったから、変な秩序を作れなかった。だから昭和二〇年代の方がいろんなチャレンジャーが出てきて、いろんな挑戦ができたんじゃないのかなと思いますね。昭和三〇年代前半もそうです。
 ところが、四〇年代、五〇年代は、中途半端にでき上がった秩序を固持しようという方向で、さらに、新しいチャレンジャーが出にくくなっているということだと思いますね。」

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◎日本人は自由に生きるということの本当の意味を知らない

 戦後できた新しいものは、巨大化して、今度は守りに入った。私も新しいものや小さなものが受け入れられにくい風土があると思っているが、そのなかで今、ベンチャー支援というのを盛んにやっている。失業者の受け皿であったり、自立の道にするために新規事業者を増やそうという政府の思い。一方、現場では大企業が生き残りをかけて、羞恥心やプライドを捨てた合併がいたるところで起きている。合併して大きくなれば、より新しいものは受け入れられなくなるが、両者の住み分けや共存はどうやって図っていったらいいと思っているのだろうか。

 「なかなかベンチャー企業というのは育っていないんだと思いますよ。本質的に官が指導するベンチャーの仕組みは、論理上無理なんでしょうね。この世の中の秩序を作りましょうという官僚が、社会の秩序をぶっ壊して、今までのものが全部駄目になるような新規商品を出すなんてことは、ほとんど無理な話ではないでしょうか。論理矛盾ですよ。
 従って、現実にはベンチャー企業なんて育ってないんですよ。
 ベンチャー企業というのは、秩序のある大企業とは相対峙して出てくるものでもありますが、実は、今ある巨大な企業・組織自体がベンチャー精神にあふれていて、その組織のなかでもベンチャーが出てくるように仕組めなければ、ベンチャー的なものが育ってくるとは思えない」

 なるほど。ベンチャーはベンチャーでも、大企業のなかからのベンチャーということか。

 「アメリカは、そのあたり、企業の運営自体が非常にチャレンジャーを大事にするということになっているわけでしょう。日本の場合は、役所が、新しいことはしないでいいからとにかく失敗はするな、という形でやってきたわけですが、実は日本の大企業もそうだったのではないでしょうか。新しいことなんてしなくてもいいと。しかし、それがどこかで行き詰まって、今日のような状態になったのでないかと思います」

 具体的にはどうすればそこを打破できると思っているのだろうか。

 「アメリカが日本に対し、また国内でも規制緩和をしろって言いますけれども、規制があるからベンチャーが出てこれないんじゃなくて、もちろんそれもありますが、少々の規制ぐらいは本当のベンチャーだったら、突破する力をもっていると思いますね。
 つまり、日本がベンチャーを歓迎する風土、そして、それをサポートする仕組みを作っていかないといけないでしょう」

 みんなと同じことができればいいとか、みんなと同じことができなきゃいけないというふうに教えられたから、他人と同じことをする以上のオリジナリティを達成するパワーも、考える術も失ったと思う。

 「これは根はもっと深いと思いますね。やっぱり自由の歴史というのはヨーロッパやアメリカと比べたら、数百年の差があるわけですね。
 自由に生きるということの意味、自由に生きることのすばらしさ、そして自由に生きた人間が結果として生み出したプロダクツ、そういうものを本当の意味で日本人はまだ知らないんじゃないでしょうか。
 だから自由に生きる人間を評価するスタンダードも持っていないし、容認の仕方も知らないというのが、日本の基本的な特質なんでしょう。
 これは無理ないとは思うけれども、長期的に見れば、新しいエネルギーが次々に出てこない国や社会や会社は滅びていくんだと思います」

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◎民主党の一部と手を組むということはあり得る

 白川氏の目指すもの、それは自由。そしてその具体的な姿が、ベンチャー、つまり新しいものが多く出現していくことだ。

 自由主義かどうかということが、政党の対立軸になるということだが、その延長には、それを基軸とした政界再編があるのだろうか。そこまで強く望むのであれば、白川氏も自ら行動に出ないといけないだろう。

 「自民党や自由党は、保守主義や保守党という自由主義のグループじゃないかと大くくりに言われてますね。それに対して公明党は中道とは言われても、保守的とか自由主義のグループとは言われてません。民主党のなかに、昔自民党にいたという意味ではなくて、自由主義でいきたいねと思っているグループが三分の一はいるんじゃないでしょうか。
 その人たちと私たちが手を組むということはあり得るんじゃないですかね。
 しかし、自民党と自由党のなかにいる、われわれリベラルなグループから見たら明らかに一緒のグループとは言われない人たちも出て行く、ということにはならないと思いますね。
 僕は大連合はすべきだとは思っています。そしてもう一つのグループ、公明党とか改革クラブ、それから民主党のリベラル以外の人、社民党、共産党というのが一つのグループをなすのではないでしょうか。それは正しいグループ分けだと思いますよ」

 そのあたりがすっきりいっていないために、国民にはそれぞれの政党の違いが、わかりにくくなっていると思うのだが……。

 「素朴な二大政党論というのが根強くありますよね。とにかく二大政党で、その二大政党が活発に競い合うなかからいい政治が生まれるんだ、というものの考え方があるんですね。
 でも私はね、これは高校の教科書までの話じゃないかと思っているんですよ。二大政党がある、それが大事なんです。だから生徒会でもAとBのグループがあって、その二者のなかから生徒会長が決まればいいんだということじゃないかと思うんです」

自由主義を基軸として政界再編がおこなわれるべきだと? 対談中の細川珠生さん
対談中の白川 自自公と民主党が政権を争う意味が国民にはピントこない。
自由主義者はもう一回結集する。
そうでない人はいろんな問題を乗り越えて大集結する。
そうすると政策的にも明らかに違って、判断しやすくなる。

 二大政党という形をかたくなに求める、例えば羽田孜さんのような主張は、生徒会レベルの話だと?

 「そうだろうと思うんですね。価値観を抜きに、なにがなんでも二大政党が必要なんだと言っているために、民主党という存在が、どういう役割を果たしたらいいのかわからなくなっている。国民も自民党と民主党が政権を争うというのがピンとこないということだと思いますよ」

 そうすると、まずもう一回自由主義を基軸にして、政界再編がおこなわれるべきだと考えているのだろうか。

 「自由主義者はもう一回総結集する必要がある、と私は思っています。それに対してそうでない人はいろんな問題を乗り越えて、大結集する必要があるでしょう。そうすると、国民から見たら政策的にも明らかに違ってくるだろうから、判断しやすくなると思いますよ。
 ただ国民は、私の言うかなり深い意味の自由を、自由主義の国を求めていると思いますから、結果として、自由主義を掲げたところが勝つということになると思いますよ」

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◎自由主義にもとづく国家の役割とは何か?

 そうなると、国家の役割というのはどういうものになるのだろうか。

 「国家の役割というのは、いかなる社会でもあるわけですね。国内の治安を守るとか最低限の国民の生活を守るとか。外国に対する防衛のあり方は、どういう主義の国でもそう変わりはない、やっぱり軍隊は必要なんだという考え方はあると思いますよ。そういうのが、国家の本来的な機能だと思いますね。
 それ以外に、国家、それ自体が一定の価値・思想を持って国民をぐいぐい引っ張るという、そういう国家の役割というのを自由主義の国は求めないのではないでしょうか。自由主義者が考える国家というのは、国の方向性は決めない。自由な国を作りますというのが、政府の最大の目標で、豊かな国ができるかできないかというのは、どれだけ国民の自由な活動を保障し、国民の能力ややる気をどう引き出すかにかかっている。結果として国民の多才な能力が発揮されて豊かな国ができればそれでいいんだと、そういうのが、私たちの国家観ではないでしょうか」

 そうするためには、国会議員の方が、いろいろな権力を手放さないといけないのではないだろうか。

 「もっと国民が自信を持って、いろんなことをやりなさいということではないですか?」

 まずやってみる、と。

 「やりなさい、と。それに対するサポートは考えますと。自分ではチャレンジしないで、ただ成果だけをくれと、それを政治だとか、あるいは国家に求めるというのは、本当の自由を求める社会ではない国民の考えかたではないでしょうか。まだ日本が自由な国の合格点をもらえないのは、なにか起こるとすぐ政治が悪いからだ、と言うんですね。政治が悪いがために起きる問題があって、政治が責められなくてはいけない話もあるけれども、逆にこの世の中のすべてのことを政治がコントロールしてもいいんですか、と言いたい。離婚が多いのも不倫が多いのもみんな政治が悪いからだ、なんて言われても、家庭生活の夫婦の道まで、昔のように口を出す国家がいいんですか、そういう政治がいいんですか、という話になるでしょう。
 だから国家は、本当の幸せなんて国民に与える力はないということを、政治家も国民も知らなければならない。国民が自らの努力でつかむしかないんです。で、お手伝いするものがあればお手伝いするというのが、われわれ自由主義者が考える秩序であり、国家観ではないか、と思います。」

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◎現憲法を浸透させ実質化することこそ先決

 白川氏は、憲法改正については、積極的ではない。いわゆる「護憲」と言われるグループの一人。しかし、憲法についての考えを聞いてみたら、自由主義の実現に向けての力強い意気込みから大幅にトーンダウンするかと思いきや、そうではなかった。むしろ、今の憲法の意義や価値に相当の誇りを持っているようにも思える。しかし、そのような憲法があっても、白川氏の目指す自由主義が徹底されていないのなら、それをもっと自由度が高まり保障されるものへ、書き換えてもいいのではないかと思うが……。

 「憲法改正論議が、非常に活発になってきていますが、戦前の憲法に比べれば、はるかに自由主義的な憲法だと思います。自由主義の理想にあふれた憲法がありながら、憲法が想定する国にまだなりきれていないということの方が、はるかに大きな問題だと思っているんですけれどもね」

 そうすると、今の憲法を改正するなどとんでもない、もっと浸透させる方がいい、と考えているのだろうか。

 「今の憲法が想定しているような、自由で進取の精神にあふれた国民がもっと出てきてくれないと、自由主義の国・日本はこれ以上発展できないのです。国民がみずからの問題をみずからの力で解決していく、そういう社会にならないと、自由主義社会の本当のいい秩序はできていかないと思います。
 私からみれば、なぜ憲法が保障している自由を、国民がたった一回しかない人生において、もっと大切にして、自分らしく生きようとしないのか、と思うんです」

 ただ、どこか問題点や分かりにくい箇所があればそれを直すぐらいはいいのではないのだろうか。

 「いいけれども、憲法のどこがおかしいのかというのが、よくわからないんですね。ここがおかしいから、だから国民の自由が保障されないというような具体的なことが、憲法がおかしいという人たちからは聞かれないんですよね。

 だから、僕は憲法改正にはあまり積極的な主張をするところに入っていないのです。護憲を旗印にするつもりもないけれども、あまりにも憲法がうたった自由をきちんとやり遂げている人が出てこないから、まずはこれを浸透させることの方が先」

 別の言い方をすれば、改憲することによって、自由を奪うという方向になるなら、改憲には絶対反対だろうか。

 「改憲論者のなかには、今の日本がだめなのは、自由方埓な憲法を、国を作りすぎた。もう少したがを締め直さなければいかん、というような考えの方もけっこういますよね」

 もう少し、義務を課そうという考えだ。

 「国民が義務を負わなきゃいけないというのは、自分の自由も大切にしたい、あなたの自由と同じように、あなたも他人の自由も大切にして下さいよ。そこから出てくる義務や制限なんであって、国家がこっから先は乗り越えちゃだめですよと言って線を引く義務であってはいかんと思いますね。
それにはまず、国民が自由闊達に行動するということが前提でなかったら、制限を課す意味がないと思うんですよ。何にもアクションしない人間には厳しい制限も要らない」

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◎家族制度を生かした日本型社会保障システムを

 そういう考えに立つと、国の役割でもある社会保障制度の確立はどのように考えているのだろうか。

 「私は日本の社会保障は、ヨーロッパのものを安易に入れすぎたと思っていますよ。
 ただし、ヨーロッパは非常に手厚い社会保障制度を入れたために、非常に高い税金を払わないといけない国家になったんだということを忘れてはならない。しかし、自分の稼いだもののうち、自分が自由に使える部分をできるだけ残してあげるというのは、国家が国民に保障する自由のなかのかなり大事な点だと思うんです。
 そう考えると、日本は非常に経済成長率が高く、若者が多い国だったから、ヨーロッパと同じ制度を入れても、非常に安く入れられましたが、少子高齢化が進みヨーロッパと大体同じ人口構成になると、コストの高さを感じ始めた。社会保障政策によって、国民にとって一番大切な所得の自己処分権がどんどんおかされていき、税金で取られる分が増えるということを考え、何を公的な社会保障に任せるのか、もう一回真剣に考えないといけないのではないでしょうか。
 ヨーロッパの社会保障制度は、日本のような家族制度のない社会で生まれたもので、日本、あるいはアジアは家族制度が健在ですよね。そういうものをもう少し生かした社会福祉のあり方だってあるのではないかなと思いますね」

 日本の人口構成が、日本のよき伝統の一つでもある家族制度によって賄われる社会保障に限界を与えるため、介護や保育のあり方を大きく変える必要性を迫っているのだが、家族制度を生かした社会保障というと、それとは逆行するように感じる。なにか、妙薬があるのだろうか。

 「日本人はやはり家族制度というものを大切だと思っていますよ。親子が同じ家に住んでいるということを自然な姿と思っていますよね。親子二世代が一緒に住みたいね、と言って一緒に住むケースも多い。そうすると子供ができれば家族三世代ということになる。だからといって昔のような大家族制度になるわけではない。今若い女性が働くという場合に保育所に預けるよりもおばあちゃんが面倒見るというほうが、いい面があるんじゃないのかなと思いますよ。だから日本型の福祉政策が真剣に考えられてもいいと思います」

 公的な社会保障は必要ないということだろうか。

 「ヨーロッパの制度もいいものだと思います。でもそのまま直輸入だったら、コストがかかるに決まっている。日本型の社会の特質を生かして、コストをかけないで同じような効果を上げられる仕組みはいろいろあるでしょう。ヨーロッパのものを入れないというこではないですよ」

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◎小選挙区制導入以降、自由闊達な風潮が弱くなった

 白川氏は、自治大臣時代にも、地方分権を進めるための政革を次々におこなうなど、常に改革派として行動してきた。政治改革への思いも強い。このところの自民党は、政治改革の思想とは逆行するような選択をすることが増えてきたように思うが、白川氏にとっての政治改革とは、一体どんなものなのだろうか。

 「国民一人ひとりが自由闊達に政治的意見を述べ、生き生きとした日本を作るために、それに呼応する政治家が政界にどんどん来てがんばる。政界自身がもっと自由闊達でなきゃいかんと思っていますね。
 自民党は自由闊達な党だったと思いますけれども、小選挙区制が導入されてから、そういう風潮が極端に弱くなりましたね。同じように、新進党はそれがないということで、空中分解したわけですが、まだまだ日本の政党も国民の自由な政治的ニーズにこたえていないのではないでしょうか。
 小選挙区制は政党のウェイトが大きくなって、個人のレベルの候補者が立候補することが難しくなった。制度はそう簡単に変えられませんが、それじゃいかんという人たちがその壁を乗り越えて、突破するしかないと思いますよ」

 白川勝彦氏にとって、今最大の関心は、おそらく先の自民党総裁選でも盛んに反対を訴えてきた「自自公政権」の雲行きが怪しくなってきたことではないだろうか。日々出される政策や三党の合意は、国民を的にまわすかのようなものばかり。

 こんなときだからこそ、白川氏ら「反自自公」を訴える人たちの結束が必要ではないだろうか。政権を維持したい。我が身の安全を第一に考えたいと思う政権党が引き起こしがちな“病”を断ち切るためにも、そういう人たちを越える良識とパワーを今こそ、発揮すべき時が来ているのだ。

 白川氏の望むような“自由主義かどうか”が基軸となった政界再編にはならないかもしれないが、それは白川氏が永遠のテーマとして、追求し続ければいいと思う。

 しかし、本当に真の“リベラリスト”だと思った。一朝一夕にそうなったのではない。深い思いが自由主義の追求に込められているように感じた。それは白川氏のこれまでの生きてきた環境が、大きな影響を与えているように思う。

 「自自公政権」を倒せるかどうか、白川氏にとって勝負の日は近い。

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細川珠生(ほそかわたまお)

1968年東京生。1991年聖心女子大学英文科卒。同年米ペパーダイン大学政治学部へ留学。1993年「娘のいいぶん〜ガンコ親父にうまく育てられる法」を出版。同作品で、第15回日本文芸大賞女流文学新人
賞受賞。その後、雑誌・新聞などで政治家のインタビューや政治・行政に関するコラムなどを執筆。1995年より「珠生・隆一郎のモーニングトーク」(ラジオ日本・毎土7:05〜7:35)でパーソナリティを努める。細川隆一郎は父。故・細川隆元は大叔父。

写真:細川珠生さん

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未来を託す男たち
著者 細川珠生


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